いつか、その想いを攫えたら

涼暮つき

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第19話

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 赤松のマンションに向かい部屋の明かりが消えている事を確認すると、近所のファミレスで食事をしながら時間を潰す。まるでストーカーのような自分の行動に、自身を嘲る。
 今まで誰かを待つために、わざわざ相手の部屋まで押し掛けるなどということをした試しもない。一体何なのだろう。自分をここまで突き動かしているものは。
 ファミレスを出て赤松のマンションの駐車場に車を停めた。この寒空の中、エンジンを掛けっ放しにしておきたいところだが、いつ帰って来るか分からない赤松を待って長時間その状態を続けるのはさすがにマンションの住人に不審に思われる。
 だんだんと冷えていく車の中でスマホを弄りながらひたすら赤松の帰りを待つ。
 かれこれ一時間。左手の腕時計の針は、すでに八時を過ぎた。長期戦になるかと覚悟を決めたところで、マンションに近づいてくる人影に目を見張った。
 見覚えのある背の高いシルエット。慌てて車を降り、その後を追う。趣味のいいコートを纏ったその後ろ姿は、間違いなく赤松だった。
「──赤松さん!」
 声を掛けると赤松がビクッと驚いた様子で振り返った。が、それはほんの一瞬のことでいつもの見慣れた表情に戻る。
「何だ、灰原か。暗がりからビビらせんなよ」
「何だって酷い言い草ですね。あれから何度か連絡したのに」
「返事は返したろうが。ちょい、いま仕事が立て込んでて」 
「今夜も残業だったんすよね? にしちゃ随分早い帰りじゃないすか?」
 顔を見れて嬉しいはずなのに、つい責め立てるような言葉が口を突く。
 これくらいの時間なら、以前なら普通にどこかで待ち合わせして飲みに行っていた。
 赤松がエレベーターに乗り込むと真也もそれを追い、赤松より先に部屋のある三階のボタンを押した。
「……なんでわざわざ? こんなふうに押し掛けて来るようなキャラじゃねぇだろ。おまえ」
「確かに。自分でも戸惑ってますよ、何してんだろって」
 エレベーターが三階に止まると、赤松がそのまま部屋へ向かうのを追い掛け、これまた当たり前のようにドアを開け中に入ると、そのまま赤松の腕を掴んだ。
「何なの、この扱い。あんた俺の事避けてんの?」
 玄関先でそう訊ねると、赤松がゆっくりと振り返った。それから少しバツの悪そうな顔で微笑むと諦めたように言った。
「──おまえに、合わす顔ねぇと思って」
 この間の夜のことを言っているのだろう。確かに酷い事をされた。けれど、真也にそれに対する怒りのような感情はない。むしろ、悪かったと思っているくらいだ。無理矢理この男の心の中を暴いたりして。
「べつに、気にしちゃいません。つか、気にしてたらこっちから連絡なんかしないでしょ」
「……」
「らしくないんですよ。あんたこそ、そんな事気にするキャラですか? 普通でいてくださいよ。じゃないと、俺だって──」
 真也が言うと、赤松が少し表情を和らげた。
「……まぁ。上がれや」
 そう静かに呟いて、真也を部屋の中へと促した。
 赤松に続いてリビングへ行くと、そこにはもう何度もやってきて見慣れた景色が広がっている。
「座ってろよ。コーヒーくらい淹れてやる」
 赤松がキッチンに立ち、軽く手を洗うと電気ケトルに水を入れ台にセットした。リビングのソファはもちろん元通り綺麗になっていて、当然だがあの夜の惨状など見る影もない。
 静かな部屋の中、次第に沸き立つケトルの中の湯がグツグツと音を立てる。赤松はキッチンのカウンターに立ったまま、ケトルを眺めている。
「インスタントしかねーけど」
「いいすよ、別に気ぃ使ってくれなくとも。そーいや、赤松さん飯は?」
「ああ……軽く食ってきた」
 食事を済ませてきたということから考えても、残業というのは真也の誘いを体よく断る為の口実だったのか想像できるだけにと少々へこむ。
「あ。おまえこそ、飯……」
「食って来てますよ。ストーカーよろしくあんた待つ間にそこのファミレスで」
「ふ」
「柄じゃないんすよね。こんなの、俺的に」
 この歳になるまで何度か恋らしきものを経験したが、相手にはなるべく執着しないようにしてきた。普通の男女の恋とは違い男同士の付き合いは将来が見えない。
 同じゲイでも考え方は人それぞれ。堂々とカミングアウトして同じ嗜好の男と生きていく奴もいれば、世間の普通に紛れて、適当な相手と遊ぶだけのヤツもいる。
 真也はどちらかといえば後者であった。深入りはしない、付き合ってもその付き合いに重さなど必要ない。誰かに酷く執着することなどなかったはずなのに、いまや赤松への執着心でいっぱいだ。
「今日、久々に青野さんに会いましたよ。あ、職場でですけど。あんた相変わらず小賢しい手回し的なことしてんすか?」
 そう訊ねると、赤松が片方の口の端を上げて微笑んだ。
「いや……あれはもう止めた。つうか、あのバカもいい加減気づいたようだしな」
「え?」
「俺のアシストもこれで終了っつうこと」
 答えた赤松こちらにやって来てたった今淹れたばかりのコーヒーを真也に手渡し、その傍らに座った。 
「え。ってことは、あの二人……?」
「ああ。もうほっといてもくっつくだろうよ」
 どんな気持ちなのだろう。自分の好きな男と、その男を好きな女の恋を最後まで応援し、見守るというのは。
「赤松さん、本当にそれでいいんすか?」
「いいも何も。俺が望んでんのよ」
「自分のものにしたいとか思わないんすか?」
「思わない」
 赤松が手にしたカップをテーブルに置き、真也の目を見据えてきっぱりと言い切った。
「言ったろ? 俺は死ぬまで友人として傍にいられりゃ、それでいい。俺じゃ、あいつがこの先手に入れることができる“普通”の幸せは与えてやれねぇからな。黒川の相手があの青ちゃんなら、これ以上望むことなんて何もねぇよ」
 確かにあの二人なら付き合いだして、いずれは自然に似合いの夫婦になることだろう。
 けれど、傍で見守ることしかできない赤松の想いは一体どこへ行けばいいのだろうか。
「なんか、やりきれないっすね」
「別に特別なことじゃねぇよ。報われない想いを抱えて生きてる奴なんて五万といる」
「赤松さんは寂しくないんすか」
「あ?」
 妻と別れ、この無駄に広いマンションにたった一人。長年想い続けた親友は別の女と幸せになろうとしている。 
「寂しかねぇよ。……こうして部屋に押し掛けてくる厄介な“飲み友”もいることだし」
「ふ。厄介とか失礼な」
 またもただの“飲み友”扱い。結局、そこから抜け出せないのか俺は。と真也は苦笑する。
 そこから抜け出すにはいつまでも御託を並べても意味がないのだろう。
「前から思ってたんすけど。その“飲み友”ってポジション、もう少し昇格できませんかね」
 真也の言葉に、その意味を測りかねてか赤松が不思議そうに眉を寄せる。
「俺は、あんたにとって本当にただの飲み友でしかないんですか?」
「あ?」
「つか、他の飲み友ともセックスするんですか?」
「……何が言いたい。ド直球のおまえが随分回りくどい言い方するんだな」
 そりゃあ、少しは回りくどくもなる。腹の探り合いは正直苦手だが、やみくもに投げるほど強靭な心臓を持ち合わせているわけではない。それが、拒絶されたくない本気の相手なら尚更。
「俺は、あんたの“飲み友”以上にはなれないんすか?」
「……」
「俺は、あんたをもっと近くに感じたいんですよ。しばらく顔みなけりゃ、会いたいと思うし。正直、今夜みたいに避けられたらへこむし。避けられてるのかも、って思っててもこうやって部屋に押し掛けたりする程度にはあんたのこと好きになってるんです」
 格好悪いのは分かっている。けれど、本気になってしまっているからこそぶつけなければならない。自分の気持ちを洗いざらい。
 今の俺には、赤松が黒川にしたように相手を想い身を引くなんて大人なやり方はできない。赤松が自分と身体の関係を続けられるほどにコッチ寄りなら尚の事。
「俺は、あんたが欲しいです。あんたが俺のモンになったらいいのにって思ってる」
「……」
 赤松が戸惑いの表情を見せているのは真也の言葉が想像もしなかった意外なものだったからか、それとも他に何かを考えているからなのか。
「気付いてなかった? 一度だけならまだしも、何とも思ってない男と何度も寝たりしないですよ、俺」
 不安はあるが、ここで怯んでしまったら二度と言えなくなってしまう気がする。
 真也はゆっくりとソファから立ち上がり、その傍らに胡坐をかいて座っている赤松の目の前に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
 ──伝われ。
 余分なことはどうだっていい。
 俺がこの男を好きだというこの気持ちだけ。
「あんたが、まだ黒川さんを好きでもいいよ。その想いごとかっ攫ってやろうって思ってるし」
 そう言ってベシッと赤松の膝を叩くと、赤松が「痛っ」と小さく声を漏らして真也に苦笑いを返す。
「……何だそれ、恰好いいな。顔だけじゃなく、言う事までイケメンかよ」
「ああ、そうだよ。あんたいつも俺に言ってんじゃん」
「はは。否定しねぇとか、ホントおまえらしいな」
「男らしくて惚れるでしょう」
 敢えて胸を張って言うと、赤松がふっと吹き出した。
 久しぶりに見る赤松の自然な笑顔。その目尻の皺を眺め、ああそうだ、この男を意識したのはこんな人懐っこい笑顔だったなどと今更ながら思い出した。
「何で笑うんすか」
「や。おまえ、つくづく変わってんなーと思って」
「何がっすか?」
「多少口は悪いが、イケメンで性格も男前で。ノーマルだったら女の子選び放題だっつーのに、何で俺みたいな枯れたオッサン口説いてんだっつうの」
 確かに。と思い、目の前に座る赤松をまじまじと見つめる。
 自分よりひとまわり以上も年上の、まぁ見た目は悪くないが……こんなオッサンを自分が本気で口説く日が来ようとは。
「知らないすよ。俺自身戸惑ってるくらいですから」
 なぜ。この男なのか。
 なぜ。この男の傍が心地いいのか。
 なぜ。この男の全てを欲しいと思うのか。
「返事は今すぐじゃなくていいですよ。とりあえず、不自然に避けんの止めてくれんなら」
 今は“飲み友”でも、傍でこの男の笑顔が見られたらそれでいい。
 今はまだ他の男を想っていても、そのうちこっちを見てくれたらいい。
「──おまえ。意外と根に持つタイプ?」
「はは。そうかもしんないっすね。──あ! そだ! この間あんたにされた酷いことも忘れてないですから」
「──だから、それは悪かったと」
「思ってんなら付き合ってよ、俺と」
 赤松の言葉に敢えて被せるように言うと、赤松がバツの悪そうな顔をした。
「……冗談です。そんな脅しみたいなので付き合って貰っても嬉しくないですし」
 人の心は無理矢理手には入らない。相手に消えない想いがあるのなら、その想いごと受け止める強さを持たなければ。
「赤松さん」
 真也は改めて姿勢を正して、そっと赤松の手を取りながら呼び掛けた。
「ん?」
「ちゃんと言ってなかった。──俺、あんたが好きです」
 ただ真っ直ぐ赤松の目を見て伝えた。
 人生史上、こんなにも切実に自分の気持ちが相手に伝わることを願ったのはたぶん初めてのことだった。





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