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涼暮つき

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第四章 黒川巽の場合

黒川巽の場合②

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「こんばんはー」
「あ。らっしゃーせー。二名様ですか?こちらどうぞ」
「すいませーん」
「あ。今うかがいまーす!」
 バイトの富永がお客を席へと案内しながら、狭い店内を動き回る。今夜はなかなかの客入りだ。
「ちわーっす」
 聞き覚えのある声に巽が顔を上げると、カウンターに座っていた日南子もそちらを振り向いた。その声に日南子も聞き覚えがあるのは当然の事。彼は彼女の職場の後輩だ。
「お。久々っすね、青野さん! 今日、いる気がしました」
「わ! 灰原くん、久しぶり~! 隣、座る?」
「あ。どもです」
 日南子が促した席へ灰原がスーツのネクタイを少し緩めながら腰掛けた。
「スーツってことはー。今日、灰原くんも出てた?」
「あー、松木店のヘルプに。……くっそ忙しかったっすよ」
「あはは。今日売り上げ一位だったもんねー、お疲れ」
「あ。僕にもビールください」
「はいよー」
 巽は、返事を返して静かにサーバーのコックを捻る。友人や後輩と話すときの日南子は新鮮だ。自分には向けられることのない敬語の外れた自然な会話。
 巽が特別気を使われているわけではなく、それがただ目上の人に対する礼儀的な意味でなのは十分分かっているつもりだが、これが本来の彼女の姿なのだろうと思うと自分が年上であるということが時折惜しいような気持ちになる。
「お待たせな」
 そう言ってビールを灰原の前に置くと、すぐにグラスを手にした彼に日南子が「お疲れー」と言ってグラスを合わせた。歳の近いもの同士でなら、こういう言葉を使うのだ。元々人前で裏表のあるタイプではなさそうだし、十分ナチュラルなのだが、言葉が砕けているだけでより自然な印象になる。
「灰原くん、飯は?」
「今日ガッツリ食いたいんでー、とんかつ定食で。青野さん何したんすか?」
「私、お刺身」
「うわ、それも旨そう」
「じゃあ、ちょっと分けてあげる」
「マジすかー」
 二人のまるで仲の良い恋人同士のようなやりとりにクス、と笑う。
 こんなやり取りを恋人としていた時期が巽にもあった。
「店長ー! 五番。生二つ、焼魚定一つの~、チキンカツ定一つお願いしゃーす」
「おうよ!」
  今は、もう必要ない。この店と、この店を愛し通ってくれる客と、それさえあれば他のものは何も──。

   * 

 店内の客もほとんど帰り、店に残っているのはカウンター席にいる日南子と灰原の他に一組だけ。楽しそうに話に花を咲かせる二人の会話を聞きながら、壁の時計に目をやった。
「富永くん。そろそろ暖簾……」
「うぃっす!」
 巽が声を掛けると富永が店の外に出た。外に出た富永の他にかすかに誰かの話し声が聞こえてきたかと思うと、カラカラ…という格子戸の開閉音と共にこれまた見知った顔が覗く。いつものように少し嫌そうな顔をしてやると店に入ってきた赤松が俺に舌を出して、カウンターに並んで座る二人に声を掛けた。
「お。珍しい組み合わせで」
「あ。赤松さん、こんばんはー」
「どもっす」
 日南子と灰原が赤松を見て軽く挨拶をする横に、赤松が躊躇ためらいもなく並んで座った。
「……おまえなぁ、普通席空けんだろ」
「は? いいじゃん、知らねー仲でもないんだし。なぁ?」
 赤松が二人に同意を求めるように訊ねた。確かに顔見知りという点で知らない仲ではないが、普通は遠慮する場面であろう、とこいつに言うのは無駄だと悟って口をつぐんだ。
「青ちゃん。そーいや、かなり久しぶりだよなー?」
「はい。前にお酒ご一緒させてもらったとき以来……ですよね?」
「あん時、ここ泊まったんだってなー? 巽に何かされなかったー?」
 そう赤松が訊ねた瞬間、
「……えっ? あ、」
 なぜか日南子が顔を赤らめた事に、赤松だけでなく灰原までもが驚いた顔をした。
「え、なにその反応……もしかして、」
「……ち、違いますっ!」「んなわきゃねーだろ!」
 日南子が慌てて胸の前で両手を振ってそれを全力で否定し、巽はそれを言葉で斬った。
「や。だって青ちゃんがさー、」
「え。青野さん、黒川さんトコ泊まった事あるんすか?」
「マジすか、俺も初耳ー!」
 ここで興味深々といったふうに会話に入って来たのは富永だ。三人もの野郎から同時に質問責めのような形になり日南子がますます慌てて妙な動きをする。
「……あのっ、違うんです違うんです!! まえに私ここで酔いつぶれちゃったことがあって! ……巽さんが仕方なく泊めてくれたってだけで」
「おまえなぁ……! 変に誤解生むような煽り方すんなよ。青ちゃん泣きそうになってんじゃねーか」
「え、あ。いや、そのっ……」
「あはは。ごめんごめん、青ちゃん! 俺がからかいたかったのコッチだから」
 赤松が巽を指さして悪びれもせずに笑った。根は悪い奴じゃないのだが、昔からこいつは巽を玩具おもちゃにして楽しむような節がある。とんだ性格悪だ。
「そーいや、赤松。この間の、灰原くんに……」
 この間、とはだいぶ前に赤松が離婚問題でやさぐれていた頃。たまたま店に居合わせた灰原くんに絡み迷惑を掛けていたことがあった。今度顔を合わせたときにでも謝らせようと考えていたいい機会だと思ったのだが、
「あー。それ、解決済み」
 とニヤと笑った赤松に言葉を遮られた。
「は?」
 事情が飲み込めず赤松と灰原の顔を交互に見ると灰原が口を開いた。
「いやー。この間、偶然赤松さんと駅前で会って」
「俺もさすがにあん時は申し訳なかったかなーと思ってお詫びに飯でも、っつってな?」
「まー、そんなとこです」
 赤松の言葉に灰原が頷いた。なるほど、巽が口を挟むまでもなかったというわけだ。
「つか。俺のビールまだかよ?」
 そう言われてハッとした。
「あ。悪りぃ、忘れてたわ」
「店長、ついでに俺のまかないは……」
 片手を半分ほど挙げながら遠慮がちに訊ねたのは富永。
「もちろん、できてる」
「……おい、黒川! 俺の扱いだけ酷でぇー」
 俺たちのやり取りを見て日南子や灰原も顔を見合わせて笑った。店内に広がる賑やかな皆の笑い声。
 大きな店では決してないが、こうして集まる仲間と常連客の笑い声と笑顔。それだけあれは他に望むものなど──。

 それから三十分ほどカウンター席を陣取る形で皆で思い思いに飲んだ。閉店時間を過ぎ、まかないを食べ終えた富永が使った食器を洗浄機に突っ込んで「お先っす」と軽やかに店を後にした。
「じゃあ、俺もそろそろ」
「あ。私も……」
 灰原と日南子も時間を気にしながら席を立つ。会計を済ませ「ごちそうさまでしたー」と二人揃って店を出て行くのを追いかけると、日南子がそれに気づいて片手を胸の辺りまで上げて巽を制した。
「巽さん。今日は大丈夫です。そこまで灰原くんと一緒なんで……」
「──そうか。そうだな」
 彼女を家まで送るのがまるで自分の役目のように思っていたが、彼女にとって自分より気心の知れた相手と一緒の場合こうなるのが自然だ。当たり前のように後を追った自分の行動が急に照れくさくなって頭を掻いた。
「おやすみなさい」
「おー。おやすみ。二人とも気をつけてな」
 楽しそうに二人並んで歩いて行く姿を見送りながら、眼鏡のブリッジを押さえた。カラカラ…と格子戸を閉め、店の余分な照明を落としてカウンターに立つと、頬杖をついた赤松が意味ありげに巽を見た。
「──何だよ?」
「自分が送って行けなかったのガッカリしてんの?」
 いきなり何を言い出すかと思えばくだらない事を。巽は息を吐いて呆れたように赤松を睨む。
「何言ってんだ、てめぇは」
「おまえにしちゃ、最近やけに構ってんじゃん?」
「だから、それは──、」
 最近この界隈で変質者の出没が頻繁だったからで、何も特別な事ではない。相手が彼女でなくとも、たぶん同じことをしているはずだ。
「知ってるよ、事件の事は。べつに悪いとは言ってねぇ。むしろいい事だと思うけどね」
「おまえの言葉はいちいち意味ありげなんだよ」
「あえて分かりやすく言ってやってんだよ。どっかの誰かさん鈍いし」
「だから。意味わかんねぇっつーんだよ」
「ほーら、これだよ」
 今度は赤松が呆れた顔をして、手にしたおしぼりをポイと巽に軽く投げつけた。
「おまえ、自覚ねぇの?」
「だから、何が」
「青ちゃん気に入ってんだろー?」
「んなわけあるかよ」
 どうしてこいつはこうなんだ。自分の事は干渉されたがらないくせに、人の事になるとその辺の容赦ない。
「亜紀は許してくれると思うぜ? おまえがまた誰か好きんなること」
「だから、そういうんじゃねぇっての」
 確かに彼女のことを気に掛けていないと言えば嘘になるが、それは色恋とは別のものだ。
「──俺だったら、辛れぇな」
 いつの間にか煙草に火をつけた赤松が、灰色の煙を吐き出しながら巽を見た。
「あ?」
「好きだった男が、自分の死後ずっと一人でしょぼくれた人生歩んでたら」
「……余計なお世話だっつーんだよ。別にしょぼくれちゃいねーよ。好きな事やって、そこそこ幸せだっつうの」
「おまえはそうかもしんねーけど、傍から見てると痛々しいんだよ」
「何言ってんだ。離婚したてのおまえのが余程痛々しいわ」
 口に出してしまってからしまったと思った。赤松が好き好んで離婚という選択を受け入れたわけではないことを分かっているのに、随分と酷いことを言ってしまったと思った。
「──悪りぃ、今のは……」
「いいって事よ。痛々しいのは事実だしな。四十間近で独り身んなるっつーのは、思ったより沁みんのな」
「……」
「臭せぇ、って思うかもしんねーけど。おまえには諦めて欲しくねぇの。亜紀だってそう思ってるよ、きっと」
「……」
 赤松の気持ちが分からないわけではない。もし、自分が赤松の立場だったら、同じことを言ったかもしれない。
 亜紀への想いが消えてなくなったわけではないが、やはり月日が流れて行くにつれその想いは少しずつ風化していく。この先誰かを好きになれたとして──、たぶん好きになることは出来るのだと思う。
 けれど、怖いのだ。もし、再びその相手を失ってしまったら──?それを考えると言いようのない恐怖に捉われる。
 
 失うくらいなら、はじめからないほうがいい。
 恋だの愛だのなくとも、人生不自由な事は何もない──はずだ。

 

 
  
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