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涼暮つき

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第四章 黒川巽の場合

黒川巽の場合③

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  *  *  *

「こんばんはーぁ! たっちゃん、いるかしらぁ?」
 表の戸が開く音と聞き覚えのあるよく通る声が聞こえ、巽は作業の手を止め厨房から店へ出た。開店時間の少し前、店の窓からは強い西日が差し込んでいる。
「あ。どうも」
 声の主は、隣人のタケさんの奥さん。巽が小さい頃からの付き合いだ。何の用だったか、と考えを巡らせ、確か少し前に秋祭りの集金があると回覧板が回って来ていたことを思い出した。
「忙しい時間帯に悪いわねぇー。例の集金に」
「ああ……秋祭りの。寄付三千円からだったっけ? ちょい待ってな?」
 そう言って巽はレジの中からお金を抜き取って、奥さんに手渡した。
「はい。確かに」
「珍しいすね? いつもこういうのタケさん来んのに」
「今日は娘んとこ行ってんのよ。孫になんだか、って新しい玩具おもちゃせがまれて……。口ではブツブツ言いながらも嬉しそうに出かけてったわよ」
「はは。タケさん、お孫さんにはメロメロっすもんね」
「たっちゃんも早く結婚してお母さんたち安心させてあげなきゃー」
「……はは、」
 この手の話題は、かわしてもかわしてもどこからともなく湧きあがって来る。生まれ育った町で、隣近所も巽を小さい頃から知っている年配者が多いのだから仕方のない事だ。
 巽だけでなく、両親も当然似たようなことを言われ続けているのに対して申し訳ない気持ちもあるが、こればかりはどうしようもない。
「そういえば、例の変質者捕まったらしいわねぇ」
「……え、そうなんすか?」
「やっぱ、この辺に住んでる男だったらしいわよ。……これで一安心だわねぇ」
 捕まったのは結局、日南子をつけていたあの男だったのだろうか。何にしろ、ひとまず安心というわけだ。彼女もこれを聞けばさぞ安心することだろう。
 最近、事あるごとに思い出している。小さな肩を震わせていたあの日の彼女の姿を。
「それじゃ、私はこれで。またねぇー、たっちゃん」
「ああ、はい。わざわざ御苦労さまでした」
 ピシャンと戸を閉めて出て行く奥さんの姿を見送って、すぐさま厨房に戻る。
 夜の営業開始の五時半まであと十分。実際来店が増えるのは少し薄暗くなり始める午後六時を過ぎてからなのだが、その前に片付けておくことはある。
 ピピピと厨房の吊り棚の上に置いてあったスマホが鳴り、何気なくそれを手に取った。
【今日、お店寄ります】
 用件のみのLINEのメッセージ。このメッセージの主は青野日南子だ。
 あの夜の深夜、彼女からあらたまった文面でお礼のメッセージが届いた。大したことをしたわけではないのに、妙に律儀なところがなんとも彼女らしい。彼女に恩を着せるつもりはないし、気にするなと軽い返事を返してからというもの、時折こうした連絡が来るようになった。
 連絡と言ってもまさにいまのメッセージのようにたわいのない内容がほとんどなのだが、決して店の営業中に連絡を寄越さない事に彼女のささやかな気遣いが感じられる。
【了解】
「……」
 若い女の子相手になんとも無愛想な返信だなと自分に苦笑しつつ、手にしたスマホを元あった場所へ戻す。
 今夜彼女は何を食べたいというのだろう。
 そんなことを無意識に考えるようになったあたり、自分でもどうなんだ、と心の中で突っ込んでみるも、大切なお客により美味しいものを食べさせたいと思うのは料理人として自然なことであると、自分の中で結論付けた。

   *

 日南子がやってきたのは、午後七時半近くだった。少し早めの時間帯ということは、今日は早番だったのだろう。そんな見当がついてしまう程度には彼女の勤務体制を把握している。
「よぉ。おかえり」
「……こんばんは」
 返事を返した日南子の目線が、最近少し泳ぐようになったのはなぜだろう。身に覚えはないが、知らず知らずのうちに何かデリカシーに欠けるような事を言って彼女を怒らせたか? ……などと考えてみたりもしたが、それは店に入って来てしばらくの間の事で、食事を出す頃には普段の彼女に戻っていることから、あまり気に留めないようにしている。
「今日のおすすめ、鯛の兜煮。食う?」
 そう訊ねると日南子が目を輝かせた。好き嫌いなどは聞いたこともなく、何でも美味しそうに食べる彼女だが、肉料理よりは魚料理を好んで食べることを巽は知っている。
「食べますっ!」
 ほら、食い付いた。こんな素直な反応もあまりに分かりやすくて見ていて面白い。
「ははっ。迷いがねーな、青ちゃんは」
「だって。巽さんのお薦めは間違いないですもん」
 嬉しそうに微笑む日南子にこちらまでつられて笑いが漏れる。餌付け、というわけではないが、餌を与えた犬や猫が自分に懐いてくるのを可愛いと思ってしまう飼い主の気持ちがなんとなく分かる。彼女の場合、人懐っこく真っ直ぐな感じがどちらかと言えば犬っぽい。
「ビールは?」
「じゃあ……一杯だけ」
「了解」
 そう返事をして、巽がビールをグラスに注ぐ姿をじっと見ている姿などがまさに犬っぽい。などと考えたら思わず小さな笑いが漏れた。
「巽さん? 何笑ってるんですかー?」
「いや。何でも」
 以前、日南子がこの店に癒されると言っていたことがあるが、ひょっとしたら癒されているのはこちらのほうなのかもしれない。

 午後九時を過ぎ、店内にはほぼ客はいない。壁際の奥の席に残っている二人組のサラリーマンの客と、カウンターの定位置に座る日南子だけだ。
「それじゃ、店長。お先っすー!」
 店の裏口からバイトの富永が巽に声を掛けた。このあと予定があるという富永の希望で普段より三十分ほど早い上がりだが、店主と従業員二人でまわしているこんな小さな店だからこそ、その辺りの調整は何とでもなる。
「おう。お疲れ。気をつけて帰れよー!」
 返事を返してから日南子を見た。彼女の食事はもう随分前に済んで、食後のお茶を飲んでいるところだ。
「あ。青ちゃん、時間平気か? ……もし帰るなら富永に通りまで一緒にって頼んでやるけど」
 そう訊ねると、日南子が「あ、……え、と。大丈夫です!」両手を胸の前でふるふると振った。
「そういえば知ってる? 例の男、捕まったって」
「え、……そうなんですか?」
「良かったよな。これで安心だ」
「……そっか。そうなんですね」
 日南子の表情が少しこわばったのは、あの時のことを思い出したからだろうか。確かに年頃の彼女からしたら怖い経験だったのだろう。変なトラウマが残ってなければいいが、と密かに心配している。
 あれ以降、彼女が店に顔を出した日は巽が彼女のマンション前まで送るようにしている。
「夜、平気だったか? うち寄らない日はバス停から一人で帰ってたんだろ?」
「……あ、はい。平気でした! バス停から猛ダッシュしてましたから」
「ははっ、猛ダッシュって」
「私、これでも学生時代は運動やってたんですよ? ……おかげでパンプスでも速く走れるようになってきました」
 そう言って笑う日南子の笑顔は意外にも明るい。が、その笑顔が少し陰ったかと思うと少し言いにくそうに言葉を続けた。
「……あの、もう送って貰えないですか?」
「ん?」
「犯人捕まったから、もう私、巽さんに送って貰えないですか?」
 何を気にしているかと思えば、そんなこと。彼女は犯人が捕まったことによって巽が今までと同じように送ってくれるかを気にしていたのだ。あまりに予想外の反応に何故だか可笑しな気持ちになる。
「んなわけないだろー。夜道が物騒なのに変わりねえし、俺も夜遅くに女の子一人で帰すの心配だし」
「……」
「大丈夫。今日もちゃんと送るし」
 そう言うと日南子が安心したように微笑んだ。そのほんのり頬を染めた嬉しそうな顔に年甲斐もなく胸がざわつく。
 たかが知り合いにこんな顔見せるとか、本当ところどころ天然が過ぎる彼女に思わず脱力する。自分の前でこんな顔をするのなら、付き合っている男には一体どんな顔を見せているのだろう?
 
「あ、そういえば……」
 思い出したように日南子がバックの中から数冊の本を取り出しテーブルの上に置いた。それらの本には見覚えがあった。いつだったか巽が彼女に貸してやったものだ。
「これ、ありがとうございました。すっごく面白かったです!」
「もう読んじゃったのかよ?」
「一気読みしちゃいました」
「急がなくていいっつったのに。……あ、なんなら違うの貸すか? よかったら上見て来ていいぞ」
「え?」
「まだあの客帰りそうにねぇし。……暇潰しに見てくりゃいいじゃん」
 奥の席の二人組の客は、食事はすんでいるがなにやら話しが盛り上がっているようで当分席を立つ気配はない。
「や。でも、勝手に……」
 日南子が遠慮がちに答えた。彼女のことだ。家主の見ていないところで勝手に部屋に入ることに抵抗を感じているのだろう。
「俺がいいっつってんだからいいんだよ。見られて困るモンなんてねーから、勝手に物色してきな」
 そう言うと、日南子が「それじゃ……ちょっとだけ」と相変わらず遠慮がちに席を立った。
「部屋分かるだろ? 電気は部屋入って右」
 コクコクと日南子が頷いた。以前二度ほど部屋に上げたことがある。さすがに迷うことはないだろう。

 日南子が二階に上がって行ってしばらく経つが、いまだ降りてくる気配はない。きっと一人のほうが、ゆっくりと読みたい本を物色できるのだろう。夢中になって本棚を眺めているだろう彼女の姿を想像して、つい笑いが漏れた。
「どーも、ご馳走様でしたー」
 ようやく奥の席の二人組の若いサラリーマンが席を立ち、会計を済ませると店を後にした。そんな最後の客の背中を見送りながら表の暖簾を下ろす。
 店の照明を半分ほど落とし、二階へと向かう。階段を昇りつめたところで部屋を覗くと、巽の足音に気付いた日南子が振り向いた。

 



  

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