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第一章_長嶋一茂
2.少年時代
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僕の祖父はプロ野球が好きだ。東京を本拠地にし球界の盟主を自負する、某紳士球団のファンである。
その理由はウチの名字が「長嶋」ということもある。息子が生まれた時、つまり僕の父が生まれた時は、名前を「茂雄」にする!
と主張してかなり祖母と揉めたらしい。
長嶋茂雄さんの現役時代は僕は生まれていなかったし、監督時代のことすら知らないが、ミスタープロ野球と呼ばれ国民的スターだったことは、昔の映像と野球マンガの中で知っている。
そんな人と同姓同名にしては、余計なプレッシャーばかりで可哀想だと思い反対した。
と祖母は言っていたのだが、父の名前は「貞治」である。
これはこれで相当なプレッシャーになる名前だと思うのだが、祖母は王貞治さんの大ファンだと公言している。
野球好きの祖父の強要で、父は中学生の時まで野球部に所属していたらしいが、その実力は完全に名前負けするもので、当時は大分苛められたようだ。
高校進学と同時にスッパリと野球を辞めて、美術部に入部したとのことだ。
祖父とは大喧嘩をしたようだが、絵の腕前は大したもので、県の展覧会でも入選するほどだったらしい。
今は高校の美術の先生になっているので、父の選択は正しかったと言えよう。
何よりも母との出会いが美術部だったとのことで、野球を続けていたら僕は生まれていなかったかもしれない。
グッジョブだったよ父さん!
月日は流れ、僕が生まれた時に祖父の野望は再燃した。
今度こそ「茂雄」にするんだ!
と張り切っていたようだが、名前で苦労した父の反対で、またもや阻止されることになった。
そして僕の名前は「一茂」になった。
詳しい経過は知らないけれど、父が「貞治」なら僕の時代では「一朗」か「秀喜」だったのでは?
何て思うこともある。
祖父から強要されたことは無いが、僕は野球少年になった。
祖父と一緒にテレビ中継を観ているうちに好きになったのだと思う。
近所の少年野球チームに入り、土日は野球に明け暮れていた。
小学五年生の時、地元の長野五輪球場で紳士球団が公式戦を行うことになった。
僕は大喜びで祖父と一緒に球場に向かった。
内野席は満員で入れなかったので、ライトスタンドで観戦することになった。
もしかしたらホームランが飛んでくるかもしれない、と思いグローブを持って行った。
紳士球団の対戦相手は、万年最下位の横浜ドルフィンズだ。
この日もワンサイドゲームとなり、勝敗の行方は決定的だった。
祖父はご機嫌だったと思う。
そんな時、ドルフィンズが代打で起用したのが多城選手だった。
高校を卒業して入団したばかりで、実績はほとんど無かったが、将来を期待されている若手の大砲だ。
勝敗は決している、この若者の実力を試してやろうか?
そんな風にバッテリーが考えたかどうかは定かではないが、速球だけでグイグイ攻めている。
多城選手はファールで粘るのがやっとの印象だった。
フルカウントまで粘り、もう10球目に近づいていたその時、多城選手のバットから弾かれた打球は夜空に高々と舞い上がった。
これは振り遅れの内野フライだ。
と、思ったその打球が、いつまでも落ちてこない。
僕はポカンと口を開け、夜空を長い時間見上げていたような気がする。
ゆっくりと放物線を描いた打球は、やがて僕が差し出したグローブの中に納まった。
プロ入り初ホームランだった。
暫くすると球場の係員がやって来て、記念のボールだから回収しに来た。
とか言っていたと思う。
祖父が対応して、僕からボールを受け取り、係員と一緒に何やら話しをしながら内野席の方に消えて行った。
ひとり取り残されてしまい普通なら不安になりそうな状況なのに、ホームランをキャッチした興奮で、祖父を待つ時間も長くは感じなかった。
祖父が戻ってくると、多城選手のサインボールを持っていた。
記念のボールと引き換えに多城選手が書いてくれたそうだ。
そこには「一茂君 プロ野球選手になれるように 頑張れ」と書かれていた。
ただでさえ興奮していたところ、更なる興奮の波が押し寄せてきて、この日の試合の結果がどうだったのか?
そんなことはどうでもよかった。
僕は多城選手のファンになり、必然的にドルフィンズのファンになった。
その後の僕は、本気でプロ野球選手、いや、ドルフィンズの選手になりたくて練習に打ち込んだ。
野球は土日しかやっていなかったが、平日の放課後も祖父と一緒に練習することにした。
僕の家は長野県の上田市にある。
市の南西部に位置する、塩田平と呼ばれている地域だ。
南側にはギザギサの山容が特徴的な独鈷山がそびえている。
その麓には田園地帯が広がっているが、碁盤上にある農道を走るのが日課になった。
多城選手のホームランボールをキャッチしたのが六月の終わりだったので、走り始めた季節は本格的に暑くなり始めた頃だった。
祖父が自転車で伴走してくれる。
家の周りは田園地帯ではなく住宅が建ち並んでいるが、スタートしてすぐに暑さでフラフラになってしまう。
住宅地を抜けて農道まで来ると、田んぼを渡る風が気持ち良い。
田んぼに張られた水が、天然クーラーの役割をしているのだ。
その瞬間が楽しみで、暑い夏のトレーニングを乗り越えることができた。
暑さも和らぎ、誰もが過ごしやすいと感じる季節が訪れたが、上田の秋は短い。
ほどなく吹く風が冷たく感じるようになった。
そうなると冬の訪れは早い。
一日中氷点下の真冬日もある厳しい寒さだが、上田の冬は積雪は少なく、雪のため練習を休むことは少なかった。
やがて日差しの中に温もりを感じるようになり、六年生に進級した。
祖父の考えたメニューは野球の練習とランニングだけではなく、筋力トレーニングも盛り込まれており、小学生には少々厳しいメニューではあった。
子供ながらに、プロ野球の選手になるには必要な練習なんだ。
と理解して必死に取り組んだ。
その甲斐あって、中学に進学する頃は同級生よりも一回り大きくなっていて、ガッチリした身体になっていた。
中学校の野球部の練習は基本的に毎日あるので、祖父の自転車の伴走は進学と同時に終了した。
最初の頃はどう過ごせば良いのか?
抜け殻のように退屈そうにしていたが、野球部の練習を毎日見に来ることで、元気を取り戻した。
僕だけではなく、チームメイトのプレーで気になることがあると、僕を通じてアドバイスしてくるようになった。
「影の監督」と言われるような存在になり、僕は少し恥ずかしかった……
毎日のトレーニングの成果で、基礎体力が先輩にも負けていなかったので、僕は一年生からレフトのレギュラーになった。
本当は投手になりたかったのだが、地肩の強さは天性のもので、トレーニングで鍛えてもどうにもならない部分があるらしく、明らかに僕よりひ弱そうなヤツや、背が低いヤツにもスピードで勝てないことにショックを受けた。
それならば多城選手のような強打者になれば良い。
僕は毎日バットを振り込んで、中学時代は地域でも少しは知られる選手になった。
高校はどこにしようか?
長野では有名な松翔学院か佐久穂大学付属か、地元で強くなってきた上田南か……
甲子園に出場できそうな高校はどこだろうか?
なんて考えながらも、自分の能力の限界にも気付き始めていた。
中学に入ったばかりの頃は、大きくてガッチリした体格だったはずなのに、僕の身長は170センチを少し超えたところでピタリと止まった。
筋力も入学した頃からあまり変わらず、三年生の時は平均より少し上くらいで落ち着いてしまったようだ。
思えば父の身長は170センチまで届いていないし、美術部だっただけにヒョロっとした体型だ。
母はもっと小さくて、150センチ程度なのだ。
祖父は年齢の割には大きいほうだと思うけれど、身長は父と同じくらいで、特別体格に恵まれている訳ではない。
これは遺伝ってヤツだな……
その頃の僕は、地域で少し知られた選手とは言え、ホームランバッターではなく、出塁して相手投手をかく乱する嫌らしい選手。
と言った評価の選手だったのだ。
進路相談の時に嫌でも現実を受け入れざるを得ない状況になった。
本気で甲子園を目指しても、名門校は県外からも有力選手が集まるし、レギュラーどころかベンチ入りすら厳しいのではないか?
それならば地元の公立校でレギュラーになり活躍するほうが現実的なのでは?
高校を卒業して、すぐにプロになれなくても、大学で頑張って注目されてからプロに進む道もあるだろう。
高校では野球と勉強を両立させて、大学に進学してからが勝負だ。
万が一プロになれなくても、大学を出ていれば他の道に進むにも有利になるだろう。
周りの大人は大体同じようなことを言っていた。
僕自身も少し自信を失っていた部分もあって、同じように考えていた。
最終的に市内の県立校、上田染川高校に進学することにした。
「カズよ、ワシは補欠でも構わないから、本気で甲子園を目指している野球部で、本気の仲間と一緒に汗を流すほうが良いと思うがなぁ……」
祖父はそんな風に言っていたが、その頃の僕は、レギュラーになれる見込みが低いのに、学費が高い私立高校に行くことに気が引けていたのだ。
それに、やっぱりレギュラーで試合に出たいし、甲子園に行けるのは県内で一校だけだから、強豪私立に入ったところで、三年間で一度も行けない可能性もある。
ならば地元の公立校でレギュラーのほうが良いに決まっている。
間違って強豪私立を次々に撃破して、甲子園に行けるかもしれないし……
その理由はウチの名字が「長嶋」ということもある。息子が生まれた時、つまり僕の父が生まれた時は、名前を「茂雄」にする!
と主張してかなり祖母と揉めたらしい。
長嶋茂雄さんの現役時代は僕は生まれていなかったし、監督時代のことすら知らないが、ミスタープロ野球と呼ばれ国民的スターだったことは、昔の映像と野球マンガの中で知っている。
そんな人と同姓同名にしては、余計なプレッシャーばかりで可哀想だと思い反対した。
と祖母は言っていたのだが、父の名前は「貞治」である。
これはこれで相当なプレッシャーになる名前だと思うのだが、祖母は王貞治さんの大ファンだと公言している。
野球好きの祖父の強要で、父は中学生の時まで野球部に所属していたらしいが、その実力は完全に名前負けするもので、当時は大分苛められたようだ。
高校進学と同時にスッパリと野球を辞めて、美術部に入部したとのことだ。
祖父とは大喧嘩をしたようだが、絵の腕前は大したもので、県の展覧会でも入選するほどだったらしい。
今は高校の美術の先生になっているので、父の選択は正しかったと言えよう。
何よりも母との出会いが美術部だったとのことで、野球を続けていたら僕は生まれていなかったかもしれない。
グッジョブだったよ父さん!
月日は流れ、僕が生まれた時に祖父の野望は再燃した。
今度こそ「茂雄」にするんだ!
と張り切っていたようだが、名前で苦労した父の反対で、またもや阻止されることになった。
そして僕の名前は「一茂」になった。
詳しい経過は知らないけれど、父が「貞治」なら僕の時代では「一朗」か「秀喜」だったのでは?
何て思うこともある。
祖父から強要されたことは無いが、僕は野球少年になった。
祖父と一緒にテレビ中継を観ているうちに好きになったのだと思う。
近所の少年野球チームに入り、土日は野球に明け暮れていた。
小学五年生の時、地元の長野五輪球場で紳士球団が公式戦を行うことになった。
僕は大喜びで祖父と一緒に球場に向かった。
内野席は満員で入れなかったので、ライトスタンドで観戦することになった。
もしかしたらホームランが飛んでくるかもしれない、と思いグローブを持って行った。
紳士球団の対戦相手は、万年最下位の横浜ドルフィンズだ。
この日もワンサイドゲームとなり、勝敗の行方は決定的だった。
祖父はご機嫌だったと思う。
そんな時、ドルフィンズが代打で起用したのが多城選手だった。
高校を卒業して入団したばかりで、実績はほとんど無かったが、将来を期待されている若手の大砲だ。
勝敗は決している、この若者の実力を試してやろうか?
そんな風にバッテリーが考えたかどうかは定かではないが、速球だけでグイグイ攻めている。
多城選手はファールで粘るのがやっとの印象だった。
フルカウントまで粘り、もう10球目に近づいていたその時、多城選手のバットから弾かれた打球は夜空に高々と舞い上がった。
これは振り遅れの内野フライだ。
と、思ったその打球が、いつまでも落ちてこない。
僕はポカンと口を開け、夜空を長い時間見上げていたような気がする。
ゆっくりと放物線を描いた打球は、やがて僕が差し出したグローブの中に納まった。
プロ入り初ホームランだった。
暫くすると球場の係員がやって来て、記念のボールだから回収しに来た。
とか言っていたと思う。
祖父が対応して、僕からボールを受け取り、係員と一緒に何やら話しをしながら内野席の方に消えて行った。
ひとり取り残されてしまい普通なら不安になりそうな状況なのに、ホームランをキャッチした興奮で、祖父を待つ時間も長くは感じなかった。
祖父が戻ってくると、多城選手のサインボールを持っていた。
記念のボールと引き換えに多城選手が書いてくれたそうだ。
そこには「一茂君 プロ野球選手になれるように 頑張れ」と書かれていた。
ただでさえ興奮していたところ、更なる興奮の波が押し寄せてきて、この日の試合の結果がどうだったのか?
そんなことはどうでもよかった。
僕は多城選手のファンになり、必然的にドルフィンズのファンになった。
その後の僕は、本気でプロ野球選手、いや、ドルフィンズの選手になりたくて練習に打ち込んだ。
野球は土日しかやっていなかったが、平日の放課後も祖父と一緒に練習することにした。
僕の家は長野県の上田市にある。
市の南西部に位置する、塩田平と呼ばれている地域だ。
南側にはギザギサの山容が特徴的な独鈷山がそびえている。
その麓には田園地帯が広がっているが、碁盤上にある農道を走るのが日課になった。
多城選手のホームランボールをキャッチしたのが六月の終わりだったので、走り始めた季節は本格的に暑くなり始めた頃だった。
祖父が自転車で伴走してくれる。
家の周りは田園地帯ではなく住宅が建ち並んでいるが、スタートしてすぐに暑さでフラフラになってしまう。
住宅地を抜けて農道まで来ると、田んぼを渡る風が気持ち良い。
田んぼに張られた水が、天然クーラーの役割をしているのだ。
その瞬間が楽しみで、暑い夏のトレーニングを乗り越えることができた。
暑さも和らぎ、誰もが過ごしやすいと感じる季節が訪れたが、上田の秋は短い。
ほどなく吹く風が冷たく感じるようになった。
そうなると冬の訪れは早い。
一日中氷点下の真冬日もある厳しい寒さだが、上田の冬は積雪は少なく、雪のため練習を休むことは少なかった。
やがて日差しの中に温もりを感じるようになり、六年生に進級した。
祖父の考えたメニューは野球の練習とランニングだけではなく、筋力トレーニングも盛り込まれており、小学生には少々厳しいメニューではあった。
子供ながらに、プロ野球の選手になるには必要な練習なんだ。
と理解して必死に取り組んだ。
その甲斐あって、中学に進学する頃は同級生よりも一回り大きくなっていて、ガッチリした身体になっていた。
中学校の野球部の練習は基本的に毎日あるので、祖父の自転車の伴走は進学と同時に終了した。
最初の頃はどう過ごせば良いのか?
抜け殻のように退屈そうにしていたが、野球部の練習を毎日見に来ることで、元気を取り戻した。
僕だけではなく、チームメイトのプレーで気になることがあると、僕を通じてアドバイスしてくるようになった。
「影の監督」と言われるような存在になり、僕は少し恥ずかしかった……
毎日のトレーニングの成果で、基礎体力が先輩にも負けていなかったので、僕は一年生からレフトのレギュラーになった。
本当は投手になりたかったのだが、地肩の強さは天性のもので、トレーニングで鍛えてもどうにもならない部分があるらしく、明らかに僕よりひ弱そうなヤツや、背が低いヤツにもスピードで勝てないことにショックを受けた。
それならば多城選手のような強打者になれば良い。
僕は毎日バットを振り込んで、中学時代は地域でも少しは知られる選手になった。
高校はどこにしようか?
長野では有名な松翔学院か佐久穂大学付属か、地元で強くなってきた上田南か……
甲子園に出場できそうな高校はどこだろうか?
なんて考えながらも、自分の能力の限界にも気付き始めていた。
中学に入ったばかりの頃は、大きくてガッチリした体格だったはずなのに、僕の身長は170センチを少し超えたところでピタリと止まった。
筋力も入学した頃からあまり変わらず、三年生の時は平均より少し上くらいで落ち着いてしまったようだ。
思えば父の身長は170センチまで届いていないし、美術部だっただけにヒョロっとした体型だ。
母はもっと小さくて、150センチ程度なのだ。
祖父は年齢の割には大きいほうだと思うけれど、身長は父と同じくらいで、特別体格に恵まれている訳ではない。
これは遺伝ってヤツだな……
その頃の僕は、地域で少し知られた選手とは言え、ホームランバッターではなく、出塁して相手投手をかく乱する嫌らしい選手。
と言った評価の選手だったのだ。
進路相談の時に嫌でも現実を受け入れざるを得ない状況になった。
本気で甲子園を目指しても、名門校は県外からも有力選手が集まるし、レギュラーどころかベンチ入りすら厳しいのではないか?
それならば地元の公立校でレギュラーになり活躍するほうが現実的なのでは?
高校を卒業して、すぐにプロになれなくても、大学で頑張って注目されてからプロに進む道もあるだろう。
高校では野球と勉強を両立させて、大学に進学してからが勝負だ。
万が一プロになれなくても、大学を出ていれば他の道に進むにも有利になるだろう。
周りの大人は大体同じようなことを言っていた。
僕自身も少し自信を失っていた部分もあって、同じように考えていた。
最終的に市内の県立校、上田染川高校に進学することにした。
「カズよ、ワシは補欠でも構わないから、本気で甲子園を目指している野球部で、本気の仲間と一緒に汗を流すほうが良いと思うがなぁ……」
祖父はそんな風に言っていたが、その頃の僕は、レギュラーになれる見込みが低いのに、学費が高い私立高校に行くことに気が引けていたのだ。
それに、やっぱりレギュラーで試合に出たいし、甲子園に行けるのは県内で一校だけだから、強豪私立に入ったところで、三年間で一度も行けない可能性もある。
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