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第二章_水野冬樹
1.原風景
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僕が、この不思議な能力を初めて体験したのは、今から三年前の小学校五年生の夏休みのことだ。
そうは言ってもその時は全く気付かずに、最近になってから思い出してみると、あの時が初めてだったのではないか?
と思っている程度ではある。
もしかしたら忘れているだけで、もっと前から体験していたのかもしれない。
今はどうなっているか知らないが、当時の夏休みの小学校はプールが解放されていて、自由に水泳の練習をしに行っても良いことになっていた。
僕は同級生と毎日のように泳ぎに行っていた。
ウチは母子家庭なので、母親は毎日仕事に行ってしまうし、生活も裕福ではなかった。
いや、はっきり言って貧乏だったので、他に行くところが無かったことも関係していたと思う。
その日は僕も含めて六人で泳いでいたと記憶している。
その中の誰かが提案した。
「皆で手を繋いで同時に潜ってさぁ、誰が一番長く潜っていられるか勝負してみねぇ?
最初に顔出した奴が罰ゲームとして皆にアイスをご馳走するってのはどうだい?」
「おぉ! いいねぇ」「やろう! やろう!」「よし! 勝負だっ!」
皆やる気満々で盛り上がっていたが、僕はあまり乗り気ではなかった……
ウチは貧乏なので、百円しか持っていなかったからだ。
万が一負けた時に、全員分のアイスなんて買えるはずがなかった……
でも皆盛り上がっているし、自分だけ参加しない訳にも行かない。
こんなことで皆から誘われなくなる可能性もあるし、仲間外れにされるのが怖かった。
つまり負けなければ良いのだ。
と考えることにして、僕も盛り上がっている感じを出しながら、ゲームに参加することにした。
全員で手を繋いで輪になって同時に潜った。
10秒、20秒、30秒…… 苦しくなってきた……
「くそ~苦しいっ!」「負けたくないっ!」「誰か早く出ろよっ!」
皆も苦しそうに叫んでいる。
負ける訳には行かない……
そうしている間に、誰かが水面に出るのが見えた。
やった! 勝った! 本当は、誰が一番長く潜っていられるかの勝負だったのに、ビリじゃなければ何でも良くなっていた。
負けなくて良かった……
学校の近所のコンビニで、ガリゴリ君アイスのコーラ味を食べた。
美味かったのだと思うが、負けなくて良かった……
という記憶しか残っていない……
僕には父の記憶が無い。
物心が付いたころから、母が女手一つで僕を育ててくれている。
そのせいなのだろうが、友達と比べると僕は何かを持っていないことが多い。
それは一時的に流行する類のモノが多く、持っていなくても困らないモノなんだろうけど、友達の話題に入って行けなくて辛い思いをしていた。
母の収入だけでは生活がギリギリで、無駄なモノを買ってくれる余裕がないのだろう。
と子供なりに理解はしてはいた。
「何でウチにはお父さんが居ないの?」
小学校低学年の頃までは、たまに母に聞いたことがあったが、その度に辛そうな顔をして何か返事をしてくれるのだけど、辛そうな顔しか記憶に残っていないので、何で居ないのか?
という問いの回答にはなっていない返事をしてくれていたのだろう。
五年生になった今は、いくつか仮説を立てられるようになった。
仮説一、死んでしまった。
仮説二、離婚してしまった。
仮説三、刑務所に入っている。
仮説四、海外で働いている。
仮説五、元々シングルマザー。
仮説一なら説明してくれるだろうし、生命保険とかで貧乏にはなっていないのでは? と考えられる。
仮説二にしても、養育費ってものがあるだろうから、今の貧乏暮らしはおかしい。
仮説三はどうだろうか? 僕は11歳になったので、そんなに長く刑務所に入っているとしたら、かなりの凶悪犯罪だろう。
これは説明するのは辛いだろう。
仮説四は無いかなぁ…… 海外から仕送りがあれば、貧乏なはずがない。
仮説五は最近になって立てた新たなパターンだ。
このケースは五年生には難しくて分からない事が多いが、きっと貧乏の原因にはなるだろう。
父が居ないのでウチは貧乏だから、何か欲しいモノがあっても我慢しなければならない。
と幼い頃から刷り込まれていたのだが、五年生になって欲しいモノができた。
野球のグローブである。
クラスで野球部を作ることになったからだ。
野球部といっても本格的なものではなく、野球好きの男子が集まって、他のクラスの野球部と放課後に試合をするようになったのだ。
「野球部」という響きが良い。
僕は五年二組だったのだが、四組と五組に野球部が作られたので、それに対抗して二組にも野球部が発足したらしい。
野球のグローブが欲しい。
と母に恐る恐るお願いしてみたのだが、数日後に却下されてしまった……
僕はグローブを持っていないので、対戦相手の誰かに借りて守備に就くようにして、何とか試合に出してもらっていた。
しかし普段はグローブを持っていないので、練習ができていない。
僕のところに打球が飛んで来ると、大体ヒットになってしまうので、補欠に回されることが多くなってきた。
そんなある日、ちょっと古くて小さいグローブを母から渡された。
近所のお兄さんが使っていたグローブだけど、もう小さくて使えないから。ということで譲ってもらったらしい。
それは今の僕でも小さいくらいのグローブだったけれど、初めて手にした自分のグローブだったので、飛び上がるほど嬉しかった。
次の日から、他のクラスの野球部が都合が悪くて試合ができない日も、僕はクラスの野球部の仲間を誘って、毎日キャッチボールをした。
ノックをしてもらって守備練習もした。
グローブが小さくて、しっかり捕球するのが難しかったが、僕の守備力は目に見えてアップしていった。
僕の住んでいるところは、横浜市港南区の上茶谷という町だ。
丘陵地帯を開発して宅地にしている地域なので、広いグラウンドは少なく、練習するのは学校の校庭か、近所の路上が多かった。
小さな公園はあるのだけれど、球技は禁止されていて、見つかると怒られて逃げることになった。
大体学校に通報されていて、次の日に怒られるので、公園で野球をやるのは止めにした。
路上での練習はキャッチボールか内野のゴロノックが精一杯だったので、校庭で練習することが多かった。
ただし校庭でも優先順位があって、六年生がサッカーをやっていると追い払われることが多かった。
早く六年生になりたいなぁ……
と思って過ごしていた。
僕には好きな女の子がいた。
彼女は二年生の時の二学期に転校してきたのだが、夏休みが終わって憂鬱な気分が吹き飛ぶほどのインパクトだった。
「胡桃沢香織です。今日から宜しくお願いします」
と担任の先生の横で不安気に挨拶する彼女を見た瞬間から好きになってしまったのだ。
彼女のことは僕が守らなければ!
転校してきたばかりで、何か困ったことがあったら僕が助けなければ!
などと勝手に強い使命感を抱いたのだが、どうやって接して良いのか分からずに、彼女をいじめて一番困らせていたのは僕だった。
幼い子供によくある行動パターンである。
そんなこんなで三年経過したのだが、今では仲の良い喧嘩友達みたいなポジションを獲得していた。
彼女は野球が好きな様子で、僕たち野球部の試合をよく観にきていた。
グローブを持っていなかった頃は、エラーすると彼女に野次られたが、それが悔しくて練習する意欲に繋がったのだろうと思う。
学校は小高い丘の途中にあり、西側が開けていたので、天気の良い日は丹沢の山並みの向こうに富士山を見ることができた。
秋が深まってくる頃は放課後も短く感じた。
夢中になって野球をやっていると、すぐに太陽が丹沢の山並みに落ちてしまい、富士山が夕焼けの中でシルエットになって見える。
その時間が来るとボールを見るのが困難なくらい暗くなってしまう。
もっと野球を長くやっていたいのに……
そうは言ってもその時は全く気付かずに、最近になってから思い出してみると、あの時が初めてだったのではないか?
と思っている程度ではある。
もしかしたら忘れているだけで、もっと前から体験していたのかもしれない。
今はどうなっているか知らないが、当時の夏休みの小学校はプールが解放されていて、自由に水泳の練習をしに行っても良いことになっていた。
僕は同級生と毎日のように泳ぎに行っていた。
ウチは母子家庭なので、母親は毎日仕事に行ってしまうし、生活も裕福ではなかった。
いや、はっきり言って貧乏だったので、他に行くところが無かったことも関係していたと思う。
その日は僕も含めて六人で泳いでいたと記憶している。
その中の誰かが提案した。
「皆で手を繋いで同時に潜ってさぁ、誰が一番長く潜っていられるか勝負してみねぇ?
最初に顔出した奴が罰ゲームとして皆にアイスをご馳走するってのはどうだい?」
「おぉ! いいねぇ」「やろう! やろう!」「よし! 勝負だっ!」
皆やる気満々で盛り上がっていたが、僕はあまり乗り気ではなかった……
ウチは貧乏なので、百円しか持っていなかったからだ。
万が一負けた時に、全員分のアイスなんて買えるはずがなかった……
でも皆盛り上がっているし、自分だけ参加しない訳にも行かない。
こんなことで皆から誘われなくなる可能性もあるし、仲間外れにされるのが怖かった。
つまり負けなければ良いのだ。
と考えることにして、僕も盛り上がっている感じを出しながら、ゲームに参加することにした。
全員で手を繋いで輪になって同時に潜った。
10秒、20秒、30秒…… 苦しくなってきた……
「くそ~苦しいっ!」「負けたくないっ!」「誰か早く出ろよっ!」
皆も苦しそうに叫んでいる。
負ける訳には行かない……
そうしている間に、誰かが水面に出るのが見えた。
やった! 勝った! 本当は、誰が一番長く潜っていられるかの勝負だったのに、ビリじゃなければ何でも良くなっていた。
負けなくて良かった……
学校の近所のコンビニで、ガリゴリ君アイスのコーラ味を食べた。
美味かったのだと思うが、負けなくて良かった……
という記憶しか残っていない……
僕には父の記憶が無い。
物心が付いたころから、母が女手一つで僕を育ててくれている。
そのせいなのだろうが、友達と比べると僕は何かを持っていないことが多い。
それは一時的に流行する類のモノが多く、持っていなくても困らないモノなんだろうけど、友達の話題に入って行けなくて辛い思いをしていた。
母の収入だけでは生活がギリギリで、無駄なモノを買ってくれる余裕がないのだろう。
と子供なりに理解はしてはいた。
「何でウチにはお父さんが居ないの?」
小学校低学年の頃までは、たまに母に聞いたことがあったが、その度に辛そうな顔をして何か返事をしてくれるのだけど、辛そうな顔しか記憶に残っていないので、何で居ないのか?
という問いの回答にはなっていない返事をしてくれていたのだろう。
五年生になった今は、いくつか仮説を立てられるようになった。
仮説一、死んでしまった。
仮説二、離婚してしまった。
仮説三、刑務所に入っている。
仮説四、海外で働いている。
仮説五、元々シングルマザー。
仮説一なら説明してくれるだろうし、生命保険とかで貧乏にはなっていないのでは? と考えられる。
仮説二にしても、養育費ってものがあるだろうから、今の貧乏暮らしはおかしい。
仮説三はどうだろうか? 僕は11歳になったので、そんなに長く刑務所に入っているとしたら、かなりの凶悪犯罪だろう。
これは説明するのは辛いだろう。
仮説四は無いかなぁ…… 海外から仕送りがあれば、貧乏なはずがない。
仮説五は最近になって立てた新たなパターンだ。
このケースは五年生には難しくて分からない事が多いが、きっと貧乏の原因にはなるだろう。
父が居ないのでウチは貧乏だから、何か欲しいモノがあっても我慢しなければならない。
と幼い頃から刷り込まれていたのだが、五年生になって欲しいモノができた。
野球のグローブである。
クラスで野球部を作ることになったからだ。
野球部といっても本格的なものではなく、野球好きの男子が集まって、他のクラスの野球部と放課後に試合をするようになったのだ。
「野球部」という響きが良い。
僕は五年二組だったのだが、四組と五組に野球部が作られたので、それに対抗して二組にも野球部が発足したらしい。
野球のグローブが欲しい。
と母に恐る恐るお願いしてみたのだが、数日後に却下されてしまった……
僕はグローブを持っていないので、対戦相手の誰かに借りて守備に就くようにして、何とか試合に出してもらっていた。
しかし普段はグローブを持っていないので、練習ができていない。
僕のところに打球が飛んで来ると、大体ヒットになってしまうので、補欠に回されることが多くなってきた。
そんなある日、ちょっと古くて小さいグローブを母から渡された。
近所のお兄さんが使っていたグローブだけど、もう小さくて使えないから。ということで譲ってもらったらしい。
それは今の僕でも小さいくらいのグローブだったけれど、初めて手にした自分のグローブだったので、飛び上がるほど嬉しかった。
次の日から、他のクラスの野球部が都合が悪くて試合ができない日も、僕はクラスの野球部の仲間を誘って、毎日キャッチボールをした。
ノックをしてもらって守備練習もした。
グローブが小さくて、しっかり捕球するのが難しかったが、僕の守備力は目に見えてアップしていった。
僕の住んでいるところは、横浜市港南区の上茶谷という町だ。
丘陵地帯を開発して宅地にしている地域なので、広いグラウンドは少なく、練習するのは学校の校庭か、近所の路上が多かった。
小さな公園はあるのだけれど、球技は禁止されていて、見つかると怒られて逃げることになった。
大体学校に通報されていて、次の日に怒られるので、公園で野球をやるのは止めにした。
路上での練習はキャッチボールか内野のゴロノックが精一杯だったので、校庭で練習することが多かった。
ただし校庭でも優先順位があって、六年生がサッカーをやっていると追い払われることが多かった。
早く六年生になりたいなぁ……
と思って過ごしていた。
僕には好きな女の子がいた。
彼女は二年生の時の二学期に転校してきたのだが、夏休みが終わって憂鬱な気分が吹き飛ぶほどのインパクトだった。
「胡桃沢香織です。今日から宜しくお願いします」
と担任の先生の横で不安気に挨拶する彼女を見た瞬間から好きになってしまったのだ。
彼女のことは僕が守らなければ!
転校してきたばかりで、何か困ったことがあったら僕が助けなければ!
などと勝手に強い使命感を抱いたのだが、どうやって接して良いのか分からずに、彼女をいじめて一番困らせていたのは僕だった。
幼い子供によくある行動パターンである。
そんなこんなで三年経過したのだが、今では仲の良い喧嘩友達みたいなポジションを獲得していた。
彼女は野球が好きな様子で、僕たち野球部の試合をよく観にきていた。
グローブを持っていなかった頃は、エラーすると彼女に野次られたが、それが悔しくて練習する意欲に繋がったのだろうと思う。
学校は小高い丘の途中にあり、西側が開けていたので、天気の良い日は丹沢の山並みの向こうに富士山を見ることができた。
秋が深まってくる頃は放課後も短く感じた。
夢中になって野球をやっていると、すぐに太陽が丹沢の山並みに落ちてしまい、富士山が夕焼けの中でシルエットになって見える。
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