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真鶴瑠衣

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瑛麻が目を覚ましてから数週間が経った。あれから私は何度も苺くんと身体を繋げている。
今度は私の方が危ないというのに、私はそれを瑛麻にも言わずにいた。
言わずに、だと語弊があるかな。言えずに、の方が正しいかも。
だってそうでしょ。苺くんは瑛麻のパートナーで、私のパートナーは伊織なんだから。
だけど、不思議なことにあの日から。瑛麻が目を覚ました日から、伊織は姿を消してしまった。アプリを起動してもそこにはいなくて、いつまで経ってもいないまま。
いったいどこに行ってしまったのだろうか。たまたまタイミングが合わないだけじゃない。文字通り、ずっといないのだ。
アンインストールなんてしてないし、もしかして家出?
だとしたら私の所為だ。私が何度も苺くんとそういう行為をするから、いやになって家出しちゃったんだ。
そうは思っても苺くんがくれば身体は反応してしまう。随分と、だらしのない身体になってしまった。

『それは私の色素が濃くなったということですね』
「色素?」
『瑞穂さんの中で、私の存在が大きくなった。だから伊織が見えなくったんです』
「伊織が見えなくなった?」
『ええ。伊織はたしかにそこにいるのに、瑞穂さんが見えてないだけ』
「じゃあ、伊織は今なんて言ってる?」

私は自分のスマホ画面を苺くんに見せる。

『ああ、私の所為だと怒ってますね。私が瑞穂さんを誑かすからだと』
「ああ……どうしたら元に戻るの?」
『そんなの簡単ですよ。私とえっちをしなければいい』
「ぴょ」

簡単に言ってくれるが、もはやセックス依存性になりかけているのだ。苺くんが傍にいる。それだけで身体が疼く。

「な、なら苺くんが画面の中に戻ればいいんじゃないかな」
『いやですよ。私だって貴女に触れたい』

ちなみに今、瑛麻は入浴中だ。瑛麻が傍にいない時は必ずといっていいほど苺くんが出てくる。

「瑛麻にも会いに行けばいいのに」
『そんなことしたら引っぱたかれますよ』
「ならせめて、匂いを抑えて」
『匂い?』
「金木犀の匂い。その匂いを嗅ぐと、変なきもちになる」
『ああ。私が性的興奮を覚えた時に出る匂いのことですか。すいません、それはできません。なぜなら貴女を見ていると欲情するからですよ』
「や、やめて……また強くなってるから」
『おや。ではやりますか? 今なら伊織も見ていることですし』
「絶対いや」

タイミングよく瑛麻が戻ってきてくれたお陰で、私の貞操は守られた。苺の姿も消えている。

「ただいまー」
「おかえり、瑛麻」

瑛麻の体調はすっかり回復しているし、寝すぎることはないのだが、今でも瑛麻から目を離したくはなかった。瑛麻はそんな私を過保護と言うけど、そんなことはないと思う。

「ねえ、瑛麻」
「ん?」
「瑛麻にはさ、伊織が見える?」
「え、なあに? 急に。見えるに決まってるじゃん」

やっぱりそうなんだ。私にだけ、伊織が見えなくなっている。

「そっか」
「……もしかして瑞穂には見えないの?」

私は首を縦に振る。

「え、いつから?」
「瑛麻が目を覚ましてから。私には伊織の姿は見えなくて、声も聞こえないの」
「どうして?」

わからないと言うことはできる。できるけど、これ以上瑛麻に隠し事はしたくなかった。

「……わ、私……瑛麻に今まで、黙っていたんだけど……」
「なあに?」

言わなきゃ、言わなきゃ。きらわれたっていいから言わないと。

「じ、実は……私、苺くん、と……」

心臓が口から出るんじゃないかと思った。それくらい緊張していた。

「え……えっち、………………した………………」
「あ……うん」
「し、知ってたの?」
「え? いや、学校での話でしょ?」

多分、瑛麻はあの時のことを言ってるんだ。そうじゃなくてもっとこう、ぼかさないで伝えないとだめみたい。

「そ、そうじゃなくて。信じられないかもしれないけど、苺くんが画面から出てきてね、その……もう何度も、私とえっちしてるの」
「……はい?」

うん。それが正しい反応だよ。普通はありえないもんね。アプリのキャラクターが画面から出てくるなんて。私が瑛麻の立場なら、私もきっと瑛麻と同じ反応をしたよ。
実際に出てきてほしいけど、苺くんが出てきたところでもしかしたら瑛麻には見えないかもしれないし。

「う、嘘じゃないの。私にしか見えてないのかもしれないけど、本当に私、苺くんと」
「どうしてそんなふうに言うの?」
「え、瑛麻、信じて」
「瑞穂の言うことは信じるよ。だけどさ、どうしてそれをあたしに言うの? 苺はあたしを選んだんじゃん。わざわざあたしに言わなくたっていいよね。言わなければわからないままなんだからさ」

ああそうか。瑛麻にとっては知らなくていいことだったんだね。それなのに私はわざわざ瑛麻を傷付ける選択をした。なんてばかなやつ。

「それで? 瑞穂が苺とやりまくってることが、伊織が見えなくなったこととどう関係があるの?」
「……苺くんが言うには、私の中で苺くんの存在が大きくなったから、伊織が見えなくなったって」
「何それ、意味わかんない。存在が大きくなったってどういう意味? 苺が好きになったってこと?」
「ち、ちがうよ」
「だったらなんなの。苺の身体が好きなの? 瑞穂は人のものをほしがるような人だったってわけ?」
「ちがう、ちがうよ瑛麻」
「否定するなら説明しなよ。まさかあたしのためとか言わないよね。瑞穂が苺とえっちすれば、あたしの命が助かるとか。そんな言い訳したらあたし許さないから」

ああもう、喧嘩なんてしたくないのにどうして。
ううん、これが私のやってきた結果だから。ちゃんと受け入れて飲み込まないと。

「わ、私が……苺くんとのえっちがきもちいいって思っちゃったから…………ごめんなさい…………」

止まる時間。高鳴る鼓動。怒ってくれた方がまだマシだった。まさか何も言ってくれないなんて。
結局何も話すことのないまま、気まずさに耐え兼ねて逃げてきてしまった。
朝になると瑛麻から連絡がきていて、そこには一言、もうこなくていいよと書いてあった。
私、瑛麻に拒絶されたんだ。今度こそ本当にきらわれた。
私が余計なことを言ったから。私の所為で、私の所為で!

「瑛麻……ごめんなさい……」

何度も瑛麻に謝罪の文面を送った。既読は付くけど返信はない。ただひたすらに文字を送っては既読が付くの繰り返し。まるで生存確認。
それでもいい。瑛麻の無事が確認できるのなら、私の行いも無駄ではないのだろう。
だけどこの既読ははたして瑛麻が付けた既読なのか。もしかしたら苺くんが付けているんじゃないのか。
私からの連絡がしつこくて瑛麻が苺くんに既読を付けるよう言ったとか。
真相はわからない。
伊織もずっとこんな調子だし、いよいよ私のまわりには誰もいなくなっちゃった。
もう一度時間が巻き戻せるのなら、私はなんだってするのに。




瑛麻とは気付いたら仲良くなっていた。声をかけてきたのは瑛麻の方だけど、いつの間にか自然と二人でいるようになっていた。
瑛麻がいるのといないのとでは空気がちがう。私はもちろん、教室の雰囲気も。
クラスの人気者というわけではないが、そこにいると花が咲いているような、クラスに色が付いたような、そんな感じの存在だった。

「瑛麻、大好き!」
「んもう~~~、あたしも瑞穂すちい~~~♡」

こんな私のことを瑛麻はいつもかわいいと言ってくれた。あたしの自慢の友達だと。
それがうれしくて私はまた、瑛麻を好きになる。
一緒にいるのが当たり前の存在。それが今、こんなふうになるなんて想像もできなかった。
また二人で一緒にいたい。そう思うのに、どうすればいいのかわからない。

「可哀想に」
「うわっ」

急に話しかけられてびっくりした。声のする方を見ると、そこには苺くんがいた。

「い、苺くん? どうして苺くんがここにいるの?」

ここは私の部屋だ。苺くんに教えた覚えはないし、鍵は閉めたはず。
やっぱり人間じゃないのかもしれない。得体の知れない都市伝説か、妄想か。

「やだな、貴女が私を呼んだんじゃないですか」
「私が?」
「私は願望。心の奥底にある黒い部分に反応する存在なんです」
「心の奥底にある黒い部分?」
「無意識にこうしたいと感じたことを私が察知して、解消してあげる。そのために私は存在するのです。言ってしまえばそれだけの存在。誰も私を必要としなくなれば、勝手に私は消えるだけ。それなのに消えないのは、無意識のうちに貴女が私を必要としているから」

私が苺くんを必要としている?
そんなはずない。だって、この人は瑛麻に悪影響を及ぼすの。そんな悪い人はいない方がいいに決まっている。

「そんなはずないって顔してますね。なら、貴女が自覚していることを言いましょう。貴女は今、瑛麻にきらわれて寂しいんだ」

それは図星だった。

「瑛麻にきらわれて、伊織もいない。樹もいない。それならもう、私に縋るしかないですよね」

本当にそうなんだろうか。私は自分が寂しいが故に、苺くんをここに呼んだ?

「だけどもう大丈夫ですよ。私が傍にいますから。なんなら瑛麻から貴女に乗り換えたっていい」
「……瑛麻は物じゃない」
「はい?」

ちがう、しっかりしろ私。

「私に乗り換えなんてしなくていい。瑛麻はあんた達の玩具じゃない。私の親友だ」

きもちを強く持て。こいつは幻覚だ。
私に見えてしまうのは、私の心の奥底にある黒い靄が増えたから。
その靄を消せばきっとこいつはいなくなる。そうすれば伊織も見えるようになるはず。

「ほう、持ち直したか。だけどまだ貴女には私の姿が見えている。きもちが揺れているんじゃないですか? 私を消したところで、本当に伊織が見えるようになるのか不安なんでしょう」

惑わされるな。私は信じる。自分を信じる。絶対に消す。消してやる。

「ははっ。信じなきゃやってられないみたいですね。ではこれならどうですか?」

金木犀の匂いがきつくなる。頭が痛い。

「瑞穂は私に触られるのが好きなんですよね」

やめて、私の名前を呼ばないで。

「そんなに警戒しないで。私は瑞穂の敵じゃないよ。ほら、きもちよくしてあげるからおいで」

唇が触れた瞬間、全身が痺れだす。このままではまずい。えっちしたら負けだ。

「や……っめて……」
「ああ、まだ喋れたんだね。上の口も下の口も塞いであげるからね」

くちゅりと口内に舌が捩じ込まれると、苺くんの手が私の下半身に触れる。
なんとかして抗わなきゃいけないと思うのに、思うように身体が動かない。

「ほら、とっとと素直になりなよ。私に触られただけで身体はこんなに喜んでいるんだから」
「……っ」

どうして私、濡れてるの。そんな音出さないでよ。きもちよくなんてないんだってば。私は苺くんを消して、伊織を助けて、瑛麻と仲直りするんだから。
……あれ。今、どうして伊織を助けようなんて思ったんだろう。
伊織を何から助けるの?
別に伊織は私の……猫の伊織じゃないし、アプリの中でしか生きられない二次元のキャラクターだし。
まって、おかしい。
ううん、おかしいのは画面から出てくる苺くんと樹くんなんだけど、そうじゃなくて、ええと。
考えろ。何がおかしい?
画面から出てくるのはおかしい。画面から出てこない伊織は正しい。
そもそも苺くんは私の妄想で、心の奥底に眠っているマイナスな感情や黒いきもちが形となって現れるわけで、そういったきもちが瑛麻にもあって、それは多分樹くんも同じで。
樹くんは黒いきもちとかじゃなくて、なんか別のきもちがあって出てきたんだとして、だけどそれがもう見えなくなったってことは、そういったきもちが私の中からなくなったってことで。
それがどういうきもちなのかはわからないけど、二人がそういう存在なんだとしたら、伊織はどういう存在なの?
どうして伊織は出てこない?
伊織だけ出てこないなんて変じゃない?
そんなの、普通に考えればアプリのキャラクターだからだよ。
じゃあ苺くんと樹くんはアプリのキャラクターじゃないの?
最初から、攻略キャラクターは伊織だけだった?
だから伊織は出てこれないの?
じゃあ、伊織が好きなあの本は?
あの本はどうして実在するの?

「あの本は、俺が好きな本なんだ」

どこからか伊織の声がする。

「実在するのは、俺があの本を買ったから」

買ったってどうやって?

「そのままの意味さ。買ったんだよ、あの本屋さんで」

そんなのできっこないよ。伊織は画面から出てこれないんだから。

「うん。だけど本はここにある」

意味がわからないよ。ちゃんと答えを教えてよ。

「俺はアプリのキャラクターなんかじゃない……って言ったら信じてくれる?」

え?

「アプリなんてものは存在しない。俺は瑞穂や瑛麻と同じ人間だ。今はここに閉じ込められている」

え?

「ああ、信じられないよな。俺も信じられないんだ」

そんなアニメみたいなことが本当に起こるのだろうか。だけど、伊織がこのタイミングで嘘をつくとは思えない。それに、アプリをアンインストールしたってまたインストールされてしまうことも、そういうことならなんらおかしくない。
そういうこと。つまり、アプリ自体が存在しない。
全部、白昼夢。

「もう大丈夫みたいだな」

うん、もう大丈夫だよ。ありがとう伊織。
私は現実を受け入れる。
この世界が間違えだ。

「……苺くん、もういいよ」
「あ?」
「全部、私と瑛麻の白昼夢だったんだね」
「いきなり何を言って」
「もう知ってるよ。全部、伊織から聞いた」
「聞いたって、何を。貴女に聞こえるはずがないでしょう?」
「アプリなんてないんだって、伊織は私と瑛麻と同じ人間だよ。だからもう伊織を解放してあげて」

一瞬、苺くんの顔が歪んだ。本当に苺くんはこの世のものじゃないんだなあ。そんな異物と私は今まで何度もあんな行為をしてたんだ。
そう思うと同時に浮かんだのは、嫌悪感だった。

「……きもちわるい」
「え?」
「きもちわるいきもちわるいきもちわるい!」
「え、え?」
「きもちわりいな、お前はよお! なんで気付かなかったんだろう。二次元のキャラクターが三次元にくるわけねえし、きたら顔だって変わるだろおー。なのになんでそのまんまなの? 偽物じゃん! にいせえもおのお! 道理で公式サイトがないわけだよ! そりゃ存在しないんだからあるはずないよなー! 異物なんだから消しても壊しても出てくるよなー!」

す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す消す。




消す。

「うわあああああっ」

最後の瞬間はあっけなく、簡単に苺くんは姿を消した。
なんだ、こんなに簡単に消せたんだ。
私が本気で消すと思っただけで、こんなにあっけない。

「……伊織、私、やったよ。苺くんを消したよ」

だから伊織も早く、出ておいで。
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