橋本愛莉というおんな

まなづるるい

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第三章

18.

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 放課後になると、あたしは鹿児島さんのいる病院へと向かった。鞄の中にはさっき折った赤い鶴と、授業の内容を綺麗にまとめたノートが入っている。
 そういえば鹿児島さんに貸した漫画も新しく買い直さないと。あとで本屋さんに寄ろう。
 遠山さんは今日は出勤してないのかな。それとも患者さんの対応中?
 受付に遠山さんの姿は見当たらない。遠山さんがいなければ、あたしは鹿児島さんのところに行けないのに。
 そうか、前みたいに毎日行けるわけではないんだ。そう思うとなんだか悲しくなった。
 いや、もしかしたらお昼休憩中なだけかもしれないし、受付にいないからって出勤してないと決めつけるのはよくないよね。
 あたしは受付に行くと、遠山さんの出勤の有無を別の看護婦さんに確認した。

「あの、遠山さんて、今日は出勤されてますか?」
「遠山ですか? 今日はいませんけど、遠山になにか御用ですか?」
「あ、いえ。いないなら大丈夫です。ありがとうございます」

 やっぱり今日はいないらしい。だけどこうして毎日遠山さんの出勤の有無を聞くのも怪しまれるだろうし、連絡先だけでも聞いておけばよかったな。
 仕方ないから今日は帰ろう。連絡先はまた今度会った時にでも聞けばいい。
 鹿児島さんに会えなくても、鶴は毎日折ろう。このまま家に帰るのももったいないし、お兄ちゃんのバイト先に行ってみようかな。今日はバイトだって言ってたもんね。
 喫茶店フルール。
 ドキドキしながら中に入ると、知らないお兄さんがあたしを一番奥の席へと案内してくれた。テーブルの端にあるメニュー表をみると、あたしはホットココアを注文する。
 お兄ちゃんは何処だろう。辺りをきょろきょろしてみても、お兄ちゃんの姿は見当たらない。
 今日はバイトだって言ってたのにな。
 もしかして休憩中?
 それともトイレ?
 あたしは手を挙げながら、さっきのお兄さんに声をかけた。

「あの、すいません」
「はい」
「えっと、此処に橋本さんって男性はいらっしゃいますか?」
「橋本ですか? 失礼ですがお客様、橋本とはどういったご関係でしょうか?」
「あ……あたしのお兄ちゃんなんです」
「……大変失礼致しました。橋本は本日はおやすみを頂いております」
「え?」
「宜しければ次の出勤日を確認してきましょうか?」
「あ……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 お兄ちゃんがいない?
 だって朝は絶対バイトだって言ってたもん。聞き間違いなんかじゃないもん。
 それとも具合が悪くて早退したとか?
 でも、だとしたらお兄さんはあんなふうに言わないよね。もしかしてもう家にいるのかな。
 あたしはホットココアを完飲すると、急いで家に帰ることにした。

「お兄ちゃん?」

 玄関の靴をみると、お兄ちゃんの靴はなかった。リビングやお風呂、トイレもみたけどお兄ちゃんは何処にもいない。あたしの部屋にもいないのだから、この家にお兄ちゃんはいないのだろう。
 お兄ちゃん、バイトじゃないならいま、何処にいるの?
 バイトだって嘘吐いたの?
 どうして?
 あたしは悶々としたきもちを抱えながら、お兄ちゃんが帰ってくるのをリビングで待つことにした。
 時間は経ち、時計の針は十八時を指している。いつもならそろそろ帰ってくる頃だ。あたしはソファで膝を抱えて待っていた。
 すると、玄関のドアが開いた。

「ただいま、愛莉」

 お兄ちゃんだ。お兄ちゃんがいつもの時間に帰ってきた。

「……お兄ちゃん、何処に行ってたの?」
「バイトだけど」

 まだ嘘を吐くんだ、どうして。

「あたし、今日お兄ちゃんのバイト先に行ったんだけど」
「……そうだったのか、気がつかなかったよ、ごめんね」
「お兄ちゃん、今日はおやすみだって言われた。ねぇ、いままで何処に行ってたの?」

 間が空いた。お兄ちゃんはなんて答えるんだろう。

「……愛莉には心配かけると思って言ってなかったんだけど、実はバイトをかけもちしてるんだ」

 嘘だ。お兄ちゃん、どうして嘘吐くの。そんなにあたしに知られたくないの?

「嘘」
「ほんとだよ」
「じゃあ何処で働いてるのか教えてよ」
「それは困るよ」
「なんで? 本当に働いてるなら教えられるよね? 本当は働いてないから今日みたいにバイト先にこられたら困るってこと?」
「愛莉」
「……柚留ちゃんになら言えるの?」
「え?」
「あたしには言えなくて、柚留ちゃんになら言えるの? それとも柚留ちゃんにも言えないことなの?」
「それは」
「もういいよ!」

 あたしは走って自分の部屋へと逃げ込んだ。
 お兄ちゃんの馬鹿、どうして嘘吐くの?
 それは困るよってなに?
 あたしはただ、何処に行ってたの? って聞いただけじゃん。バイトだって聞いてたから遊びに行ったのに、いなかったから心配しただけじゃん。
 なにが困るの?
 なんで教えてくれないの?
 いったいなにを隠してるの?
 あたしは布団をすっぽりと被って蹲っていた。すると、お兄ちゃんがやってきてあたしに優しく声をかけてくる。

「愛莉、ごめん」
「……柚留ちゃんに聞いてもいい?」

 あたしは布団をすっぽりと被ったまま、お兄ちゃんに聞いてみた。

「柚留はなにも知らないよ」
「じゃあ、誰なら知ってるの?」
「悪いけど、もうバイト先にはこないでほしいんだ」
「どうして?」
「働いてる姿を身内にみられるのは恥ずかしいだろう」
「……は?」

 あまりにも的外れな答えに、あたしは思わず布団から顔をだした。
 この期に及んで、お兄ちゃんはなにを言ってるんだろう。働いてる姿を身内にみられるのが恥ずかしい?
 そんなの、全然答えになってないじゃん。
 あたしは今日なんでバイト先にいなかったのかを聞いてるのに、みられるのもなにも、そもそもバイト先にいなかったじゃん。

「恥ずかしいんだ、愛莉」
「……全然答えになってない」
「え?」
「だから今日は何処に行ってたの? なんでバイトじゃないのにバイトだって言ったの?」
「愛莉。誰にだって、詮索されたくないことはあるよ」
「……あたしは何処に行ってたのかを聞いてるだけだよ? それすら聞いちゃいけないってこと?」

 お兄ちゃんは黙ってしまった。

「バイト先にもいない、家にもいない。だからあたしは心配したんだよ。それすらも詮索されたくないってこと? あたしは心配しちゃいけないの?」
「そんなことは言ってないよ」
「言ってるじゃん。もうなにも聞くなって言ってるんでしょ? バイト先にくんなって、そう言ってたじゃん!」

 あたしはお兄ちゃんに向かって枕を投げつけた。

「……ご飯できたら呼ぶね」

 これ以上はなにを言っても無駄だと思ったのか、お兄ちゃんはあたしの部屋からでていった。あんなふうに言われたら、誰だってもやもやする。
 しばらくするとお兄ちゃんが部屋にきて、ご飯ができたことを教えてくれた。

「お腹空いてない」
「空いてなくても食べなきゃだめだよ」
「今日、何処に行ってたのか教えてくれたら食べてあげる」

 こんな駆け引きでお兄ちゃんが答えてくれるわけないの、わかってるくせに。
 ほらね。お兄ちゃん、また黙っちゃった。そんなに固く口を閉ざされたら、無理やりこじ開けたくなるよ。
 あたしはベットの上でお兄ちゃんに一歩、歩み寄る。そしてそのままゆっくりと顔を近づけていく。

「……なにしてんの?」
「キス」

 あたし、お兄ちゃんにキスした。こんなことしたら柚瑠ちゃんに怒られちゃうね。
 だけどお兄ちゃんが悪いんだよ?
 あたしが何度も聞いたのに答えてくれないんだもん。
 でも、意外なのはお兄ちゃんの落ち着いた態度だった。血が繋がってないとはいえ、妹にいきなりキスをされれば誰だって取り乱すはずなのに、お兄ちゃんにはそれがない。
 どうしてそんなに落ち着いてるの?
 あたしにキスされたくらいじゃ、ちっとも動じないってこと?
 あたしって、お兄ちゃんに女性としてみられてないんだ?

「……驚いた?」
「うん」

 嘘吐き。驚いてなんていないくせに。お兄ちゃんって、根っからの嘘吐きなんだね。嘘吐きなお兄ちゃんなんか、大嫌い。
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