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第八章
56.
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「愛莉?」
「え、お、お兄ちゃん?」
お兄ちゃんだ。お兄ちゃんがいる。
え、でもお兄ちゃんは死んだはずで、加賀が作ったお兄ちゃんがこんなところにいるはずが。
「こんなところでなにしてるんだ?」
「えっと……お兄ちゃんが死んじゃったから、警察に助けてもらおうと思って」
「は? 俺が死んだ? なに寝ぼけたこと言ってんの」
「え? で、でも」
「まぁむりもないか。しばらく家を開けててごめん。俺、いま、柚留を探してるんだよね」
「柚留を?」
「うん。愛莉を一人にしてごめん……あ、お金足りてる? ポイポイに送金してたんだけど」
「え……あ、ほんとだ」
言われた通り、ポイポイのアプリを確認すると、確かにお兄ちゃんからいくらかお金が送金されていた。
日付はお兄ちゃんがいなくなった日。こんなの、お兄ちゃんにしかわからない情報なんじゃ。
じゃあ、いまあたしの目の前にいるこの人は本当にお兄ちゃんなの?
お兄ちゃんは車に轢かれて死んでなかったの?
「あ、あたし……お兄ちゃんが柚留を探しに行って車に轢かれたって聞いて……」
「はは、なんだそれ。そうだ、このお金は使っていいから。なんかあったら連絡して」
「う、うん。で、でも、お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
「柚留がみつかるまでかな」
「どうして? 柚留が勝手にでていったんじゃん。柚留はお兄ちゃんに会いたくないかもよ?」
「うん。でも、柚留は俺の妹だから」
柚留なら加賀のところにいるよって言えば、お兄ちゃんは帰ってくる。それをしなかったのは、あたしが柚留に消えてほしいと思ったから。
柚留がいないからお兄ちゃんの頭の中は柚留でいっぱいになる。だけど柚留がいればお兄ちゃんの頭の中は柚留でいっぱいになる。どっちに転がったって同じなら、あたしは前者を選ぶよ。柚留なんていない方がマシ。あの馬鹿、あんな野郎に堕ちるなんて。
ずっとずっとそうだった。最初からあたしの居場所なんてなくて、あたしは懸命に自分の居場所を作ろうとした。大好きなお兄ちゃんに縋って、邪魔な奴を消そうとした。
結局、お兄ちゃんには拒絶されて、あれは間違いだと言われて過去にされた。邪魔な奴は形を失っても邪魔なままで、いつまでもお兄ちゃんの心を離さないの。
どうしてって思ったよ。あたしのことは妹じゃないくせに妹だからって敬遠されて、柚留のことは妹だからって愛されて、お兄ちゃんの言ってることは滅茶苦茶で、意味わかんない。
だって、あたしを妹だと言うのなら、妹と同じくらい愛せるはずでしょう?
どうしてあたしを愛してくれないの?
どうして柚留だけを大切にするの?
あたしにはお兄ちゃんしかいないのに。
お兄ちゃん、あたしをみてよ。
そんな悲痛な叫びが形となって、あたしの性格をどんどんと歪ませていく。
あたしがこうなったのはお兄ちゃんの所為だよ。お兄ちゃんがあたしをみてくれないからあたしは鹿児島を虐めたし、柚留にも当たりが強かった。
あたしの中はぐちゃぐちゃで、だからある意味、愛莉はあたしの救世主だった。
あのタイミングで事故に遭って愛莉になって、あたしが苦しむ必要がなくなった。あたしの代わりに愛莉が苦しんでくれる。偽善者ぶって、いいこでいる愛莉がきしょくて……それでもあたしは息ができたんだ。愛莉が前にでている間だけは。
「……おにい、ちゃん……」
「なに?」
「あたしは、お兄ちゃんの、なに?」
「愛莉は俺の妹だよ」
嘘吐き。妹なんて思ってないじゃん。お兄ちゃんは、妹を理由にしてあたしから逃げたいだけ。あたしが妹だと言えば、あたしの愛に答えなくて済むもんね。
最初から普通に断ってくれればよかったんだ。あたしを好きにはなれないって、言ってくれればよかったんだ。
なのに優しさのつもりか知らないけど、遠回しに妹だからと言って断ってあたしから逃げて。
言えばよかったんだよ、好きじゃないって。変な嘘吐いてないで、言えばよかったんだ。
でも……でもね、あたしはそれでもお兄ちゃんが好きだよ。加賀があたしを崇拝するのと同じくらい、あたしの感情はどうしようもなくお兄ちゃんへと絡みついている。それは、好きだけど苦しくて、時々ぐちゃぐちゃに壊したくなるくらい重たい感情。
「……嘘吐き……」
「愛莉?」
「……嘘……吐き……」
この涙はなんだろう。視界がぐちゃぐちゃで、目の前にいるお兄ちゃんが歪んでみえる。
心が痛いのはどうしてかな。どうしてあたしはこんなに胸が苦しいんだろう。
「あ、愛莉? どうしたの」
急に泣きだすあたしをみたお兄ちゃんは、かなり困っているみたいだった。
お兄ちゃんはズボンのポケットからぐちゃぐちゃになったハンカチを取りだすと、あたしの涙を優しく拭いてくれた。
それが凄く嬉しくて、嬉しいのに苦しくて。女の子が泣いてる時はそっと抱き締めるべきなんじゃないのかとか、あたしの感情もぐちゃぐちゃで。
しばらくすると、近くの喫茶店にお兄ちゃんと入って、いままでなにをしていたのかを事情聴取することになった。
あの日。柚留を探しに家をでたお兄ちゃんは、誰に聞いても知らないと言われ途方に暮れていたらしい。
朝まで懸命に探すもみつからず、食事も喉を通らず。交番に捜索願いをだしたり、駅の防犯カメラをみせてもらえないかと懇願したり、駅をひとつひとつ降りては色んな人に聞いて、一睡もしてなかったので道中、倒れ、近くの人に助けてもらい、少しづつ食事を摂りながら体力を戻していたんだとか。
さっき交番前で会ったのは、交番に行って柚留のことを聞こうとしてたからだって。あたしには送金だけして、あとはなんとかやってくれるだろうと思っていたみたい。
それならそうと連絡くれればよかったのに、柚留を探すので頭がいっぱいになってそこまで頭が回らなかったんだろうね。
あたしを信用してるからだってお兄ちゃんは言ってるけど、お金さえ与えておけば大丈夫だろうと思われていたのはなんか心外。
一通り話しおわるとお兄ちゃんはあたしに、「ごめんなさい」と謝った。それはいったいなんのごめんなさいなんだろうね。白々しくていらっとする。
「それでお兄ちゃんはいま、何処で寝泊まりしてるの?」
「俺が倒れてたところを助けてくれた人の家だよ」
「え、それって女の人?」
「うん」
よくもまぁ、見知らぬ女の人の家に何日も泊まれるよね。仮にも害虫という恋人がいる身で。
「今日もその人のところに泊まるの?」
「うん」
「じゃああたしもついていく」
「え?」
「だってお兄ちゃんの命の恩人じゃん! お礼くらい言わせてよ!」
「あ、ああ。それもそうか」
あ、危なかった。
そうだよお兄ちゃんの命の恩人なんだから、妹として、妹として!
お礼くらい言わないとね。うんうん。
別にどんな女かこの目で確かめたいとかじゃないし。うんうん。
なんて自分を誤魔化しながらお兄ちゃんについていくと、でてきたのは大学生くらいの女性だった。
「おかえりなさ……あら、この方は?」
「あ、俺の妹の愛莉です」
「え、でも妹さんって」
「あ、愛莉はもう一人の妹です。俺が探してるのは柚留の方で」
「そう。いらっしゃい、愛莉ちゃん」
なんというか、綺麗な大人の女性って感じがした。目元にあるホクロがまたセクシーで、胸がデカい。清楚系巨乳。
「あ……は、初めまして! お兄ちゃんがお世話になっています。じゃ、なかった……お兄ちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」
「わざわざご挨拶ありがとう。愛莉ちゃんも上がってく?」
「えっ」
「上がりなよ、愛莉」
「あっうん」
中に入るとなんだかいい匂いがした。案内されたのは和室で、余分な物が一切ない落ち着いた部屋だった。
「お茶、用意するね」
「あっ、お、お構いなく!」
「ふふっ、用意するね」
なんだろう。めっちゃ大人。このあたしが緊張して上手く喋れなかった。
「お、お兄ちゃん」
「なに?」
「あの人ちょっと綺麗すぎない?」
「うん。でもあの人、遠距離恋愛してる彼氏がいるから」
「遠距離恋愛?」
遠距離なんてよく続くよな。あたしにはむりだ。絶対に会いたくなる。
それに、遠距離なんて浮気し放題じゃん。なにしてたって相手にはわかんないもん。
「お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
「自己紹介がまだだったよね。愛莉ちゃんのお兄さんを預かっている麻生藍子です。普段は大学に通っています。あと、遠距離の彼氏がいます」
「彼氏さんは何処に住んでるんですか?」
「北海道に住んでいます」
「付き合ってどれくらいですか?」
「愛莉」
「ふふっ。付き合って三年目です」
「離れていて淋しくないんですか?」
「愛莉」
「いいのよ橋本くん。淋しいけど、今度の休みに会う約束してるから大丈夫なんです」
そういうもんなのかなぁ。あたしにはさっぱりわかんないや。
「……お兄ちゃん、彼女いますよ」
「愛莉」
「ふふっ。知ってます」
話せば話すほど、藍子さんはいい人だった。このままあたしも此処に泊まろうかな。どうせ家にも帰れないし。あたしも泊まりたいって言ったらお兄ちゃん怒るかな。
だって、お互いに恋人がいるからって、男女がひとつ屋根の下で何日も何事もなく過ごすなんてむりじゃない?
いくらお兄ちゃんでも、藍子さんに迫られたりしたら。
「お、お兄ちゃん」
「なに?」
「あたしも泊まる」
「は?」
「あたしも泊まる」
「なに言ってんの。愛莉には帰る場所があるだろう」
「お兄ちゃんだって、帰る場所あるじゃん」
「俺は柚留を探さないと」
「そんなの家にいたって探せるじゃん。わざわざ此処で寝泊まりする必要ないじゃん」
「愛莉」
ちょっと、やめてよその空気。まるであたしが我儘言ってるみたいじゃん。
「愛莉ちゃんも泊まっていいですよ」
「藍子さん」
「愛莉ちゃん、淋しいんだよ。ずっとおうちに独りぼっちだもん。これ以上は可哀想だよ」
お兄ちゃん、藍子さんって呼ぶんだ。藍子さんはお兄ちゃんのこと、橋本くんって呼ぶのに。
麻生さんじゃなくて、藍子さん。
ふうん。
「私は大丈夫だから、ね」
「でも」
「家主の言うことは聞きなさい」
なんだろう。二人の雰囲気がなんていうか、特別に甘いわけでもないんだけど、二人の過ごした時間が手に取るようにわかるというか、みてるとなんだかもやもやする。
あたし、嫉妬してんのかな。
嫉妬。
出会って間もないくせにあたしの知らないところで仲良くなって、二人にしかわからない空気を纏ってる。
嫌だな。早くいなくなってほしい。間違いが起こる前に。
「愛莉ちゃん、今日は私と一緒にお風呂に入ろっか」
「え?」
「嫌、かな」
「い、嫌じゃないです!」
ああもう、なんか調子狂うな。いつもなら他人に対してボロクソに言ってやるのに、この人を前にするとなにも言えなくなる。
脱衣所で服を脱ぐと、あたしは鏡の前でじっと自分の身体をみつめていた。
なんて貧相な身体なんだろう。こんなんじゃお兄ちゃんは興奮しない。
「コンコン。愛莉ちゃん、失礼します」
ドアをノックしながらコンコンって言う人なんているんだ。
ぶりっこ。
でも、藍子さんだとそれも嫌じゃないから不思議。
「きゃっ。ごめんね、先に入ってていいからね」
きゃっ、はこっちのセリフでしょう。どうしてそっちが言うんだよ。
「……はは、いいですよ。ゆっくりきてください」
湯船に身体を沈めると、お湯の温度が少し熱いくらいできもちよかった。
このままじゃだめだ。愛莉でもあるまいし、こんなのはあたしじゃない。こんな、借りてきた猫みたいに猫被ったあたしは気持ち悪いだけ。
「愛莉ちゃん、お邪魔します」
やっぱり胸デカいな。こんな魅惑のボディでお兄ちゃんに迫ったら絶対にだめ。お兄ちゃんはあたしが守るんだ。
「わ、あったかい」
「藍子さん」
「はい」
「お兄ちゃんとはもうしたんですか?」
「え、したってなにを?」
「とぼけないでください。だって藍子さん、彼氏と離れ離れで淋しいでしょ?」
「うーん……淋しいけど、だからってお兄さんとはなにもしないよ?」
「絶対に間違いは起こらないって、どうして言い切れるんですか?」
あたしは藍子さんの目をじっとみつめていた。
「だって、私は彼氏のことが好きだから」
一瞬でも下心を誤魔化そうとしたりしたらボロクソに言ってやろうと思ってたのに、藍子さんははっきりと言い切った。あたしはそんな言葉が聞きたかったわけじゃないのに、どうして一点の曇りもないの?
二人きりなんだからとっとと本性だしなさいよ。本当はお兄ちゃんとし放題なんじゃないの?
毎晩お兄ちゃんで彼氏に会えない淋しさを埋めてるんじゃないの?
本当はもうお兄ちゃんのことが好きなんじゃないの?
ねぇ。
ねぇってば。
そうでなければおかしいよ。そうでなければあたしが困る。そんな、まるで聖人君子みたいな真っ白な人間なんてこの世にいるわけがないんだよ。
「き、気持ち悪い!」
「え?」
「そんな心の清らかな人、いるわけがない! あ、藍子さんがそう思ってたとしても、お兄ちゃんはそんなふうに思ってないかもしれないのに! 男女が同じひとつ屋根の下に何日もいてなにもないなんてありえない! キスくらいはしてるはず!」
藍子さんは反論することなくあたしの話を黙って聞くと、あたしの言葉をよく噛んで、じっくりと考え始めた。
「……そう、だね。そう思われても仕方ないと思う。私が愛莉ちゃんだったら見ず知らずの女なんて警戒すると思うし、お互いに恋人がいると知った上で深い関係になる人は沢山いるもんね。でもね、私はそういう人ではないし、橋本くんだってちゃんとした人だよ。それは愛莉ちゃんが一番わかってるんじゃないかな。わかってるからこそ、私を警戒してるんだ。私に大切なお兄さんが穢されないように。愛莉ちゃんは、最初からそのつもりで家にきたんだよね」
「え、お、お兄ちゃん?」
お兄ちゃんだ。お兄ちゃんがいる。
え、でもお兄ちゃんは死んだはずで、加賀が作ったお兄ちゃんがこんなところにいるはずが。
「こんなところでなにしてるんだ?」
「えっと……お兄ちゃんが死んじゃったから、警察に助けてもらおうと思って」
「は? 俺が死んだ? なに寝ぼけたこと言ってんの」
「え? で、でも」
「まぁむりもないか。しばらく家を開けててごめん。俺、いま、柚留を探してるんだよね」
「柚留を?」
「うん。愛莉を一人にしてごめん……あ、お金足りてる? ポイポイに送金してたんだけど」
「え……あ、ほんとだ」
言われた通り、ポイポイのアプリを確認すると、確かにお兄ちゃんからいくらかお金が送金されていた。
日付はお兄ちゃんがいなくなった日。こんなの、お兄ちゃんにしかわからない情報なんじゃ。
じゃあ、いまあたしの目の前にいるこの人は本当にお兄ちゃんなの?
お兄ちゃんは車に轢かれて死んでなかったの?
「あ、あたし……お兄ちゃんが柚留を探しに行って車に轢かれたって聞いて……」
「はは、なんだそれ。そうだ、このお金は使っていいから。なんかあったら連絡して」
「う、うん。で、でも、お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
「柚留がみつかるまでかな」
「どうして? 柚留が勝手にでていったんじゃん。柚留はお兄ちゃんに会いたくないかもよ?」
「うん。でも、柚留は俺の妹だから」
柚留なら加賀のところにいるよって言えば、お兄ちゃんは帰ってくる。それをしなかったのは、あたしが柚留に消えてほしいと思ったから。
柚留がいないからお兄ちゃんの頭の中は柚留でいっぱいになる。だけど柚留がいればお兄ちゃんの頭の中は柚留でいっぱいになる。どっちに転がったって同じなら、あたしは前者を選ぶよ。柚留なんていない方がマシ。あの馬鹿、あんな野郎に堕ちるなんて。
ずっとずっとそうだった。最初からあたしの居場所なんてなくて、あたしは懸命に自分の居場所を作ろうとした。大好きなお兄ちゃんに縋って、邪魔な奴を消そうとした。
結局、お兄ちゃんには拒絶されて、あれは間違いだと言われて過去にされた。邪魔な奴は形を失っても邪魔なままで、いつまでもお兄ちゃんの心を離さないの。
どうしてって思ったよ。あたしのことは妹じゃないくせに妹だからって敬遠されて、柚留のことは妹だからって愛されて、お兄ちゃんの言ってることは滅茶苦茶で、意味わかんない。
だって、あたしを妹だと言うのなら、妹と同じくらい愛せるはずでしょう?
どうしてあたしを愛してくれないの?
どうして柚留だけを大切にするの?
あたしにはお兄ちゃんしかいないのに。
お兄ちゃん、あたしをみてよ。
そんな悲痛な叫びが形となって、あたしの性格をどんどんと歪ませていく。
あたしがこうなったのはお兄ちゃんの所為だよ。お兄ちゃんがあたしをみてくれないからあたしは鹿児島を虐めたし、柚留にも当たりが強かった。
あたしの中はぐちゃぐちゃで、だからある意味、愛莉はあたしの救世主だった。
あのタイミングで事故に遭って愛莉になって、あたしが苦しむ必要がなくなった。あたしの代わりに愛莉が苦しんでくれる。偽善者ぶって、いいこでいる愛莉がきしょくて……それでもあたしは息ができたんだ。愛莉が前にでている間だけは。
「……おにい、ちゃん……」
「なに?」
「あたしは、お兄ちゃんの、なに?」
「愛莉は俺の妹だよ」
嘘吐き。妹なんて思ってないじゃん。お兄ちゃんは、妹を理由にしてあたしから逃げたいだけ。あたしが妹だと言えば、あたしの愛に答えなくて済むもんね。
最初から普通に断ってくれればよかったんだ。あたしを好きにはなれないって、言ってくれればよかったんだ。
なのに優しさのつもりか知らないけど、遠回しに妹だからと言って断ってあたしから逃げて。
言えばよかったんだよ、好きじゃないって。変な嘘吐いてないで、言えばよかったんだ。
でも……でもね、あたしはそれでもお兄ちゃんが好きだよ。加賀があたしを崇拝するのと同じくらい、あたしの感情はどうしようもなくお兄ちゃんへと絡みついている。それは、好きだけど苦しくて、時々ぐちゃぐちゃに壊したくなるくらい重たい感情。
「……嘘吐き……」
「愛莉?」
「……嘘……吐き……」
この涙はなんだろう。視界がぐちゃぐちゃで、目の前にいるお兄ちゃんが歪んでみえる。
心が痛いのはどうしてかな。どうしてあたしはこんなに胸が苦しいんだろう。
「あ、愛莉? どうしたの」
急に泣きだすあたしをみたお兄ちゃんは、かなり困っているみたいだった。
お兄ちゃんはズボンのポケットからぐちゃぐちゃになったハンカチを取りだすと、あたしの涙を優しく拭いてくれた。
それが凄く嬉しくて、嬉しいのに苦しくて。女の子が泣いてる時はそっと抱き締めるべきなんじゃないのかとか、あたしの感情もぐちゃぐちゃで。
しばらくすると、近くの喫茶店にお兄ちゃんと入って、いままでなにをしていたのかを事情聴取することになった。
あの日。柚留を探しに家をでたお兄ちゃんは、誰に聞いても知らないと言われ途方に暮れていたらしい。
朝まで懸命に探すもみつからず、食事も喉を通らず。交番に捜索願いをだしたり、駅の防犯カメラをみせてもらえないかと懇願したり、駅をひとつひとつ降りては色んな人に聞いて、一睡もしてなかったので道中、倒れ、近くの人に助けてもらい、少しづつ食事を摂りながら体力を戻していたんだとか。
さっき交番前で会ったのは、交番に行って柚留のことを聞こうとしてたからだって。あたしには送金だけして、あとはなんとかやってくれるだろうと思っていたみたい。
それならそうと連絡くれればよかったのに、柚留を探すので頭がいっぱいになってそこまで頭が回らなかったんだろうね。
あたしを信用してるからだってお兄ちゃんは言ってるけど、お金さえ与えておけば大丈夫だろうと思われていたのはなんか心外。
一通り話しおわるとお兄ちゃんはあたしに、「ごめんなさい」と謝った。それはいったいなんのごめんなさいなんだろうね。白々しくていらっとする。
「それでお兄ちゃんはいま、何処で寝泊まりしてるの?」
「俺が倒れてたところを助けてくれた人の家だよ」
「え、それって女の人?」
「うん」
よくもまぁ、見知らぬ女の人の家に何日も泊まれるよね。仮にも害虫という恋人がいる身で。
「今日もその人のところに泊まるの?」
「うん」
「じゃああたしもついていく」
「え?」
「だってお兄ちゃんの命の恩人じゃん! お礼くらい言わせてよ!」
「あ、ああ。それもそうか」
あ、危なかった。
そうだよお兄ちゃんの命の恩人なんだから、妹として、妹として!
お礼くらい言わないとね。うんうん。
別にどんな女かこの目で確かめたいとかじゃないし。うんうん。
なんて自分を誤魔化しながらお兄ちゃんについていくと、でてきたのは大学生くらいの女性だった。
「おかえりなさ……あら、この方は?」
「あ、俺の妹の愛莉です」
「え、でも妹さんって」
「あ、愛莉はもう一人の妹です。俺が探してるのは柚留の方で」
「そう。いらっしゃい、愛莉ちゃん」
なんというか、綺麗な大人の女性って感じがした。目元にあるホクロがまたセクシーで、胸がデカい。清楚系巨乳。
「あ……は、初めまして! お兄ちゃんがお世話になっています。じゃ、なかった……お兄ちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」
「わざわざご挨拶ありがとう。愛莉ちゃんも上がってく?」
「えっ」
「上がりなよ、愛莉」
「あっうん」
中に入るとなんだかいい匂いがした。案内されたのは和室で、余分な物が一切ない落ち着いた部屋だった。
「お茶、用意するね」
「あっ、お、お構いなく!」
「ふふっ、用意するね」
なんだろう。めっちゃ大人。このあたしが緊張して上手く喋れなかった。
「お、お兄ちゃん」
「なに?」
「あの人ちょっと綺麗すぎない?」
「うん。でもあの人、遠距離恋愛してる彼氏がいるから」
「遠距離恋愛?」
遠距離なんてよく続くよな。あたしにはむりだ。絶対に会いたくなる。
それに、遠距離なんて浮気し放題じゃん。なにしてたって相手にはわかんないもん。
「お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
「自己紹介がまだだったよね。愛莉ちゃんのお兄さんを預かっている麻生藍子です。普段は大学に通っています。あと、遠距離の彼氏がいます」
「彼氏さんは何処に住んでるんですか?」
「北海道に住んでいます」
「付き合ってどれくらいですか?」
「愛莉」
「ふふっ。付き合って三年目です」
「離れていて淋しくないんですか?」
「愛莉」
「いいのよ橋本くん。淋しいけど、今度の休みに会う約束してるから大丈夫なんです」
そういうもんなのかなぁ。あたしにはさっぱりわかんないや。
「……お兄ちゃん、彼女いますよ」
「愛莉」
「ふふっ。知ってます」
話せば話すほど、藍子さんはいい人だった。このままあたしも此処に泊まろうかな。どうせ家にも帰れないし。あたしも泊まりたいって言ったらお兄ちゃん怒るかな。
だって、お互いに恋人がいるからって、男女がひとつ屋根の下で何日も何事もなく過ごすなんてむりじゃない?
いくらお兄ちゃんでも、藍子さんに迫られたりしたら。
「お、お兄ちゃん」
「なに?」
「あたしも泊まる」
「は?」
「あたしも泊まる」
「なに言ってんの。愛莉には帰る場所があるだろう」
「お兄ちゃんだって、帰る場所あるじゃん」
「俺は柚留を探さないと」
「そんなの家にいたって探せるじゃん。わざわざ此処で寝泊まりする必要ないじゃん」
「愛莉」
ちょっと、やめてよその空気。まるであたしが我儘言ってるみたいじゃん。
「愛莉ちゃんも泊まっていいですよ」
「藍子さん」
「愛莉ちゃん、淋しいんだよ。ずっとおうちに独りぼっちだもん。これ以上は可哀想だよ」
お兄ちゃん、藍子さんって呼ぶんだ。藍子さんはお兄ちゃんのこと、橋本くんって呼ぶのに。
麻生さんじゃなくて、藍子さん。
ふうん。
「私は大丈夫だから、ね」
「でも」
「家主の言うことは聞きなさい」
なんだろう。二人の雰囲気がなんていうか、特別に甘いわけでもないんだけど、二人の過ごした時間が手に取るようにわかるというか、みてるとなんだかもやもやする。
あたし、嫉妬してんのかな。
嫉妬。
出会って間もないくせにあたしの知らないところで仲良くなって、二人にしかわからない空気を纏ってる。
嫌だな。早くいなくなってほしい。間違いが起こる前に。
「愛莉ちゃん、今日は私と一緒にお風呂に入ろっか」
「え?」
「嫌、かな」
「い、嫌じゃないです!」
ああもう、なんか調子狂うな。いつもなら他人に対してボロクソに言ってやるのに、この人を前にするとなにも言えなくなる。
脱衣所で服を脱ぐと、あたしは鏡の前でじっと自分の身体をみつめていた。
なんて貧相な身体なんだろう。こんなんじゃお兄ちゃんは興奮しない。
「コンコン。愛莉ちゃん、失礼します」
ドアをノックしながらコンコンって言う人なんているんだ。
ぶりっこ。
でも、藍子さんだとそれも嫌じゃないから不思議。
「きゃっ。ごめんね、先に入ってていいからね」
きゃっ、はこっちのセリフでしょう。どうしてそっちが言うんだよ。
「……はは、いいですよ。ゆっくりきてください」
湯船に身体を沈めると、お湯の温度が少し熱いくらいできもちよかった。
このままじゃだめだ。愛莉でもあるまいし、こんなのはあたしじゃない。こんな、借りてきた猫みたいに猫被ったあたしは気持ち悪いだけ。
「愛莉ちゃん、お邪魔します」
やっぱり胸デカいな。こんな魅惑のボディでお兄ちゃんに迫ったら絶対にだめ。お兄ちゃんはあたしが守るんだ。
「わ、あったかい」
「藍子さん」
「はい」
「お兄ちゃんとはもうしたんですか?」
「え、したってなにを?」
「とぼけないでください。だって藍子さん、彼氏と離れ離れで淋しいでしょ?」
「うーん……淋しいけど、だからってお兄さんとはなにもしないよ?」
「絶対に間違いは起こらないって、どうして言い切れるんですか?」
あたしは藍子さんの目をじっとみつめていた。
「だって、私は彼氏のことが好きだから」
一瞬でも下心を誤魔化そうとしたりしたらボロクソに言ってやろうと思ってたのに、藍子さんははっきりと言い切った。あたしはそんな言葉が聞きたかったわけじゃないのに、どうして一点の曇りもないの?
二人きりなんだからとっとと本性だしなさいよ。本当はお兄ちゃんとし放題なんじゃないの?
毎晩お兄ちゃんで彼氏に会えない淋しさを埋めてるんじゃないの?
本当はもうお兄ちゃんのことが好きなんじゃないの?
ねぇ。
ねぇってば。
そうでなければおかしいよ。そうでなければあたしが困る。そんな、まるで聖人君子みたいな真っ白な人間なんてこの世にいるわけがないんだよ。
「き、気持ち悪い!」
「え?」
「そんな心の清らかな人、いるわけがない! あ、藍子さんがそう思ってたとしても、お兄ちゃんはそんなふうに思ってないかもしれないのに! 男女が同じひとつ屋根の下に何日もいてなにもないなんてありえない! キスくらいはしてるはず!」
藍子さんは反論することなくあたしの話を黙って聞くと、あたしの言葉をよく噛んで、じっくりと考え始めた。
「……そう、だね。そう思われても仕方ないと思う。私が愛莉ちゃんだったら見ず知らずの女なんて警戒すると思うし、お互いに恋人がいると知った上で深い関係になる人は沢山いるもんね。でもね、私はそういう人ではないし、橋本くんだってちゃんとした人だよ。それは愛莉ちゃんが一番わかってるんじゃないかな。わかってるからこそ、私を警戒してるんだ。私に大切なお兄さんが穢されないように。愛莉ちゃんは、最初からそのつもりで家にきたんだよね」
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