歌声は恋を隠せない

三島 至

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番外編

掌中の珠・オーキッド

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 オーキッドとリナリアは、互いに体を離すと、改めて話を再開する。
 リナリアの問いに対して、オーキッドは答えかけて、やめた。

「実は……いや、う~ん、まずは本人に言おうかな……」

「本人……ということは……?」

 それだけで察したようで、リナリアは口を閉じると、そのまま口角を上げた。最近よく見る顔だ。ニヤリ、と面白そうに、オーキッドを見上げてくる。
 口に出さずとも、リナリアが何を思っているか、その表情で分かった。

「リナリアさん……ボーダイスの所に行くのやめたら……?」

「え、何でですか」

「いや、何か……意地悪な笑い方をするようになったよ、ほんと」

「心外ですねえ~」

「あ、ほら、その喋り方は明らかに真似しているでしょ」

 ふふふ、とリナリアは笑い出す。軽い掛け合いが、オーキッドは楽しかった。それに今は、少し緊張していた。本人に会いに行く前に、リナリアと話せて良かったと思った。幾分、冷静に話すことが出来そうだ。

「さて、俺は今から、頑張ってくるよ。応援していてね、リナリアさん」

「今からですか? お父さんが帰って来てからじゃ駄目ですか?」

「いやいや、何で兄さんを待つの。可笑しいでしょ」

「でも、お昼一緒に、約束しているんです。ビオラさんと四人で、どうですか?」

 ふむ、とオーキッドは顎に手を当て、暫し考えた。
 これから行う事が、成功するとは限らない。不安はある。確かに、失敗した後に食事は辛い。気まずくて、席につけないかもしれない。
 なら、後でも……とオーキッドは言いかけたが、思い留まった。その流れでは、食事の席で言う流れになりかねない、と。リナリアの目を見る。期待に満ちた眼差しだ。これは絶対に、狙っているに違いない。俺にはわかるぞ、と、オーキッドは思う。そして、最初の案を採用することにした。

「やっぱり、今すぐ行って――」

 玄関の方から、お帰りなさいませー! と、元気な声が聞こえてきて、最後まで言えなかった。オーキッドも帰って来たばかりなので、場所は近い。あの声はデイジーだろう。時間からして、恐らく相手はグラジオラスだ。
 しまった、遅かった。

「お父さん、帰ってきたみたいですね」

 リナリアは、たくらみが成功した時の顔で、上機嫌だ。

「リナリアさん、何時に約束だったの……」

「あと十分くらいですかね?」

「……そりゃ、兄さんが、愛娘との約束に遅れるわけがないよ……」

 それよりも、どうせ同じくらいの時間に帰ってくるのなら、思わせぶりな事をしないで、一緒に帰宅すれば良かったのに、と若干腑に落ちない気持ちになった。

 仕方がないか。オーキッドは軽く息を吐いた。食事が先になりそうだ。その後は、何とか逃げるしかない。

「リナリアさんは、兄さんを迎えてあげなよ。俺はビオラを探してくる」

「お願いします」

 リナリアとオーキッドは、反対方向に歩き出した。
 まずは、ビオラの部屋を訪ねる。広い屋敷では、各部屋に向かうにも、少し歩かねばならない。階段を幾つか上って、廊下の角を何度か曲がった。部屋の前に着き、ノックする。返事は無かった。声を掛けたが、こちらも無反応だった。
 部屋にはいないらしい。

 この時間、ビオラは何処にいるだろう。オーキッドは屋敷内を歩きながら、ビオラがいそうな場所を考えた。
 思い出してみれば、ビオラはいつも、オーキッドのいる場所を探して、一緒に過ごそうとしていたので、彼女自身が、自室以外でどこを好むのかはよく分かっていなかった。

 思いつかなかったオーキッドは、結局彼がよく行く庭に向かう事にする。オーキッドが居る頻度が多かったという事は、それだけビオラが居ることも多かったのだから。





 屋敷を囲むように広がっている、広大な庭へ出る。正面側ではなく、屋敷裏側の庭が、オーキッドが好んだ場所だ。
 温室のような、ガラス張りの透明な部屋も、この庭から見る事が出来る。迷路のように高い生垣を進み、開けたところに、花壇が並んでいた。
 花の庭と言うにふさわしい。
 美しい季節の花々が咲き乱れている。固められた道と、所々にある椅子以外は、一面花だ。

 花に埋もれるように、紫紺の髪が揺れていた。
 波打つ深い色の髪は、遠目からだと、紫の花が、花びらを散らせたようにも見えた。
 しゃがんでいた体が、ゆっくりと立ち上がる。花の庭に突然現れたようにも感じるその姿を見て、まるで妖精のようだと、陳腐な口説き文句が頭に浮かぶくらいには、彼女は絵になった。

 立ち止まって、一挙一動を見ていたが、彼女を探すのに少し時間を取ってしまった事を思い出し、オーキッドは足を踏み出した。
 近づくにつれて、彼女の表情が鮮明に見えるようになる。
 靴裏が土をこする音に気が付いたのか、彼女がオーキッドの方へ顔を向けた。オーキッドは今、世界が変わったような心持ちで、ビオラに会いに来ている。今度こそ、彼女との距離を取り払ってしまうのだと、そう思って、笑顔を浮かべようとした。


「……何で泣いているんだ、ビオラ……」

 オーキッドは、呆然として、呟く。
 笑顔は失敗してしまった。

 彼女が泣いている。
 理由が思い浮かばなかった。

 十五歳の時、雨に濡れながら泣いていたビオラは、あれ以降、涙を見せなかった。オーキッドの前では、いつも笑顔でいた。だから今日も、笑って出迎えてくれるものだと思っていたのだ。

「キッド兄様……」

 オーキッドの名前を呼んだ瞬間、ビオラの両目にまた膜が張った。それが雫となって流れ落ちるのに、瞬きを必要としなかった。ぼろぼろと、際限なく、溢れている。目を真っ赤に染めて、眉を嘆きの形に下げていた。

 ビオラの泣き顔を、何度も見た事があるわけではない。彼女が人前で涙を見せるのは、きっと、本当に辛くて、耐えられない時だ。
 帰ってきたばかりで、心当たりが無いオーキッドは、ただ立ち尽くしてした。
 ビオラが、雫を降らせながら、オーキッドのもとへ歩いてくる。段々駆け足になりながら、助走をつけるようにして、目の前まで来ると、地面を蹴った。オーキッドの体に、重みが巻きつく。

 ビオラは言葉にならない声を上げて、泣き続けた。オーキッドの方は、驚いて声も出ない。泣き喚くほど、悲しい事があったのか。考えるばかりで、動けない。オーキッドは動揺していた。

「私の事は……! まだ、抱きしめて下さらないのね……!」

 ビオラは叫んだ。オーキッドの両腕は、地面に向けて下げられたままだ。

「リナリアの事は抱きしめるのに……! 私がずっとずっと、ずっと抱きしめて欲しかったのに……! どんなに待っていたって、私の事は、決して……!」

 体に回された腕に、さらに力がこもる。催促をするように。
 オーキッドは目を見開いた。
 視界に入った事で、無意識に腕を上げていた事に気が付く。
 ゆっくりと、彼女の背中に、腕が近づく。

「私が結婚する事は……もう無いわ。だって二十八になるのよ? 嫁ぎ遅れよ、貰い手がありませんわ。兄様のせいよ……私を、選んでくれない事じゃないの。兄様を、こんなに好きにさせてしまった事よ。キッド兄様が、素敵で、優しくて、ずっと一緒にいたいと、思わせてしまうからいけないのよ……!」

「……ビオラ」

「ごめんなさい……私のせいで、結婚させてあげられなくて……私の負けです、もう、待たなくていいですから……キッド兄様の事、諦め……ます、から……」

「ビオラ」

「だから、お願いだから、最後に、私を抱きしめてください……」





 オーキッドは、生まれながらの貴族では無い。
 彼は、ビオラに触れる事を、到底許されないような気がしていた。

 それでも、望まないではいられない。
 こうして、彼女を抱きしめられる日を。


 今度は、意志を持って、ビオラの背に触れる。
 力を入れては駄目だと、優しく、細い腰を抱く。

 感極まって、壊してしまいそうだ。






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