87 / 91
(子供たちのお話)番外編・神様の国へはまだ行けない
いつか会える人
しおりを挟む草木の庭で歌うカトレアを見た時、グラジオラスは昔に戻っていた。
カトレアの、ふっくらとした血色の良い肌も、上等な衣服も、驚いた表情も、何もかも、あの時とは違うのに、ぴたりと重なって見えて、目が離せないのだ。周りの景色すら白く霞んで、何も頭に入ってこない。
呼びかけに振り返った姿は、あの日、夜会の庭で出会った小さなアザレアと、生き写しだったから。
いつの間に、こんなに似てきたのだろう。毎日過ごしている中では気付かなかった。
出会った頃のアザレアより、今のカトレアは幼い。だが、昔のアザレアは酷く痩せていたから、健康に育ったカトレアと、ちょうど今、重なって見えたのかもしれない。
無感情の瞳では無い。
頬も、叩かれてはいないし、赤く腫れてもいない。
歳の割にやせ過ぎでも無い。
格好も薄汚れてはいない。
だけど確かに彼女の血を引いた子供だ。
リナリアに初めて会った時、せめてアザレアに似てくれれば、と思った事もあった。そうすれば、またアザレアに会えたのに、と。
だけどすぐに気にならなくなった。
リナリアとアザレアは、歌で繋がっていたから。歌を通して、夢を通じて、愛しい人に会う事が出来たから。
子供たちがどんな外見でも良かった。
アザレアの、リナリアの子供というだけで、何よりも愛しかった。
でも、アザレアと瓜二つの少女を見て、泣きたいほど愛おしく思うのは、理屈ではどうしようも無いのだ。
アザレアも最期は幸せだった。不幸に染まったバントアンバーの娘はもう居ない。そしてカトレアも、暴力に怯える辛い幼少期を過ごしたり、若くして命を落としたりする事も無い。
何より今は、家族が側で支えてやれる。
これからの成長を見届けられる事が、カトレアが生きてここにいてくれる事が、何物にも代えがたいグラジオラスの幸福だった。
※
込み上げる万感の思いに、打ち震えている祖父の傍ら、幼い兄妹の相談は続いた。
「……サイネはしっているの?」
カトレアは沈んだ声で尋ねる。サイネリアは、何の事? というように、首を捻った。
「わたし、もらわれっこなんだって。……本当は、うちの子じゃないのよ」
「えっ」
先の会話で言いかけていた事からも、彼女の告白は意外では無かった。だがサイネリアは思わず声を上げてしまう。
陰で酷い悪口を言う奴らがいるから煩わしい、というだけの話かと思えば、彼女は自分の出自を疑うほど、深刻に思いつめているらしい。
サイネリアは返す言葉を真摯に探す。
後ろで兄妹の語り合いを見守っていたグラジオラスも、これにはさすがに口を出した。
「……誰だ、“うちの子”にそんな根も葉もない話を吹き込んだのは」
低く地の底から響くような祖父の声に、元々苦手意識を持っていたサイネリアは、ぴゃっ、と縮み上がった。
カトレアも、目の前で怒った祖父など見た事が無かったので、急に放たれた怒気に目を丸くした。自分が怒鳴られたみたいに、ぶるぶると震えて萎縮してしまう。そして耐えられないとばかりに、サイネリアの背中に隠れるようにして抱きついた。
怒りを露わにする祖父を前に、二人で仲良く抱き合って怯える孫たちである。
「誰に何を言われたかは知らないが」
肺の息を全部吐き出し、グラジオラスはどこかの無作法者への怒りを落ち着かせる。
孫たちの側にしゃがみこむと、先ほどとは打って変わって甘い声で、カトレアに言い聞かせ始めた。
「カトレア。誰かに似ている必要なんて無いんだよ。君は、他の誰かでは無い。たった一人のカトレアなのだから」
アザレアと容姿が似ていようとも、二人は別の人間なのだ。
グラジオラスの喜びと、カトレア自身の価値を認める事は、全く別の問題である。
「歌だって、好きならそれで良い。リナリアと同じように歌えなくても良い。私はカトレアの歌を、愛しく思う」
カトレアはまだ多少、おどおどとしていたが、震えを引っ込めて、祖父の話に聴き入った。
「悲観するな、人生は長い。私はこの歳まで、何度も大切なものに出会えた。カトレアは私よりもずっと若いのだから、もっとたくさんの出会いがある。好きな事、好きな人、楽しい事、嬉しい事、何でも見付けなさい。そして出来れば、その手助けを私にさせてほしい。私に言いづらければ、サイネでも良い。両親でも、オーキッドでも、ビオラでも良い……それに、」
一度言葉を切ったグラジオラスは、まだ少し赤くなっているカトレアの瞳を、眩しそうに見つめた。
「……それに、カトレア。誰かに似ている必要は無いとは言ったが……そもそも、君の心配事は杞憂というものだ。カトレアは、アザレアによく似ている。出会った頃の彼女と、生き写しだ」
「アザレア……?」さっきも耳にした名前だと、サイネリアが聞き返す。グラジオラスは、「名前までは聞いた事が無かったか? リナリアの母親……サイネやカトレアの、祖母にあたる」と言って頷いた。
「そして、出会ってから今までもずっと、アザレアは私の大切な人だ」
どこまでも優しいグラジオラスの声音に、少し息を止めたカトレアは、祖父の言葉の意味をよく考えた。
「生き写しってなに?」「そっくりという事だよ」といった会話ののち、カトレアはグラジオラスの言いたい事を理解する。そうすると、色んな疑問がわいてきた。
「『お母さんのお母さんは、神様の国にいる』って、前に聞いたの。わたし、アザレアおばあさまとそっくりなの? でも、神様の国って、遠いところなんでしょう? じゃあ、会えないの?」
神様の国。
それは、死んだ人が行く所だと、カトレアは絵本で読んだ。
死ぬとは、どういう事だろうと、尋ねた覚えがある。
永い眠りにつく事。
生きているうちは、もう会えないという事。
親しい人を亡くした事が無いカトレアには、まだよく分からなかった。
「待ち合わせをしているんだ」
グラジオラスは、まだ、その場所へは行けない。
「アザレアは、先に神様の国へ行って、私を待っている。私もいつか彼女に会いに行くから、そうしたら、ずっと一緒だ」
サイネリアとカトレアは、真剣な眼差しで、祖父の話に耳を傾けている。
「……カトレアたちが、アザレアに会えるのは、もっと、もっと先になるかな。大人になって、さらに長い時間を過ごして、ああ楽しかったな、と最期の眠りにつく頃まで」
話の締めくくりに、グラジオラスは、二人の頭を順番に撫でた。
カトレアがまた、泣き出す直前みたいな顔をする。グラジオラスが心配に慌てる間も無く、カトレアは正面から突進し、重い打撃を祖父の腹に食らわせた。
もちろん彼女に悪気は無い。
ついで、背中にも重みがぶつかる。サイネリアも祖父の背中に勢いよくしがみついていた。
グラジオラスが二人分の痛みに呻きそうになっていると、カトレアが、「だめ!」と叫んだ。
「神様の国は、遠いんだから。おじいさまは、まだ行っちゃだめ。わたしも会いに行けるようになるまで、行っちゃだめだからね」
背中でサイネリアも、うんうん、と無言で頷いている。
「…………」
今日はよく笑う日だった。
「……ふ、」
腹と背中が少し痛かったが、どうという事も無い。
「はははっ、そうか、ふふ」
さすがに、そこまで長生きは出来ないなあ……
そう思ったけれど、カトレアの言葉が嬉しかったので、グラジオラスは言わなかった。
そして、久しぶりに腹から笑い声を上げて、可愛い孫たちを、心ゆくまで撫でまわしたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】
私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。
その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。
ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない
自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。
そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが――
※ 他サイトでも投稿中
途中まで鬱展開続きます(注意)
裏切ったのはあなたですよね?─湖に沈められ記憶を失った私は、大公女として返り咲き幸せを掴みます
nanahi
恋愛
婚約者ウィルとその幼馴染ベティに罠にはめられ、湖へ沈められた伯爵令嬢アミアン。一命を取り留め、公女として生まれ変わった彼女が見たのは、裏切り者の幸せな家庭だった。
アミアンは絶望を乗り越え、第二の人生を歩む決意をする。いまだ国に影響力を持つ先の王弟の大公女として、輝くほど磨き上げられていったアミアンに再会したウィルは激しく後悔するが、今更遅かった。
全ての記憶を取り戻したアミアンは、ついに二人の悪事を断罪する。
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
「帰ったら、結婚しよう」と言った幼馴染みの勇者は、私ではなく王女と結婚するようです
しーしび
恋愛
「結婚しよう」
アリーチェにそう約束したアリーチェの幼馴染みで勇者のルッツ。
しかし、彼は旅の途中、激しい戦闘の中でアリーチェの記憶を失ってしまう。
それでも、アリーチェはルッツに会いたくて魔王討伐を果たした彼の帰還を祝う席に忍び込むも、そこでは彼と王女の婚約が発表されていた・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる