歌声は恋を隠せない

三島 至

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アザレアの夢

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 自分の手を、誰かが握っている感触があった。
 ゆっくり瞼を上げると、寝台に男性が浅く腰掛け、自分を見ている。
 瞬時に、夢だと理解した。
 ここに居るはずのない人だったから。
 男性は見たことのない穏やかな表情で、優しく頭を撫でてくる。
 あの人は、こんなことをしない。
 これは自分の願望が見せる、ただの夢だ。
 分かっていても、心は幸福につつまれる。
 男性は目を合わせ、低く落ち着いた声で、望んだ言葉を告げた。

「会いたかった。アザレア」

 夢でも、もう彼は会いに来てくれないと思っていた。
 安らかに死ねるとしたら、今がいい。
 ああ……幸せだ。






 病院に運ばれた母は、何日も眠り続けた。
 意識は一度も戻らず、毎日見舞うリナリアは憔悴していく。
 カーネリアンと神仕えも、時間に都合をつけて病院に来て、リナリアを励ました。
 高度な医学が発達しているわけではなく、リナリアも母の体がどのような状態なのか分からなかった。
 ただ、医者には、もう目を覚まさないかもしれないと言われた。
 何も考えられなかった。

 段々と痩せていく母を見ていて、ある時、リナリアは思った。
 これは罰なのではないか。
 自分の過去の行いのせいで、母は目覚めないのではないか。
 反省したところで、神様の怒りはおさまらない。
 自分は、たった一人の家族を取り上げられるほど、悪いことをしたのだろうか?






 神仕えが病室を訪れた時、リナリアは静かに泣いていた。
 虚ろな瞳で、母を見つめる姿は悲愴としか言えない。
 めったに泣かないリナリアが、全てに絶望したように流す涙は、見る者に彼女が限界である事を知らしめた。

 神仕えは、リナリアの側へ寄ると、彼女の肩にそっと手を置いた。

「リナリア……」

 リナリアは神仕えの声聞くと、弱々しく首を振る。
 彼女の心は、弱い。
 自分を守ることすら出来ない。

「今、何を考えていますか?」






(……何を?)

 自分が居なければ良かったのだと、自身を追い詰めていたのだ。
 無意識に神仕えの袖を掴む。

(私が悪いんです。神仕えさま、どうすれば私は、神様に許されますか?)

 口を開いても、言葉は出てこない。
 罪の証のように。

 神様に許されたい。
 言葉を取り戻したい。
 言葉を尽くして、これまでの謝罪と、感謝を伝えたい。
 もし、許される時がきたら、カーネリアンに、好きだと言いたい。
 カーネリアンが、どれだけ心の支えだったか、救われてきたか、何度言葉にしても足りない。

 悲しみと、恋情と、様々な思いが込み上げてきて、解放されずに喉元に留まる。
 破裂しそうなほど痛い。
 押さえきれなかったものが、両目からボロボロと零れる。

 気持ちを声に出して、楽になりたいのに。

(私には、その資格もないの……)

 慟哭した。
 声は聞こえない。

「リナリア……自分を責めることはないのですよ」

 優しい言葉に、涙がいっこうに止まらず、両手で顔を覆った。
 神仕えは布を取りだし、控えめに顔に近づけてくる。
 神仕えは、布に涙が染みていくのを見ながら、俄には信じられない事を言った。

「呪いと祝福は別物です。話せなくても、貴女の加護は失われていません。呪いは言葉を封じましたが、貴女の神様は、歌声を守って下さいました」

(加護は、失われていない……?)

 意味が分からず、徐に神仕えの顔を見た。
 涙で滲む視界に、慈しむ微笑が映る。

「歌ってごらん、リナリア」

 深くは考えなかった。
 病室は静かにしなければ、だとか、声が出るはずがないとか、一瞬思考を過るが、ほんの小さな期待にかき消される。
 半信半疑のまま、自分の鼓動ばかりが大きく聞こえた。

 リナリアは、そっと息を吸い込んだ。






 澄みきった美しい声が、病室に響き渡る。

 控え目だったそれは、やがて歓喜をまとい、大きくなっていく。
 久しく歌っていなかったが、天使の歌声は健在だった。






 現金なものだと、リナリアは自嘲した。
 加護なんて役に立たないと、どうせなら母を治してくれと、神様を軽んじていた癖に。

 歌った瞬間、こんなにも、神様に感謝している。

(私を見放した訳じゃなかった……)

 神様は、他の神様の呪いを跳ね返すことは無かったが、リナリアの歌声だけは守ってくれた。
 それは、神様に最も愛された歌声だ。

(お母さん……聞いて、ずっと声が出なかったけど、私歌えるのよ)

 母に聞かせるように歌った。

(目を開けて、一緒に喜んでよ……)

(前みたいに、とても上手ね、って誉めて)

(リナリアの歌、大好きよ、って……)
   

 声は、嗚咽混じりになった。
 長い時間歌ったが、リナリアの願いが叶うことは無かった。
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