婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
「急げ! 公爵閣下が現場へ向かわれるぞ!」

ガレリア公爵領、北の森。
吹雪が吹き荒れる中、アレクセイ率いる精鋭騎士団が馬を走らせていた。
報告によれば、出現した「ホワイトベア」は体長五メートルを超える巨獣。
凶暴かつ強靭な毛皮を持ち、通常の剣では傷一つつけられない厄介な相手だ。

「閣下! 先行したミーナ様は無事でしょうか!?」

側近の騎士が叫ぶ。
アレクセイは険しい表情で手綱を握り締めた。

「分からん。だが、彼女は文官だ。戦闘訓練など受けていないはず……!」

彼の脳裏に、先ほどパンを咥えて飛び出していったミーナの後ろ姿が浮かぶ。
合理的で、計算高くて、けれどどこか抜けている愛しい女性。
もし彼女に万が一のことがあれば……。

「……許さんぞ、魔獣風情が」

アレクセイの瞳が青く燃え上がった。
冷徹公爵の本気。
その身体から、周囲の空気を凍らせるほどの魔力が溢れ出す。

「行くぞ! 総員抜刀! 彼女を救うのだ!」

「「「おおおおお!!」」」

騎士団が雄叫びを上げ、森の開けた場所へと突入した。

そこは、ホワイトベアの目撃地点だった。
巨大な白い影がいるはずだ。
血に飢えた魔獣が、か弱い令嬢を襲っているはずだ。

しかし。
彼らが目にした光景は、予想とは「若干」異なっていた。

「……え?」

先頭を走っていた騎士が、素っ頓狂な声を上げて馬を止めた。
後続の騎士たちも、次々と急停止する。

そこには、確かにホワイトベアがいた。
五メートル級の、山のような巨体だ。
だが、その魔獣は――。

『グルルル……!?』

ガチガチガチガチ!
全身を激しく震わせ、涙目でうずくまっていた。
その周囲を取り囲むように、地面に何本もの奇妙な杭が打ち込まれている。
そして、その杭からはバチバチと青白い電流のような光が放たれ、魔獣を檻のように閉じ込めていた。

「な、なんだあれは?」

「結界……? いや、電撃か?」

呆然とする騎士たちの前で、その「檻」の前に立つ人影が動いた。
厚手のメイド服の上に、防寒用のケープを羽織った小柄な少女。
ミーナ・フォン・ローゼンだ。

彼女は片手に四角いリモコンのような魔道具を持ち、もう片手にメガホンを持っていた。

「あー、テステス。……対象、活動係数低下。筋弛緩を確認」

冷静な声が響く。
彼女はホワイトベアに向かって、淡々と告げた。

「いいですか、クマさん。暴れると肉質が硬くなるので安静にしていてください。あなたの毛皮は、我が屋敷の快適な冬のために必要なのです」

『ガウッ……!?』

魔獣が抵抗しようと前足を上げた瞬間。
ミーナが無慈悲にリモコンのボタンを押した。

バチチチチッ!!

『ギャウン!!』

杭から強力な麻痺電流が流れ、ホワイトベアが白目を剥いて痙攣した。

「よし。麻酔完了。解体作業に移ります」

ミーナは懐から、手術用メスのような鋭利な魔道カッターを取り出した。
その目は、完全に「仕事」をする職人の目だ。
殺意などない。
あるのは「効率的な素材回収」への執念のみ。

「……ミーナ?」

恐る恐る、アレクセイが声をかけた。

「あ、閣下! 遅かったですね」

ミーナが振り返り、パッと笑顔になった。
血生臭い現場に似合わない、爽やかな笑顔だ。

「見てください! 極上の個体です! この毛並みの密度、断熱性能は最高ランクですよ! これなら屋敷の壁だけでなく、床暖房の下地にも使えます!」

「い、いや、それはいいのだが……。君、無事なのか?」

「はい? 無傷ですが」

「その……どうやってあの化け物を制圧したんだ? 剣も魔法も使わずに」

「ああ、これですか?」

彼女は地面の杭を指差した。

「自作の『対害獣用・自動捕獲結界(スタン・トラップ)』です。本来は実家の畑を荒らす猪用に開発したんですが、出力を最大にしたらクマもいけるかなと思いまして」

「……猪用?」

「はい。あ、でも電圧を上げすぎて少し焦げ臭いですね。毛皮の価値が下がるので、次は調整しないと」

アレクセイは絶句した。
騎士団長を務める彼ですら、このサイズのホワイトベアを無傷で捕獲するには、一個小隊の戦力と数時間の戦闘を覚悟する。
それを、彼女は到着から数十分で、しかも単独でやってのけたのだ。

「……化け物か」

誰かがポツリと呟いた。
それが魔獣のことなのか、彼女のことなのかは、あえて誰も聞かなかった。

「さて、閣下。騎士の皆様も手伝ってください。このクマ、重いので運べません」

ミーナが手招きをする。

「解体は屋敷の庭でやります。鮮度が落ちないうちに血抜きをしたいので、急ぎましょう。あ、内臓は肝臓だけ残して廃棄で。胆嚢は薬になるので売ります」

テキパキと指示を出す彼女に、歴戦の騎士たちが「は、はいっ!」と直立不動で返事をした。
彼らは悟ったのだ。
この新しい「女主人」には、絶対に逆らってはいけないと。

     * * *

数時間後。
公爵邸の中庭は、臨時の解体工場と化していた。

「そこの皮、破らないでくださいね! 価値が下がります!」
「肉は三枚におろして! 今夜のシチューにしますから!」
「骨は砕いて肥料に! 無駄な部位はありません!」

ミーナの指揮の下、騎士たちが剣を包丁に持ち替えて作業に励んでいる。
本来ならプライドの高い彼らが、文句ひとつ言わずに従っているのは、解体後のシチューの香りに胃袋を掴まれかけているからか、それとも単に彼女が怖いからか。

テラスからその様子を眺めていたアレクセイの隣に、騎士団長補佐の男が立った。

「……閣下。素晴らしい逸材をスカウトなさいましたな」

「……ああ。全くだ」

アレクセイは遠い目をした。

「彼女、騎士団内では既に『白い悪魔』と呼ばれております」

「やめろ。本人が聞いたら『白衣の天使(衛生管理者)です』と訂正してくるぞ」

「しかし、あの手際……。軍事顧問としても十分通用します。あのスタン・トラップ、対人用に応用すれば国境防衛が格段に楽になりますぞ」

「……ミーナに相談してみるか。ただし、報酬として何を要求されるか分からんがな」

アレクセイは苦笑しつつ、中庭で奮闘する小さな背中を見つめた。
彼女が来てからまだ一日。
だというのに、灰色のようだったこの屋敷が、急速に色付き始めている。
騒がしくて、温かくて、そして少し恐ろしい色に。

その時、ミーナがふと顔を上げ、こちらに気づいて手を振った。

「閣下ー! 良い毛皮が取れました! これで閣下の寝室用の毛布を作りますね! ふかふかですよ!」

「……!」

寝室用の毛布。
その単語に、アレクセイの心臓が大きく跳ねた。
彼女の手作り。
しかも、自分のために。

「……楽しみにしている」

彼が声を張り上げると、ミーナは嬉しそうにニカッと笑い、また作業に戻っていった。

(……可愛い)

アレクセイは手で顔を覆った。
あんなに残酷な解体ショーを繰り広げているのに、なぜこうも愛おしいのか。
彼の「冷徹」の仮面は、もはや崩壊寸前だった。



その夜。
夕食の席には、ホワイトベアの肉を使った特製クリームシチューが並んだ。

「いただきます」

アレクセイがスプーンで一口すする。
濃厚なミルクの味わいと、ホロホロに煮込まれた魔獣の肉。
臭みは全くなく、噛むほどに旨味が溢れ出す。

「……美味い」

「でしょう? 血抜きの速度が勝負でしたから」

向かいの席で、ミーナが得意げに胸を張る。
彼女の皿は大盛りだ。
「労働の後のタンパク質は筋肉になりますから」と言い訳しながら、ものすごい勢いで食べている。

「ミーナ」

「はい、もぐもぐ」

「君は、この領地での生活はどうだ? 不便はないか?」

アレクセイが尋ねると、彼女はスプーンを止めて首を傾げた。

「不便? いいえ、最高です」

「そうか?」

「はい。素材は豊富ですし、皆様働き者ですし。何より……」

彼女は少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐにアレクセイを見つめた。

「閣下が、私の提案を否定せずに聞いてくださいますから」

「……」

「前の国では、何を言っても『可愛げがない』『女が口を出すな』と言われましたから。……ここは、私の能力(スキル)が息をできる場所です」

彼女の言葉に、アレクセイの胸が熱くなった。
彼女が必要としているのは、愛の言葉や宝石ではない。
「自分を認めてくれる場所」なのだ。

なら、いくらでも与えよう。
この領地の全てを、彼女のキャンバスにしてやればいい。

「……ずっと、ここにいるといい」

アレクセイはポツリと言った。

「君の好きにしていい。この屋敷も、領地も……私のことも」

「はい? 閣下のことも?」

「ああ。君の『効率化』のために必要なら、私を使え。君の最大の理解者(スポンサー)としてな」

それは、不器用な彼なりのプロポーズに近い言葉だった。
しかし。

「ありがとうございます! では早速ですが、閣下の魔力を使って実験したい装置がありまして!」

「……今は食事中だ」

「食後ならいいですか? 人体の魔力伝導率を測定したいんです。ちょっとビリッとするかもしれませんが」

「……お手柔らかに頼む」

ロマンチックな雰囲気は一瞬で霧散したが、アレクセイは満足だった。
彼女が楽しそうなら、多少の感電くらい安いものだ。

こうして、北の公爵邸の夜は更けていく。
外は猛吹雪だが、屋敷の中は――ミーナの発明した暖房と、温かいシチューと、ほんの少しの恋心で、春のように満たされていた。

……なお、翌日。
ホワイトベアの毛皮で作られた毛布が、なぜかアレクセイのベッドだけでなく、セバスチャンやアンナたち使用人全員分も量産されており、「閣下とお揃いです!」と喜ばれたため、アレクセイが微妙な顔をしたのは余談である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

俺の妻になれと言われたので秒でお断りしてみた

ましろ
恋愛
「俺の妻になれ」 「嫌ですけど」 何かしら、今の台詞は。 思わず脊髄反射的にお断りしてしまいました。 ちなみに『俺』とは皇太子殿下で私は伯爵令嬢。立派に不敬罪なのかもしれません。 ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻R-15は保険です。

花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果

藍田ひびき
恋愛
「アンジェリカ、君を愛することはできない」 結婚式の後、侯爵家の騎士のレナード・フォーブズは妻へそう告げた。彼は主君の娘、キャロライン・リンスコット侯爵令嬢を愛していたのだ。 アンジェリカの言葉には耳を貸さず、キャロラインへの『真実の愛』を貫こうとするレナードだったが――。 ※ 他サイトにも投稿しています。

氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!

柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」 『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。 セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。 しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。 だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

わたしはくじ引きで選ばれたにすぎない婚約者だったらしい

よーこ
恋愛
特に美しくもなく、賢くもなく、家柄はそこそこでしかない伯爵令嬢リリアーナは、婚約後六年経ったある日、婚約者である大好きな第二王子に自分が未来の王子妃として選ばれた理由を尋ねてみた。 王子の答えはこうだった。 「くじで引いた紙にリリアーナの名前が書かれていたから」 え、わたし、そんな取るに足らない存在でしかなかったの?! 思い出してみれば、今まで王子に「好きだ」みたいなことを言われたことがない。 ショックを受けたリリアーナは……。

わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~

絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法

本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。  ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。  ……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?  やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。  しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。  そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。    自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。

処理中です...