婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

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「ミーナ。支度をしろ。街へ降りるぞ」

朝食後、執務室でアレクセイ閣下が唐突に告げた。
その表情は硬く、何かを決意したような真剣な眼差しだ。

私は持っていたペンを走らせながら(屋敷の光熱費試算表を作成中)、顔を上げた。

「街、ですか? 承知しました。装備はどの程度必要でしょうか?」

「……装備?」

「はい。制圧任務ですか? それとも諜報活動? 昨日のホワイトベアのような大型種が出るなら、新型の『爆裂魔道地雷』を持っていきますが」

「……違う」

閣下は眉間を押さえてため息をついた。

「ただの視察だ。……いや、たまには息抜きも必要だろうと思ってな。城下町を案内する」

「息抜き……つまり、市場調査(マーケティング・リサーチ)ですね!」

私はペンを置いた。
なるほど、領主自ら経済の流れを視察するのは重要だ。
私の「業務改善」の対象が、屋敷の中から領地全体へと拡大したということだろう。

「喜んでお供します。手帳と計算機、あと護身用のスタンガンだけ持っていきますね」

「……まあ、武器以外なら好きにしろ」

こうして私は、ガレリアに来て初めて、城下町へと繰り出すことになった。

     * * *

ガレリアの首都、フロストグラード。
雪に覆われた美しい街並みは、まるで絵本の世界のようだ。
通りには露店が並び、寒さにも負けず人々が活気ある声を上げている。

「ほう……。人口密度に対して、商業エリアの配置が合理的ですね。ただ、除雪された雪の堆積場所が動線を阻害しているのが気になりますが」

私は馬車の窓から街を観察し、ブツブツと独り言を言った。
隣のアレクセイ閣下は、今日は軍服ではなく、シックな私服(コート)姿だ。
これがまた無駄に似合っていて、すれ違う女性たちが「キャッ♡」と色めき立っているのが分かる。

「ミーナ。あまり難しい顔をするな。今日は楽しめばいい」

「楽しんでいますよ? 見てください、あの屋根の勾配! 雪下ろしを不要にする角度計算、職人のこだわりを感じます!」

「……そうか。屋根で興奮できるなら何よりだ」

馬車が広場の一角で止まった。
閣下が私をエスコートして降ろしてくれる。
その手が自然と私の腰に回されたので、少し驚いた。

「足元が滑るからな」

「ありがとうございます。スパイク付きのブーツを履いているので平気ですが、お気遣い痛み入ります」

「……可愛げのないブーツだな」

私たちは並んで大通りを歩き始めた。
領民たちは閣下に気づくと、敬意を込めて道を譲る。
どうやら「冷徹公爵」は恐れられてはいるが、同時に信頼もされているようだ。

「ここだ」

閣下が足を止めたのは、街一番の高級宝石店の前だった。
ショーウィンドウには、目がくらむような宝石が並んでいる。

「あの、閣下? ここは?」

「……君に、何も贈っていなかったと思ってな」

彼はそっぽを向きながら言った。

「昨日のクマの肉だけでは、その……愛想がないだろう。好きなものを選べ」

「えっ! 経費で落ちますか!?」

「私のポケットマネーだ。遠慮はいらん」

太っ腹!
私は勇んで店内へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ、公爵閣下! お待ちしておりました!」

店主が揉み手をして現れる。
店内には、ダイヤモンド、ルビー、サファイアと、一級品がずらりと並んでいた。

「さあ、ミーナ様。どのようなデザインがお好みで? やはり指輪ですか? それともネックレス?」

店主がトレイに乗せた宝石を差し出す。
アレクセイ閣下も「一番高いやつを持ってこい」と成金のようなことを言っている。

私はトレイの上のダイヤモンドを手に取り、備え付けのルーペを借りて覗き込んだ。

「……ふむ」

「いかがです? 素晴らしい輝きでしょう? 『雪の精霊の涙』と呼ばれる最高級品で……」

「炭素配列が完璧ですね」

「は?」

「この透明度と硬度……。これなら、高出力レーザーの収束レンズとして使えますね! カッティングを少し変えれば、岩盤掘削用の魔道ドリルの先端にも転用可能です」

私が熱く語ると、店主の笑顔が凍りついた。

「あ、あの……お客様? こちらは装飾品でして……ドリル……?」

「こっちのルビーもいいですね。魔力伝導率が高そうです。粉砕してインクに混ぜれば、魔法陣の出力が三倍になりますよ!」

「ふ、粉砕!?」

店主が悲鳴を上げ、宝石を隠すような仕草をした。

「閣下! これら全部いただけますか? 実験室の機材強化に使いたいです!」

私が振り返ると、アレクセイ閣下は手で顔を覆って肩を震わせていた。

「……ミーナ。頼むから、宝石を『部品』として見るのはやめてくれ」

「えっ? ダメですか? 指輪にして指にはめるより、ドリルにして鉱山を掘った方が生産的ですよ?」

「……はあ。まあいい。店主、彼女が指差したもの全部と、あと普通に身につける用のネックレスを一つ包んでくれ」

「は、はいぃっ!」

結局、大量の宝石(素材)と、シンプルな青いネックレスを買ってもらった。
ネックレスはその場で閣下が着けてくれたのだが、留め具をいじっている時の彼の指が首筋に触れて、変な汗が出た。
心拍数が上がったのは、首が絞まるかと思ったからだろうか。

     * * *

店を出た私たちは、街外れの公園で休憩することにした。
ベンチに座り、屋台で買ったホットワインを飲む。
体の中から温まる感覚に、私はほっと息をついた。

「……悪くないな、こういうのも」

アレクセイ閣下が、湯気の向こうで呟く。

「そうですね。データの収集も捗りましたし」

「まだ仕事の話をするのか」

彼は苦笑したが、その表情は昨日よりもずっと柔らかかった。

「ミーナ。私は君に、少しでもガレリアを好きになってほしいと思っている」

「もう好きですよ?」

「……本当か?」

「はい。素材は豊富ですし、閣下の決断は早いですし、残業代も出ます。理想的な職場です」

「……職場として、か」

彼は少し残念そうにしたが、すぐに気を取り直したように言った。

「まあいい。これから時間をかけて、君の『計算外』の感情を引き出してみせるさ」

「計算外、ですか?」

「ああ。例えば……」

彼が顔を近づけてきた、その時だ。

『ギャアアアッ!!』

突然、公園の奥から悲鳴が上がった。
ロマンチックな空気(?)は一瞬で霧散する。

「何事だ!」

閣下が瞬時に立ち上がり、腰の剣に手をかけた。
私も即座に飲みかけのカップを置き、懐からスタンガンを取り出す。

「向こうです! 行きますよ!」

私たちは現場へと走った。
そこには、数人の子供たちが、雪の塊のようなものに囲まれていた。

「スノーゴーレムか!」

閣下が叫ぶ。
自然発生した雪の魔物だ。
低級モンスターだが、子供には危険だ。

「私がやる! ミーナは下がっていろ!」

閣下が抜刀し、飛び出そうとした。
しかし。

「待ってください、閣下。あれを見てください」

私は冷静に彼を止めた。

「何だと!? 子供が襲われているんだぞ!」

「いえ、よく見てください。襲われているのではありません」

私の指差す先。
スノーゴーレムたちは、子供たちを攻撃するどころか、不自然な動きで震えていた。
そして、その中心にいる一人の少年が、何かを叫んでいる。

「動けー! なんで動かないんだよー!」

「……?」

アレクセイ閣下が動きを止めた。
私はスタスタとゴーレムたちに近づき、その体をコンコンと叩いた。

「やっぱり。……魔力切れですね」

「え?」

少年が驚いて私を見上げた。

「君、これを召喚したの?」

「う、うん……。雪かきを手伝わせようと思って……父ちゃんの魔道書を真似したんだけど……」

「なるほど。術式は合っていますが、魔力供給のパスが細すぎます。これでは起動した瞬間にフリーズ(凍結)しますよ。文字通りね」

私は懐から、先ほど宝石店で買ったばかりのルビーを取り出した。
ためらいもなく、それをスタンガンの先端でガリッと削る。

「ちょっ、ミーナ!? それ一〇〇〇万ゴールドの……!」

背後で閣下の悲鳴が聞こえたが無視だ。
私はルビーの粉末をゴーレムの額に擦り込み、指先で修正術式を描いた。

「パスを最適化します。ついでに自律駆動プログラムをインストール。……はい、再起動(リブート)!」

バチン!
赤い光が走り、スノーゴーレムの目がカッと見開かれた。

『ゴゴゴ……了解。除雪任務ヲ開始シマス』

ゴーレムはいきなり敬礼すると、猛烈な勢いで公園の雪かきを始めた。
その動きは洗練されており、まるで熟練の清掃員のようだ。

「す、すげぇ!!」

子供たちが歓声を上げる。

「お姉ちゃん、魔法使い!?」

「いいえ、ただの通りすがりの技術顧問です」

私はニヤリと笑った。

「さあ、このゴーレムたちを使えば、街中の除雪が一時間で終わりますよ。君たち、オペレーションを任せます」

「うん! やるやるー!」

子供たちはゴーレムを引き連れて、歓声を上げながら散っていった。
後に残されたのは、呆然とするアレクセイ閣下と、削れたルビーの欠片だけ。

「……君は」

閣下が額に手を当てて、深い深いため息をついた。

「一〇〇〇万の宝石を、雪かきのために使い捨てるとはな……」

「費用対効果(コストパフォーマンス)は抜群でしたよ? 街の除雪予算を考えれば、黒字です」

私は胸を張った。
すると、閣下はおかしくてたまらないというように、声を上げて笑い出した。

「ははは! そうだな。君の言う通りだ」

彼は私の頭に大きな手を乗せ、ポンポンと撫でた。

「やはり君には、指輪よりも工具がお似合いだ。……だが、そのネックレスだけは大事にしてくれよ?」

「もちろんです。これ、魔除けのエンチャントがかかっていますからね。実用的で気に入りました」

「……そこじゃないんだがな」

彼は苦笑したが、その目はとても優しかった。
撫でられた頭が、なんだか温かい。
ホットワインのせいだけではない気がする。

「帰りましょう、閣下。夕食までに、あのルビーの残りで『全自動風呂沸かし機』を作りたいんです」

「……君の辞書に『余韻』という言葉はないのか」

私たちは並んで帰路についた。
私の胸元では、青い宝石が雪明かりを受けてキラリと輝いていた。
それは、彼がくれた初めての、そして(今のところ)唯一、分解されずに残ったプレゼントとなったのである。
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