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「……ミーナ。これは何だ?」
アレクセイ閣下の執務室。
その中央に、私は異様な物体を設置し終えたところだった。
「『魔道式・局所暖房卓』……通称『KOTATSU(コタツ)』です」
私は胸を張って答えた。
見た目は、ローテーブルに分厚い布団を掛け、その上に天板を乗せたものだ。
しかし、その中身は私の技術の結晶である。
「先日のホワイトベアの毛皮を裏地に使用し、熱源には宝石店で購入したルビーの粉末を練り込んだ『遠赤外線ヒーター』を搭載しました。これにより、足元から身体を芯まで温めることが可能です」
「……ほう」
閣下は怪訝そうな顔をしている。
無理もない。この世界にはコタツという概念がないのだから。
「暖炉だけでは、部屋全体を温めるのに燃料コストがかかりすぎます。しかし、このコタツなら、使用者がいる空間だけを効率的に加熱できる。まさに省エネの革命児です!」
「なるほど。理屈は分かった」
彼は羽ペンを置き、椅子から立ち上がった。
「で、どうやって使うんだ?」
「靴を脱いで、足を中に入れるのです。さあ、どうぞ」
私が布団をめくって誘うと、閣下は少し躊躇しながらも、長い脚をその中へと滑り込ませた。
「……こうか?」
「はい。そのまま腰まで入ってください」
彼は恐る恐る、ソファに座るようにしてコタツに入った。
その瞬間。
「…………っ」
彼の動きがピタリと止まった。
「閣下? どうしました? 出力が強すぎましたか?」
「……いや」
彼は夢遊病のように、ゆっくりと上体を天板に預けた。
そして、深いため息をついた。
「……何だ、これは」
「コタツです」
「……魔術か? 精神干渉系の魔法をかけたのか?」
「いいえ? ただの物理的な熱エネルギーですが」
「嘘だ。……腰から下が、溶けそうだ」
冷徹公爵の瞳から、光が消えていく。
代わりに、とろけるような脱力感が彼の顔を支配した。
「……出られん」
「はい?」
「ここから出たくない。一歩も動きたくない。……ミーナ、私は今日、ここを動かんぞ」
「困ります。午後から騎士団の演習視察があるのでは?」
「中止だ。雪合戦に変更しろ」
「ダメになってる!?」
恐るべきコタツの魔力。
まさか、あの規律に厳しいアレクセイ閣下を、一撃で「ダメ人間」に変えてしまうとは。
私の設計ミスか?
快適指数のパラメータを上げすぎたかもしれない。
「閣下、しっかりしてください! 仕事が溜まっていますよ!」
「……なら、ここでやればいい」
彼は天板をポンポンと叩いた。
「書類を持ってこい。ミーナ、君も入れ」
「えっ、私もですか?」
「『局所暖房』なのだろう? 二人で入った方が、熱効率が良いはずだ」
「……! 確かに!」
その通りだ。
一人より二人の方が、体温による相乗効果で魔石の消費を抑えられる。
私は即座に納得し、自分の分の書類を持ってコタツの反対側へと潜り込んだ。
「失礼します」
足を入れた瞬間、極楽浄土が見えた。
ホワイトベアの毛皮が最高にフワフワで、ルビーの熱が優しく包み込んでくる。
「……ふあぁ」
「……いいだろう?」
「はい……。これは……抗えませんね……」
私たちは向かい合って座り(足は中で絡み合っているが気にしてはいけない)、書類仕事を始めた。
最初は真面目にやっていた。
だが、一〇分後。
「……ミーナ」
「はい」
「……みかんはあるか?」
「あります。厨房から盗んできました」
私は天板の下からカゴを取り出した。
黄色く輝く果実。
コタツには必須のアイテムだ。
「……剥いてくれ」
「自分で剥いてください」
「手が冷える」
「中は温かいでしょう」
「……あーん」
「却下です」
そんな低レベルな攻防を繰り広げていると、コンコンとノックの音がした。
「失礼します、閣下。決裁書類をお持ちしました」
入ってきたのは、執事長のセバスチャンだった。
彼は部屋の中央で亀のようにうずくまる私たちを見て、ビクッとした。
「……あ、あの……それは?」
「セバスチャン。入れ」
閣下が短く命じた。
「は?」
「命令だ。そこに入ってみろ」
「は、はい……失礼いたします……?」
セバスチャンはおずおずとコタツの一角(私の横)に足を入れた。
「……!!」
彼の老いた目に衝撃が走った。
「こ、これは……! 腰の痛みが……消えていく……!?」
「だろう?」
「素晴らしいです! まるで母親の胎内に戻ったかのような安心感……! ああ、もう動けません……」
セバスチャン陥落。
執事長としての威厳が崩れ落ち、ただのお爺ちゃんになってしまった。
「おい、セバスチャンだけズルいぞ!」
次に現れたのは、騎士団長補佐だった。
彼もまた、報告に来たはずがコタツの魔力に捕らわれ、空いていた最後の一辺に座り込んだ。
「うおおお! なんだこれ! 足の凍傷が治りそうだ!」
こうして。
公爵家の執務室にあるコタツは、定員四名のフル稼働状態となった。
閣下、私、セバスチャン、騎士団長補佐。
四人が四角いテーブルを囲み、全員が首から下を布団に突っ込んで、ダメな顔をしている。
シュールだ。
あまりにもシュールな光景だ。
「……あの、閣下」
私はみかんの皮を剥きながら言った。
「これ、仕事になりませんね」
「……そうだな」
閣下は私の剥いたみかんを横取りして食べた。
「だが、これはこれで『会議』としては機能しているのではないか?」
「会議?」
「ああ。普段は緊張して話せないようなことも、この中なら話せる気がする」
彼は少し笑って、テーブルの下で私の足をつついた。
「ミーナ。君が来てから、屋敷が明るくなった。……物理的にも、精神的にもな」
「光熱費は上がっていませんよ。計算通りです」
「……そういうことではないのだが」
彼は苦笑したが、その顔はとても穏やかだった。
セバスチャンたちも、「ミーナ様のおかげで、久しぶりに閣下の笑顔が見られました」と涙ぐんでいる。
(……非効率ですね)
私は思った。
こんな狭いところに四人で集まって、みかんを食べて、無駄話をする。
時間の浪費だ。
生産性ゼロだ。
けれど。
「……たまには、こういう『休息(アイドリング)』も必要かもしれませんね」
私が呟くと、閣下は嬉しそうに頷いた。
「そうだな。……よし、ミーナ。明日から全客室にこれを設置しよう」
「えっ、予算が!」
「構わん。我が国の外交兵器として採用する。他国の使者をこれで骨抜きにして、有利な条約を結ぶんだ」
「……! その発想はなかった! 天才ですか!?」
「ふふん」
閣下がドヤ顔をする。
まさかコタツが戦略兵器になるとは。
私は手帳を取り出し、急いで量産計画を書き留めた。
「では、追加のルビーが必要ですね。また買いに行きましょう」
「ああ。……今度は、デートとしてな」
「仕入れです」
「デートだ」
私たちはコタツの中で足をぶつけ合いながら、そんなやり取りを続けた。
外は猛吹雪。
けれど、この小さな四角い世界の中だけは、春のように――いや、夏のように暑苦しいほどに温かかったのである。
その後、本当に「KOTATSU」が外交に使われ、隣国の強面の大使が「帰りたくないでござる」と駄々をこねる事件が起きるのだが、それはまた別の話である。
アレクセイ閣下の執務室。
その中央に、私は異様な物体を設置し終えたところだった。
「『魔道式・局所暖房卓』……通称『KOTATSU(コタツ)』です」
私は胸を張って答えた。
見た目は、ローテーブルに分厚い布団を掛け、その上に天板を乗せたものだ。
しかし、その中身は私の技術の結晶である。
「先日のホワイトベアの毛皮を裏地に使用し、熱源には宝石店で購入したルビーの粉末を練り込んだ『遠赤外線ヒーター』を搭載しました。これにより、足元から身体を芯まで温めることが可能です」
「……ほう」
閣下は怪訝そうな顔をしている。
無理もない。この世界にはコタツという概念がないのだから。
「暖炉だけでは、部屋全体を温めるのに燃料コストがかかりすぎます。しかし、このコタツなら、使用者がいる空間だけを効率的に加熱できる。まさに省エネの革命児です!」
「なるほど。理屈は分かった」
彼は羽ペンを置き、椅子から立ち上がった。
「で、どうやって使うんだ?」
「靴を脱いで、足を中に入れるのです。さあ、どうぞ」
私が布団をめくって誘うと、閣下は少し躊躇しながらも、長い脚をその中へと滑り込ませた。
「……こうか?」
「はい。そのまま腰まで入ってください」
彼は恐る恐る、ソファに座るようにしてコタツに入った。
その瞬間。
「…………っ」
彼の動きがピタリと止まった。
「閣下? どうしました? 出力が強すぎましたか?」
「……いや」
彼は夢遊病のように、ゆっくりと上体を天板に預けた。
そして、深いため息をついた。
「……何だ、これは」
「コタツです」
「……魔術か? 精神干渉系の魔法をかけたのか?」
「いいえ? ただの物理的な熱エネルギーですが」
「嘘だ。……腰から下が、溶けそうだ」
冷徹公爵の瞳から、光が消えていく。
代わりに、とろけるような脱力感が彼の顔を支配した。
「……出られん」
「はい?」
「ここから出たくない。一歩も動きたくない。……ミーナ、私は今日、ここを動かんぞ」
「困ります。午後から騎士団の演習視察があるのでは?」
「中止だ。雪合戦に変更しろ」
「ダメになってる!?」
恐るべきコタツの魔力。
まさか、あの規律に厳しいアレクセイ閣下を、一撃で「ダメ人間」に変えてしまうとは。
私の設計ミスか?
快適指数のパラメータを上げすぎたかもしれない。
「閣下、しっかりしてください! 仕事が溜まっていますよ!」
「……なら、ここでやればいい」
彼は天板をポンポンと叩いた。
「書類を持ってこい。ミーナ、君も入れ」
「えっ、私もですか?」
「『局所暖房』なのだろう? 二人で入った方が、熱効率が良いはずだ」
「……! 確かに!」
その通りだ。
一人より二人の方が、体温による相乗効果で魔石の消費を抑えられる。
私は即座に納得し、自分の分の書類を持ってコタツの反対側へと潜り込んだ。
「失礼します」
足を入れた瞬間、極楽浄土が見えた。
ホワイトベアの毛皮が最高にフワフワで、ルビーの熱が優しく包み込んでくる。
「……ふあぁ」
「……いいだろう?」
「はい……。これは……抗えませんね……」
私たちは向かい合って座り(足は中で絡み合っているが気にしてはいけない)、書類仕事を始めた。
最初は真面目にやっていた。
だが、一〇分後。
「……ミーナ」
「はい」
「……みかんはあるか?」
「あります。厨房から盗んできました」
私は天板の下からカゴを取り出した。
黄色く輝く果実。
コタツには必須のアイテムだ。
「……剥いてくれ」
「自分で剥いてください」
「手が冷える」
「中は温かいでしょう」
「……あーん」
「却下です」
そんな低レベルな攻防を繰り広げていると、コンコンとノックの音がした。
「失礼します、閣下。決裁書類をお持ちしました」
入ってきたのは、執事長のセバスチャンだった。
彼は部屋の中央で亀のようにうずくまる私たちを見て、ビクッとした。
「……あ、あの……それは?」
「セバスチャン。入れ」
閣下が短く命じた。
「は?」
「命令だ。そこに入ってみろ」
「は、はい……失礼いたします……?」
セバスチャンはおずおずとコタツの一角(私の横)に足を入れた。
「……!!」
彼の老いた目に衝撃が走った。
「こ、これは……! 腰の痛みが……消えていく……!?」
「だろう?」
「素晴らしいです! まるで母親の胎内に戻ったかのような安心感……! ああ、もう動けません……」
セバスチャン陥落。
執事長としての威厳が崩れ落ち、ただのお爺ちゃんになってしまった。
「おい、セバスチャンだけズルいぞ!」
次に現れたのは、騎士団長補佐だった。
彼もまた、報告に来たはずがコタツの魔力に捕らわれ、空いていた最後の一辺に座り込んだ。
「うおおお! なんだこれ! 足の凍傷が治りそうだ!」
こうして。
公爵家の執務室にあるコタツは、定員四名のフル稼働状態となった。
閣下、私、セバスチャン、騎士団長補佐。
四人が四角いテーブルを囲み、全員が首から下を布団に突っ込んで、ダメな顔をしている。
シュールだ。
あまりにもシュールな光景だ。
「……あの、閣下」
私はみかんの皮を剥きながら言った。
「これ、仕事になりませんね」
「……そうだな」
閣下は私の剥いたみかんを横取りして食べた。
「だが、これはこれで『会議』としては機能しているのではないか?」
「会議?」
「ああ。普段は緊張して話せないようなことも、この中なら話せる気がする」
彼は少し笑って、テーブルの下で私の足をつついた。
「ミーナ。君が来てから、屋敷が明るくなった。……物理的にも、精神的にもな」
「光熱費は上がっていませんよ。計算通りです」
「……そういうことではないのだが」
彼は苦笑したが、その顔はとても穏やかだった。
セバスチャンたちも、「ミーナ様のおかげで、久しぶりに閣下の笑顔が見られました」と涙ぐんでいる。
(……非効率ですね)
私は思った。
こんな狭いところに四人で集まって、みかんを食べて、無駄話をする。
時間の浪費だ。
生産性ゼロだ。
けれど。
「……たまには、こういう『休息(アイドリング)』も必要かもしれませんね」
私が呟くと、閣下は嬉しそうに頷いた。
「そうだな。……よし、ミーナ。明日から全客室にこれを設置しよう」
「えっ、予算が!」
「構わん。我が国の外交兵器として採用する。他国の使者をこれで骨抜きにして、有利な条約を結ぶんだ」
「……! その発想はなかった! 天才ですか!?」
「ふふん」
閣下がドヤ顔をする。
まさかコタツが戦略兵器になるとは。
私は手帳を取り出し、急いで量産計画を書き留めた。
「では、追加のルビーが必要ですね。また買いに行きましょう」
「ああ。……今度は、デートとしてな」
「仕入れです」
「デートだ」
私たちはコタツの中で足をぶつけ合いながら、そんなやり取りを続けた。
外は猛吹雪。
けれど、この小さな四角い世界の中だけは、春のように――いや、夏のように暑苦しいほどに温かかったのである。
その後、本当に「KOTATSU」が外交に使われ、隣国の強面の大使が「帰りたくないでござる」と駄々をこねる事件が起きるのだが、それはまた別の話である。
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