婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

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夜会から戻って数日後。
ガレリア公爵邸には、奇妙な噂が広まっていた。

「聞いたか? ミーナ様、夜会でドレスから大砲を取り出して、不届き者を吹き飛ばしたらしいぞ」
「いや、俺が聞いた話では、目からビームを出して会場のシャンデリアを焼き切ったとか」
「とにかく、怒らせたら終わりだ。閣下より怖いぞ」

……訂正したい。
大砲ではなく小型ナイフと工具セットだし、ビームではなくただの眼力だ。
しかし、噂というものは訂正すればするほど面白おかしく広まるものなので、私は無視して業務に集中することにした。

「……ふう」

私は執務室の自分のデスク(アレクセイ閣下の隣に新設された)で、ため息をついた。

「ミーナ。どうした? 計算が合わないのか?」

アレクセイ閣下が顔を上げる。

「いいえ、閣下。計算は合っていますが……」

私は手元の書類の山を指差した。

「なぜ、私の机に『騎士団の予算申請書』や『鉱山の採掘計画書』が置かれているのでしょうか? これらは閣下の決裁事項のはずですが」

そう。
今朝出勤したら、私の机が書類で埋もれていたのだ。
しかも、どれも重要案件ばかりである。

「……ああ、それか」

閣下は苦笑いを浮かべた。

「部下たちが、私のところに持ってくるのを怖がっているんだ」

「怖がっている? 閣下をですか?」

「いや、私に却下されるのを、ではない。……『ミーナ様のチェックを通していない書類を閣下に見せたら、非効率だとミーナ様に罵倒されるのが怖い』そうだ」

「……はい?」

どうやら私は、いつの間にか「最終関門(ラスト・ボス)」の手前にいる「中ボス」のような扱いになっているらしい。

「彼らいわく、『ミーナ様の赤ペン修正は的確すぎて、見ていると胃が痛くなるが、それに従えば必ず承認される魔法の杖だ』とのことだ」

「なるほど。私の校閲を通過すれば、閣下の決裁もスムーズに降りる……つまり業務効率化ですね。ならば引き受けましょう」

私は納得し、赤ペンを抜いた。

「よし! 次! 騎士団第三部隊!」

「は、はいっ!」

ドアの外で待機していた騎士団長補佐が、ガチガチに緊張して入ってきた。

「この『新型剣の購入申請書』ですが、見積もりが甘いです。鉄の相場変動リスクを考慮していませんね? あと、メンテナンス費用を含めたランニングコストの試算が抜けています。やり直し!」

「ひぃぃっ! 直ちに修正しますぅぅ!」

彼は涙目で走り去っていった。

「次! 鉱山管理部の責任者!」

「へ、へい!」

「ダイナマイトの発注量が多すぎます。岩盤の硬度を再調査し、必要最低限の量で発破する計算式を添付してください。予算の無駄遣いは給料から天引きしますよ?」

「勘弁してくだせぇ! すぐ再計算してきやす!」

次々と部下たちを「瞬殺」していく私。
その様子を横で見ているアレクセイ閣下は、なぜかとても楽しそうだ。

「……くくっ。頼もしいな」

「笑い事ではありません、閣下。部下の教育もトップの仕事ですよ」

「いや、私が言うより効果的だ。……君に怒られると、彼らはなぜか嬉しそうな顔をするしな」

「嬉しそう? 恐怖で引きつっているだけでは?」

「……君は、自分の影響力を過小評価しているな」

閣下は立ち上がり、コーヒーを淹れて(本来は執事の仕事だが、最近は彼が私に淹れてくれる)私のデスクに置いてくれた。

「ありがとう、アレクセイ」

最近、二人きりの時は名前で呼ぶように言われている。
まだ少し照れくさいが。

「それにしても……私が楽になりすぎて、少し寂しいな」

彼がポツリと漏らした。

「寂しい? 仕事が減ってですか? ワーカーホリックですね」

「違う。……君が部下たちに囲まれているのが、だ」

彼は私の椅子を後ろから抱え込み、耳元で囁いた。

「私のミーナだぞ。……あまり彼らに構うな。嫉妬してしまう」

「……っ」

不意打ちのデレ攻撃。
赤ペンを持つ手が滑って、書類に一本線を引いてしまった。

「……業務妨害です」

「構わん。どうせ私が決裁する書類だ。……この後、少し休憩しないか? コタツで」

「……まだ一〇時ですが」

「『効率的な休息』が必要だろう?」

彼は悪戯っぽく笑うと、私の手からペンを取り上げた。
完全に確信犯だ。
この冷徹公爵、最近私の扱い方をマスターしつつある。

その時。
ドンドンドン!
激しいノックと共に、執事長のセバスチャンが飛び込んできた。

「た、大変です! ミーナ様! 閣下!」

「なんだ、セバスチャン。今、重要な休息に入ろうとしていたのに」

閣下が不機嫌そうに睨むが、セバスチャンの顔色は真っ青だ。

「お、お客様です! しかも、招かれざる客が……!」

「誰だ?」

「……ミーナ様の、ご両親です」

「は?」

私と閣下の声が重なった。

「ローゼン公爵夫妻が、『娘の働きぶりを視察しに来た』と! しかも、『手土産にドラゴンを持ってきた』と仰っておりまして……!」

「ドラゴン!?」

私は椅子から転げ落ちそうになった。
父様、母様。
手土産のセンスがおかしいです。
クッキーとか紅茶の代わりに、なぜ災害級の魔物を持ってくるのですか。

「……どういうことだ」

閣下が頭を抱える。

「庭に放しておいた、とのことです。……現在、庭師たちがパニックになって木の上に避難しております!」

「あのアホ両親……!」

私は立ち上がった。
書類仕事どころではない。
物理的な災害対処(実家の相手)の時間だ。

「アレクセイ、行きますよ! 迎撃……いえ、お出迎えです!」

「……ああ。君の両親か。一度会って挨拶をせねばと思っていたが……まさかドラゴン同伴とはな」

彼は覚悟を決めたように剣を手に取った。

「安心しろ、ミーナ。君の実家がどれほど破天荒でも、私は君を守る」

「いえ、守るべきは屋敷の壁です! ドラゴンがくしゃみをしたら修繕費が莫大になります!」

私たちは執務室を飛び出した。
廊下では、側近たちが「ボス(ミーナ様)のご両親だぞ!」「一体どんな化け物……いや、豪傑なんだ!?」と恐れおののいている。

エントランスを出ると、そこには非現実的な光景が広がっていた。

雪の積もった前庭。
そこに、体長一〇メートルほどの飛竜(ワイバーン)が鎖に繋がれて座っていた。
そして、その前で腕組みをして仁王立ちしている、筋肉ムキムキの男女二人。

「おお! 来たかミーナ!」

「久しぶりねぇ、ミーナちゃん! 元気してた?」

父と母だ。
極寒の雪国だというのに、父はタンクトップ一枚、母も軽装の鎧姿。
筋肉が発熱しているのだろうか。

「父様、母様! 何ですかこれは!」

私がワイバーンを指差すと、父はガハハと笑った。

「何って、隣国までの足だよ! 馬車だと遅いから、途中の山で捕まえて手懐けたんだ!」

「途中で捕まえた!? 野生ですか!?」

「そうよぉ。この子、最初は噛み付いてきたんだけど、パパがボディブローを一発入れたらおとなしくなってねぇ♡」

母がワイバーンの鼻先を撫でている。
ワイバーンは完全に怯えきった目をしていた。
可哀想に。
あの両親に捕まったのが運の尽きだ。

「それで、そちらが噂の?」

父の鋭い眼光が、アレクセイに向けられた。
空気がピリリと張り詰める。
元騎士団長の父の圧力(プレッシャー)は、ドラゴンのそれをも上回る。

アレクセイは一歩前に出た。
怯むことなく、優雅に一礼する。

「初めまして。ガレリア公爵、アレクセイ・ドラグノフです。娘さんを……ミーナを、大切にお預かりしております」

「ふん」

父はアレクセイを値踏みするように頭から爪先までジロジロと見た。

「顔はいいな。だが、軟弱な男はお断りだぞ? 我がローゼン家の婿になるには、最低でも素手で熊を絞め殺せる腕力が必要だ」

「あなた、熊ならもうミーナちゃんが電気ショックで倒したらしいわよ?」

「なにっ!? さすが俺の娘!」

「……話が進まない」

私は頭痛がしてきた。
とにかく、この筋肉台風を屋敷に入れるわけにはいかない。
いや、入れないと近所迷惑だ。

「父様。アレクセイは熊くらい余裕です(魔法で)。それより、そのワイバーンをどうにかしてください。衛生的によくありません」

「おっと、そうだった。……おい婿殿!」

父がいきなりアレクセイに指を突きつけた。

「娘を嫁にやりたければ、俺と勝負しろ! このワイバーンとどちらが早く空を飛べるか競走だ!」

「は?」

アレクセイが初めて間の抜けた声を出した。
私も耳を疑った。
空を飛ぶ?
人間が?

「何を言っているのですか、父様。人間は飛びません」

「飛ぶさ! 気合と根性でな!」

「物理法則を無視しないでください!」

こうして。
感動の再会(?)は、カオスな親子喧嘩へと発展した。
側近たちが遠巻きに見守る中、アレクセイだけが冷静に――しかし少し楽しそうに――こう呟いた。

「……なるほど。ミーナのあの性格は、このご両親に対する『反作用』として形成されたわけか。納得した」

「分析していないで止めてください!」

結局、ワイバーンは私が即席で作った「大型ペット用ケージ(高圧電流付き)」に収容され、両親は屋敷のコタツに案内されることになった。
アレクセイ閣下の受難は、まだ始まったばかりである。
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