婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

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新婚旅行から戻り、日常業務に復帰して数週間。
公爵邸には、奇妙な空気が漂っていた。

「……セバスチャン」

「はい、ミーナ様」

「なぜ、私のデスクに『赤ちゃん用ガラガラ(純金製)』が置かれているのですか?」

私が問うと、セバスチャンは白々しく天井を見上げた。

「おや? 何かの間違いでしょう。……ところでミーナ様、最近、酸っぱいものが食べたくなったりはしませんか?」

「ビタミンC不足ならサプリで補っています」

「そうですか……。あ、アンナ。ベビーベッドのカタログをさりげなく置いておくのです」

「はい、執事長!」

アンナが分厚いカタログを私の膝の上に滑り込ませて逃走した。

「……露骨ですね」

私はため息をついた。
最近、使用人たちだけでなく、領民や、あろうことか両親からも「孫の顔が見たい(意訳:新しい筋肉が見たい)」という圧力が凄い。
公爵家の存続には後継者が不可欠。
それは理解できるが、業務中にプレッシャーをかけるのは非効率だ。

「……ミーナ」

隣の席で仕事をしていたアレクセイ様が、気まずそうに口を開いた。

「すまない。皆、君との子供ならさぞかし優秀(あるいは面白い)だろうと期待しているんだ」

「期待値コントロールの不備ですね。ですが、確かにリスク管理の観点から言えば、後継者(スペア)の確保は急務です」

「スペアと言うな」

「分かりました。……では、閣下。ランチミーティングの時間を使って、この件を解決しましょう」

「解決?」

「はい。私が昨晩徹夜で作成した『新規プロジェクト』の提案です」

     * * *

昼食後。
私はホワイトボードに巨大なチャート図を貼り出した。

「題して『プロジェクト・ネクストジェネレーション(次世代機開発計画)』です」

「……嫌な予感しかしないタイトルだな」

アレクセイ様が頭を抱えている。

「まず、現状分析です。私たち夫婦の遺伝子情報を解析した結果、生まれてくる子供のスペック予測は以下の通りです」

私は指示棒でグラフを叩いた。

「一、閣下の『魔力』と『美貌』。二、私の『計算能力』と『合理性』。三、そしてなぜかリリィ様たちとの接触による『筋肉への耐性』」

「三はいらないな」

「これらを総合すると、最強の『ハイブリッド・リーダー』が誕生する計算になります。ガレリアの未来は安泰です」

「まあ、親バカの視点を除いても、君の子なら優秀だろうな」

「そこで、具体的なスケジュール案(工程表)を作成しました」

私はめくりフリップをめくった。

『第一段階:基礎設計(今ここ)』
『第二段階:製造着手(今夜から)』
『第三段階:初期教育(英才教育)』
『第四段階:実戦配備(三歳で現場投入)』

「……待て、ミーナ」

アレクセイ様がストップをかけた。

「第四段階が早すぎる。三歳で何をさせる気だ」

「簡単な計算処理と、ゴーレムの操縦くらいは可能でしょう。労働力は早期に確保すべきです」

「子供は労働力じゃない! もっとこう、愛でて育てるものだ!」

「愛でる? 愛玩動物としての機能も求めているのですか? 多機能ですね」

「違う! ……はぁ」

彼は深いため息をつき、私の手から指示棒を取り上げた。

「それにな、ミーナ。一番重要なプロセスが抜けている」

「プロセス? 栄養管理や胎教のことですか? それなら完璧なマニュアルを……」

「違う」

彼は私を壁際に追い詰め、ドンと手をついた。
いわゆる「壁ドン」だ。
至近距離で見つめるアイスブルーの瞳が、熱っぽく揺れている。

「『製造着手』の前に……『愛を育む時間』が必要だろう?」

「……愛?」

「ああ。義務や計画で子供を作るんじゃない。……私が君を愛し、君が私を愛した結果として、新しい命を望みたいんだ」

彼の顔が近づく。
整った鼻筋、吐息がかかる距離。

「……仕様書通りの『製造』なんて、ロマンがない。……もっと、感情に身を任せてもいいんじゃないか?」

「……感情に、身を任せる……」

私は瞬きをした。
私の脳内コンピュータが、エラー警告を出している。
『論理的思考回路、停止。心拍数、上昇。体温、異常値』

「……非効率ですね」

私が震える声で呟くと、彼は悪戯っぽく笑った。

「ああ。だが、とびきり気持ちいいぞ?」

「……っ」

顔がカッと熱くなった。
この男、昼間から何を言っているのか。
ここは執務室だぞ。

「閣下、あの、セバスチャンたちが聞き耳を立てて……」

「構わん。……見せつけてやろうか? 私たちがどれだけ『仲良し』かを」

「却下です! 公序良俗に反します!」

私は慌てて彼の下から逃げ出した。
心臓が早鐘を打っている。
調子が狂う。
いつものペースに持ち込めない。

「ふふっ。逃げたな」

彼は楽しそうに笑い、私の作成したチャート図をベリッと剥がした。

「この計画書は却下だ。……納期は未定。予算(愛情)は無制限。スケジュールは……『二人の気分が乗った時』に変更する」

「……そんな曖昧な計画では、進捗管理ができません」

「管理なんてしなくていい。……今夜は、空けておけよ?」

彼はウィンクをした。
破壊力抜群の、公爵様のウィンク。

私は手帳を顔に押し当てて、赤面を隠した。

「……承知いたしました。ただし、翌日の業務に支障が出ない範囲でお願いします」

「それは約束できないな」

     * * *

その夜。
公爵邸の寝室からは、いつまでも明かりが消えなかったとか、翌朝の私が珍しく寝坊して午後出勤になり、セバスチャンたちに「おめでとうございます!」とニヤニヤされたとか、そういう噂が流れたが、詳細なデータは非公開(プライバシー保護)とさせていただく。

ただ一つ言えるのは。
私が提案した「効率的な製造計画」は白紙に戻り、代わりに「非効率で、甘くて、どうしようもなく幸せな時間」という、計算外のプロジェクトが始動したということだ。

「……ねえ、アレクセイ」

数日後、コタツの中で私は彼に尋ねた。

「もし、子供が生まれたら……名前はどうしますか?」

「そうだな。……男なら『レオン』、女なら『マリー』なんてどうだ?」

「平凡ですね。私なら『ギガ』とか『テラ』とか、容量が大きそうな名前に……」

「絶対に却下だ」

「ちぇっ」

そんな他愛のない会話。
お腹の中には、まだ誰もいないかもしれないし、あるいは小さな光が宿り始めているかもしれない。
どちらにせよ、焦る必要はないのだと、ようやく私は理解した。

窓の外では、春の雪解け水が流れている。
ガレリアにも、確かな春が訪れていた。

……なお、その頃。
鉱山ではクラーク殿下とリリィ様が「どっちが早く結婚するか勝負だ!」「負けませんよ先輩!」と、ツルハシを婚姻届の代わりに突き合わせているという報告が入ったが、それはまた別の話である。
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