王太子が泣きついた。笑顔で婚約破棄を受け入れただけなのに。

黒猫かの

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「……はぁ、重かったですわ」


私がやってきたのは、王都でも指折りの大商会『ゴールデン・ルース』の裏口です。


台車に乗せられた山のようなドレスを見て、支配人のルースさんが眼鏡をずり上げました。


「アイーナ様……これ、全部ですか? どれも王室御用達の、一着で家が建つような代物ばかりですが」


「ええ、全部です。思い出をクローゼットに眠らせておくなんて、布に対して失礼でしょう? それなら、新しい持ち主の元で輝いてもらった方が、彼らも幸せですわ」


私は営業用スマイルを崩さず、流れるような手つきで査定リストを提示しました。


「この青いドレスは、北方の幻の絹を使っています。そちらの刺繍は、本物の金糸。あ、こっちの宝石は外して別売りにしても構いませんわよ。さあ、ルースさん。あなたの『誠意』を形(現金)にして見せてくださいな」


「……アイーナ様。失礼ながら、婚約破棄されてショックで金銭感覚が狂った、というわけではなさそうですね」


「失礼ね。私はいつだって正気よ。むしろ、これまでが狂っていたの。さあ、早く! 私、この後やりたいことがたくさんあるんですから!」


数分後。


私の手元には、ずっしりと重い、魔導銀行の預金証書が握られていました。


これだけあれば、一生遊んで暮らせる……とは言いませんが、少なくとも数年は贅沢の限りを尽くせます。


「あは、あはははは! お金! なんて素敵な響きかしら!」


私は証書を胸に抱き、市場の雑踏の中で小躍りしました。


地位も名誉もいりません。私を裏切らないのは、筋肉と知識、そして何よりこの「現金」です。


一方その頃、王宮のサロンでは。


「……マリエル。あのお茶会の準備は、まだ終わらないのか?」


レオン殿下が、イライラした様子でマリエル様に尋ねていました。


今日は、近隣諸国の令嬢たちを招いた重要な親睦会です。


マリエル様は、顔を真っ赤にして、震える手でお茶を淹れていました。


「あ、あの、レオン様。お茶の葉の種類が多すぎて、どれを選べばいいのか……それに、このケーキの並べ方にも決まりがあるなんて知りませんでした!」


「何を言っている。そんなこと、アイーナはいつも完璧にこなしていたぞ。お前も王太子の婚約者になったのだから、それくらい……」


「無理ですよ! アイーナ様は、相手の出身地や好みに合わせて、お茶の温度まで変えていたって聞きました。私には、お湯を沸かすことすら精一杯なのに!」


マリエル様が半べそをかきながら、ティーカップをカチャカチャと鳴らしました。


その音を聞いた、招待客の公爵令嬢たちが、扇子で口元を隠しながらクスクスと笑います。


「あら、マリエル様。随分と賑やかなお点前ですのね」


「アイーナ様がいらした頃は、まるで絵画のような静寂と優雅さがございましたけれど……」


「……っ!」


マリエル様は、屈辱に唇を噛み締めました。


彼女は「悪い公爵令嬢」がいなくなれば、自分が「愛されるお姫様」として皆に歓迎されると思っていたのです。


しかし現実は、アイーナという「最強の防波堤」がいなくなったことで、彼女自身が矢面に立たされることになったのでした。


「……チッ。アイーナがいれば、こんな無様なことには……。おい、侍従! アイーナはどうしている! 今頃、自室で泣き腫らして食事も喉を通らないのではないか?」


レオン殿下が、期待を込めて侍従に尋ねました。


侍従は、胃を押さえながら、震える声で答えました。


「……いえ。アイーナ様は本日、全てのドレスを叩き売り、その足で市場の屋台を梯子し……。現在は、高級マッサージ店で『極上の三時間コース』を受けられているとの報告が」


「マ、マッサージだと……!?」


「はい。施術中、非常に大きな声で『あー、極楽、極楽! 肩が軽いわー!』と叫ばれていたそうです」


サロンに沈黙が流れました。


レオン殿下の顔が、屈辱で真っ赤に染まります。


「……そうか! 分かったぞ!」


「殿下、何が分かったのですか?」


「アイーナの奴、マッサージで肩を軽くして……私に殴りかかる準備をしているんだな! あるいは、身軽になって、私の寝室に忍び込むつもりか!?」


「……は?」


「愛だ。あれは、あまりにも深すぎる愛ゆえの狂気! アイーナ、お前という女は……。そこまでして私に振り向いてほしいのか!」


もはや、病的なまでのポジティブ変換。


侍従は、そっと天を仰ぎました。


「殿下、それは流石に……」


「黙れ! いいだろう、アイーナ。そこまで私を求めるなら、少しだけチャンスをやってやってもいい。マリエルの教育係として、再び王宮に召喚してやろうじゃないか!」


レオン殿下は、自分を天才だと言わんばかりのドヤ顔で宣言しました。


マリエル様だけは、「えっ、それはちょっと助かるかも」と一瞬期待の目を向けましたが。


その頃のアイーナは。


「んん~……最高ですわ。この揉み加減、王宮のどのマッサージ師よりも上ですわね!」


「お嬢さん、相当凝ってますね。何か重いものでも背負ってたんですか?」


「ええ、国家の未来とかいう、どうでもいいゴミを背負わされていましたの。でも、もう捨てましたわ! 次は腰をお願いします、腰を!」


アイーナは、元婚約者の妄想など露知らず。


人生で最もリラックスした時間を過ごしていたのでした。
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