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「お嬢様、大変です。王宮から使いの騎士様が……それも、かなり切羽詰まった表情でいらしています」
お風呂上がりに、特製の果実ジュースを堪能していた私の元へ、サーシャが飛び込んできました。
「まあ、騎士様? 忘れ物かしら。あ、そういえば殿下の誕生日に贈る予定だった、手編みのマフラー(製作途中で放置)がクローゼットにあったわね。あれなら熨斗をつけて差し上げてもよくてよ」
「いえ、そういう雰囲気ではございません。『王太子殿下より、アイーナ・ルベル嬢へ緊急の召喚状である!』と、玄関先で叫んでおられます」
「……あらあら。近所迷惑ですわね」
私は渋々、一番楽な部屋着の上に薄いガウンを羽織り、玄関ホールへと向かいました。
そこには、以前よく王宮で見かけた真面目な騎士、カイルさんが真っ青な顔で立っていました。
「アイーナ様! ああ、お会いできて光栄……ではなく、殿下からの伝言を預かって参りました!」
「こんにちは、カイルさん。お仕事ご苦労様です。それで、わざわざ私の安眠を妨げてまで伝えたいこととは?」
私はいつもの、一ミリも隙のない「営業用スマイル」を披露しました。
カイルさんは一瞬、その輝きに気圧されたように後ずさりしましたが、すぐに居住まいを正して手紙を差し出しました。
「はっ。殿下より『アイーナが寂しさのあまり暴走していると聞き、胸を痛めている。特別に、マリエルの教育係として王宮への出入りを許可する。今すぐ戻り、私の補佐をせよ』との仰せです!」
玄関ホールに、静かな沈黙が流れました。
後ろで控えていたサーシャが、あからさまに「はぁ?」という顔をしています。
私は、手渡された手紙を一瞥もせずに、カイルさんに返しました。
「カイルさん。殿下に、こうお伝えいただけますか?」
「はっ、承ります!」
「『あいにくですが、現在は“失業保険”の受給期間中につき、新たな就労は控えております』と」
「……しつぎょう、ほけん……?」
「ええ。それから、教育係としての依頼であれば、まずは我がルベル公爵家の事務方を通してくださいませ。私の時給は現在、金貨十枚からとなっております。あ、もちろん深夜手当と、精神的苦痛への慰謝料は別払いですわ」
「あ、アイーナ様!? あ、あの、殿下は本気で……その、アイーナ様を助けてやろうと……」
「助ける? 面白い冗談ですわね。カイルさん、今の私を見てください」
私はガウンの裾を広げ、くるりと回って見せました。
「王妃教育のために絞り上げられたウエストは適度に緩み、肌のツヤは最高。朝は好きな時間に起き、夜は好きなだけ本を読んで過ごす。この楽園から私を連れ出すというのなら、それは『救済』ではなく『拉致監禁』と呼びますのよ?」
「そ、そんな……」
「だいたい、マリエル様の教育係ですって? 私を捨てて選んだ最愛の女性を、捨てた元婚約者に教育させるなんて、殿下はドM……いえ、とても斬新な感性をお持ちなんですのね。驚きましたわ」
私の笑顔が、少しだけ「深く」なりました。
カイルさんの額から、滝のような汗が流れ落ちます。
「あ、あと、もう一つ。殿下に伝えてほしい重要なことがございます」
「は、はい! 何でしょうか!」
「婚約破棄の夜、私は『はい、喜んで!』と申し上げました。あの言葉に嘘偽りはございません。私は今、人生で一番幸せです。ですから、二度と私の視界に“ゴミ”を放り込まないでください……と。あ、ゴミというのは比喩ですよ? うふふ」
「………………っ!!」
カイルさんは、あまりの威圧感に脱兎の如く逃げ出していきました。
それを見送った私は、ふぅと短いため息をつきました。
「お嬢様、最後の方は少し本音が出ていましたよ」
「あら、失礼。つい、あまりの厚かましさに、営業スマイルのメッキが剥がれそうになってしまったわ」
「それにしても、殿下の勘違いもここまで来ると病気ですね。どうして『自分が愛されている』という前提が崩れないんでしょうか」
「それが権力者の傲慢というものですわ、サーシャ。さて、お口直しに、もう一杯ジュースをいただきましょうか」
一方、報告を受けた王宮のレオン殿下は。
「……何? 『時給が金貨十枚』だと……!?」
「は、はい。それと、深夜手当と慰謝料を別途請求すると……」
カイルの報告を聞いたレオンは、なぜか頬を赤らめて机を叩きました。
「なるほど! そういうことか! アイーナめ、照れているんだな!」
「……はい?」
「金貨十枚などという法外な値段をつけることで、『私は高嶺の花ですよ』とアピールしているのだ。そして慰謝料とは、私に捨てられた心の傷をなだめてほしいという切実な願い……! ああ、アイーナ! お前はどこまで健気なんだ!」
「殿下、もう一度申し上げますが、アイーナ様は『ゴミを放り込むな』とも……」
「それは『私以外の女(ゴミ)を見ないで』という愛の告白だろうが!!」
レオン殿下の脳内変換機能は、すでに神の領域へと達していました。
「よし、ならば直接会いに行くしかないな。私の顔を見れば、彼女も素直に泣いて縋ってくるはずだ。マリエル、準備しろ! アイーナを迎えに行くぞ!」
「ええっ!? 私、アイーナ様には会いたくないんですけど……怖いし……」
マリエル様の小さな抵抗は、暴走する王太子の耳には届きませんでした。
そしてその頃。
隣国の騎士団長ギルバートは、部下に命じて「ある令嬢」の素性を調べさせていました。
「……見つけたぞ。アイーナ・ルベル。アステリア王国の公爵令嬢か」
手元の資料には、つい先日「婚約破棄」されたばかりだという情報が記されています。
「あんなに清々しい笑顔で男を捨てる女を、私は他に知らない。……面白い。少し、遊びに行ってみるか」
アイーナの平穏な「失業生活」に、新たな嵐が近づいていました。
お風呂上がりに、特製の果実ジュースを堪能していた私の元へ、サーシャが飛び込んできました。
「まあ、騎士様? 忘れ物かしら。あ、そういえば殿下の誕生日に贈る予定だった、手編みのマフラー(製作途中で放置)がクローゼットにあったわね。あれなら熨斗をつけて差し上げてもよくてよ」
「いえ、そういう雰囲気ではございません。『王太子殿下より、アイーナ・ルベル嬢へ緊急の召喚状である!』と、玄関先で叫んでおられます」
「……あらあら。近所迷惑ですわね」
私は渋々、一番楽な部屋着の上に薄いガウンを羽織り、玄関ホールへと向かいました。
そこには、以前よく王宮で見かけた真面目な騎士、カイルさんが真っ青な顔で立っていました。
「アイーナ様! ああ、お会いできて光栄……ではなく、殿下からの伝言を預かって参りました!」
「こんにちは、カイルさん。お仕事ご苦労様です。それで、わざわざ私の安眠を妨げてまで伝えたいこととは?」
私はいつもの、一ミリも隙のない「営業用スマイル」を披露しました。
カイルさんは一瞬、その輝きに気圧されたように後ずさりしましたが、すぐに居住まいを正して手紙を差し出しました。
「はっ。殿下より『アイーナが寂しさのあまり暴走していると聞き、胸を痛めている。特別に、マリエルの教育係として王宮への出入りを許可する。今すぐ戻り、私の補佐をせよ』との仰せです!」
玄関ホールに、静かな沈黙が流れました。
後ろで控えていたサーシャが、あからさまに「はぁ?」という顔をしています。
私は、手渡された手紙を一瞥もせずに、カイルさんに返しました。
「カイルさん。殿下に、こうお伝えいただけますか?」
「はっ、承ります!」
「『あいにくですが、現在は“失業保険”の受給期間中につき、新たな就労は控えております』と」
「……しつぎょう、ほけん……?」
「ええ。それから、教育係としての依頼であれば、まずは我がルベル公爵家の事務方を通してくださいませ。私の時給は現在、金貨十枚からとなっております。あ、もちろん深夜手当と、精神的苦痛への慰謝料は別払いですわ」
「あ、アイーナ様!? あ、あの、殿下は本気で……その、アイーナ様を助けてやろうと……」
「助ける? 面白い冗談ですわね。カイルさん、今の私を見てください」
私はガウンの裾を広げ、くるりと回って見せました。
「王妃教育のために絞り上げられたウエストは適度に緩み、肌のツヤは最高。朝は好きな時間に起き、夜は好きなだけ本を読んで過ごす。この楽園から私を連れ出すというのなら、それは『救済』ではなく『拉致監禁』と呼びますのよ?」
「そ、そんな……」
「だいたい、マリエル様の教育係ですって? 私を捨てて選んだ最愛の女性を、捨てた元婚約者に教育させるなんて、殿下はドM……いえ、とても斬新な感性をお持ちなんですのね。驚きましたわ」
私の笑顔が、少しだけ「深く」なりました。
カイルさんの額から、滝のような汗が流れ落ちます。
「あ、あと、もう一つ。殿下に伝えてほしい重要なことがございます」
「は、はい! 何でしょうか!」
「婚約破棄の夜、私は『はい、喜んで!』と申し上げました。あの言葉に嘘偽りはございません。私は今、人生で一番幸せです。ですから、二度と私の視界に“ゴミ”を放り込まないでください……と。あ、ゴミというのは比喩ですよ? うふふ」
「………………っ!!」
カイルさんは、あまりの威圧感に脱兎の如く逃げ出していきました。
それを見送った私は、ふぅと短いため息をつきました。
「お嬢様、最後の方は少し本音が出ていましたよ」
「あら、失礼。つい、あまりの厚かましさに、営業スマイルのメッキが剥がれそうになってしまったわ」
「それにしても、殿下の勘違いもここまで来ると病気ですね。どうして『自分が愛されている』という前提が崩れないんでしょうか」
「それが権力者の傲慢というものですわ、サーシャ。さて、お口直しに、もう一杯ジュースをいただきましょうか」
一方、報告を受けた王宮のレオン殿下は。
「……何? 『時給が金貨十枚』だと……!?」
「は、はい。それと、深夜手当と慰謝料を別途請求すると……」
カイルの報告を聞いたレオンは、なぜか頬を赤らめて机を叩きました。
「なるほど! そういうことか! アイーナめ、照れているんだな!」
「……はい?」
「金貨十枚などという法外な値段をつけることで、『私は高嶺の花ですよ』とアピールしているのだ。そして慰謝料とは、私に捨てられた心の傷をなだめてほしいという切実な願い……! ああ、アイーナ! お前はどこまで健気なんだ!」
「殿下、もう一度申し上げますが、アイーナ様は『ゴミを放り込むな』とも……」
「それは『私以外の女(ゴミ)を見ないで』という愛の告白だろうが!!」
レオン殿下の脳内変換機能は、すでに神の領域へと達していました。
「よし、ならば直接会いに行くしかないな。私の顔を見れば、彼女も素直に泣いて縋ってくるはずだ。マリエル、準備しろ! アイーナを迎えに行くぞ!」
「ええっ!? 私、アイーナ様には会いたくないんですけど……怖いし……」
マリエル様の小さな抵抗は、暴走する王太子の耳には届きませんでした。
そしてその頃。
隣国の騎士団長ギルバートは、部下に命じて「ある令嬢」の素性を調べさせていました。
「……見つけたぞ。アイーナ・ルベル。アステリア王国の公爵令嬢か」
手元の資料には、つい先日「婚約破棄」されたばかりだという情報が記されています。
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