王太子が泣きついた。笑顔で婚約破棄を受け入れただけなのに。

黒猫かの

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「……アイーナ。私の聞き間違いでなければ、今、彼らに『フリルのついたエプロン』を配ると言わなかったか?」


ルベル公爵邸の広大な庭園。整列した二十五名の屈強な男たちを前に、ギルバート様がこめかみを押さえて尋ねました。


「ええ、言いましたわ。ギルバート様、形から入るというのは組織運営の基本ですの。彼らはもう国家の盾ではなく、我がルベル公爵家の『おもてなしの矛』なのですから」


私は営業用スマイルを弾けさせ、メイドたちが抱えてきた山のようなエプロンを指差しました。


「さあ、皆様! その重苦しくて手入れの大変な金属鎧は、今すぐ脱ぎ捨ててください。これからは通気性抜群、ポケットも充実したこの特製エプロンが皆様の正装ですわ!」


「「「「はっ! 喜んで!!」」」」


元・騎士たちの返事は、かつての軍事訓練よりも気合が入っていました。


彼らにとって、二倍の給与とホワイトな労働環境は、騎士のプライドよりも遥かに守る価値があるものだったようです。


「……お嬢様。これ、異様な光景ですね。筋肉ムキムキの男たちが、ピンクのフリルを巻いて窓を拭いている姿は……」


マリエル様が、乾いた笑いを浮かべながら雑巾を手に取っています。


「いいのです、マリエル様。見てください、あの窓の輝きを。流石は元・騎士、力が強いから汚れの落ち方が尋常ではありませんわ!」


実際、彼らの働きぶりは凄まじいものでした。


一人が床を磨けば鏡のように光り、一人が庭木を整えればまるで芸術作品のような形になります。


何より、全員が「残業がない!」「おやつが出る!」と涙を流しながら笑って働いているのが、少しばかり不気味ではありましたが。


「アイーナ、貴様は……。彼らを単なる労働力としてだけでなく、王宮への『嫌がらせ』としても活用しているな?」


ギルバート様が、私の隣で腕を組みながら低く笑いました。


「あら、心外ですわ。私はただ、彼らに人間らしい生活を提供しているだけです。……結果として、レオン殿下が『私の近衛が全員、元婚約者の家でフリルを巻いて家事をしている』という噂を聞いて発狂したとしても、それは副作用に過ぎません」


「フッ……。相変わらず、食えない女だ」


ギルバート様が、私の頭にポンと手を置きました。


その手の温かさに、一瞬だけ、私の完璧な営業用スマイルが揺らぎました。


「……っ。ギルバート様、あまり私を子供扱いしないでくださいませ。これでも一時期は、この国の裏の予算を握っていた女なのですから」


「知っている。だからこそ、その有能な頭脳を、この狭い屋敷の中だけで腐らせておくのは惜しいと言っているんだ」


ギルバート様が、私を覗き込むようにして視線を合わせました。


銀色の瞳に、真剣な光が宿っています。


「私の国に来い、アイーナ。……貴様が望むなら、一から商会を立ち上げる資金も、それを守る武力も、私が用意してやる」


「それは……また随分と破格なヘッドハンティングですわね」


「ヘッドハンティングではない。……私が、貴様を側に置きたいだけだ」


あまりにも直球な言葉。


私は、言葉に詰まりました。


王妃教育の中には「誘惑の交わし方」はありましたが、「本気の口説かれ方」はカリキュラムになかったのです。


「……あ、あの、ギルバート様。その件については、モツ煮込みの三杯目をお出しする際にお返事……」


「アイーナ様ーーー!! 大変ですーーー!!」


そこへ、エプロン姿のカイル(元・騎士団長代理)が血相を変えて走ってきました。


「カイルさん、どうしたのですか? まさか、雑巾の絞り方が甘かったのかしら?」


「違います! 殿下が……レオン殿下が、ついに実力行使に出られました! 『アイーナを奪還するための聖戦』と称して、近隣の諸侯に動員令をかけたと!」


「……せ、せいせん……?」


私は思わず、空を見上げました。


ただの婚約破棄から始まったドタバタが、いつの間にか国家を二分しかねない騒動に発展しようとしていました。


「……アイーナ、決断の時だ」


ギルバート様が、私の手を力強く握りました。


「あのアホを黙らせるか。それとも、私の国へ逃げるか。……どちらを選んでも、私が貴様を守る」


私は、深く息を吸い込みました。


そして、人生で最も不敵な、そして最も輝かしい「営業用スマイル」を浮かべました。


「いいえ、ギルバート様。逃げるのも、守られるのも、私の趣味ではありませんわ」


「ほう……?」


「聖戦、結構ではありませんか! 殿下の無能さを世界に露呈させる、絶好の『ビジネスチャンス』ですわよ!」


自由を愛する元・悪役令嬢は、ついに国家規模の「逆襲」を画策し始めたのでした。
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