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「……アイーナ。悪いが、今すぐ庭の噴水に隠れてくれないか」
ギルバート様が、珍しく顔を青くして私の執務室に飛び込んできました。
「まあ、ギルバート様。私を噴水に沈めて、何かの儀式でも始めるおつもりですか? あいにくですが、今の私はこの国の経済特使。水浸しにするにはコストがかかりすぎますわよ」
私は営業用スマイルを維持したまま、大量の領地報告書に目を通し続けました。
「そうではない! ……隣の領地から、クラリッサ・ヴァン・ローゼン令嬢がやってきたんだ。彼女は……その、昔から私が自分の婚約者だと思い込んでいる、非常に粘着質な……」
「あら、ギルバート様の婚約者候補様。それはそれは、ご挨拶に伺わなければ失礼に当たりますわね!」
私はガタッと椅子を立ちました。獲物を見つけた狩人のような目が、一瞬だけ営業用スマイルの裏で光ります。
「……アイーナ、目が笑っていないぞ。あと、なぜ手に『ローゼン家の家計調査書』を握っているんだ?」
「プロですから、事前調査は怠りませんわ」
私が玄関ホールに向かうと、そこにはドリル状に巻かれた金髪を揺らし、扇子でバシバシと自分の手を叩いている令嬢が立っていました。
「おーほほほ! ギルバート様、聞きましたわよ! アステリアから逃げてきた『お払い箱』の令嬢を、この屋敷に囲っているんですって!?」
「初めまして、クラリッサ様。ヴォルフ公爵邸・特別顧問兼、国王陛下直任・経済特使のアイーナ・ルベルですわ。お払い箱だなんて、随分と古風な表現をお使いになりますのね。今風に言えば『ヘッドハンティングによる電撃移籍』と呼んでいただけますかしら?」
私は一分の隙もない、完璧なカーテシーを披露しました。
クラリッサ様は一瞬、私の肩書きの多さに怯みましたが、すぐに扇子で私を指差しました。
「黙りなさいな! あなたのような、マナーも知らない実務バカが、ギルバート様の隣に立つのに相応しいと思っているの!? 公爵夫人に必要なのは、優雅さと、高貴な血統よ!」
「優雅さ、ですか。……マリエル様、例のものを」
「はーい、アイーナ様!」
後ろからマリエル様が、一抱えもある巨大な「そろばん」を持って現れました。
「な、なんですの、その不格好な木の塊は……」
「これこそが、現代の公爵夫人に必要な『優雅な武器』ですわ。クラリッサ様、ローゼン家の昨年度の社交費、前年比で二十パーセントも増加していますわね? その割に、領内の絹織物の輸出額は停滞気味……。……これ、あと三年で破産しますわよ?」
私がそろばんを弾きながら微笑むと、クラリッサ様の顔がみるみる真っ白になりました。
「な、なぜそれを……! う、うちの家計がそんなに苦しいわけが……」
「あら、お父様が夜な夜な高級カジノに通い、あなたがこのドレスを一着作るために、領民の冬の燃料費を削ったことも……帳簿を読めば筒抜けですわ。……クラリッサ様、本当の意味での『高貴さ』とは、領民の生活を守る基盤の上に成り立つものですのよ?」
私の声から、少しだけ温度が消えました。
「ギルバート様の妻になりたいのであれば、まずはそのドリル状の髪を維持するための油代を節約し、領内の特産品のプロモーションに充てる……それくらいの覚悟が必要ではないかしら?」
「……っ! あ、あなたに何が分かるっていうのよ!」
「分かりますわ。なぜなら私、今まさに『ローゼン領・再建計画』のドラフトを書き上げたところですもの。……どうかしら、クラリッサ様? ギルバート様に縋り付いて破滅を待つか。それとも、私の下で『実務型令嬢』として一から修行し、領地を立て直すか……。……あ、お皿洗いから始めてもよくてよ?」
私は最高の営業用スマイルで、彼女を追い詰めました。
「……ア、アイーナ様。私、この展開、どこかで見たことがありますわ……」
マリエル様が、遠い目をしながら呟きました。
「……お、覚えてなさい! 私、絶対にギルバート様を諦めないんだから! ……でも、その再建計画、ちょっとだけ中身を見せていただけますかしら……?」
結局、クラリッサ様もまた、アイーナの「数字」と「論理」の前に屈し、半泣きで計画書を手に帰っていきました。
「……アイーナ。貴様、本当に怖い女だな」
ギルバート様が、私の背後から苦笑いして声をかけました。
「あら、ギルバート様。私はただ、隣り合う領地が破産して、私たちの新事業に影響が出るのを防ぎたかっただけですわ」
「……『私たち』、か。……その言葉、一生使い続けてくれるんだろうな?」
ギルバート様が私の耳元で低く囁き、腰を引き寄せました。
「……善処いたしますわ。……ところで、ギルバート様。……アステリアの国境警備から緊急連絡です」
「今度はなんだ? また金塊か?」
「いいえ。……レオン殿下が自ら、『アイーナの愛を確かめるため、体臭を染み込ませた巨大な布を気球に乗せて飛ばした』そうです。……現在、その巨大な布が風に流され、この屋敷の真上に向かっていますわ!!」
「………………全軍、対空砲火の用意をさせろ!!」
ギルバート様の怒号が、夕暮れの公爵邸に響き渡りました。
ギルバート様が、珍しく顔を青くして私の執務室に飛び込んできました。
「まあ、ギルバート様。私を噴水に沈めて、何かの儀式でも始めるおつもりですか? あいにくですが、今の私はこの国の経済特使。水浸しにするにはコストがかかりすぎますわよ」
私は営業用スマイルを維持したまま、大量の領地報告書に目を通し続けました。
「そうではない! ……隣の領地から、クラリッサ・ヴァン・ローゼン令嬢がやってきたんだ。彼女は……その、昔から私が自分の婚約者だと思い込んでいる、非常に粘着質な……」
「あら、ギルバート様の婚約者候補様。それはそれは、ご挨拶に伺わなければ失礼に当たりますわね!」
私はガタッと椅子を立ちました。獲物を見つけた狩人のような目が、一瞬だけ営業用スマイルの裏で光ります。
「……アイーナ、目が笑っていないぞ。あと、なぜ手に『ローゼン家の家計調査書』を握っているんだ?」
「プロですから、事前調査は怠りませんわ」
私が玄関ホールに向かうと、そこにはドリル状に巻かれた金髪を揺らし、扇子でバシバシと自分の手を叩いている令嬢が立っていました。
「おーほほほ! ギルバート様、聞きましたわよ! アステリアから逃げてきた『お払い箱』の令嬢を、この屋敷に囲っているんですって!?」
「初めまして、クラリッサ様。ヴォルフ公爵邸・特別顧問兼、国王陛下直任・経済特使のアイーナ・ルベルですわ。お払い箱だなんて、随分と古風な表現をお使いになりますのね。今風に言えば『ヘッドハンティングによる電撃移籍』と呼んでいただけますかしら?」
私は一分の隙もない、完璧なカーテシーを披露しました。
クラリッサ様は一瞬、私の肩書きの多さに怯みましたが、すぐに扇子で私を指差しました。
「黙りなさいな! あなたのような、マナーも知らない実務バカが、ギルバート様の隣に立つのに相応しいと思っているの!? 公爵夫人に必要なのは、優雅さと、高貴な血統よ!」
「優雅さ、ですか。……マリエル様、例のものを」
「はーい、アイーナ様!」
後ろからマリエル様が、一抱えもある巨大な「そろばん」を持って現れました。
「な、なんですの、その不格好な木の塊は……」
「これこそが、現代の公爵夫人に必要な『優雅な武器』ですわ。クラリッサ様、ローゼン家の昨年度の社交費、前年比で二十パーセントも増加していますわね? その割に、領内の絹織物の輸出額は停滞気味……。……これ、あと三年で破産しますわよ?」
私がそろばんを弾きながら微笑むと、クラリッサ様の顔がみるみる真っ白になりました。
「な、なぜそれを……! う、うちの家計がそんなに苦しいわけが……」
「あら、お父様が夜な夜な高級カジノに通い、あなたがこのドレスを一着作るために、領民の冬の燃料費を削ったことも……帳簿を読めば筒抜けですわ。……クラリッサ様、本当の意味での『高貴さ』とは、領民の生活を守る基盤の上に成り立つものですのよ?」
私の声から、少しだけ温度が消えました。
「ギルバート様の妻になりたいのであれば、まずはそのドリル状の髪を維持するための油代を節約し、領内の特産品のプロモーションに充てる……それくらいの覚悟が必要ではないかしら?」
「……っ! あ、あなたに何が分かるっていうのよ!」
「分かりますわ。なぜなら私、今まさに『ローゼン領・再建計画』のドラフトを書き上げたところですもの。……どうかしら、クラリッサ様? ギルバート様に縋り付いて破滅を待つか。それとも、私の下で『実務型令嬢』として一から修行し、領地を立て直すか……。……あ、お皿洗いから始めてもよくてよ?」
私は最高の営業用スマイルで、彼女を追い詰めました。
「……ア、アイーナ様。私、この展開、どこかで見たことがありますわ……」
マリエル様が、遠い目をしながら呟きました。
「……お、覚えてなさい! 私、絶対にギルバート様を諦めないんだから! ……でも、その再建計画、ちょっとだけ中身を見せていただけますかしら……?」
結局、クラリッサ様もまた、アイーナの「数字」と「論理」の前に屈し、半泣きで計画書を手に帰っていきました。
「……アイーナ。貴様、本当に怖い女だな」
ギルバート様が、私の背後から苦笑いして声をかけました。
「あら、ギルバート様。私はただ、隣り合う領地が破産して、私たちの新事業に影響が出るのを防ぎたかっただけですわ」
「……『私たち』、か。……その言葉、一生使い続けてくれるんだろうな?」
ギルバート様が私の耳元で低く囁き、腰を引き寄せました。
「……善処いたしますわ。……ところで、ギルバート様。……アステリアの国境警備から緊急連絡です」
「今度はなんだ? また金塊か?」
「いいえ。……レオン殿下が自ら、『アイーナの愛を確かめるため、体臭を染み込ませた巨大な布を気球に乗せて飛ばした』そうです。……現在、その巨大な布が風に流され、この屋敷の真上に向かっていますわ!!」
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