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アルカディア王国の王都、アヴァロン。
そこは、私の祖国とは比べ物にならないほどの活気に満ち溢れていた。
大通りにはレンガ造りの重厚な建物が立ち並び、行き交う人々の服も上質だ。
石畳は綺麗に整備され、馬車の走行音も軽やかだ。
「……ふむ。悪くないわね」
馬車の窓から街並みを眺め、私は鑑定士のような目つきで呟いた。
「商業ギルドの配置も適切。物流の動線も確保されている。この国のトップ、相当な『数字好き』と見たわ」
街を見れば、その国の統治者のレベルがわかる。
無駄な装飾よりも実利を優先するこの街の作りは、私の美学にピタリと合致していた。
「ここなら、私の第二の人生(セカンドライフ)を投資する価値がありそうね」
私は満足げに頷き、馬車を降りた。
御者にチップ(相場より一割増し)を渡し、まずは宿を探すことにした。
トランクを片手に、石畳の大通りを歩く。
今日の予定は決まっている。
まず、セキュリティのしっかりした宿を確保。
次に、美味しいランチを食べて英気を養う。
そして、午後からは観光……ではなく、市場調査(マーケティング)だ。
「ああ、自由って素晴らしい! もう誰かの尻拭いもしなくていいし、借金の計算もしなくていいのね!」
私は深呼吸をした。
王都の空気は、自由と、そして何より「お金」の匂いがした。
しかし。
私の「優雅な初日」は、わずか十分後に崩れ去ることになる。
原因は、一軒のパン屋だった。
「な……なによ、この行列は?」
大通りの一角にある、評判良さそうなベーカリー。
そこから、トグロを巻くように長蛇の列が伸びていたのだ。
香ばしい小麦の香りに釣られて並ぼうとした私は、その列の進みの遅さに眉をひそめた。
(遅い。あまりにも遅すぎる)
客が店に入ってから出てくるまで、平均四分三十秒。
パンを買うだけの行為に、なぜこれほど時間がかかるのか?
私は列に並びながら、目を凝らして店内を観察した。
そして、驚愕の事実(ボトルネック)を発見した。
「嘘でしょう……? レジと袋詰めを同じ店員がやってるの?」
それだけではない。
焼きあがったパンを陳列する棚がレジから遠く、店員がいちいち往復している。
さらに、小銭を探す客に対して、店員がニコニコと世間話をして待っている。
「あーっ! もう! イライラする!」
私の「職業病」が発作を起こした。
心の中の悪魔が囁く。
『放っておけメメリア。お前はもう公爵令嬢でもなければ、管理者でもない。ただの観光客だ』
しかし、心の中の天使(という名の経理担当)が叫ぶ。
『許せません! あの店員の無駄な動きだけで、年間三百時間のロスが発生しています! 機会損失額を計算しなさい!』
私の我慢は、空腹も相まって限界に達した。
「……すみません、ちょっと通ります!」
私は列を離れ、入り口へと突進した。
「あ、お客さん、列の最後尾は……」
「パンを買いに来たんじゃないの! あんたたちの働き方を見に来たのよ!」
私はカウンターの中にいた店主らしき親父さんに詰め寄った。
「お、お嬢ちゃん、何だよいきなり……」
「親父さん! この店、パンは美味しいのに回転率が悪すぎよ! 外の行列を見て! あれじゃ並ぶのを諦めて帰る客(取り逃がし)が三割はいるわ!」
「そ、そうなんだよ……忙しすぎて手が回らなくて……」
「手が回らないんじゃない、使い方が悪いのよ! いい? 今から私が言う通りにしなさい!」
私は持っていたトランクをドンと置き、袖をまくり上げた。
「まず、レジ係と袋詰め係を分けなさい! あんたはパンを袋に入れるだけ! 会計はそっちの若い子!」
「へ、へい!」
「それから、焼きたてパンのトレイはレジの真後ろに移動! 歩数を減らして!」
「でもそこは花瓶が……」
「花瓶なんて食えないでしょ! 撤去!」
ガシャンと花瓶をどかし、トレイを配置する。
「あと、客が小銭を探している間に、次の客の注文を聞いておくこと! オーダーの先取りよ!」
私の怒号が店内に響き渡る。
最初は呆気にとられていた店員たちも、私の剣幕と、実際に指示通りに動いた時のスムーズさに気づき、必死についてきた。
「はい次! クロワッサン二つ! 袋詰め完了!」
「お会計300ルピ! ありがとうございました!」
「次の方どうぞ!」
まるで戦場のようなスピード感。
停滞していた行列が、見る見るうちに消化されていく。
客たちも「おぉ、早いぞ」「すげえ手際だ」と感心している。
私はレジ横に陣取り、司令塔として指示を出し続けた。
「そこの新人! トングを持つ手が迷ってる! 配置を覚えなさい!」
「親父さん! 笑顔が消えてるわよ! スマイルは0ルピ、原価のかからない最高のサービスよ!」
気づけば、昼のピークタイムが終わっていた。
あれほどあった行列は綺麗になくなり、完売の札が掲げられた。
「ふぅ……。こんなものかしら」
額の汗を拭い、私は大きく息を吐いた。
店の中には、心地よい疲労感と達成感が漂っていた。
店主の親父さんが、震える手で売上金が入った袋を持ってきた。
「す、すげえ……。いつもの倍以上の売り上げだ……。しかも、まだ昼過ぎだっていうのに完売なんて……」
「当然よ。回転率を上げれば、在庫リスクも減るし鮮度も保てる。基本中の基本だわ」
私は澄ました顔で言ったが、ふと我に返った。
(……あれ? 私、何やってるの?)
スローライフはどうした。
観光はどうした。
初日から、見ず知らずの他国のパン屋で、無償で業務改善(コンサル)をしてしまった。
頭を抱える私に、親父さんが焼きたてのパンと、いくらかの金貨を差し出した。
「お嬢ちゃん、これ取っといてくれ! 礼だ! あんた、一体何者なんだ? どこかの凄腕商人か?」
「……いいえ。ただの、通りすがりの無職よ」
私は金貨とパンを受け取った。
無職。
その響きに少し傷つきながら、私は店を出た。
「はぁ……。私の性分、どうにかならないのかしら」
焼きたてのクロワッサンをかじる。
サクサクとした食感とバターの香りが口いっぱいに広がる。
美味しい。
労働の後の飯は、なぜこうも美味しいのか。
「ま、いっか。ランチ代が浮いたし、お小遣いも稼げたし」
私は気を取り直し、宿へ向かうことにした。
しかし、私は気づいていなかった。
このパン屋での一件が、王宮の諜報員の耳に入り、さらにはあの「鉄血宰相」のもとへ報告されていたことを。
『王都に、奇妙な女が現れました。毒舌で、金に厳しく、そして異常なほどの手腕で経営を立て直す女が』
私の平穏なスローライフは、すでに風前の灯火(キャンドル)となっていたのである。
そこは、私の祖国とは比べ物にならないほどの活気に満ち溢れていた。
大通りにはレンガ造りの重厚な建物が立ち並び、行き交う人々の服も上質だ。
石畳は綺麗に整備され、馬車の走行音も軽やかだ。
「……ふむ。悪くないわね」
馬車の窓から街並みを眺め、私は鑑定士のような目つきで呟いた。
「商業ギルドの配置も適切。物流の動線も確保されている。この国のトップ、相当な『数字好き』と見たわ」
街を見れば、その国の統治者のレベルがわかる。
無駄な装飾よりも実利を優先するこの街の作りは、私の美学にピタリと合致していた。
「ここなら、私の第二の人生(セカンドライフ)を投資する価値がありそうね」
私は満足げに頷き、馬車を降りた。
御者にチップ(相場より一割増し)を渡し、まずは宿を探すことにした。
トランクを片手に、石畳の大通りを歩く。
今日の予定は決まっている。
まず、セキュリティのしっかりした宿を確保。
次に、美味しいランチを食べて英気を養う。
そして、午後からは観光……ではなく、市場調査(マーケティング)だ。
「ああ、自由って素晴らしい! もう誰かの尻拭いもしなくていいし、借金の計算もしなくていいのね!」
私は深呼吸をした。
王都の空気は、自由と、そして何より「お金」の匂いがした。
しかし。
私の「優雅な初日」は、わずか十分後に崩れ去ることになる。
原因は、一軒のパン屋だった。
「な……なによ、この行列は?」
大通りの一角にある、評判良さそうなベーカリー。
そこから、トグロを巻くように長蛇の列が伸びていたのだ。
香ばしい小麦の香りに釣られて並ぼうとした私は、その列の進みの遅さに眉をひそめた。
(遅い。あまりにも遅すぎる)
客が店に入ってから出てくるまで、平均四分三十秒。
パンを買うだけの行為に、なぜこれほど時間がかかるのか?
私は列に並びながら、目を凝らして店内を観察した。
そして、驚愕の事実(ボトルネック)を発見した。
「嘘でしょう……? レジと袋詰めを同じ店員がやってるの?」
それだけではない。
焼きあがったパンを陳列する棚がレジから遠く、店員がいちいち往復している。
さらに、小銭を探す客に対して、店員がニコニコと世間話をして待っている。
「あーっ! もう! イライラする!」
私の「職業病」が発作を起こした。
心の中の悪魔が囁く。
『放っておけメメリア。お前はもう公爵令嬢でもなければ、管理者でもない。ただの観光客だ』
しかし、心の中の天使(という名の経理担当)が叫ぶ。
『許せません! あの店員の無駄な動きだけで、年間三百時間のロスが発生しています! 機会損失額を計算しなさい!』
私の我慢は、空腹も相まって限界に達した。
「……すみません、ちょっと通ります!」
私は列を離れ、入り口へと突進した。
「あ、お客さん、列の最後尾は……」
「パンを買いに来たんじゃないの! あんたたちの働き方を見に来たのよ!」
私はカウンターの中にいた店主らしき親父さんに詰め寄った。
「お、お嬢ちゃん、何だよいきなり……」
「親父さん! この店、パンは美味しいのに回転率が悪すぎよ! 外の行列を見て! あれじゃ並ぶのを諦めて帰る客(取り逃がし)が三割はいるわ!」
「そ、そうなんだよ……忙しすぎて手が回らなくて……」
「手が回らないんじゃない、使い方が悪いのよ! いい? 今から私が言う通りにしなさい!」
私は持っていたトランクをドンと置き、袖をまくり上げた。
「まず、レジ係と袋詰め係を分けなさい! あんたはパンを袋に入れるだけ! 会計はそっちの若い子!」
「へ、へい!」
「それから、焼きたてパンのトレイはレジの真後ろに移動! 歩数を減らして!」
「でもそこは花瓶が……」
「花瓶なんて食えないでしょ! 撤去!」
ガシャンと花瓶をどかし、トレイを配置する。
「あと、客が小銭を探している間に、次の客の注文を聞いておくこと! オーダーの先取りよ!」
私の怒号が店内に響き渡る。
最初は呆気にとられていた店員たちも、私の剣幕と、実際に指示通りに動いた時のスムーズさに気づき、必死についてきた。
「はい次! クロワッサン二つ! 袋詰め完了!」
「お会計300ルピ! ありがとうございました!」
「次の方どうぞ!」
まるで戦場のようなスピード感。
停滞していた行列が、見る見るうちに消化されていく。
客たちも「おぉ、早いぞ」「すげえ手際だ」と感心している。
私はレジ横に陣取り、司令塔として指示を出し続けた。
「そこの新人! トングを持つ手が迷ってる! 配置を覚えなさい!」
「親父さん! 笑顔が消えてるわよ! スマイルは0ルピ、原価のかからない最高のサービスよ!」
気づけば、昼のピークタイムが終わっていた。
あれほどあった行列は綺麗になくなり、完売の札が掲げられた。
「ふぅ……。こんなものかしら」
額の汗を拭い、私は大きく息を吐いた。
店の中には、心地よい疲労感と達成感が漂っていた。
店主の親父さんが、震える手で売上金が入った袋を持ってきた。
「す、すげえ……。いつもの倍以上の売り上げだ……。しかも、まだ昼過ぎだっていうのに完売なんて……」
「当然よ。回転率を上げれば、在庫リスクも減るし鮮度も保てる。基本中の基本だわ」
私は澄ました顔で言ったが、ふと我に返った。
(……あれ? 私、何やってるの?)
スローライフはどうした。
観光はどうした。
初日から、見ず知らずの他国のパン屋で、無償で業務改善(コンサル)をしてしまった。
頭を抱える私に、親父さんが焼きたてのパンと、いくらかの金貨を差し出した。
「お嬢ちゃん、これ取っといてくれ! 礼だ! あんた、一体何者なんだ? どこかの凄腕商人か?」
「……いいえ。ただの、通りすがりの無職よ」
私は金貨とパンを受け取った。
無職。
その響きに少し傷つきながら、私は店を出た。
「はぁ……。私の性分、どうにかならないのかしら」
焼きたてのクロワッサンをかじる。
サクサクとした食感とバターの香りが口いっぱいに広がる。
美味しい。
労働の後の飯は、なぜこうも美味しいのか。
「ま、いっか。ランチ代が浮いたし、お小遣いも稼げたし」
私は気を取り直し、宿へ向かうことにした。
しかし、私は気づいていなかった。
このパン屋での一件が、王宮の諜報員の耳に入り、さらにはあの「鉄血宰相」のもとへ報告されていたことを。
『王都に、奇妙な女が現れました。毒舌で、金に厳しく、そして異常なほどの手腕で経営を立て直す女が』
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