悪役令嬢は、その婚約破棄(ボーナス)を待っていた!

黒猫かの

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宿のベッドの上で、私は至福の時間を過ごしていた。

シーツの上に広げたのは、愛しい恋人……ではなく、この国の求人情報誌だ。

「ふむ……『アットホームな職場です』? 地雷ね。残業代未払いの気配がするわ」

赤ペンでバツをつける。

「『やる気のある方募集! 夢を叶えよう!』? これもダメ。夢で腹は膨れないし、やりがい搾取の典型的なフレーズよ」

次々と候補を切り捨てていく。

王都アヴァロンに来て三日。

私は快適な宿を拠点に、堅実な就職先を探していた。

公爵令嬢としてのプライド?

そんなものは国境に捨ててきた。今の私は「数字に強くて計算が速い、謎の美女(自称)」だ。

「なかなか条件に合うところがないわね……。いっそ、自分でコンサル事務所でも立ち上げようかしら」

独り言を呟いたその時。

コンコン、と部屋のドアがノックされた。

「はい? ルームサービスは頼んでいませんけど」

「……私だ。国境で会った、行商人のギルだ」

その声に、私は眉を跳ね上げた。

ギル? あの時の、やけに羽振りのいい男か。

ドアを開けると、そこには先日と同じフードを目深にかぶった長身の男が立っていた。

ただし、今日は背後の荷馬車はなく、代わりに仕立ての良いスーツを着た無表情な護衛(どう見ても堅気じゃない)を二人連れている。

「あら、行商人さんが何の用? もしかして、あの時のコンサル料の返金請求?」

「まさか。君の仕事ぶりには価格以上の価値があった。……立ち話もなんだ、入らせてもらっても?」

「どうぞ。ただし、お茶菓子はないわよ」

私は彼を部屋に招き入れた。

ギルは部屋に入るなり、散乱した求人誌を興味深そうに眺めた。

「職探し中か?」

「ええ。この国の求人は『やる気』とか『根性』を求めすぎね。私が欲しいのは『定時退社』と『正当な評価』だけなんだけど」

「合理的だな。……なら、話が早い」

ギルはフードを少しだけ上げ、端正な顔を露わにした。

切れ長の瞳が、獲物を狙う猛禽類のように私を射抜く。

「単刀直入に言おう。メメリア、君が欲しい」

「……はい?」

私は瞬きをした。

「君が欲しい」

「……あのね、ギルさん。出会って二回目でそのセリフは、三流の恋愛小説でもボツよ。それに私、安くないわよ?」

私が呆れて返すと、ギルはキョトンとした後、小さく吹き出した。

「くくっ……ははは! 誤解させてすまない。愛人契約の話ではない。労働力としての『君が欲しい』と言ったんだ」

「紛らわしい言い方をしないでちょうだい。で? なんの仕事? あなたの商会の経理?」

「もっと大きな組織だ」

ギルは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに置いた。

そこには、燦然と輝く王家の紋章が刻印されていた。

「……王宮?」

「そうだ。私は王宮に出入りしている……まあ、人材コーディネーターのようなものだと思ってくれ。現在、王宮の事務部門は慢性的な人手不足でね。君のような『即戦力』を喉から手が出るほど欲している」

「王宮……」

私は嫌な顔をした。

「パスね。王宮勤めなんて、ブラックの極みじゃない。前時代的な慣習、無駄な派閥争い、終わらない書類仕事。肌荒れの原因よ」

「我が国の王宮は違う。実力主義だ。それに……君が先日パン屋で行った『業務改善』、あれは見事だった。あの噂を聞いて、ぜひ君に白羽の矢を立てたいと思ったのだ」

「パン屋のことまで知ってるの? ……ストーカー?」

「情報収集と言ってくれ」

ギルは薄く笑い、羊皮紙を私の前に押し出した。

「条件を見てくれ。悪い話ではないはずだ」

私は疑いの眼差しで書類を手に取った。

そして、金額の欄を見て、目玉が飛び出そうになった。

「は!? げ、月給……これ、ゼロの数、間違ってない?」

「間違っていない。王宮の課長クラスと同等の待遇だ。ただし、君には『特別補佐官』という非常勤のポジションについてもらう」

破格だ。

エリオット殿下の婚約者時代のお小遣いの三倍はある。

「……仕事内容は?」

「各部署の業務効率化、および予算削減の提案。つまり、君がパン屋と検問所でやったことを、王宮規模でやってくれればいい」

「……で、拘束時間は?」

ここが重要だ。

「基本は朝九時から夕方五時まで。だが、王宮は激務だ。多少の残業は……」

「却下」

私は書類をテーブルに戻した。

「え?」

「『多少の残業』という曖昧な表現が地雷なのよ。その『多少』が深夜まで及ぶのが公務員の常識でしょう? 私はプライベートを何より重視する女よ。定時で帰れないなら、この話はなかったことに」

ギルは驚いたように私を見つめた後、困ったようにこめかみを押さえた。

「……君は、本当に金と数字以外に興味がないのだな」

「ええ。愛も忠誠心も、残業代の代わりにはなりませんから」

「面白い。……いいだろう」

ギルは懐から万年筆を取り出し、書類にサラサラと追記した。

『原則として定時退社を認める。残業が発生した場合は、基本給の一.五倍の割増賃金を支払うものとする』

「これでどうだ?」

「……一.五倍?」

私の計算機が弾き出した答えは『超優良案件』だった。

「それから、有給休暇は?」

「法定通り付与しよう」

「お茶くみやコピー取りなどの雑用は?」

「専門の職員がいる。君には頭脳だけを使ってもらいたい」

「福利厚生は? 王宮の食堂は使えるの?」

「使い放題だ。デザートもつく」

「……ペンを貸して」

私はギルから万年筆をひったくった。

そして、契約書の署名欄に、流れるような筆記体でサインをした。

『Memeria Allcott』

「契約成立ね。明日から私は王宮の犬……じゃなくて、王宮の非常勤職員よ」

「賢明な判断だ。歓迎するよ、メメリア」

ギルは満足げに契約書を回収した。

その笑顔が、どことなく「罠にかかった獲物」を見る狩人のそれに見えたのは、気のせいだろうか。

「ああ、言い忘れていたが」

ギルが立ち上がり、出口に向かいながら振り返る。

「私の上司……つまり宰相閣下は、非常に『数字』に厳しい方だ。君のその容赦ない合理性、気に入られるといいのだが」

「あら、望むところよ。非合理な上司より、数字で会話できる上司の方が百倍マシだわ」

「そうか。……では、明日の朝九時。王宮の北門で待っている」

ギルは部屋を出て行った。

残された私は、手元の控え書類を見つめてニヤリと笑った。

「やったわ……! 高給取りのバイト生活ゲットよ! しかも定時上がり! これでアフターファイブは観光し放題!」

私はベッドにダイブした。

まさか、その就職先が「魔窟」と呼ばれるほど書類が山積みになった、地獄の宰相府だとは知らずに。

そして、あの「ギル」という男が、単なるコーディネーターではなく、その魔窟の主である「鉄血宰相」本人だということに気づくのは、明日の朝のことである。

「明日の服、どうしようかしら。……やっぱり、一番強そうに見えるパンツスーツで行こうっと」

私の王宮ライフは、波乱の予感と共に幕を開けようとしていた。
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