悪役令嬢は、その婚約破棄(ボーナス)を待っていた!

黒猫かの

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翌朝。

ギルバート殿下の熱は、昨夜のデレデレ具合が嘘のように平熱に戻っていた。

そして、その反動(リバウンド)もまた大きかった。

「……おはよう」

朝食の席。

殿下は、コーヒーカップを見つめたまま、私と目を合わせようとしない。

耳まで真っ赤だ。

「おはようございます、殿下。お加減はいかがですか?」

私がトーストにバターを塗りながら尋ねると、殿下は咳払いをした。

「……あー、問題ない。昨夜は……その、すまなかった。熱のせいで、だいぶ……うわ言を言っていたような気がする」

「うわ言ですか? 『君を離さない』とか『墓場まで手放さない』とか、ホラー映画顔負けの愛の言葉を連発されていましたが」

「ぐふっ!」

殿下がコーヒーを吹きそうになった。

「き、記憶にあるのか……!?」

「鮮明に。録音しておけば高く売れたかもしれませんね」

私がニヤリと笑うと、殿下はテーブルに突っ伏した。

「……忘れてくれ。いや、本心だが……あんな無様(ぶざま)な姿を……」

「別に良いではありませんか。殿下の新たな一面(脆弱性)を発見できて、私は有意義でしたよ」

私は優雅にコーヒーを飲んだ。

殿下はしばらく悶絶していたが、やがて意を決したように顔を上げた。

その瞳には、いつもの「鉄血宰相」の鋭さが戻っていた。

「……メメリア。朝食が済んだら、私の執務室に来てくれ。……重要な『案件』がある」

「重要案件? 承知しました。資料の準備は?」

「いらない。……君の身一つでいい」

その真剣な響きに、私はバターナイフを置く手を少しだけ止めた。

(……来たわね。昨夜の延長戦が)



一時間後。執務室。

いつになく綺麗に片付いたデスク(私が掃除したからだが)を挟んで、私たちは対峙していた。

空気は重い。

まるで、国家間の条約締結式のようだ。

殿下は、一枚の分厚い羊皮紙をデスクの上に置いた。

「単刀直入に言おう、メメリア」

殿下は両手を組み、私を真っ直ぐに見据えた。

「私と結婚してくれ」

「……」

私は瞬きもせず、その言葉を受け止めた。

プロポーズ。

多くの女性が夢見る、人生最大のイベント。

しかし、私の反応は違った。

私は懐からマイ電卓を取り出し、カチャカチャと叩き始めた。

「……結婚、ですか。つまり、私と殿下の『恒久的な業務提携』および『資産の相互運用』をご提案ということですね?」

「……まあ、そういう解釈でもいい」

殿下は苦笑したが、否定はしなかった。

「理由は? 私を選ぶメリット(利点)をプレゼンしてください」

「メリットか。……第一に、君の事務処理能力は我が国にとって不可欠だ。結婚すれば、君を他国に引き抜かれるリスク(今回のエリオットのような件)を完全に排除できる」

「合理的ですね。人材の囲い込み(リテンション)は経営の基本です」

「第二に、私は君以外の女性を伴侶にするつもりがない。君以外の女性といると、蕁麻疹が出る体質になりそうだ」

「それは精神的な病理ですね。別途治療が必要ですが、一途さの証明としては採用しましょう」

「そして第三に……」

殿下は立ち上がり、デスクを回り込んで私の前に立った。

そして、私の手を取り、跪いた。

「……私は、君を愛している。君が隣にいてくれないと、世界が色褪せて見えるんだ。……これは、数字では表せない価値だ」

真摯な瞳。

その奥にある熱量は、昨夜の熱に浮かされた時よりも、ずっと確かな温度を持っていた。

(……参ったわね)

私の心拍数が、また上昇カーブを描き始める。

数字で表せない価値。

そんな非合理なものを、この合理主義の塊のような男が提示してくるなんて。

「……プレゼンは合格点です」

私は動揺を隠すように、ツンとした態度で答えた。

「ですが、即決はできません。結婚は人生最大の契約です。条件(スペック)を詰めさせていただきます」

「望むところだ。……これが、私の用意した『婚姻契約書案』だ」

殿下は先ほどの羊皮紙を広げた。

私はそれを手に取り、赤ペンを構えた。

「では、交渉(ネゴシエーション)開始といきましょう」

ここから、歴史に残るであろう「色気ゼロのプロポーズ会議」が幕を開けた。

「第一条、『甲(殿下)は乙(私)を生涯愛し抜くこと』……これは精神論ですので削除。『甲は乙の精神的安定に寄与し、浮気等の背信行為があった場合は、全財産を没収の上、国外追放とする』に修正します」

「……全財産没収か。厳しいな」

「不服ですか?」

「いや、浮気をするつもりはないから構わない。承認しよう」

「第二条、『家事・育児の分担について』。……『乙が全般を行う』? 却下です。ここは『業務委託(アウトソーシング)』を活用し、費用は国庫負担とします。私は家政婦になるために結婚するわけではありません」

「……なるほど。確かに君の時間を家事に費やすのは国家的損失だ。承認する。メイドを増員しよう」

「第三条、『執務室への立ち入り権限』。……『いつでも可』? 甘いです。『乙は甲の執務内容を24時間監視(モニタリング)し、無駄遣いを発見次第、即座に修正・凍結する権限を持つ』を追加してください」

「……私の小遣いがなくなる予感がするが、国の財政のためだ。……承認しよう」

サクサクと決まっていく条項。

傍で見ていたら「何の商談だ」と突っ込みたくなる光景だろう。

しかし、私たちにとっては、これこそが「愛の確認作業」だった。

互いの価値観をすり合わせ、リスクを回避し、最高のパートナーシップを築くための共同作業。

そして、最後の一行。

『契約期間:一生涯(自動更新)』

私はそこでペンを止めた。

「……一生涯、ですか」

「長いか?」

殿下が不安そうに尋ねる。

私は首を横に振った。

「いいえ。……短期契約では、初期投資(結婚式の費用など)の回収ができませんからね。長期運用が前提です」

私はニッコリと笑い、契約書の末尾にサインをした。

『Memeria Allcott』

「契約成立です、殿下。……いえ、これからは『あなた』と呼ぶべきかしら?」

私が書類を差し出すと、殿下は眩しいものを見るように目を細め、それを受け取った。

そして、今度は私を力強く抱き寄せた。

「ありがとう、メメリア。……必ず、君を黒字(しあわせ)にしてみせる」

「期待していますよ、旦那様(パートナー)。……もし赤字になったら、即座に経営陣の刷新(離婚)を要求しますからね?」

「はは、肝に銘じておこう」

私たちは執務室の中心で、契約成立のキスを交わした。

それは、甘く、温かく、そして何より「将来的展望」に満ちた味がした。

こうして、悪役令嬢メメリアと鉄血宰相ギルバートの、最強の「契約結婚」が成立したのである。

……もっとも。

この直後に乱入してきたミナ嬢たちが、最後の悪あがきで結婚式をぶち壊そうと画策していることなど、幸せの絶頂(かつ計算中)の私たちはまだ知る由もなかった。
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