歓喜!婚約破棄で田舎へ逃亡します!

黒猫かの

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「……ほう。『常闇の城は、夜な夜な淫らな喘ぎ声が響く愛欲の館と化した』……か」


朝食の席で、シルベスターは新聞を広げ、無表情でその見出しを読み上げた。


それは王都で最も発行部数の多いゴシップ紙『週刊スキャンダル』のトップ記事だった。


デカデカと掲載されているのは、私の悪人面(たまたま睨んでいる時の写真)と、シルベスターの凶悪面(たまたま眩しそうにしている時の写真)のコラージュ画像だ。


見出しはさらに続く。


『悪役令嬢カモミール、魔性のテクニックで魔王公爵を洗脳か!?』
『毎晩繰り返される「激しい運動」により、城壁にヒビが入るほどの衝撃!』
『公爵は骨抜きにされ、言いなり状態……国の防衛危うし!』


「……誰ですか、こんな三文小説のような記事を書いたのは」


私はトーストにバターを塗りながら、冷ややかに新聞を瞥見した。


「情報源は『王都のM男爵令嬢』とありますね。ミナ様でしょう」


控えていたセバスチャンが、紅茶を注ぎながら補足する。


「あの女、飽きもせず……。こんなデタラメを書いて、名誉毀損で訴えれば勝てますよ」


「デタラメ?」


シルベスターが首を傾げた。


「合っている部分もあるぞ」


「どこがですか」


「『夜な夜な声が響く』。昨夜もお前は『重い!』『暑い!』『足が冷たい!』と叫んでいたではないか」


「それは貴方の寝相が悪すぎるからです」


「『激しい運動』。寝返りを打つたびにお前と布団の奪い合いをしている。あれはかなりのカロリー消費だ」


「貴方が一方的に巻き付いてくるだけです」


「『骨抜きにされ、言いなり』。事実だ。お前に『寝なさい』と言われたら、俺は逆らえん」


シルベスターは真顔で頷いた。


「この記事を書いた記者は、なかなか鋭い観察眼を持っているな。褒めてやろう」


「褒めないでください! ニュアンスが全然違います! これでは完全に、私が色仕掛けで貴方をたぶらかしたみたいじゃないですか!」


私は頭を抱えた。


この記事のせいで、私の「有能な安眠コンサルタント」としての評判が、「傾国の悪女」に書き換えられてしまう。


「まあ、気にするな。事実、俺はお前に溺れている」


シルベスターは私の指についたジャムを舐め取った。


「きゃっ!?」


「お前が『悪女』だろうが『聖女』だろうが関係ない。俺にとってお前は、唯一無二の『安眠の女神』だ。……それ以外に何か必要か?」


彼の深紅の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。


その瞳には、一点の曇りもない信頼と、そして微かな熱が宿っていた。


「……っ」


私は言葉に詰まった。


こういう不意打ちの殺し文句(本人は無自覚)が一番心臓に悪い。


「……も、もう。勝手にしてください」


私は顔を赤らめてそっぽを向いた。


だが、事態は私たちの予想の斜め上を行っていた。


午後になると、城に大量の手紙が届き始めたのだ。


「お嬢様、閣下。王都および周辺の貴族たちから、書簡の山が届いております」


セバスチャンがワゴンに載せて運んできたのは、新聞記事を見た人々からの反応だった。


「どうせ抗議文か、脅迫状でしょう? 全部燃やして暖炉の燃料に……」


私が言いかけた時、セバスチャンが首を横に振った。


「いえ、それが……大半が『ファンレター』と『お悩み相談』でございます」


「は?」


私は手紙の一通を開封した。


『拝啓、カモミール様。新聞を拝見しました。あの恐ろしい魔王公爵を骨抜きにするとは、なんと素晴らしい手腕! ぜひ、その「男を操るテクニック」をご教授願いたい! 当方の夫は頑固で……』


「……なんですかこれは」


次の一通を開ける。


『カモミールお姉様へ! 悪役令嬢として生きる姿、憧れます! 「媚びない、群れない、寝る」という生き方に感銘を受けました! 私も明日から早寝早起きします!』


さらに次。


『シルベスター閣下へ。あの閣下が女性に溺れるなど、人間味があって親近感が湧きました。今度、おすすめの精力剤を贈りますので……』


「……」


私たちは顔を見合わせた。


どうやら、ミナの意図とは裏腹に、世間の反応は好意的だったようだ。


「『恐怖の魔王』と『冷徹な悪役令嬢』。この二人が実はバカップルだったというギャップが、大衆のエンタメ心を刺激したようですな」


セバスチャンが冷静に分析する。


「バカップルではありません!」


「そうか? 俺は嬉しいぞ。お前との仲が公認されたようでな」


シルベスターは満更でもなさそうだ。


「それに、こんな手紙もあります」


セバスチャンが分厚い封筒を差し出した。


差出人は、王都有数の大商会『ゴールデン・商事』の会頭だ。


『前略。新聞記事にて、閣下が「激しい夜」を過ごされていると拝読しました。つきましては、当商会の開発した「決して壊れないベッド」と「防音壁」を導入しませんか? モニターになっていただければ、全品無料にて提供いたします』


「……」


「採用だ」


シルベスターが即答した。


「待ってください! 採用しないでください!」


「なぜだ? 城のベッドは俺の寝返りでよく軋む。頑丈なベッドは必要不可欠だ」


「それを導入したら、記事の内容を肯定することになります!」


「事実は肯定すればいい。カモミール、俺は隠すつもりはないぞ。お前と共に寝ていることを」


「言い方ーっ!!」


私は絶叫した。


この男には羞恥心という概念がないのか。


「とにかく! 誤解を解くための声明文を出します! 『我々は健全な雇用関係にあり、夜の営み(睡眠)はあくまで業務の一環である』と!」


「つまらんな。それでは夢がない」


「夢より名誉が大事です!」


私がペンを取り、必死に反論文の下書きを始めた時だった。


「……ふん、暢気なものね」


不意に、部屋の空気が変わった。


窓の外からではなく、部屋の『影』の中から、声が聞こえた。


「誰!?」


私が振り返ると、部屋の隅の影が盛り上がり、一人の人物が姿を現した。


黒いボディスーツに身を包んだ、スタイルの良い美女。


その手には、鋭い苦無(くない)が握られている。


「……お前は」


シルベスターが目を細めた。


「久しぶりね、シルベスター。相変わらず、隙だらけの寝顔をしているのかしら?」


女は妖艶に微笑んだ。


「彼女は?」


私が尋ねると、シルベスターは面倒そうに答えた。


「……元カノだ」


「は?」


「訂正しろ。元『暗殺依頼のターゲット』兼『一晩だけ添い寝を試した相手』だ」


シルベスターが補足する。


「一晩だけ……?」


私の心に、チクリと棘が刺さった。


「誤解するな。眠れなくて、色々な女を試していた時期があったんだ。だが、誰一人として俺を眠らせることはできなかった」


「そうよ。私の『誘眠香』も『気絶魔法』も、この化け物には効かなかったわ」


女は肩をすくめた。


「だから私は諦めて去ったの。……なのに、新聞を見て驚いたわ。ぽっと出の小娘が、私のできなかった偉業を成し遂げたですって?」


女の視線が、値踏みするように私に向けられた。


「カモミール・スリープ。貴女、一体何を使ったの? どんな『魔性の技』で、この不眠症の魔王を陥落させたの?」


「……ただのハーブティーと、添い寝です」


「嘘ね。そんなもので落ちる男じゃないわ」


女は一瞬で間合いを詰め、私の喉元に苦無を突きつけた。


「白状なさい。貴女、本当は『魅了の魔女』なんでしょう? それとも、もっと禁断の薬を使ったのかしら?」


「……やめろ、リリス」


シルベスターの声が低くなる。


「その女に傷一つでもつければ、お前の組織ごと消すぞ」


「あら、怖い。……本気で惚れているのね」


リリスと呼ばれた女は、苦無を引いた。


「いいわ。今日は挨拶に来ただけよ。……新聞の噂が本当か、確かめたかったの」


彼女は私をじっと見つめ、そしてふっと笑った。


「……なるほどね。貴女からは『匂い』がしないわ」


「匂い?」


「欲望の匂いよ。金も、権力も、男の体も求めていない。……ただ、純粋に『眠りたい』という渇望だけが伝わってくる」


「……同類ですから」


「そう。だからこそ、この警戒心の塊みたいな男が心を許したのね」


リリスは納得したように頷いた。


「面白いわ。貴女たち、王都では『世紀のバカップル』として人気急上昇中よ? このまま突き進めばいいわ」


「人気なんていりません」


「ふふ。でも気をつけて。……その人気を妬む『本当の敵』が、動き出しているみたいだから」


「本当の敵?」


「ええ。ミナなんて可愛いものよ。もっとドロドロとした、貴族社会の闇がね」


リリスは意味深な言葉を残し、再び影の中へと沈んでいった。


「じゃあね。結婚式には呼んでちょうだい。祝儀代わりに、特製の睡眠毒を持っていくわ」


気配が消えた。


「……なんだったんですか、今の」


私はへなへなと椅子に座り込んだ。


「気にすんな。昔の知り合いだ」


シルベスターは私の肩を抱いた。


「だが、彼女の言う通りかもしれない。噂が広まるということは、注目を集めるということだ」


「ええ。面倒なことになりましたね」


私はため息をついた。


平穏な隠居生活は、どこへやら。


悪名は無名に勝るというが、今の私は『魔王を飼いならした悪女』として、国中の注目の的になってしまったのだ。


「だが、悪くない」


シルベスターは私の手を取り、甲に口づけをした。


「世界中が敵に回っても、俺はお前を守る。……そして、お前は俺の眠りを守る。それで十分だろう?」


「……そうですね」


私は観念して、彼の手に頬を寄せた。


「分かりました。受けて立ちましょう。……どんな噂も、障害も、すべて踏み潰して安眠を手に入れてみせます」


「その意気だ、俺のパートナー」


私たちは視線を交わし、ニヤリと笑った。


新聞記事の切り抜きは、記念に取っておくことにした。


後世、この『魔王と悪役令嬢のスキャンダル』が、国を揺るがす大恋愛譚として語り継がれることになるのだが……それはまた、別のお話。


今はただ、次々と届く『お悩み相談』の手紙を、どう処理するか(あるいは焚き付けにするか)が喫緊の課題だった。
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