貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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王都を出てから数日。
馬車はひたすらに北上し、ついに懐かしの我が家へと到着した。

オーベルヌ公爵領。
北の国境を守る要衝であり、険しい山々に囲まれた土地だ。
その中心に鎮座するのが、私の実家である公爵邸である。

「……相変わらず、魔王城みたいな威圧感ね」

馬車の窓から見えた我が家は、断崖の上にそびえ立つ黒塗りの要塞だった。
尖塔は鋭く天を突き、外壁には蔦が絡まり、雷鳴が似合いそうな佇まい。
知らない人が見れば、間違いなくラスボスの住処だと思うだろう。

門が開くと、左右にずらりと使用人たちが並んでいた。

「お帰りなさいませェ!! お嬢ォォォ!!」

ドスの利いた野太い声が響く。
我が家の使用人たちは、なぜか全員屈強な男たち(スキンヘッド率高め)か、目つきの鋭いメイドたちで構成されている。
彼らが一斉に頭を下げる様は、どう見てもその筋の構成員の集会だ。

「……ただいま」

私が馬車から降りて一言呟くと、彼らは感極まったように身を震わせた。

「見ろ、お嬢のあの目……! さらに磨きがかかって帰ってこられたぞ!」

「王都の軟弱な空気に染まらず、立派な『殺る目』をしておられる……!」

「さすがは我らがオーベルヌの華だ!」

(だから、ただの長旅の疲れ目です)

心の中で訂正しつつ、私は玄関へと向かった。
いよいよ、最大の難関だ。
両親への報告である。

「お父様、お母様……起きていらっしゃるかしら」

深夜に近い時間だが、屋敷の奥からは明かりが漏れている。
私は覚悟を決めて、大広間の重厚な扉を押し開けた。

「カトレア・フォン・オーベルヌ、ただいま戻りました」

広間の中央。
巨大な暖炉の前で、二つの影が揺れていた。

「……おお、帰ったか」

地響きのような声と共に立ち上がったのは、私の父、オーベルヌ公爵ヴォルフガング。
身長二メートル越えの巨躯。
顔には歴戦の傷跡(※実際は庭仕事で枝に引っかかった傷)。
そして私と同じ、いや私以上に凶悪な三白眼。

その隣には、母のイザベラ。
元は王都で名を馳せた侯爵令嬢だが、扇子一本で暴漢を撃退したという伝説を持つ「姉御肌」の女性だ。
今はワイングラスを片手に、鋭い視線で私を見据えている。

「カトレア。ずいぶんと早いお帰りじゃないか」

父の低い声が鼓膜を揺らす。
私はゴクリと喉を鳴らした。
やはり、怒られるだろうか。
王家との縁談を破談にして戻ってきたのだ。
「公爵家の泥を塗りおって!」と勘当されても文句は言えない。

私は背筋を伸ばし、震える手を隠して口を開いた。

「申し訳ありません。実は……」

「手紙は届いているぞ」

父が私の言葉を遮った。
手には、王家からの早馬で届いたであろう書状が握られている。
その紙は、父の握力でくしゃくしゃに潰されていた。

「こ、婚約破棄の件……でございますね」

「ああ、そうだ。あのバカ王子め……」

父のこめかみに青筋が浮かぶ。
部屋の温度が数度下がった気がした。
母も無言でグラスを揺らしている。

(ひぃぃっ! やっぱり怒ってる! 殺される!)

私は反射的に身構えた。
父が大きく息を吸い込む。
雷が落ちる。
そう思った瞬間だった。

「でかしたァァァァァァッ!!!」

「へ?」

父の咆哮は、怒号ではなく歓喜のものだった。
ドンッ! とテーブルを叩き(テーブルが真っ二つに割れた)、父は満面の笑み――一般的には捕食者が獲物を見つけた時の顔――を浮かべた。

「よくやったカトレア! いやあ、いつ破談になるかと毎日賭けをしていたんだが、まさか向こうから言い出すとはな! 傑作だ!」

「そ、そう……なのですか?」

「当たり前だ! あんな軟弱でナルシストな男、我が家の敷居を跨がせるのも虫唾が走っていたんだ! だが王命だから断れず、お前が我慢しているならと静観していたが……いやあ、スッキリした!」

父がガハハと豪快に笑う。
母も優雅に立ち上がり、私の元へと歩み寄ってきた。

「おかえり、カトレア。辛かったでしょう? あの王子、あなたの顔を見るたびに『目が怖い』だの失礼なことを言っていたそうじゃない」

母の冷ややかな美貌が、慈愛に満ちた(ただし凄みのある)表情に変わる。

「私の可愛い娘の、このチャーミングな瞳の良さが分からないなんて。本当に見る目のない男ね」

「お、お母様……」

「でも良かったわ。これで貴方は自由よ。もうあの堅苦しいドレスも、無意味なマナー教室も必要ないわ」

母が私を抱きしめてくれる。
懐かしい匂い。
緊張の糸がぷつりと切れた。

「……ううっ……」

「おや、泣くことはないだろう。それとも嬉し泣きか?」

父が私の頭を、壊れ物を扱うように(実際の手つきは熊が岩を砕く勢いだが)撫でてくる。

「嬉しいです……。私、本当に……帰ってきてよかった……」

「当たり前だ! ここは貴様の家だ。好きなだけ居座ればいい!」

父が使用人たちに向かって叫んだ。

「おい野郎ども! カトレアが帰還したぞ! 今夜は祝いだ! 酒蔵から一番いい酒を持ってこい! 肉だ! 肉を焼けぇぇ!」

「「「うおおおおおおおおっ!! 宴じゃあああ!!」」」

使用人たちが雄叫びを上げ、どこからともなく樽や丸焼き用の肉が運び込まれてくる。
さっきまでの静寂が嘘のように、屋敷が一瞬にして宴会場へと変貌した。

「さあカトレア、お前も着替えてこい。あんな窮屈なドレスじゃ肉も食えんだろう」

「はい!」

私は自室へと駆け上がった。
クローゼットを開け、煌びやかなドレスを押しのける。
奥から引っ張り出したのは、肌触りの良い木綿のシャツと、ゆったりとしたズボン。
そして、愛用の「ちゃんちゃんこ」だ。

(これよ、これ!)

袖を通した瞬間の安心感。
コルセットで締め付けられていた内臓が、歓喜の声を上げている。

私は鏡を見た。
そこには、三白眼でボサボサ頭、ちゃんちゃんこを着た地味な娘が映っている。
王都の貴族が見れば卒倒するだろう。
でも、これが私だ。

「ふふっ」

自然と笑みがこぼれる。
今なら、どんなに怖い顔をしていても許される気がした。

広間に戻ると、すでに宴は最高潮に達していた。
父は樽ごと酒を煽り、母は優雅に骨付き肉を食いちぎっている。
使用人たちも無礼講で騒いでいる。

「おお、来たなカトレア! こっちへ来い!」

父の手招きで、私は上座へと座る。
目の前には山盛りの肉と野菜。

「さあ食え! 王都の飯など鳥の餌みたいだっただろう!」

「いただきます!」

私は大きな肉にかぶりついた。
肉汁が溢れ、スパイスの香りが鼻に抜ける。
野性味あふれる味。
実家の味だ。

「ん~っ!」

「どうだ、美味いか?」

「最高です!」

私が親指を立てると、父は目尻を下げて(顔の皺が増えて怖さ倍増)頷いた。

「そうかそうか。……で、これからどうするんだ? また婿探しでもするか?」

「いえ!」

私は即答した。
口元のソースを拭い、真剣な眼差しで両親を見据える。

「私、しばらく結婚はこりごりです。これからはこの領地で、スローライフを満喫しようと思います」

「スローライフ?」

「はい。畑を耕し、土に触れ、自然と共に生きたいんです。もう、誰かの顔色を窺うのは疲れました」

私の宣言に、両親は顔を見合わせた。
そして、二人同時にニヤリと笑った。

「いいだろう。好きにしろ。我が領地は広い。畑だろうが山だろうが、お前の庭だ」

「カトレアの育てた野菜なら、きっと美味しいわね。楽しみにしているわ」

認めてもらえた。
その事実が何よりも嬉しくて、私はまた一つ大きな肉を頬張った。

こうして、私の実家生活は最高のスタートを切った……はずだった。

「明日からはのんびり農作業だわ!」

そう意気込んでいた私だったが、翌日、早々にその平穏が脅かされることになるとは、この宴の最中には微塵も思っていなかったのである。

窓の外。
隣の領地の方角から、一台の黒塗りの馬車が、夜闇を疾走してこちらに向かっていたことを――。
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