貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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揺れる馬車の中は、お通夜のような静けさだった。

(……殺される)

私は向かいの席に座るアレクセイ様を盗み見ながら、ガタガタと震えていた。
無理もない。
今の私は、農作業用のモンペにちゃんちゃんこ姿。
顔や手には泥がついたまま。
それなのに、目の前の彼は軍服を完璧に着こなし、腕を組んで瞑想している(ように見えるが、実際は私をガン見している)。

公爵令嬢として、あまりにみすぼらしい。
これは「貴族の品位を汚した罪」で、領地に着く前に処分されるパターンではないだろうか。

「……」

アレクセイ様が目を開けた。
アイスブルーの瞳が、私の泥だらけの膝に向けられる。

「……汚れているな」

「ひっ! も、申し訳ありません! すぐに拭き……いえ、このまま飛び降ります!」

「待て」

彼が低い声で制する。
その手には、いつの間にか真っ白なハンカチが握られていた。

「じっとしていろ」

「は、はい……!」

彼は身を乗り出し、私の頬に手を伸ばした。
ごつごつとした大きな手。
それが私の頬に触れる。

(首!? 首をへし折る気!?)

私はギュッと目を瞑った。
しかし、感じたのは布の柔らかな感触だった。
彼は私の頬についた泥を、丁寧に、恐ろしいほど慎重に拭い取っていく。

「……いい肌だ。泥で隠すには惜しい」

「へ?」

「……終わった」

彼は満足げに頷き、泥で汚れたハンカチを懐にしまった。
高級シルクのハンカチが、泥まみれに。

(な、何を考えているの……?)

この『氷の閣下』の行動原理が全く読めない。
恐怖と混乱で、私の頭はショート寸前だった。

その時、馬車が減速し、停車した。

「着いたか」

アレクセイ様が扉を開ける。
外は深い森の中だった。
街道からは外れているように見える。

「降りろ」

「こ、ここで……ですか?」

「ああ。少し休憩する」

休憩。
その言葉の裏にある意味を深読みしてしまう。
『休憩』=『人目のつかない場所での処理』。

私は震える足で馬車を降りた。
ひんやりとした森の空気。
鳥の声すら聞こえない静寂。
処刑場としては満点だ。

「ここで待っていろ」

アレクセイ様はそう言い残すと、腰の剣をガチャリと鳴らしながら、藪の中へと消えていった。

(やっぱり! 穴を掘りに行ったんだわ! それとも処刑用の道具を取りに!?)

逃げるべきか。
いや、この森で迷子になったら野垂れ死にだ。
それに、あの俊足の閣下から逃げ切れるわけがない。

私は覚悟を決めた。
せめて最期は、公爵令嬢らしく凛としていよう。
ちゃんちゃんこ姿だけど。

数分後。
ガサガサという音と共に、アレクセイ様が戻ってきた。
その手には、何か紫色の植物の束が握られている。
根っこから引っこ抜かれた、土付きの草花だ。

(……あれは?)

彼は私の前まで来ると、無言でその束を突き出した。

「……やる」

「え?」

「君にだ」

目の前に差し出された植物。
ギザギザした葉に、ドス黒い紫色の花弁。
茎には細かい棘があり、そこはかとなく禍々しいオーラを放っている。

どう見ても、呪いのアイテムか毒草だ。

「あ、あの……」

「……受け取れ」

拒否は許さないという圧力。
私は恐る恐る、その植物を受け取った。
手にピリッとした刺激が走る。

(かぶれる! これ絶対触っちゃいけないやつ!)

しかし、アレクセイ様は真剣な眼差しで私を見ている。
「さあ、どうだ」と言わんばかりの表情だ。

私はゴクリと唾を飲み込み、震える声で尋ねた。

「あの……アレクセイ様」

「なんだ」

「これ……トリカブトですか? それとも、これを煎じて飲んで死ねという、遠回しな死刑宣告でしょうか……?」

「……は?」

アレクセイ様が固まった。
その完璧な無表情に、亀裂が入る。
目は点になり、口が半開きになる。

やがて、彼の喉の奥から、奇妙な音が漏れた。

「ぶっ」

「へ?」

「く、くくっ……!」

彼は口元を手で覆い、肩を震わせ始めた。
咳き込んでいるのかと思ったが、違う。
笑っているのだ。

「ふ、ははははっ! 毒草! 死刑宣告だと!?」

アレクセイ様が、空を仰いで笑い声を上げた。
低く響く、それでいて朗らかな笑い声。
氷が割れて、中から温かな水が溢れ出したような、そんな声だった。

私は呆気にとられた。
『氷の閣下』が笑っている。
しかも、腹を抱えて。

「あー……腹が痛い。君は……君は本当に面白いな、カトレア」

彼は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、私を見た。
その瞳からは、先ほどまでの冷徹な光が消え、少年のようないたずらっぽい色が宿っていた。

「それは『氷雪花(ひょうせつか)』だ。毒などない」

「えっ、毒じゃないんですか?」

「ああ。この辺りの森にしか咲かない花だ。……厳しい寒さの中でこそ美しく咲く、強い花だ」

彼はもう一度、私が持っている花を指差した。

「君に似ていると思ったんだ」

「私に……?」

「ああ。王都という冷たい場所で、誰にも理解されずとも、凛と立っていた君に」

(……!)

心臓が、ドキンと大きく跳ねた。
この禍々しい花が、私に似ている?
それは見た目の悪さ(目つきの悪さ)を言っているのか、それとも……。

「不器用ですまない。……花屋の花束は、君には似合わないと思った。野に咲く、泥に塗れても美しい、その花のほうが」

アレクセイ様は少しバツが悪そうに視線を逸らした。
耳が赤い。

(なんてこと……)

この人は、ただ不器用なだけなのだ。
言葉が足らず、顔が怖く、行動が極端なだけ。
その本質は、驚くほど純粋で、真っ直ぐだ。

私は手の中の花を見た。
よく見れば、紫色の花弁は宝石のように透き通り、棘のある茎は力強く、土の香りがする。
綺麗だと思った。
温室育ちの薔薇よりも、今の私にはずっと。

「……ありがとうございます」

自然と、言葉が出た。
恐怖で強張っていた頬が緩む。

「毒じゃなくて、安心しました」

私が苦笑すると、アレクセイ様もまた、ふっと柔らかく笑った。

「私が君に毒を盛るなど、天地がひっくり返ってもありえんよ。……君は私の、大事な『客人』なのだから」

「客人……。囚人じゃなくて?」

「誰が囚人だ。……いや、私の心を奪ったという意味では、罪な女かもしれんが」

「えっ?」

「ん、なんでもない。独り言だ」

アレクセイ様はコホンと咳払いをし、背を向けた。

「さあ、行くぞ。風邪を引く」

「はい!」

私は花を大事に抱えて、馬車へと戻った。
先ほどまでの重苦しい空気は消え失せていた。
ちゃんちゃんこ姿の私と、強面の騎士。
その間にあるのは、奇妙な連帯感だった。

(この人となら……案外、うまくやっていけるかもしれない)

馬車が再び動き出す。
窓から入る風が、少しだけ暖かく感じられた。
手元の花からは、微かに甘い香りが漂っていた。

しかし、私はまだ知らなかった。
彼が私を連れて行く「辺境伯領の城」が、使用人全員が強面の元傭兵や元山賊で構成された、通称『魔王城』と呼ばれる場所であることを。

誤解の雪解けは始まったばかり。
本当の「勘違いコメディ」は、城に到着してからが本番なのである。
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