貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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翌朝。
私は日の出と共に目を覚ました。

カーテンの隙間から差し込む朝日が、私を呼んでいる。
鳥のさえずりが、出陣の合図のように聞こえる。

「……よし」

私は気合を入れて布団を跳ね除けた。
今日は記念すべき、辺境農業の初日だ。
王都の軟弱な土とは違う、北の大地との真剣勝負。
身が引き締まる思いだ。

私はクローゼットの奥深くに隠しておいた「戦闘服」を取り出した。

実家から持参した、藍色の木綿のモンペ。
動きやすさを追求した、地味な色のチュニック。
首には汗拭き用の手ぬぐい。
そして、泥汚れを防ぐための腕カバーと長靴。

鏡の前に立つ。
そこには、公爵令嬢の欠片もない、完全に仕上がった「農家の娘」がいた。

「完璧だわ」

私は満足げに頷き、昨日カタログ注文して(即日配送された)新品の『魔導鍬(マジック・ホー)・改』を肩に担いだ。

「いざ、出陣!」

部屋を出て廊下を歩く。
すれ違うメイドたちが、私の姿を見て「ひっ!」と息を呑み、壁にへばりつく。

「おはようございます」

私が爽やかに(※やる気に満ちた眼光で)挨拶をすると、彼女たちは震えながら頭を下げた。

「お、おはようございます姐さん! 朝から……その、どちらへ『カチコミ』に……?」

「裏の畑よ」

「は、畑……? ああ、死体を埋める穴を掘りに……いえ、何でもございません! いってらっしゃいませ!」

(死体? 何を言っているのかしら)

不思議に思いつつも、私は意気揚々と裏庭へと向かった。

城の裏手には、広大な敷地が広がっていた。
しかし、そこは私が想像していた「畑」とは少し違っていた。

「……これは」

私は立ち尽くした。
目の前にあるのは、雑草が生い茂り、大小様々な岩がゴロゴロと転がる、荒れ果てた荒野だった。
土は霜で白く凍りつき、カチカチに固まっている。

「お嬢、ここが予定地だ」

案内してくれたのは、庭師頭の男だった。
モヒカン刈りにサングラス、首にはドクロのネックレスという、世紀末なファッションをしているが、花を愛する心優しい(らしい)おじさまだ。

「すまねぇな。閣下が『一番日当たりがいい場所を』って言ったんだが、手入れが追いついてなくてよ。岩盤も硬ぇし、普通の鍬じゃ歯が立たねぇ」

モヒカン庭師が申し訳なさそうに頭をかく。

「俺たちが手伝おうか? つるはしで岩を砕くくらいなら……」

「いいえ」

私は首を横に振った。
口元が自然と吊り上がるのを止められない。

「このくらい手応えがある方が、燃えます」

「へ?」

「ふふふ……見ていてください。この『魔導鍬・改』の威力を試すには、絶好の獲物ですわ」

私は荒野を見渡し、ターゲットを定めた。
あの中央にある、大人が三人乗っても動かなさそうな巨岩。
まずはアレだ。

「すぅ……」

深く息を吸い込み、丹田に力を込める。
グリップを握る手に魔力を流すと、鍬の刃が青白く発光した。

「せええええいッ!!」

気合一閃。
私は鍬を振り下ろした。

ドゴォォォォンッ!!

爆発音が轟いた。
鍬の刃が岩に直撃した瞬間、衝撃波が発生し、巨岩が見事に粉砕されたのだ。

「なっ!?」

モヒカン庭師のサングラスがずり落ちる。
しかし、私は止まらない。
砕けた岩を足がかりに、次々と地面を耕していく。

「ふっ! はっ! せいっ!」

硬い凍土? 関係ない。
絡みつく木の根? 切断だ。
邪魔な雑草? 根絶やしにしてくれる!

ザクッ! バキッ! ドゴッ!

私は無我の境地に入っていた。
王都でのストレス、理不尽な婚約破棄、猫を被って生きてきた窮屈さ。
それら全ての鬱憤を、鍬に乗せて大地に叩きつける。

(死ねえええええ! この頑固な根っこおおお! ジェラルドの分からず屋あああ!)

「おらおらおらあッ!」

私の口から、令嬢にあるまじき掛け声が漏れる。
土が舞い上がり、岩が砕け散る。
私はただひたすらに、目の前の障害物を破壊し、更地へと変えていく破壊神となっていた。

その頃。
城のテラスでは、アレクセイ様と執事が、その様子を遠目に見守っていた。

「……閣下」

執事が青ざめた顔で呟く。

「あの方は……一体、誰と戦っておられるのですか?」

彼らの視線の先には、土煙の中で鬼の形相をして暴れまわる私の姿があった。
鍬を振り上げるその姿は、処刑人が大鎌を振るう姿に見え、地面に叩きつける一撃は、憎き敵の頭蓋を粉砕しているように見えたことだろう。

「……凄いな」

アレクセイ様だけは、感嘆のため息を漏らしていた。

「迷いがない。あの一撃の重さ……並の騎士では太刀打ちできんぞ」

「いえ、感心している場合では。あそこまで殺気立った農作業は見たことがありません。『この恨み、晴らさでおくべきか』という怨念すら感じます」

「フッ……。王都で溜め込んだものが、それほど大きかったのだろう。好きなだけ発散させてやれ」

アレクセイ様は優しく微笑んだが、周囲の使用人たちの反応は違った。

「見ろよ……あの大岩を一撃だぞ」

「あんなの、人間相手にやったら肉塊だぜ……」

「『悪役令嬢』って噂、マジだったんだな……」

「いや、ありゃ悪役とかそういうレベルじゃねぇ。バーサーカーだ」

「姐さん……怒らせたらヤベェ……」

私の知らないところで、城内でのあだ名が『姐さん』から『破壊の御前(ごぜん)』へとランクアップしつつあった。

一方、現場の私。
一時間ほど暴れ回り、荒野は見事にフカフカの黒土の畑へと生まれ変わっていた。

「ふぅー……!」

私は鍬を地面に突き刺し、額の汗を拭った。
爽快だ。
スポーツジムで汗を流した後のような、心地よい疲労感。
体中の毒素が全て抜け落ちた気がする。

「終わりました……」

私は振り返り、モヒカン庭師に笑顔を向けた。
全力で運動した後なので、呼吸は荒く、顔は紅潮し、目はギラギラと輝いている。

「あ、あの……お疲れ様でごぜぇやす!!」

庭師のおじさまが、直立不動で敬礼した。
なぜか足がガクガク震えている。

「あそこの岩、全部どかしておきましたから。あとは肥料を撒けば、すぐにでも種が蒔けますわ」

「は、はい! すぐに手配しやす! ていうか、俺たちがやりますんで! 姐さんは休んでてくだせぇ!」

「いいえ、これからが本番よ。畝(うね)を作らなきゃ」

私が鍬を持ち直すと、庭師のおじさまは「ひぃっ」と悲鳴を上げて後ずさった。
どうしたのだろう。
やはり私の熱意に圧倒されているのだろうか。
農業男子として、ライバル心を燃やしているのかもしれない。

その時、背後から拍手の音が聞こえた。

「見事だ」

「アレクセイ様!」

振り返ると、アレクセイ様がテラスから降りてきていた。
彼は私が耕したばかりの畑を見渡し、満足げに頷いた。

「これほどの荒地を、たった一人で、わずか一時間で開墾するとは……。君は魔法使いか?」

「ふふ、愛の力ですわ(土への)」

「……そうか。愛か」

彼はなぜか顔を赤らめ、口元を覆った。
また何か勘違いをさせてしまった気がするが、訂正するのも野暮だ。

「良い汗をかいたな。……風呂を用意させた」

「お風呂!」

「ああ。一番風呂だ。ゆっくり浸かってくるといい」

神か。
この人は、私の欲しいものを全て把握している神なのか。

「ありがとうございます! では、お言葉に甘えて!」

私は泥だらけのまま、お風呂場へとダッシュした。
すれ違う使用人たちが、モーゼの海割れのように道を開ける。

「姐さんのお通りだ!」
「道を空けろ! 泥が付くと殺されるぞ!」

何か物騒なことが聞こえた気がしたが、私は気にしなかった。
頭の中は、温かいお湯のことでいっぱいだったからだ。

大浴場。
そこは、城の地下にある巨大な岩風呂だった。
源泉掛け流し。
湯気が立ち込め、硫黄の香りが漂う。

「ふあぁ~……」

服を脱ぎ捨て、掛け湯をしてから、私は広い湯船に身を沈めた。

「極楽……」

手足を伸ばす。
筋肉の張りが解けていく。
窓の外には雪景色。
頭には冷たいタオル。

(最高すぎる……)

王都の狭い浴槽とは大違いだ。
ここでなら、何時間でも入っていられる。

私はお湯をバシャバシャとさせて遊んだ。
誰も見ていない。
公爵令嬢の仮面も、悪役令嬢の汚名も、ここにはない。
ただの「カトレア」として、裸でくつろげる場所。

「……あ、そうだ」

私はふと、思いついた。
こんなに広いお風呂なら、泳げるのではないか?
淑女としてはあるまじき行為だが、どうせ誰もいない。

私は湯船の端まで移動し、壁を蹴った。
平泳ぎで優雅に進む。
気持ちいい。

その時だった。

ガララッ……!

浴室の扉が開く音がした。

「失礼する。湯加減はどうだ……」

低い声。
聞き覚えのある声。

私は平泳ぎの姿勢のまま、水面から顔を上げて固まった。
入り口に立っていたのは、腰にタオル一枚を巻いた、鍛え抜かれた肉体美を晒すアレクセイ様だった。

「……」

「……」

目が合う。
時が止まる。
湯気の中で、二つの視線が交差する。

「あ」

「……む」

数秒の静寂の後。
私の脳が状況を処理し、爆発した。

「きゃああああああああああああああッ!!!」

私は悲鳴を上げ、反射的に近くにあった洗面器を投げつけた。
洗面器は美しい放物線を描き、アレクセイ様の顔面にクリーンヒットした。

カポォォォンッ!

良い音が響き渡る。

「ぐっ!?」

アレクセイ様がよろめく。
私はその隙に、お湯の中に潜り込んだ。
心臓が破裂しそうだ。

(な、なんで入ってくるのよおおおおお!!)

そう。
ここは辺境。
王都のように「男女別の浴室」などという軟弱な文化はなく、古来より「混浴」が当たり前だったことを、私は知らなかったのである。

波乱の予感しかしない辺境ライフ。
お風呂ハプニングを経て、私たちの距離(物理的にも精神的にも)はどうなってしまうのか。
それは神のみぞ知る……いや、洗面器のみぞ知ることであった。
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