貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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「連れて行きなさい」

王太后陛下の厳格な声が響き渡った。
しかし、まだ衛兵たちは動けない。
ジェラルド殿下とミナ様が、床に這いつくばったまま、必死の抵抗を続けているからだ。

「ま、待ってください! これは陰謀だ! ヴォルグ辺境伯が書類を偽造したんだ!」

殿下が涙目で叫ぶ。

「そうだわ! そんな帳簿、デタラメよ! 私がそんな……『ミナちゃん専用黄金像』なんて作らせるわけないでしょ!?」

「……黄金像?」

私が聞き咎めると、執事のセバスチャンが無表情でページをめくった。

「失礼。こちらに明細がございます。『ミナ様等身大・純金製像(ポーズは天使)』。制作費、金貨三千枚」

「ぶふっ」

会場のどこかで誰かが吹き出した。

「せ、センス……」
「金貨三千枚で自分の像を……?」
「しかも天使のポーズ……痛すぎる……」

貴族たちの冷ややかな視線が、ミナ様に突き刺さる。
横領の罪もさることながら、その壊滅的な美的センスが暴露されたことの方が、彼女にとっては致命傷だったようだ。

「い、いやぁぁぁ! 言わないで! 読み上げないでぇぇぇ!」

ミナ様が耳を塞いで絶叫する。
しかし、セバスチャンは止まらない。
彼は「S」の気があるのか、淡々と、そして朗々と読み上げ続けた。

「続きまして。『ミナ様のお肌プルプル・最高級美容クリーム(一瓶で平民の年収分)』を百個」

「買いすぎだろ」

「『ジェラルド様と愛の逃避行ごっこ用・隠れ家別荘(ピンクの壁)』の建設費用」

「逃避行する気満々じゃないか」

「そして極め付けは……『カトレア嬢への嫌がらせ工作員・雇い入れ費用』」

「……あ」

その項目が読み上げられた瞬間、会場の空気が凍りついた。

先ほどミナ様は「いじめられていた」と主張していた。
しかし、帳簿には真逆の記載がある。
自ら金を払って、私を陥れるための工作員(噂を流したり、私の持ち物を壊したりする実行犯)を雇っていたという、動かぬ証拠だ。

「……詰みですね」

アレクセイ様が冷たく言い放つ。

「被害者を装いながら、裏では国庫の金を使って加害行為を行なっていた。……これほど醜悪な道化芝居、見たことがない」

「ち、違うの……これは……その……」

ミナ様が震えながら後ずさる。
ジェラルド殿下も、もはや庇う言葉が見つからないようで、口をパクパクさせている。

そこへ、王太后陛下がゆっくりと歩み寄った。
彼女は私の前に立ち、手にした帳簿をバタンと閉じた。

「ジェラルド」

「お、お祖母様……」

「情けない。……あまりに情けない」

王太后陛下の声音には、怒りよりも深い失望が滲んでいた。

「色恋に現(うつつ)を抜かすのは勝手です。しかし、王族としての責務を放棄し、あろうことか民の血税を、このような……下品な像や遊びのために使い込むとは」

「だ、だって……ミナが欲しいって言うから……僕はただ、彼女の笑顔が見たくて……」

「黙りなさい!」

一喝。
殿下がビクッと縮こまる。

「女の笑顔一つ守れない男に、国が守れるはずがない。……カトレアを見なさい」

王太后陛下が私を指し示した。

「彼女は、お前の理不尽な婚約破棄を黙って受け入れた。弁解もせず、騒ぎ立てることもなく、潔く身を引いた。……それはなぜだと思う?」

「そ、それは……僕に未練があったから……」

「違う!」

王太后陛下が杖で床を叩く。

「国が乱れるのを防ぐためだ! 公爵家と王家が争えば、国が割れる。彼女はそれを理解し、自ら泥を被って去ったのだ! その高潔な精神が、お前には分からんのか!」

(……あの、すみません。単に早く帰りたくてダッシュしただけです)

私の心の中の訂正は、誰にも届かない。
王太后陛下の解釈によって、私は「国の平和のために犠牲になった聖女」へと昇華されつつある。

「カトレア……」

王太后陛下が、慈愛に満ちた目で私を見た。

「辛かっただろう。……悔しかっただろう。信じていた男に裏切られ、濡れ衣を着せられ……それでも沈黙を守り通したお前の心、察するに余りある」

「……」

私は黙って俯いた。
(お腹が鳴りそうなので、お腹に力を入れているポーズ)。

「何も言わなくていい。お前のその『沈黙』こそが、何よりの真実の叫びだ」

王太后陛下が勝手に納得して頷く。
そして、鋭い視線をミナ様とジェラルド殿下に向けた。

「さて、真実は出揃った。……言い残すことはあるか?」

死刑宣告のような問いかけ。
ミナ様はガタガタと震え、そして最後のあがきに出た。

彼女は狂ったような形相で、私を指差した。

「ず、ずるいわよ……!」

「え?」

「あんたばっかり! 公爵家に生まれて、美人で、お金持ちで! 私みたいな男爵令嬢の苦労なんて知らないくせに!」

ミナ様が髪を振り乱して叫ぶ。

「私がこれくらいして何が悪いの!? 奪って何が悪いのよ! 世の中は不公平なのよ! だから私がバランスを取ってやったんじゃない!」

完全な逆ギレだ。
歪んだ嫉妬と劣等感。
それが彼女の原動力だったのだ。

「カトレア! あんたなんて不幸になればいいのよ! 辺境の野蛮な男と結婚して、一生泥にまみれて野垂れ死ねばいいのよ!」

「……」

私はゆっくりと顔を上げた。
ミナ様の暴言は、私の心には一切響かなかった。
なぜなら、今の私には「最強の切り返し」があるからだ。

私はアレクセイ様の腕に手を添え、ニッコリと、本当に幸せそうに微笑んだ。

「ご心配なく、ミナ様」

「は?」

「私、今までの人生で一番、今が『美味しい』ですわ」

「……美味しい?」

「ええ。王都の食事は上品ですが、味が薄くて量も少ない。……でも、辺境の食事は最高です。熊肉の脂の甘み、採れたて野菜の瑞々しさ、そして何より……」

私はアレクセイ様を見上げた。

「私のことを『よく食べる君が好きだ』と言って、お代わりを勧めてくださるパートナーがいますもの」

「っ……!」

ミナ様が言葉を失う。
宝石やドレスの話ではない。
「幸せの質」の話だ。

「貴女が金貨三千枚で作った黄金像より、私が昨日食べた、アレクセイ様が焼いてくださった『焼き芋』の方が、私にとっては価値があります」

「や、焼き芋……?」

「はい。とっても甘くて、心が温まりました。……貴女には、そういう温かさをくれる相手はいますか?」

私はチラリとジェラルド殿下を見た。
彼は今、自分の保身で精一杯で、ミナ様のことなど見ていない。

「……っ、う、うあぁ……」

ミナ様が崩れ落ちた。
私の言葉が、彼女の空虚な心にクリティカルヒットしたらしい。
金で塗り固めた幸せが、ただの焼き芋(プライスレス)に負けた瞬間だった。

「勝負あったな」

アレクセイ様が静かに告げた。

「行くぞ、カトレア。……こんな腐った空気の場所に長居すると、せっかくの食欲が失せる」

「はい! (あ、ローストビーフ……)」

私が名残惜しそうにビュッフェ台を見ると、アレクセイ様が耳元で囁いた。

「安心しろ。……帰りに、王都一番のレストランを予約してある。肉料理のフルコースだ」

「!!!」

「もちろん、全種類制覇していいぞ」

「一生ついていきます!」

私の瞳が輝いた。
その様子を見ていた周囲の貴族たちは、またしても勘違いをした。

「見ろ……あの輝く瞳……」
「愛する辺境伯と共に去る喜びか……」
「なんて美しい愛の姿だ……」
「それに比べて、あっちの二人は……」

軽蔑の視線が、床に転がる二人組に注がれる。

その時だった。

「待てぇぇぇい!!」

大広間の扉が開き、王冠を被った壮年の男性――国王陛下が入ってきた。
その後ろには、武装した近衛騎士団が続いている。

「父上!?」
「陛下……!」

ジェラルド殿下が希望を見出したように顔を上げた。

「父上! 助けてください! カトレアと辺境伯が僕を……!」

しかし、国王陛下の顔は、赤鬼のように真っ赤だった。
怒りで。

「黙れ、愚か者ッ!!」

ビリビリと空気が震える一喝。
物語は、いよいよ最終局面「断罪」へと突入する。
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