貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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王都の最高級レストランでの、肉料理フルコース(全12品、もちろん完食)を堪能した後。
私たちは、王都に構えられたヴォルグ家の別邸、その最上階にあるバルコニーにいた。

「ふぅ……美味しかった……」

私は手すりに寄りかかり、夜風に当たりながら陶酔のため息をついた。
お腹はいっぱい。
嫌な奴らは自滅した。
そして隣には、最強にハンサムな騎士様。

(人生のピークかもしれない)

夜空には満月が輝き、王都の街並みが宝石箱のように煌めいている。
少し前までは、この王都の夜景を見るたびに胃が痛くなっていたけれど、今は違う。
全てが美しく見える。
これも全て、アレクセイ様のおかげだ。

「……満足か?」

隣で、アレクセイ様がワイングラスを揺らしながら尋ねてきた。

「はい! 最高でした。特にメインの『幻の牛のフィレステーキ・トリュフソース添え』は、口の中で宇宙が広がりました!」

「そうか。……なら、予約した甲斐があったな」

彼は優しく目を細めた。
その表情は、昼間の夜会で見せた『氷の閣下』としての冷徹さは微塵もなく、ただただ穏やかだ。

「カトレア」

「はい」

「……少し、真面目な話をしてもいいか」

アレクセイ様がグラスをサイドテーブルに置き、私に向き直った。
空気が少し変わる。
夜風が止まり、静寂が二人の間を包み込む。

「今日の夜会で……私は君を『婚約者』だと宣言した」

「あ……はい」

そういえばそうだった。
ジェラルド殿下を黙らせるための方便とはいえ、公衆の面前で堂々と宣言してしまったのだ。
これからどう収拾をつけるつもりなのだろう。
婚約破棄されたばかりの私が、すぐに辺境伯と婚約なんて、体裁が悪いだろうか。

「あれは……その場の勢いというか、私を守るための嘘……ですよね?」

私が恐る恐る尋ねると、アレクセイ様は眉をひそめた。

「嘘?」

「え、違うんですか? だって、責任を取るとか、契約とか……そういう名目での同居でしたし……」

「……はぁ」

アレクセイ様は深く、とても深い溜息をついた。
そして、少し呆れたように、でも熱のこもった瞳で私を見つめた。

「君は……本当に、自分の価値が分かっていないな」

「へ?」

「私が、ただの同情や責任感だけで、王家に喧嘩を売ると思うか? 国境警備の任務を放り出してまで、君を迎えに行くと思うか?」

彼は一歩、私に近づいた。
夜の闇の中で、アイスブルーの瞳だけが鮮烈に光る。

「カトレア。……私は、ずっと前から君を見ていた」

「え……?」

「数年前、王宮の夜会に一度だけ出席したことがある。……その時、君は壁の花として一人で立っていた」

アレクセイ様が懐かしむように語り始める。

「周囲の令嬢たちが、媚びた笑みを浮かべて王子に群がる中……君だけは違った。鋭い眼光で周囲を威圧し、誰にも媚びず、孤高を貫いていた」

(……あ、それはたぶん、人見知りで固まっていただけです)

「その姿が、私には美しく見えたのだ。……雪原に咲く一輪の氷雪花のように、強く、気高く」

彼は私の手を取り、そっと握りしめた。
その手は少し震えているようにも感じられた。

「それからだ。君のことが気になり始めたのは。……噂で『悪女』と呼ばれていると知った時も、私は逆に安心した。君のような強い女性なら、私の隣(辺境)でもやっていけるのではないかと」

「……」

「だが、君は王太子の婚約者だった。……私は身を引くしかなかった。遠くから君の幸せを願うことしかできなかった」

アレクセイ様の声が、切なげに響く。
知らなかった。
この人が、そんな風に私を想ってくれていたなんて。
私がジェラルド殿下のわがままに振り回され、胃を痛めていた間、ずっと。

「しかし、君は婚約破棄された。……正直に言おう。私は歓喜した」

「えっ」

「不謹慎だと分かっている。君が傷ついている時に喜ぶなど、最低だ。……だが、これでやっと君を奪いに行けると思ったのだ」

アレクセイ様の目が、捕食者のようにギラリと光った。
でも、そこには隠しきれない愛情が溢れている。

「カトレア。……君が好きだ」

ストレートな言葉。
飾らない、直球の告白。

「君のその鋭い目つきも。……私を恐れず、対等に接してくれる度胸も」

(度胸というか、鈍感なだけかも)

「気持ちいいほどの食いっぷりも。……壁を粉砕するほどの怪力も」

(それは言わないで)

「その全てが、私には愛おしい。……君以外に、私の伴侶は考えられない」

彼は私の手の甲に口づけを落とし、そしてゆっくりと顔を上げた。

「私の領地は寒い。冬は厳しい。娯楽もない。……だが、君を飢えさせることだけは絶対にしない」

「……はい」

「君が望むなら、城の庭を全て畑にしてもいい。……毎日、君のために最高級の肉を狩ってこよう」

「……はい(それは嬉しい)」

「だから……」

アレクセイ様が、胸ポケットから小さな箱を取り出した。
夜会でつけてくれたネックレスとは違う。
もっとシンプルな、でも見たこともないほど透明度の高い、蒼い宝石の指輪。

「私の妻になってくれないか」

プロポーズ。
王都の夜景をバックに、最強の騎士様からの求婚。

「君を、世界で一番幸せな……『太ったお姫様』にしてみせる」

「……最後の一言、余計です」

私は泣き笑いのような顔になった。
なんて不器用で、なんて素敵なプロポーズなんだろう。
ロマンチックな雰囲気なのに、中身は「餌付け宣言」だ。
でも、それが彼らしくて、今の私にはどんな甘い言葉よりも響いた。

(この人となら……)

寒くて厳しい辺境も、きっと温かい場所に変わる。
強面の使用人たちに囲まれて、毎日畑を耕して、美味しいご飯を食べて。
たまに壁を壊して怒られて。

そんな未来が、鮮やかに想像できた。
そして、その未来が、王都でのどんな生活よりも輝いて見えた。

「……アレクセイ様」

私は彼の手を握り返した。
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
でも、迷いはなかった。

「私、大食らいですよ? 食費、すごくかかりますよ?」

「望むところだ。ヴォルグ家の財力を見くびるな」

「……気も強いですし、たまに眼力で人を気絶させますよ?」

「頼もしい限りだ。私の背中を預けるに足る」

「……それに、もう普通のドレスは着られない体になるかもしれませんよ?」

「その柔らかさがいいんじゃないか」

全部、受け入れてくれる。
私のコンプレックスも、失敗も、食欲も。

胸がいっぱいになった。
言葉が溢れてくる。
あの日、王城の大広間で叫んだ、あの言葉が。

私は大きく息を吸い込んだ。
彼への返事は、これしかない。
私たちらしい、最高の肯定の言葉。

(言ってやるわ。……今度は、愛を込めて!)

私は彼の瞳をまっすぐに見つめ、口を開いた。
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