貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

文字の大きさ
25 / 28

25

しおりを挟む
「……」

アレクセイ様が、じっと私を見つめている。
その瞳には、祈るような、すがるような色が滲んでいた。

『氷の閣下』と呼ばれ、魔物ですら恐れる最強の騎士が、私の返事一つで砕け散りそうなほど緊張している。
その事実が、たまらなく愛おしかった。

私は深く息を吸い込んだ。
夜の冷たい空気が肺を満たす。
でも、不思議と寒くはない。
体の芯が、カッカと熱いからだ。

(ああ、なんて素敵な夜なんでしょう)

かつて、私がこの言葉を口にした時のことを思い出す。
あの夜会。
ジェラルド殿下に婚約破棄を突きつけられ、パニックになった私は、ただ「この場から逃げ出したい」という一心で叫んだ。

『御意ィィィィィッ!!!』

あれは、従順なフリをした拒絶だった。
自由への逃走宣言だった。

でも、今は違う。

私はアレクセイ様の手を、両手で包み込んだ。
農作業で少し硬くなった私の手と、剣ダコのある彼の大きな手。
ゴツゴツとした二つの手が、パズルのピースのように重なる。

私は彼を見上げた。
緊張で強張っていた顔の筋肉を緩める。
三白眼だから、どうしても鋭くなってしまうけれど……精一杯の、ありったけの愛を込めて、目尻を下げた。

「……アレクセイ様」

「あ、ああ」

「私、わがままで、大食らいで、すぐに筋肉がついちゃう、可愛げのない女ですけど」

「それがいいと言っている」

「……畑仕事に夢中になって、貴方様を放置してしまうかもしれません」

「構わん。私も一緒に耕そう」

「……壁を壊すだけじゃなくて、いつか城ごと破壊してしまうかもしれません」

「建て直せばいい。ヴォルグ家の資産を舐めるな」

即答だ。
何の迷いもない。
この人は、私の全てを――私の破壊衝動(物理)さえも、丸ごと包み込んでくれるというのだ。

なら、もう躊躇う理由なんてどこにもない。

私は口角を吊り上げた。
悪役令嬢らしい、不敵で、最強に幸せな笑みを浮かべて。

「……わかりました。謹んで、お受けいたします」

私は一度言葉を切り、そして、あの日と同じように、腹の底から声を張り上げた。

「私の残りの人生、貴方様に捧げますわ! ……御意(ぎょい)ッ!!!」

その一言は、王都の夜空に高らかに響き渡った。

「……!」

アレクセイ様が、目を丸くした。
一瞬の静寂。
そして――。

「……ふ、くくっ!」

彼が吹き出した。
肩を震わせ、喉を鳴らし、やがて声を上げて笑い出した。

「ははははっ! 御意、か! そう来たか!」

彼は涙が出るほど笑っている。

「まさか、プロポーズの返事が『御意』とは……! 君らしい、本当に君らしいよ、カトレア!」

「も、もぅ、笑わないでください! 私なりの最上級のイエスなんです!」

私が頬を膨らませると、アレクセイ様は笑いながら私を引き寄せた。
強い力。
でも、決して痛くはない、優しい拘束。

「ああ、分かっている。……最高の返事だ」

彼は私の左手を取り、蒼い宝石の指輪を薬指に滑り込ませた。
サイズは驚くほどぴったりだった。
(もしかして、寝ている間に測ったのだろうか? という疑問は野暮なので捨て置く)

「似合う」

アレクセイ様が満足げに頷く。

「この蒼は、ヴォルグ家に代々伝わる『誓いの石』だ。……これを身につけた者は、生涯、私の加護の下にある」

「……重たいですね」

「愛の重さだ。耐えてくれ」

彼は私の顎を指先で持ち上げた。
笑い声が止み、熱っぽい視線が絡み合う。
顔が近づく。
吐息がかかる距離。

「……カトレア」

「……はい」

「愛している」

甘い囁きと共に、唇が重なった。

初めての口づけは、夜風の冷たさと、彼の唇の熱さが混じり合った味がした。
そして、ほんのりとした赤ワインの香りと……肉料理の余韻(お互い様だ)。

長く、深いキス。
時が止まったようだった。
王都の喧騒も、過去の嫌な思い出も、全てが遠くへ消え去り、世界には私たち二人しかいないような感覚。

やがて、唇が離れる。
アレクセイ様は、どこか照れくさそうに、でも誇らしげに私を見た。

「……これで、君は正式に私のものだ」

「はい。……そして、貴方様も私のものです」

私は彼の胸に顔を埋めた。
心臓の音がトクトクと聞こえる。
私の心臓も、同じリズムで高鳴っている。

「……さて」

アレクセイ様が、私の髪を撫でながら言った。

「用は済んだな」

「え?」

「王都での用事だ。……夜会には出た。濡れ衣も晴らした。そして何より、君を手に入れた」

彼はニヤリと笑った。

「これ以上、この窮屈な街にいる理由はない。……帰るぞ、カトレア。私たちの『家』へ」

家。
その響きに、私の胸が温かくなる。
あの強面の使用人たちが待つ、魔王城のような屋敷。
広大な畑。
そして、美味しいご飯。

「はい!」

私は満面の笑みで答えた。

「帰りましょう! ……あ、でも」

「なんだ?」

「帰る前に、お土産を買いたいです。王都限定のスイーツとか、保存食とか……」

「……まだ食う気か?」

「別腹です!」

「くくっ……。いいだろう。馬車に積めるだけ買って帰ろう」

こうして、私たちの波乱万丈な王都遠征は幕を閉じた。

かつて「悪女」と呼ばれ、国を追われた私。
今は「辺境伯の婚約者」となり、最強のパートナーと共に、愛する辺境へと帰還する。

「御意」
その言葉は、もう服従の証ではない。
それは、私たちが共に歩む未来への、力強い肯定の合言葉となったのだ。

……まあ、それはそれとして。

「ねえアレクセイ様。帰りの馬車の中で食べるおやつも必要ですよね?」

「……さっきフルコースを食べたばかりだろう?」

「脳を使いましたから! プロポーズの返事でカロリー消費したんです!」

「やれやれ……。私の妻は、燃費が悪くて困る」

そう言いながらも、アレクセイ様が最高に幸せそうな顔をしているのを、私は見逃さなかった。

月明かりの下。
二人の影が一つに重なる。
私の薬指には、蒼い指輪がキラリと輝いていた。
まるで、これからの私たちの「美味しくて騒がしい日々」を祝福するかのように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁

柴田はつみ
恋愛
王国の公爵令嬢セレーネは、家を守るために王太子レオニスとの政略結婚を命じられる。 婚約の儀の日、彼が告げた冷酷な一言——「心配するな。俺の好きな人は別にいる」。 その言葉はセレーネの心を深く傷つけ、王宮での新たな生活は噂と誤解に満ちていく。 好きな人が別にいるはずの彼が、なぜか自分にだけ独占欲を見せる。 嫉妬、疑念、陰謀が渦巻くなかで明らかになる「真実」。 契約から始まった婚約は、やがて運命を変える愛の物語へと変わっていく——。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

処理中です...