「悪役令嬢の貴様とは婚約破棄だ!」と殿下が仰るので。

黒猫かの

文字の大きさ
3 / 28

3

しおりを挟む
ローゼン公爵家の扉が勢いよく開かれた。

「ただいま戻りました! 爺や! 執事長! あとメイド全員集合!」

屋敷のホールに響き渡るイージアの明るい声。

出迎えた老執事が、目を丸くして駆け寄る。

「お、お嬢様? 夜会はお開きになるにはまだ早い時間かと……それに、何事ですかそのハイテンションは」

「いいから聞いて! 最高にハッピーなニュースよ!」

イージアはドレスの裾をたくし上げ、階段を駆け上がりながら指示を飛ばす。

「地下のワインセラーから一番高いシャンパンを持ってきて! 今日は無礼講よ! 宴の準備をしてちょうだい!」

「う、宴、ですか……?」

使用人たちが顔を見合わせている間に、イージアは父である公爵の執務室へと突撃した。

バンッ!

ノックもそこそこに扉を開け放つ。

中では、恰幅の良いローゼン公爵が優雅に食後のティータイムを楽しんでいたが、娘の乱入にティーカップを取り落としそうになった。

「な、なんだイージア。騒々しい」

「お父様! 喜んでください!」

イージアは机に両手をつき、満面の笑みで告げた。

「売れました!」

「……は?」

公爵は眉を寄せる。

「何がだ? また怪しい投資商品か?」

「いいえ、私です!」

「……お前、人身売買は我が国では禁止されているぞ」

「違います! 正確には『不良債権の処理が完了した』と言うべきでしょうか」

イージアは懐から、あの書類を取り出し、父の目の前にバシッと広げた。

「ご覧ください、この美しい数字を!」

公爵は眼鏡の位置を直し、書類を覗き込む。

「『婚約破棄に伴う合意解約書』……『慰謝料請求』……?」

読み進めるにつれて、公爵の目がどんどん見開かれていく。

「な、なんだこの金額は!? ゼロが多すぎて数えられんぞ!」

「すごでしょう? カイル殿下がサインなさいました。法的効力は完璧です」

「ば、馬鹿な……。殿下は正気なのか?」

「『愛の力』だそうです」

「愛……?」

公爵は頭を抱えた。

「つまり、お前は王太子殿下に婚約破棄を突きつけられた、ということか?」

「はい! 大勢の貴族の前で、高らかに宣言されました!」

「なんてことだ……。我が家の恥ではないか……」

がっくりと項垂れる公爵。

しかし、イージアはすかさず父の肩を揺さぶる。

「お父様、何を仰っているのですか! これはチャンスです!」

「チャンス?」

「考えてもみてください。あの浪費家の殿下と結婚したら、我が家の資産まで食いつぶされるのは明白でした。それが、手切れ金をもらって縁が切れたのですよ? これ以上の損切り成功例がありますか?」

「む、むう……確かに、殿下の金銭感覚には不安があったが……」

「それに、この金額。我が領地の年間予算の三年分です。これがあれば、領内の橋の改修も、水路の整備も、お父様が欲しがっていた新作の壺も、全部キャッシュで買えますよ?」

「つ、壺もか!?」

公爵の目の色が変わった。

イージアは畳み掛ける。

「そうです。名誉なんて一円にもなりません。大事なのは実利です、お父様」

「う、うむ……。お前の言うことにも一理ある、ような気がしてきた」

「でしょう?」

イージアはにっこりと微笑むと、ここぞとばかりに本題を切り出した。

「そこで、お父様に折り入ってお願いがあります」

「なんだ? 壺を買ってきてもいいぞ」

「いえ、壺は後回しです。私に、北の辺境にある『あの土地』をください」

公爵はきょとんとした。

「北の辺境? ……ああ、あの荒地か。あそこには今、崩れかけた別荘と、借金を抱えた領民しかいないぞ?」

「構いません。その別荘と領地の経営権を、私に譲渡していただきたいのです」

「なぜまた、そんな僻地へ? 王都で優雅に暮らせばよかろう」

イージアは真顔になった。

「お父様。カイル殿下は馬鹿ですが、王宮にはまだアレクセイや国王陛下がいます」

「うむ、優秀な方々だな」

「彼らが正気に戻った時、どうなると思いますか? 『やっぱりイージアが必要だ』とか『金が払えないから戻ってこい』とか言い出すに決まっています!」

「あ……」

「私はもう働きたくないのです! 特にタダ働きは!」

イージアは拳を握りしめる。

「だから、ほとぼりが冷めるまで……いえ、一生遊んで暮らせるように、王都から物理的な距離を取りたいのです。辺境なら、王宮の使者が来るのにも一週間はかかりますから、逃げる準備ができます」

「な、なるほど……。徹底しているな」

「それに、あの土地は今は荒地ですが、私の試算では温泉が出る可能性があります。開発すればリゾート地として莫大な利益を生むでしょう」

「温泉だと!?」

「はい。慰謝料を元手に開発を進め、そこを私の楽園(パラダイス)にします」

公爵は娘の気迫に押され、もはや頷くしかなかった。

「わ、わかった。好きにするがいい。どうせ使い道のない土地だ、お前にやろう」

「ありがとうございます! お父様、大好き!」

「調子のいいやつめ……」

イージアは書類に父のサインも追加でもらうと、弾むような足取りで扉へ向かった。

「では、私は荷造りがありますので! 出発は明朝です!」

「早すぎないか!?」

「時は金なり、逃げ足は速いほうがいいのです! あ、シャンパンは私の部屋に届けておいてくださいね!」

バタン、と扉が閉まる。

あとに残された公爵は、呆然と書類を見つめ、やがてふっと笑った。

「……たくましい娘だ。誰に似たのやら」

公爵は冷めた紅茶を一口すすり、窓の外の月を見上げた。

「カイル殿下も気の毒にな。あんな猛獣を野に放ってしまったとは……」

          *

その頃、イージアの部屋では、嵐のような荷造りが行われていた。

「ドレス? いらないわ、動きにくいだけよ! 作業着と計算機、あと帳簿の予備を詰め込んで!」

「お嬢様、宝石類は?」

「全部持っていくわよ! 換金性が高いものから順にね!」

専属メイドたちに指示を飛ばしながら、イージアは地図を広げる。

目的地は北の辺境、ベルク領。

ここから馬車で五日の距離だ。

(待っていなさい、私の新天地。カイル殿下の金で、最高に贅沢なスローライフを送ってやるんだから!)

イージアの野望に燃える瞳は、王都の夜景よりもギラギラと輝いていた。

一方その頃、王宮の執務室では。

「……くしゅん!」

山積みの書類に埋もれたアレクセイが、盛大にくしゃみをしていた。

「……なんだか、とてつもなく嫌な予感がする」

彼の予感が的中するのは、翌朝、イージアがもぬけの殻になった屋敷を訪れた時のことである。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冷遇された没落姫は、風に乗せて真実を詠う ─残り香の檻─

あとりえむ
恋愛
「お前の練る香など、埃と同じだ」 没落した名家の姫・瑠璃は、冷酷な夫・道隆に蔑まれ、極寒の離れに追いやられていた。夫の隣には、贅を尽くした香料を纏う愛人の明子。 しかし道隆は知らなかった。瑠璃が魂を削って練り上げた香は、焚く者の心根を映し出す「真実の鏡」であることを。 瑠璃が最後に残した香の種を、明子が盗み出し、手柄を偽って帝の前で焚き上げた瞬間。美しき夢は、獣の死臭が漂う地獄へと変貌する。 「この香りの主を探せ。これほど澄み切った魂が、この都に在るはずだ」 絶望の淵で放たれた一筋の香りに導かれ、孤独な東宮が泥の中に咲く白蓮を見つけ出す。 嘘と虚飾にまみれた貴族社会を、ひとりの調香師が浄化する、雅やかな逆転劇。

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

夫に君も愛人を作ればいいと言われましたので

麻麻(あさあさ)
恋愛
「君も愛人を作ればいい」と夫に言われたので売り言葉に買い言葉で出会った愛人候補は自分が魔法使い伯爵と言いました。 全15話。プロローグから4話まで一挙公開。 翌日からは20時に2話ずつ公開。11日は最終話まで3話一挙公開。 登場人物 マーリン・ダグラス 結婚2年目にして夫の不倫を問い詰めたら黒だった令嬢。母に聞かされた結婚は夫となる人を大事にという言葉を守ってるが夫のギルバートにブチギレてこの度愛人を探すと決める。 デミトリアス・ドラモンドまたはアロン マーリンが仮面舞踏会で知り合った自称魔法使い伯爵。次の日にマーリン好みの執事アロンに姿を変えて彼女の屋敷に来る。 ギルバート・ダグラス マーリンの夫で伯爵。ギルと呼ばれている。愛人を作れば発言をした。 シェリー・モーヴ ギルバートの愛人 エミリー マーリンの親友で既婚者。 ララとリリー マーリンの屋敷のメイド達。

この度娘が結婚する事になりました。女手一つ、なんとか親としての務めを果たし終えたと思っていたら騎士上がりの年下侯爵様に見初められました。

毒島かすみ
恋愛
真実の愛を見つけたと、夫に離婚を突きつけられた主人公エミリアは娘と共に貧しい生活を強いられながらも、自分達の幸せの為に道を切り開き、幸せを掴んでいく物語です。

断罪予定の悪役令嬢ですが、王都でカフェを開いたら婚約者の王太子が常連になりました

由香
恋愛
公爵令嬢エリザベートは、自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生していることに気付く。 このままでは一年後の夜会で婚約破棄され、断罪された上で国外追放されてしまう運命だ。 「――だったら、その前に稼げばいいわ!」 前世の記憶を頼りに、王都の裏通りで小さなカフェを開くことにしたエリザベート。 コーヒーやケーキは評判となり、店は少しずつ人気店へと成長していく。 そんなある日、店に一人の青年が現れる。 落ち着いた雰囲気のその客は、毎日のように通う常連になった。 しかし彼の正体は――なんと婚約者である王太子レオンハルトだった!? 破滅回避のために始めたカフェ経営が、やがて運命を変えていく。 これは、悪役令嬢が小さなカフェから幸せを掴む ほのぼのカフェ経営×溺愛ロマンスストーリー。

ワザとダサくしてたら婚約破棄されたので隣国に行きます!

satomi
恋愛
ワザと瓶底メガネで三つ編みで、生活をしていたら、「自分の隣に相応しくない」という理由でこのフッラクション王国の王太子であられます、ダミアン殿下であらせられます、ダミアン殿下に婚約破棄をされました。  私はホウショウ公爵家の次女でコリーナと申します。  私の容姿で婚約破棄をされたことに対して私付きの侍女のルナは大激怒。  お父様は「結婚前に王太子が人を見てくれだけで判断していることが分かって良かった」と。  眼鏡をやめただけで、学園内での手の平返しが酷かったので、私は父の妹、叔母様を頼りに隣国のリーク帝国に留学することとしました!

婚約破棄されたので契約を終了しただけですが? ~王国が崩壊したのは私のせいではありません~

しおしお
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。 王太子レオナードは突然、婚約者である公爵令嬢アデリーナとの婚約破棄を宣言する。 隣に立つのは、涙を流す義妹ミレイナ。 「お姉様に虐げられてきました」と訴える彼女の言葉を、貴族たちは信じてしまう。 悪女として断罪され、追放を宣告されるアデリーナ。 だが彼女は怒りも悲しみも見せず、ただ静かに微笑んだ。 「承知いたしました。では――契約を終了いたします」 その一言が、すべての始まりだった。 公爵家による融資、貿易、軍需支援。 王国を支えていたすべてが、静かに停止する。 財務は崩壊し、軍は止まり、商人は離反。 王都は混乱に包まれていく。 やがて明らかになる義妹の嘘。 そして王太子の責任。 すべてが暴かれたとき、二人を待っていたのは―― 完全な破滅だった。 一方アデリーナは、隣国で静かな紅茶の時間を過ごしていた。 これは、 婚約破棄された公爵令嬢が“何もしなかった”ことで始まる、 王国崩壊と地獄のざまぁの物語。 ――その報告書を、彼女が読むことは一度もなかった。

病弱令嬢ですが愛されなくとも生き抜きます〜そう思ってたのに甘い日々?〜

白川
恋愛
病弱に生まれてきたことで数多くのことを諦めてきたアイリスは、無慈悲と噂される騎士イザークの元に政略結婚で嫁ぐこととなる。 たとえ私のことを愛してくださらなくても、この世に生まれたのだから生き抜くのよ────。 そう意気込んで嫁いだが、果たして本当のイザークは…? 傷ついた不器用な二人がすれ違いながらも恋をして、溺愛されるまでのお話。

処理中です...