婚約破棄された悪役令嬢ですが、毒を盛る暇があるならお肉を焼きたい。

黒猫かの

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王都から馬車で数日。第一王子ジュリアンは、寒風吹き荒れる北の離宮の前に立っていた。


彼の胸中にあるのは、優越感と、ほんの少しばかりの「慈悲」である。


「……ふん。これほど荒れ果てた場所だ。あの傲慢なアルカも、今頃は己の過ちを悔いて涙に暮れているに違いない」


ジュリアンは、隣に控える騎士たちを振り返った。


「お前たち、いいか。彼女が泣いて縋り付いてきても、すぐには許してやるなよ? まずは十分な反省の色を確認してからだ」


「はっ。殿下のご温情、アルカ様もさぞ身に染みることでしょう」


騎士たちの追従に満足げに頷き、ジュリアンは離宮の重い扉を叩こうとした。


しかし、その瞬間。


どこからともなく、嗅いだこともないような「抗いがたいほど芳醇な香り」が漂ってきた。


香ばしい肉の焼ける匂い。そこに重なる、野性味溢れるハーブの刺激と、甘く濃厚な脂の溶ける香り。


「……なんだ、この匂いは。誰かが炊き出しでもしているのか?」


ジュリアンは不審に思い、扉ではなく、匂いの源である屋敷の裏手へと回った。


そこには、王子の想像を絶する光景が広がっていた。


「火力が安定してきたわね! カイン、次の串を持ってきて!」


「はい、お嬢様。こちらは『氷結ウサギ』のバラ肉に、山わさびの塩漬けを添えたものでございます」


雪が降り積もる中、アルカは防寒具を何枚も着込み、巨大な焚き火の前で一心不乱に肉を焼いていた。


その表情は、王宮で見せていた冷徹な仮面とは正反対の、命の輝きに満ちた笑顔である。


「見て、この脂の爆ぜる音! これこそが北の大地の鼓動だわ!」


「左様でございますね。先ほど捕獲した『雪見トカゲ』のテールも、いい感じに火が通っております」


「ト、トカゲだと……!?」


ジュリアンは思わず声を上げた。


その声に反応し、アルカがゆっくりと顔を上げる。


「あら。……ええと、どなたでしたかしら。その、肉の煙で視界が悪いのですけれど」


「私だ! ジュリアンだ! 貴様の元婚約者だぞ!」


「ああ、殿下でしたか。お久しぶりです。……カイン、殿下の分のお皿、あったかしら?」


「あいにくですが、お嬢様。本日は『食材との対話』を優先するため、予備の食器は用意しておりません。地面に直置きでよろしければ」


「それもそうね。殿下、申し訳ありませんが、今は取り込み中ですので、そこの雪の上にでも座ってお待ちいただけますか?」


アルカはそう言い放つと、再び肉の焼き加減に全神経を集中させた。


ジュリアンは、開いた口が塞がらない。


「ま、待て! 貴様、追放されたのだぞ!? 毎日、冷えたパンと薄いスープで食いつなぎ、私の温情を待ちわびていたのではないのか!?」


「冷えたパン? そんなもの、ここには存在しませんわ。見てください、この自家製石窯で焼いたフォカッチャを。外はカリッと、中はモチモチ……あ、殿下、邪魔です。風下に行かないで。煙がこちらに来るでしょう?」


アルカに手でシッシッと追い払われ、王子としての尊厳が音を立てて崩れていく。


「な、な……っ! リディアは王宮で、貴様がいなくなったことを悲しんでいるというのに……!」


「リディア様が? それは意外ですね。彼女、私がいない方が食事が喉を通るでしょうに。あ、そうだわ。カイン、殿下があまりにうるさいから、試作品の『トカゲの串焼き』を一本差し上げて」


「承知いたしました。……殿下、どうぞ。見た目は少々グロテスクですが、味は鶏肉に似て絶品でございます」


カインが差し出したのは、こんがりと焼けた、どう見ても爬虫類の尻尾だった。


ジュリアンは嫌悪感を露わにしたが、立ち込める匂いの誘惑に勝てず、ふらふらとそれを受け取ってしまう。


「ふ、ふん。こんな野蛮な食い物、私が口にするはずが――」


一口、齧った。


その瞬間、ジュリアンの脳内に稲妻が走った。


「……っ!?」


「いかがです? 隠し味に、森で採れた酸っぱいベリーのソースを使っているんです。トカゲの濃厚な脂を、キリッとした酸味が引き立てているでしょう?」


「な……な、なんだこれは……! 王宮の料理人が作る上品な味とは違う……。荒々しいが、暴力的なまでの旨味だ……!」


「そうでしょう、そうでしょう! 殿下、わかっていただけましたか!」


アルカは嬉しそうにジュリアンの肩を叩いた。


「さあ、遠慮せずにどんどん食べてください! あ、でも食べたらすぐに帰ってくださいね。夜はこれから、メインイベントの『大イノシシの丸焼き』が待っているんですから!」


「ま、丸焼きだと……?」


ジュリアンはトカゲの骨をしゃぶりながら、呆然と立ち尽くした。


自分が救い出そうとしていた女は、救いが必要などころか、この辺境の地を自分専用のグルメパラダイスに作り替えていた。


「……アルカ。貴様、本当にここで満足しているのか?」


「ええ、殿下。私、生まれて初めて『生きてる』って感じがしますわ!」


炎に照らされたアルカの笑顔は、あまりにも眩しく、そして美しかった。


ジュリアンは、自分が捨てたものの大きさを、肉の旨味と共にじわりと噛み締めることになったのである。


「……殿下、そろそろお帰りの時間です。馬車の御者が寒さで震えておりますよ」


カインに促され、ジュリアンはフラフラと離宮を後にした。


手には、なぜかお土産として持たされた「干し肉の束」が握られていた。


「……報告書には何と書けばいいのですか、殿下?」


騎士の問いに、ジュリアンは力なく答えた。


「……『アルカは、極めて元気にトカゲを食っていた』と……そのまま書け……」


こうして、王子の誤算に満ちた視察は、一本のトカゲの串焼きによって幕を閉じたのであった。
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