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「……まあ! なんておぞましい場所なのかしら。こんなところに、あのお高くとまったアルカ様がいらっしゃるなんて、とても信じられませんわ」
北の離宮の門前。泥跳ねを嫌うようにドレスの裾をつまみ上げ、リディア・男爵令嬢は鼻を鳴らした。
彼女の後ろには、数人の護衛と、ジュリアン王子から「様子を見てこい」と命じられた役人が困惑した顔で立っている。
リディアの目的はただ一つ。自分をいじめた悪役令嬢が、惨めに、そしてボロボロになって後悔している姿を拝み、慈悲深いヒロインとして「許してあげますわ」と宣告することだ。
「さあ、案内なさい! アルカ様は今、どこで泣き喚いているのかしら?」
リディアが意気揚々と屋敷の裏手に回ると、そこには不気味なほど大量の「白い煙」が立ち込めていた。
「な、何事ですの!? 火事!? それともアルカ様の怨念が煙に!?」
「いえ、リディア様。あれはただの蒸気でございます」
カインがひょいと煙の中から現れた。その手には、茹で上がったばかりの巨大なジャガイモが山盛りにされた籠がある。
「カ、カイン!? あなた、公爵家の侍従ともあろう者が、どうしてそんな野良仕事のような真似を……」
「今の私は、お嬢様の専属食材管理者ですから。……お嬢様、リディア様がお見えになりました」
カインが呼びかけると、煙の向こうから、顔を煤で汚したアルカが巨大な木べらを担いで姿を現した。
「あら、リディア様じゃない。こんな辺境まで、わざわざ出前を届けに来てくださったの?」
「出前……!? 違いますわ! 私は、あなたの無惨な姿を見届けに来たのですわよ!」
リディアは勝ち誇ったように胸を張った。
「見なさい、私のこのドレスを! 王宮で新調した最新のシルクですわ。それに比べて、あなたのその……その、エプロン姿! なんて汚らわしい!」
アルカはリディアのドレスを一瞥すると、ふむ、と顎に手を当てた。
「その色、いいわね。完熟した桃の皮のような、絶妙なピンク。……でも、そんなことよりリディア様、いいところに来てくれたわ」
「えっ? な、何がですの?」
「人手が足りなかったのよ! 見てちょうだい、この大量の根菜を!」
アルカが指し示した先には、雪の中から掘り出されたばかりの、泥まみれのジャガイモや人参が、小さな山を築いていた。
「北の冬を越すためには、これらすべてを地下貯蔵庫に運ぶ前に、芽を取り除いて泥を落とさなきゃいけないの。カインと二人じゃ、日が暮れても終わらないわ」
「……それが私と何の関係がありますの?」
リディアは嫌な予感に身を震わせた。
「関係大ありよ。あなた、ジュリアン殿下の婚約者候補なんでしょう? 国民の苦労を知るために、まずはこのジャガイモの芽取りから始めてもらうわ」
「な、何をおっしゃるの!? 私は貴族の令嬢ですわよ! そんな、泥に触れるような真似……」
「リディア様。もしこれを手伝ってくれたら、今夜のメインディッシュ、私の自信作である『冬野菜のクリームシチュー・北国仕立て』を食べさせてあげるわ」
「シ、シチュー……?」
リディアの足が止まった。
辺りには、先ほどから煮込まれているであろう、濃厚なバターと生クリーム、そして何種類ものハーブが混ざり合った、天国のような香りが漂っている。
「殿下が仰っていたわ。リディア様は最近、食が細くて心配だって。……でも、このシチューを食べたら、胃袋が歓喜の歌を歌い出すはずよ。何しろ、採れたてのジャガイモを贅沢に使っているんですもの」
アルカはリディアの瞳をじっと見つめ、悪魔のような、あるいは天使のような微笑みを浮かべた。
「さあ、どっちがいいかしら? 泥だらけになって働くか、それとも、この極上のシチューを逃して、一生『あの時食べておけばよかった』と後悔し続けるか……」
「……っ! ……くっ、そ、そこまで言うなら、手伝ってあげなくもありませんわ!」
「話が早くて助かるわ。カイン、彼女に予備のピーラーを渡して」
「承知いたしました。リディア様、こちらの腰掛けへどうぞ。腰を痛めないコツは、背筋を伸ばすことですよ」
「な、なぜ私、座らされているのかしら……」
数分後。
王宮での権力争いや嫉妬に燃えていたはずの「ヒロイン」は、必死な形相でジャガイモの皮を剥き始めていた。
「……あら、意外と楽しいですわね、これ。綺麗に皮が繋がって剥けると、なんだか心が洗われるようですわ」
「そうでしょう? 皮剥きは瞑想と同じよ。無心になればなるほど、食材の真理が見えてくるわ」
アルカは隣で人参を刻みながら、満足げに頷いた。
リディアの護衛や役人たちは、あまりにシュールな光景に、声をかけることすらできずに立ち尽くしている。
「あ、アルカ様。ここ、芽が取れましたわよ! 見てくださいまし!」
「合格よ、リディア様。……ふふ、あなた、素質あるわよ。私と一緒に『北のベジタブル姉妹』としてデビューしない?」
「それは遠慮しておきますわ!」
夕暮れ時。離宮の食堂には、リディアの元気な笑い声と、シチューをおかわりする音が響き渡った。
「……美味しい。私、こんなに美味しいもの、今まで食べたことがありませんわ……。王宮の料理は何だったのかしら……」
「それは良かった。さあ、明日も早いから、リディア様は客室で泥のように眠りなさい。明日は『大根の収穫』が待っているわよ」
「……はいっ! ……って、私、明日も手伝うんですの!? 私、今日中に帰る予定だったはずなのに!」
リディア・男爵令嬢。
彼女もまた、アルカの圧倒的なペース(と料理)によって、一人目の「信者」へと作り替えられようとしていた。
北の離宮の門前。泥跳ねを嫌うようにドレスの裾をつまみ上げ、リディア・男爵令嬢は鼻を鳴らした。
彼女の後ろには、数人の護衛と、ジュリアン王子から「様子を見てこい」と命じられた役人が困惑した顔で立っている。
リディアの目的はただ一つ。自分をいじめた悪役令嬢が、惨めに、そしてボロボロになって後悔している姿を拝み、慈悲深いヒロインとして「許してあげますわ」と宣告することだ。
「さあ、案内なさい! アルカ様は今、どこで泣き喚いているのかしら?」
リディアが意気揚々と屋敷の裏手に回ると、そこには不気味なほど大量の「白い煙」が立ち込めていた。
「な、何事ですの!? 火事!? それともアルカ様の怨念が煙に!?」
「いえ、リディア様。あれはただの蒸気でございます」
カインがひょいと煙の中から現れた。その手には、茹で上がったばかりの巨大なジャガイモが山盛りにされた籠がある。
「カ、カイン!? あなた、公爵家の侍従ともあろう者が、どうしてそんな野良仕事のような真似を……」
「今の私は、お嬢様の専属食材管理者ですから。……お嬢様、リディア様がお見えになりました」
カインが呼びかけると、煙の向こうから、顔を煤で汚したアルカが巨大な木べらを担いで姿を現した。
「あら、リディア様じゃない。こんな辺境まで、わざわざ出前を届けに来てくださったの?」
「出前……!? 違いますわ! 私は、あなたの無惨な姿を見届けに来たのですわよ!」
リディアは勝ち誇ったように胸を張った。
「見なさい、私のこのドレスを! 王宮で新調した最新のシルクですわ。それに比べて、あなたのその……その、エプロン姿! なんて汚らわしい!」
アルカはリディアのドレスを一瞥すると、ふむ、と顎に手を当てた。
「その色、いいわね。完熟した桃の皮のような、絶妙なピンク。……でも、そんなことよりリディア様、いいところに来てくれたわ」
「えっ? な、何がですの?」
「人手が足りなかったのよ! 見てちょうだい、この大量の根菜を!」
アルカが指し示した先には、雪の中から掘り出されたばかりの、泥まみれのジャガイモや人参が、小さな山を築いていた。
「北の冬を越すためには、これらすべてを地下貯蔵庫に運ぶ前に、芽を取り除いて泥を落とさなきゃいけないの。カインと二人じゃ、日が暮れても終わらないわ」
「……それが私と何の関係がありますの?」
リディアは嫌な予感に身を震わせた。
「関係大ありよ。あなた、ジュリアン殿下の婚約者候補なんでしょう? 国民の苦労を知るために、まずはこのジャガイモの芽取りから始めてもらうわ」
「な、何をおっしゃるの!? 私は貴族の令嬢ですわよ! そんな、泥に触れるような真似……」
「リディア様。もしこれを手伝ってくれたら、今夜のメインディッシュ、私の自信作である『冬野菜のクリームシチュー・北国仕立て』を食べさせてあげるわ」
「シ、シチュー……?」
リディアの足が止まった。
辺りには、先ほどから煮込まれているであろう、濃厚なバターと生クリーム、そして何種類ものハーブが混ざり合った、天国のような香りが漂っている。
「殿下が仰っていたわ。リディア様は最近、食が細くて心配だって。……でも、このシチューを食べたら、胃袋が歓喜の歌を歌い出すはずよ。何しろ、採れたてのジャガイモを贅沢に使っているんですもの」
アルカはリディアの瞳をじっと見つめ、悪魔のような、あるいは天使のような微笑みを浮かべた。
「さあ、どっちがいいかしら? 泥だらけになって働くか、それとも、この極上のシチューを逃して、一生『あの時食べておけばよかった』と後悔し続けるか……」
「……っ! ……くっ、そ、そこまで言うなら、手伝ってあげなくもありませんわ!」
「話が早くて助かるわ。カイン、彼女に予備のピーラーを渡して」
「承知いたしました。リディア様、こちらの腰掛けへどうぞ。腰を痛めないコツは、背筋を伸ばすことですよ」
「な、なぜ私、座らされているのかしら……」
数分後。
王宮での権力争いや嫉妬に燃えていたはずの「ヒロイン」は、必死な形相でジャガイモの皮を剥き始めていた。
「……あら、意外と楽しいですわね、これ。綺麗に皮が繋がって剥けると、なんだか心が洗われるようですわ」
「そうでしょう? 皮剥きは瞑想と同じよ。無心になればなるほど、食材の真理が見えてくるわ」
アルカは隣で人参を刻みながら、満足げに頷いた。
リディアの護衛や役人たちは、あまりにシュールな光景に、声をかけることすらできずに立ち尽くしている。
「あ、アルカ様。ここ、芽が取れましたわよ! 見てくださいまし!」
「合格よ、リディア様。……ふふ、あなた、素質あるわよ。私と一緒に『北のベジタブル姉妹』としてデビューしない?」
「それは遠慮しておきますわ!」
夕暮れ時。離宮の食堂には、リディアの元気な笑い声と、シチューをおかわりする音が響き渡った。
「……美味しい。私、こんなに美味しいもの、今まで食べたことがありませんわ……。王宮の料理は何だったのかしら……」
「それは良かった。さあ、明日も早いから、リディア様は客室で泥のように眠りなさい。明日は『大根の収穫』が待っているわよ」
「……はいっ! ……って、私、明日も手伝うんですの!? 私、今日中に帰る予定だったはずなのに!」
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