婚約破棄された悪役令嬢ですが、毒を盛る暇があるならお肉を焼きたい。

黒猫かの

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「緊急事態でございます! 王都より、至急の親書を携えた使者が到着いたしました!」


静かな離宮の朝を切り裂いたのは、カインの珍しく切羽詰まった声ではなかった。


門前で雪だるまのように凍りつき、ガタガタと震えながら羊皮紙を掲げている、王宮の伝令官の悲鳴である。


「……カイン、うるさいわ。今、ガラン卿に『超高速メレンゲ』を作ってもらっている最中なの。一秒でも回転が止まったら、私のオムレツのふわふわ度が三パーセント低下してしまうわ」


アルカはエプロン姿でフライパンを握り、使者など存在しないかのようにガランを叱咤していた。


「うおおおおおっ! アルカ殿! 三パーセントの損失など、この私が許さん! マッスル・ホイップ、最大出力だ!!」


「……アルカ、いい加減にしろ。王宮の正正規伝令が来ているのだぞ」


ジュリアンが呆れ果てた様子で、震える伝令官から手紙をひったくった。


そこには、王家の赤い封蝋。それも、第一王子であるジュリアンのものではなく、さらに権威のある「王妃」の紋章が刻印されていた。


「……っ。アルカ、これは冗談では済まないぞ。母上……王妃イザベラ様からの直命だ」


「王妃様? ……ああ、あの『ダイエットに成功したことが一度もない』と噂の、食いしん坊な……失礼、ふくよかなお方ですね」


アルカはフライパンの火を止め、ようやく使者の方を向いた。


「親書を読み上げろ、エドワード。いや、ジュリアン」


「呼び捨てるな。……ゴホン。『北の地に、魔物を喰らい、草木を宝に変える聖女ありと聞く。その腕前、王宮の退屈な料理に飽き果てた私の胃袋で確かめたい。直ちにアルカ・フォン・ベルムを連れ戻せ。拒否は、私の晩餐への反逆と見なす』……だそうだ」


「……晩餐への反逆。素晴らしい響きね。王妃様、なかなかセンスがあるわ」


アルカは満足げに頷いたが、周囲の空気は一気に凍りついた。


「アルカ様! 王都に戻るなんて、正気ですの!? あなたは『悪役令嬢』として追放された身ですわよ! 戻れば、またあの陰険な大臣たちが手ぐすね引いて待っていますわ!」


リディアがパンを捏ねる手を止めて叫ぶ。


「そうだよ、師匠! わざわざあんな不自由な場所に戻る必要はない! いっそ我がロセウス王国へ亡命しよう! あそこなら、母上も君を『スパイスの女神』として国賓待遇で迎えるよ!」


レオンハルトもここぞとばかりに引き抜きを再開するが、アルカの瞳は別のものを見ていた。


「……ねえ、ジュリアン殿下。王宮の地下にある『クリスタル冷蔵室』、まだ健在かしら?」


「あ、ああ……。魔石をふんだんに使った、一年中氷が溶けないあの部屋か? それがどうした」


「あそこなら、私の新作『ドラゴンの尾の瞬間凍結マリネ』を完璧な状態で保管できるわ。それに、王宮の厨房には、国中の名産品が集まる『ブラックホール・パントリー』もあるわよね」


アルカの瞳が、これまでにない野心で燃え上がった。


「……決めましたわ。王都へ戻りましょう」


「ええええっ!? お嬢様、本気でございますか?」


カインが眉一つ動かさずに問いかける。


「ええ。王妃様の招待という名の『食材提供』。これを利用しない手はないわ。それに、私を追い出した連中に、本当の『毒』……いえ、本当の『ご馳走』というものを教えてあげなくてはね」


アルカは不敵な笑みを浮かべ、ガランが作り上げた究極のメレンゲをフライパンに流し込んだ。


「ジュリアン殿下。準備をしてください。ただし、私の移動手段は馬車一台では足りませんわよ」


「……なぜだ。君一人とカインがいれば十分だろう」


「甘いわね。食材用の冷蔵馬車二台、スパイス用の専用車一台。それに、私の調理器具一式を運ぶための大型貨物車が必要ですわ。ガラン卿、あなたの筋肉は馬車を三台同時に引けますか?」


「もちろんだ! 愛の重量に比べれば、馬車三台など綿菓子のようなもの!!」


「よし、決まりね! リディア様、レオンハルト! あなたたちも来るわよ! 王宮の厨房を、私たちで占拠(ジャック)するのよ!」


「占拠って、あなた……。それ、完全に反逆罪のセリフですわよ!」


リディアのツッコミも虚しく、離宮は王都への凱旋……もとい、王宮厨房侵攻の準備で沸き返った。


ジュリアンは一人、頭を抱えていた。


「……母上。あなたは、とんでもないものを呼び寄せてしまった。……あの王宮が、食欲の炎で焼き尽くされる日が来るとは……」


こうして、悪役令嬢アルカの、王都への衝撃的な帰還が決定した。


それは、陰謀渦巻く社交界への復讐劇ではなく、王宮の胃袋を完全に支配するための、史上最大の「フルコース・パレード」の始まりであった。
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