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カイン様に紹介された物件は、一階が酒場、二階が下宿という、私のような「ネタ」を求める人間にはうってつけの場所でした。
その名も酒場『荒くれ馬の蹄亭』。
名前からして、毎日三回は椅子が宙を舞いそうな素敵な治安ですわ。
私は引っ越し初日の夜、さっそく一階の酒場へと降りていきました。
目的は、もちろん生活費の調達です。
「店主さん、今夜の給仕に一人空きはありませんこと? 私、こう見えて『場の空気をかき乱す』ことに関してはプロフェッショナルですの」
カウンターの中で、熊のような大男の店主が鼻で笑いました。
「ハッ、お嬢ちゃんみたいな細い腕で、この荒くれどもを捌けると思ってんのか? ここは夜な夜な拳が飛び交う戦場だぜ」
「あら、戦場なら実況者(コメンテーター)が必要ではありませんか。見ていらして?」
その時です。
店の奥のテーブルで、案の定、酔っ払った冒険者風の男二人が立ち上がりました。
「テメェ、今俺の悪口言っただろ!」
「ああ? 事実を言ったまでだ、このハゲ!」
一触即発の空気。
周囲の客が「またか」と顔を伏せ、店主が溜息をつきながら棍棒を取り出そうとした瞬間。
私はひょいと空いているテーブルの上に飛び乗りました。
「はい! 皆様、注目! ただいまより、本日第一回『荒くれ蹄・ガチンコ不毛地帯バトル』を開始いたしますわ!」
酒場に響き渡る私の凛とした声。
殴りかかろうとしていた男二人が、ポカンとして動きを止めました。
「な、なんだぁ? この女」
「私は実況のエリーですわ! さあ、左側の赤い鼻のあなた! 先ほど『ハゲ』と言われて動揺した拍子に、グラスの中の酒を自分のズボンにこぼしましたわね! その股間のシミ、まるでお漏らしをした子供のような情けなさですわ! 攻撃力マイナス十点!」
「う、うるせえ! これはわざとだ!」
「続いて右側の、筋肉だけが取り柄のあなた! 構えが甘いですわ! 右足の親指が外を向いています。そんな体勢で殴りかかったら、自分の重みで膝をグキッといわせるのが目に見えていますわ。整形外科の予約は済ませていらして?」
「せ、整形……?」
男たちはすっかり毒気を抜かれ、しかし周囲の客たちは「おい、面白いぞ」と顔を上げ始めました。
「さあ、見合って見合って! 赤い鼻の選手、繰り出すのは右ストレートか、それともシミを隠すための隠密行動か!? ああっ、繰り出したのはただの泥臭いタックルだ! 芸術点ゼロ! まるで泥沼に沈むカバのようですわ!」
「カ、カバって言うな!」
男二人がもみ合い始めると、私はさらにギアを上げました。
「お互いの胸ぐらを掴んで、顔を見合わせて……あら、そんなに近距離で見つめ合って、もしかして恋に落ちる五秒前ですの? 友情の芽生えにしては、お互いの息が酒臭すぎますわね! 周囲の皆様、彼らに消臭剤の雨を降らせて差し上げて!」
客席から、ドッと笑いが溢れました。
誰かが面白がって、ジョッキの水を彼らにひっかけます。
「ああっ! 聖水(ただの水)による浄化が行われました! これにて戦意喪失! 勝負ありですわ!」
男たちは、戦うのが馬鹿馬鹿しくなったのか、最後にはお互いの肩を組んで笑い出しました。
酒場全体が、いつもの殺伐とした雰囲気ではなく、一つのショーを見終えた後のような高揚感に包まれています。
「……おい、お嬢ちゃん。あんた、とんでもねえな」
店主が棍棒を置き、呆れたように、しかし感心した様子で言いました。
「喧嘩を止めるんじゃなく、笑いに変えちまうとは。気に入った、今夜からここで働け。チップは全部あんたのもんだ」
「ありがとうございますわ。……あ、店主さん」
私はテーブルから降り、スカートの埃を払いながら微笑みました。
「その奥の樽、少し漏れていますわよ。せっかくの名酒が台無しですわ。修理のタイミング、三分前がベストでしたけれど、今からでも間に合いますわよ」
「な、何!? ……本当だ、気づかなかったぜ!」
私が働き始めて一時間。
酒場の入り口に、見慣れた銀色の鎧が姿を現しました。
カイン様です。
彼は喧嘩の騒ぎを聞きつけて駆けつけたようですが、店内の平和な(しかし爆笑に包まれた)光景を見て、珍しく目を丸くしています。
「……エリー。貴殿は、どこに行っても騒ぎの中心だな」
「あら、カイン様。お仕事ですか? それとも、私の華麗な実況を聴きに?」
私はトレーにジョッキを載せ、優雅に彼のもとへ歩み寄りました。
「今のカイン様の表情。驚きと困惑が三対七で混ざり合って、まるで出来損なしのミックスジュースのようですわ。一杯いかが?」
「……いらん。だが、貴殿が楽しそうで何よりだ」
カイン様は小さく息を吐くと、隅の席に腰を下ろしました。
どうやら、私の「観客」がまた一人増えたようです。
(公爵家では絶対に味わえなかった、この喧騒と解放感! やっぱり、人生はこうでなくっちゃ!)
私は高くジョッキを掲げ、次の「ネタ」を探して店内に目を光らせるのでした。
その名も酒場『荒くれ馬の蹄亭』。
名前からして、毎日三回は椅子が宙を舞いそうな素敵な治安ですわ。
私は引っ越し初日の夜、さっそく一階の酒場へと降りていきました。
目的は、もちろん生活費の調達です。
「店主さん、今夜の給仕に一人空きはありませんこと? 私、こう見えて『場の空気をかき乱す』ことに関してはプロフェッショナルですの」
カウンターの中で、熊のような大男の店主が鼻で笑いました。
「ハッ、お嬢ちゃんみたいな細い腕で、この荒くれどもを捌けると思ってんのか? ここは夜な夜な拳が飛び交う戦場だぜ」
「あら、戦場なら実況者(コメンテーター)が必要ではありませんか。見ていらして?」
その時です。
店の奥のテーブルで、案の定、酔っ払った冒険者風の男二人が立ち上がりました。
「テメェ、今俺の悪口言っただろ!」
「ああ? 事実を言ったまでだ、このハゲ!」
一触即発の空気。
周囲の客が「またか」と顔を伏せ、店主が溜息をつきながら棍棒を取り出そうとした瞬間。
私はひょいと空いているテーブルの上に飛び乗りました。
「はい! 皆様、注目! ただいまより、本日第一回『荒くれ蹄・ガチンコ不毛地帯バトル』を開始いたしますわ!」
酒場に響き渡る私の凛とした声。
殴りかかろうとしていた男二人が、ポカンとして動きを止めました。
「な、なんだぁ? この女」
「私は実況のエリーですわ! さあ、左側の赤い鼻のあなた! 先ほど『ハゲ』と言われて動揺した拍子に、グラスの中の酒を自分のズボンにこぼしましたわね! その股間のシミ、まるでお漏らしをした子供のような情けなさですわ! 攻撃力マイナス十点!」
「う、うるせえ! これはわざとだ!」
「続いて右側の、筋肉だけが取り柄のあなた! 構えが甘いですわ! 右足の親指が外を向いています。そんな体勢で殴りかかったら、自分の重みで膝をグキッといわせるのが目に見えていますわ。整形外科の予約は済ませていらして?」
「せ、整形……?」
男たちはすっかり毒気を抜かれ、しかし周囲の客たちは「おい、面白いぞ」と顔を上げ始めました。
「さあ、見合って見合って! 赤い鼻の選手、繰り出すのは右ストレートか、それともシミを隠すための隠密行動か!? ああっ、繰り出したのはただの泥臭いタックルだ! 芸術点ゼロ! まるで泥沼に沈むカバのようですわ!」
「カ、カバって言うな!」
男二人がもみ合い始めると、私はさらにギアを上げました。
「お互いの胸ぐらを掴んで、顔を見合わせて……あら、そんなに近距離で見つめ合って、もしかして恋に落ちる五秒前ですの? 友情の芽生えにしては、お互いの息が酒臭すぎますわね! 周囲の皆様、彼らに消臭剤の雨を降らせて差し上げて!」
客席から、ドッと笑いが溢れました。
誰かが面白がって、ジョッキの水を彼らにひっかけます。
「ああっ! 聖水(ただの水)による浄化が行われました! これにて戦意喪失! 勝負ありですわ!」
男たちは、戦うのが馬鹿馬鹿しくなったのか、最後にはお互いの肩を組んで笑い出しました。
酒場全体が、いつもの殺伐とした雰囲気ではなく、一つのショーを見終えた後のような高揚感に包まれています。
「……おい、お嬢ちゃん。あんた、とんでもねえな」
店主が棍棒を置き、呆れたように、しかし感心した様子で言いました。
「喧嘩を止めるんじゃなく、笑いに変えちまうとは。気に入った、今夜からここで働け。チップは全部あんたのもんだ」
「ありがとうございますわ。……あ、店主さん」
私はテーブルから降り、スカートの埃を払いながら微笑みました。
「その奥の樽、少し漏れていますわよ。せっかくの名酒が台無しですわ。修理のタイミング、三分前がベストでしたけれど、今からでも間に合いますわよ」
「な、何!? ……本当だ、気づかなかったぜ!」
私が働き始めて一時間。
酒場の入り口に、見慣れた銀色の鎧が姿を現しました。
カイン様です。
彼は喧嘩の騒ぎを聞きつけて駆けつけたようですが、店内の平和な(しかし爆笑に包まれた)光景を見て、珍しく目を丸くしています。
「……エリー。貴殿は、どこに行っても騒ぎの中心だな」
「あら、カイン様。お仕事ですか? それとも、私の華麗な実況を聴きに?」
私はトレーにジョッキを載せ、優雅に彼のもとへ歩み寄りました。
「今のカイン様の表情。驚きと困惑が三対七で混ざり合って、まるで出来損なしのミックスジュースのようですわ。一杯いかが?」
「……いらん。だが、貴殿が楽しそうで何よりだ」
カイン様は小さく息を吐くと、隅の席に腰を下ろしました。
どうやら、私の「観客」がまた一人増えたようです。
(公爵家では絶対に味わえなかった、この喧騒と解放感! やっぱり、人生はこうでなくっちゃ!)
私は高くジョッキを掲げ、次の「ネタ」を探して店内に目を光らせるのでした。
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