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「……はあ。カイン様、監察官の仕事というのは、時にこうして『ただ待つだけ』という、知性と忍耐の無駄遣いを強いるものですのね」
深夜の王都、北街区にある古びた倉庫の屋根裏。
私はカイン様と共に、密輸の疑いがある商会の動きを監視していました。
狭い空間、埃っぽい空気、そして何より——密着せざるを得ない距離感。
私は膝を抱えながら、小声で不満を漏らしました。
「……忍耐も騎士の資質の一つだ。静かにしろ、エリー。相手に気づかれれば、今までの苦労が水の泡になる」
カイン様は低い声で私を制しながらも、その視線は鋭く下の広場に向けられています。
その横顔、相変わらず彫刻のように整っていますけれど、少し真面目すぎますわね。
「判定、入りますわよ。……カイン様、その『静かにしろ』という言い方。威圧感は十分ですが、私の耳元で囁くのは反則ですわ。吐息が耳にかかって、集中力が散漫になります。公務執行妨害で訴えますわよ?」
「……そんなつもりはない。単に、声を漏らさないようにしただけだ」
カイン様はわずかに顔を背けましたが、暗がりでも分かるほど耳の先が赤くなっています。
ふふ、この騎士様をからかうのは、酒場の酔っ払いを実況するよりずっと手応えがありますわ。
「それに、その構え。三時間も微動だにしないなんて、貴方は人間ではなく精巧な石像か何かなんですの? 関節の油切れが心配ですわ。後で私が、特製のマッサージ(物理攻撃込み)をして差し上げましょうか?」
「……遠慮しておく。貴殿のマッサージは、骨が折れそうだ」
「あら、失礼ね。私はこう見えて、力の加減というものを……あ、動きましたわよ!」
倉庫の大きな扉がゆっくりと開き、黒いマントを羽織った男たちが荷箱を運び出し始めました。
カイン様の身体が、一瞬で戦闘態勢に切り替わります。
「……よし、行くぞ。エリー、貴殿はここで待機していろ。合図を送ったら、いつものように記録を頼む」
「ええ、お任せなさいな。彼らの無様な逃走劇、バッチリ一字一句逃さず実況して差し上げますわ!」
カイン様は音もなく屋根裏から飛び降り、闇に紛れて男たちを次々と無力化していきました。
その動き、無駄がなくて流石ですわね。
一分、二分……。
あっという間に、現場は制圧されました。
「……終わったぞ。降りてこい」
カイン様の呼ぶ声に応えて、私は梯子を降りました。
捕まった男たちは、カイン様の圧倒的な実力に戦意を喪失し、地面に這いつくばっています。
「はい、実況終了です! 密輸犯の皆様、お疲れ様でした! 逃走を試みた際のあの足のもつれ方、生まれたての小鹿のようで非常に滑稽でしたわ。あと、そちらのリーダー格の方。隠し持っていたナイフが自分の服に引っかかって自爆するなんて、ギャグのセンスだけは一流ですわね!」
私が容赦なくガヤを入れると、男たちは屈辱に顔を歪めましたが、カイン様の冷徹な視線に射抜かれて沈黙しました。
事後処理を部下に任せ、私たちは静かになった夜道を、騎士団の詰所へと向かって歩き出しました。
月明かりが、石畳を白く照らしています。
「……ふう。今日もいい仕事(ツッコミ)をしましたわ」
私が伸びをすると、隣を歩くカイン様が、ふと立ち止まりました。
「……エリー」
「なんですの? また私の歩き方が淑女らしくないとか、そんなダメ出しなら受け付けませんわよ?」
「……いや。そうではない」
カイン様は私の方を向き、いつになく真剣な、それでいてどこか柔らかな眼差しで私を見つめました。
「……貴殿が王宮を追放され、私の前に現れてから……私の世界は、驚くほど騒がしくなった」
「あら、それは『うるさい』という遠回しな批判かしら? 判定、保留ですわ」
「……違う。……私は今まで、規律と任務の中にしか価値を見出せなかった。だが、貴殿のその……止まることを知らない舌と、鋭すぎる観察眼に触れているうちに、気づいたのだ」
カイン様が一歩、私に近づきました。
夜風が二人の間を通り抜けます。
「……私は、貴殿といると退屈しない」
その言葉は、彼が普段口にするどの命令よりも、深く、重く私の心に響きました。
「……退屈、しない……?」
「ああ。貴殿が何を言い出し、誰にどんなツッコミを入れるのか。それを隣で見ているだけで、私の凍りついていた時間が動き出すような気がするのだ。……エリー。これからも、私の隣で喋り続けてはくれないか?」
……はい、判定。
判定、不能ですわ。
今のカイン様の発言、破壊力プラス一億点。
私の「実況回路」が、一瞬でショートしてしまいましたわ。
「……カ、カイン様。今のセリフ、あまりにも直球すぎて、私のような繊細な令嬢には刺激が強すぎますわ。……それに、その真面目な顔でそんな恥ずかしいことを仰るなんて、羞恥心の欠如点プラス五十点ですわよ!」
私は顔が熱くなるのを隠すように、早口でまくしたてました。
すると、カイン様が珍しく、声を上げて低く笑ったのです。
「……やはり、貴殿はそう来ると思った。……顔が赤いぞ、エリー」
「う、うるさいですわ! これは夜風のせいです! カイン様のその意地悪な笑い方こそ、騎士道にもとる行為ですわ! 実況、再開しますわよ!」
私はわざとらしくカイン様を追い越し、ズンズンと前を歩き始めました。
心臓の音が、夜の静寂の中で驚くほど大きく聞こえます。
(……全く、不意打ちにも程がありますわ。あんな風に言われたら、私のキレのあるツッコミが、ただの照れ隠しになってしまうではありませんか……!)
「……待て、エリー。転ぶぞ」
「転びませんわ! 転んだら、自分の運動神経に三時間ぶっ続けでダメ出しして差し上げますから、見ていらして!」
後ろからついてくるカイン様の足音。
それは、今まで感じたことのない、心地よいリズムを刻んでいました。
王宮を追い出された時は、独りで生きていく覚悟でしたけれど。
こんな「観客」が隣にいてくれるのも、悪くないかもしれませんわね。
私は夜空に浮かぶ月を見上げながら、自分でも気づかないうちに、穏やかな笑みを浮かべていたのでした。
深夜の王都、北街区にある古びた倉庫の屋根裏。
私はカイン様と共に、密輸の疑いがある商会の動きを監視していました。
狭い空間、埃っぽい空気、そして何より——密着せざるを得ない距離感。
私は膝を抱えながら、小声で不満を漏らしました。
「……忍耐も騎士の資質の一つだ。静かにしろ、エリー。相手に気づかれれば、今までの苦労が水の泡になる」
カイン様は低い声で私を制しながらも、その視線は鋭く下の広場に向けられています。
その横顔、相変わらず彫刻のように整っていますけれど、少し真面目すぎますわね。
「判定、入りますわよ。……カイン様、その『静かにしろ』という言い方。威圧感は十分ですが、私の耳元で囁くのは反則ですわ。吐息が耳にかかって、集中力が散漫になります。公務執行妨害で訴えますわよ?」
「……そんなつもりはない。単に、声を漏らさないようにしただけだ」
カイン様はわずかに顔を背けましたが、暗がりでも分かるほど耳の先が赤くなっています。
ふふ、この騎士様をからかうのは、酒場の酔っ払いを実況するよりずっと手応えがありますわ。
「それに、その構え。三時間も微動だにしないなんて、貴方は人間ではなく精巧な石像か何かなんですの? 関節の油切れが心配ですわ。後で私が、特製のマッサージ(物理攻撃込み)をして差し上げましょうか?」
「……遠慮しておく。貴殿のマッサージは、骨が折れそうだ」
「あら、失礼ね。私はこう見えて、力の加減というものを……あ、動きましたわよ!」
倉庫の大きな扉がゆっくりと開き、黒いマントを羽織った男たちが荷箱を運び出し始めました。
カイン様の身体が、一瞬で戦闘態勢に切り替わります。
「……よし、行くぞ。エリー、貴殿はここで待機していろ。合図を送ったら、いつものように記録を頼む」
「ええ、お任せなさいな。彼らの無様な逃走劇、バッチリ一字一句逃さず実況して差し上げますわ!」
カイン様は音もなく屋根裏から飛び降り、闇に紛れて男たちを次々と無力化していきました。
その動き、無駄がなくて流石ですわね。
一分、二分……。
あっという間に、現場は制圧されました。
「……終わったぞ。降りてこい」
カイン様の呼ぶ声に応えて、私は梯子を降りました。
捕まった男たちは、カイン様の圧倒的な実力に戦意を喪失し、地面に這いつくばっています。
「はい、実況終了です! 密輸犯の皆様、お疲れ様でした! 逃走を試みた際のあの足のもつれ方、生まれたての小鹿のようで非常に滑稽でしたわ。あと、そちらのリーダー格の方。隠し持っていたナイフが自分の服に引っかかって自爆するなんて、ギャグのセンスだけは一流ですわね!」
私が容赦なくガヤを入れると、男たちは屈辱に顔を歪めましたが、カイン様の冷徹な視線に射抜かれて沈黙しました。
事後処理を部下に任せ、私たちは静かになった夜道を、騎士団の詰所へと向かって歩き出しました。
月明かりが、石畳を白く照らしています。
「……ふう。今日もいい仕事(ツッコミ)をしましたわ」
私が伸びをすると、隣を歩くカイン様が、ふと立ち止まりました。
「……エリー」
「なんですの? また私の歩き方が淑女らしくないとか、そんなダメ出しなら受け付けませんわよ?」
「……いや。そうではない」
カイン様は私の方を向き、いつになく真剣な、それでいてどこか柔らかな眼差しで私を見つめました。
「……貴殿が王宮を追放され、私の前に現れてから……私の世界は、驚くほど騒がしくなった」
「あら、それは『うるさい』という遠回しな批判かしら? 判定、保留ですわ」
「……違う。……私は今まで、規律と任務の中にしか価値を見出せなかった。だが、貴殿のその……止まることを知らない舌と、鋭すぎる観察眼に触れているうちに、気づいたのだ」
カイン様が一歩、私に近づきました。
夜風が二人の間を通り抜けます。
「……私は、貴殿といると退屈しない」
その言葉は、彼が普段口にするどの命令よりも、深く、重く私の心に響きました。
「……退屈、しない……?」
「ああ。貴殿が何を言い出し、誰にどんなツッコミを入れるのか。それを隣で見ているだけで、私の凍りついていた時間が動き出すような気がするのだ。……エリー。これからも、私の隣で喋り続けてはくれないか?」
……はい、判定。
判定、不能ですわ。
今のカイン様の発言、破壊力プラス一億点。
私の「実況回路」が、一瞬でショートしてしまいましたわ。
「……カ、カイン様。今のセリフ、あまりにも直球すぎて、私のような繊細な令嬢には刺激が強すぎますわ。……それに、その真面目な顔でそんな恥ずかしいことを仰るなんて、羞恥心の欠如点プラス五十点ですわよ!」
私は顔が熱くなるのを隠すように、早口でまくしたてました。
すると、カイン様が珍しく、声を上げて低く笑ったのです。
「……やはり、貴殿はそう来ると思った。……顔が赤いぞ、エリー」
「う、うるさいですわ! これは夜風のせいです! カイン様のその意地悪な笑い方こそ、騎士道にもとる行為ですわ! 実況、再開しますわよ!」
私はわざとらしくカイン様を追い越し、ズンズンと前を歩き始めました。
心臓の音が、夜の静寂の中で驚くほど大きく聞こえます。
(……全く、不意打ちにも程がありますわ。あんな風に言われたら、私のキレのあるツッコミが、ただの照れ隠しになってしまうではありませんか……!)
「……待て、エリー。転ぶぞ」
「転びませんわ! 転んだら、自分の運動神経に三時間ぶっ続けでダメ出しして差し上げますから、見ていらして!」
後ろからついてくるカイン様の足音。
それは、今まで感じたことのない、心地よいリズムを刻んでいました。
王宮を追い出された時は、独りで生きていく覚悟でしたけれど。
こんな「観客」が隣にいてくれるのも、悪くないかもしれませんわね。
私は夜空に浮かぶ月を見上げながら、自分でも気づかないうちに、穏やかな笑みを浮かべていたのでした。
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