「婚約破棄? ええ、どうぞ!(食い気味)」

黒猫かの

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ガタゴトと揺れる馬車の窓から、私は夜の王都を眺めていた。
普段なら騎士団の先導付きで通り過ぎるだけの景色が、今は鮮やかな色彩と喧騒を持って迫ってくる。

「ここで降ろしてちょうだい!」

私が声をかけると、御者は驚いた顔で馬車を止めた。
そこは、貴族街とは正反対の、庶民たちが夜な夜な酒を酌み交わす活気溢れた下町エリアだ。

「お嬢様、本当によろしいのですか? この辺りは夜道も暗く、物騒でございますよ」

「いいのよ。物騒なのは、私のこれまでの人生の方でしたわ」

私はトランクを二つ抱え(一つは御者にチップとして差し上げた)、軽やかな足取りで石畳に降り立った。
鼻をくすぐるのは、香水の香りではなく、屋台から漂う油の焼ける芳ばしい匂い。

「ああ、自由の匂いがしますわ! まずは宿を探さなくてはね。天井が三メートルもなくて、カーテンに金糸が使われていない、控えめな宿を!」

私は地図も持たず、直感の赴くままに歩き出した。
しかし、自由の喜びで浮かれていたせいか、いつの間にか街灯の少ない細い路地へと迷い込んでしまった。

背後から、ガサリと嫌な音が響く。

「おいおい、こんな時間に上等な服を着たお嬢ちゃんが一人で何してるんだ?」

振り返ると、そこにはいかにも「私は今から悪いことをします」という顔をした男たちが三人、ニヤニヤしながら立っていた。
一人は前歯が欠け、一人は薄汚れたバンダナを巻き、もう一人は錆びたナイフを弄んでいる。

普通ならここで悲鳴を上げるのが、深窓の令嬢というものだろう。
だが、あいにく私は、ついさっき王子の「婚約破棄」という史上最大級の嫌がらせを笑顔で跳ね返してきたばかりなのだ。

私はトランクを地面に置くと、腰に手を当てて深くため息をついた。

「……あの、おじ様方。一つ伺ってもよろしくて?」

「ああん? 命乞いか? それとも金を出すから助けてくれってか?」

「いいえ。そのバンダナ、巻き方が左右非対称で非常に見苦しいですわ。あと、そちらのナイフ。手入れがなっていませんわね。そんな錆びた刃物で人を脅そうなんて、公爵家の料理番が見たら卒倒してよ?」

「……は?」

男たちが呆然と立ち尽くす。
私は容赦なく言葉の弾丸を続けた。

「それから、そこの前歯のない貴方。笑うと余計に間抜け面が際立ちますわよ。歯科医を紹介してさしあげましょうか? もっとも、私の紹介状を受け取るには、貴方の前科をすべて清算してからになりますけれど」

「て、てめえ……! 舐めた口利きやがって! 痛い目見たいのか!」

ナイフを持った男が、顔を真っ赤にして踏み出してきた。
私は目を細め、冷ややかな笑みを浮かべる。

「痛い目? あら、私は十数年間、あのおバカな王子の退屈な自分語りを笑顔で聞き続けるという、精神的拷問に耐えてきたのですわよ? 貴方のそのちっぽけなナイフが、私の忍耐力に勝てるとでもお思いかしら?」

私が一歩踏み出すと、なぜか男たちの方が「ひっ」と声を上げて後ずさった。
令嬢教育で培われた威圧感と、今の「何も失うものがない」という無敵のオーラが混ざり合い、路地裏に異様な緊張感が走る。

「さあ、どうなさるの? 私を襲って、一生追われる身になるか。それとも今すぐ消えて、明日の朝食に美味しいパンを食べる喜びを噛みしめるか。選ばせてあげますわ」

男たちは顔を見合わせた。
彼らの本能が「この女に関わってはいけない」と最大級の警報を鳴らしていた。

「く、糞っ! 覚えてやがれ!」

捨て台詞と共に、男たちは脱兎の如く逃げ出していった。
私はそれを見届け、ふぅと小さく息を吐く。

「全く、礼儀の欠片もありませんわね。……ところで」

私は誰もいないはずの頭上の屋根を見上げた。

「そこの貴方。いつまで高みの見物を決め込んでいるおつもり? 野次馬料を請求いたしますわよ」

一瞬の沈黙の後。
屋根から影が舞い降りた。

漆黒のマントを翻し、軽やかに着地したのは、月の光を反射するような銀髪の青年だった。
彼は口元に楽しげな笑みを浮かべ、ゆっくりと私に歩み寄ってくる。

「失礼。助けが必要かと思ったが、どうやらその必要は皆無だったようだな」

「助け? あら、心外ですわ。私はただ、彼らの今後のキャリアプランについてアドバイスを差し上げていただけですわよ」

私は目の前の男――シオンを観察した。
身のこなし、纏う空気。ただの野次馬ではないことは明白だ。

「……貴方、先ほどから私の後をつけていらしたわね? 王宮の刺客かしら? それとも、私の美貌に酔いしれたストーカーさん?」

「ははは! ストーカーとは手厳しい。私はただ、運命的な婚約破棄を目撃してね。その後の主役がどうなるか、気になっただけだ」

シオンは恭しく一礼した。その所作は、ヴィンス王子よりも遥かに洗練されている。

「私はシオン。しがない旅の商人……に見えるかな?」

「いいえ、全く。商人にしては、その瞳が鋭すぎますわ。まるで、獲物を狙う鷹のようですわよ」

私はトランクを再び持ち上げた。
この男が敵か味方かは分からないが、少なくとも退屈はしなさそうだ。

「まあいいわ、シオンさん。私はリオナ。見ての通り、たった今『自由』という名の無職になった女よ。もし貴方が美味しい宿を知っているなら、案内してくださってもよろしくてよ?」

「喜んで、リオナ。君のような面白い女性を放っておく手はない」

シオンの瞳に、夜の闇よりも深い興味の色が宿る。
路地裏で出会った「最強の元令嬢」と「謎の男」。

私の新しい人生の歯車が、音を立てて回り始めた。
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