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王城での勤務開始から一週間。
財務省は劇的に変化していた。
書類の山は消滅し、職員たちは定時退社を覚え、廊下は磨き上げられている(ロベルトの手によって)。
そんなある日の昼休み。
私は中庭のベンチで、優雅にサンドイッチを食べていた。
もちろん、ただのランチではない。
この時間は「業務外」であるため、クラウス公爵との契約に基づき、私の完全な自由時間だ。
「……ふぅ。為替相場も安定しているわね」
経済新聞を読みながら、紅茶を一口。
平和だ。
そう思った瞬間だった。
「ア、アイーダ……!」
植え込みの陰から、亡霊のようにやつれた男が現れた。
ロベルトだ。
一週間前まで煌びやかな王子服を着ていた彼は、今やボロボロの作業着姿。
手にはモップではなく、なぜか大量の羊皮紙を抱えている。
「あら、雑用係のロベルトさん。ここは職員の憩いの場です。清掃中なら静かにお願いしますね」
「清掃じゃない! 頼む、話を聞いてくれ!」
ロベルトは私の足元にすがりついた。
「助けてくれ! もう無理だ! 限界だ!」
「何がです?」
「これだよ! 父上……陛下から、『掃除の合間に、溜まっている公務の書類も処理しろ』って言われたんだ!」
ロベルトは抱えていた羊皮紙をベンチに広げた。
「隣国への親書、舞踏会の招待客リスト作成、予算の決裁書……。どれもこれも、何が書いてあるのかさっぱりわからないんだ!」
「……当たり前でしょう。それらは全て、婚約期間中に私が処理していたものですから」
私は冷めた目で書類を見下ろした。
「殿下はいつも『面倒だ、あとでやる』と言って逃げ出し、私が夜なべして代筆していたのをお忘れですか?」
「だ、だって、お前がやった方が早いし、完璧だったから……」
「ええ。その結果、殿下は『サインをするだけの機械』になり下がっていたわけですね。自業自得です」
「そんなこと言わないでくれよ! ミシェルに頼んでも、『漢字が多くて読めな~い』って泣き出すし……」
「ミシェル様は装飾品ですから、実務能力を求めてはいけません」
「くそっ、あいつ全然役に立たないじゃないか! 癒やし系だと思ってたのに、今じゃただのお荷物だよ!」
ロベルトが頭を抱える。
「なあ、アイーダ。頼む、戻ってきてくれ!」
「……戻る? どこへ?」
「僕の元へだよ! やっぱりお前じゃなきゃダメなんだ! 婚約破棄は撤回する! だから、この書類を片付けてくれ!」
ロベルトは必死の形相で叫んだ。
その目には涙が浮かんでいる。
普通の令嬢なら、「やはり私がいないとダメなのね」と情にほだされる場面かもしれない。
だが、私はサンドイッチの最後の一口を飲み込み、懐からナプキンを取り出して口元を拭った。
「……お断りします」
「なっ!? なんでだよ! 僕が頭を下げているんだぞ!?」
「殿下。貴方は根本的な勘違いをしています」
私は足を組み直し、ビジネスライクな表情を作る。
「貴方が求めているのは『婚約者(パートナー)』ではなく、『無償で働く事務員(スレイブ)』です。私は現在、クラウス公爵と極めて高条件の雇用契約を結んでおります。低賃金……いえ、無賃金のブラック労働環境に戻る理由がありません」
「ぶ、ブラック……?」
「それに、婚約破棄の撤回など不可能です。すでに違約金の請求は確定し、一部は支払い済み(クラウス様による肩代わり)です。契約は不可逆的に履行されています」
「そ、そこをなんとか! 愛はないのか、愛は!」
「ありません。在庫切れです」
即答する。
ロベルトが絶望に顔を歪める。
「頼むよぉぉ……このままだと、書類が終わらなくて寝る時間がないんだよぉぉ……」
情けない声で泣き崩れる元王子。
私はチラリと懐中時計を見た。
昼休み終了まで、あと十分。
……ふむ。
これは「ビジネスチャンス」かもしれない。
私はカバンから、一冊のファイルを丁寧に取り出した。
「……殿下。どうしても、私に手伝ってほしいのですか?」
「も、もちろんだ! お前しかいない!」
「『婚約者』として戻ることは絶対にありません。ですが……」
「ですが?」
「『外部コンサルタント』として、業務の一部を請け負うことは可能です」
私はニッコリと微笑み、あらかじめ用意しておいた(いつか使うだろうと思っていた)書類を差し出した。
「こちら、『公務代行に関する業務委託契約書』です」
「ぎょ、業務委託……?」
「はい。貴方の仕事を私が代行します。ただし、完全従量課金制です」
私は電卓を取り出し、叩き始めた。
「まず、親書の代筆。一通につき金貨五枚。外交上の重要度に応じて変動します」
「ご、五枚!? 高くないか!?」
「私の文章は、相手国の文化やマナーを完璧に踏まえたものです。戦争を回避できると思えば安いものでしょう?」
「うっ……」
「次に、招待客リストの作成。一人につき銀貨一枚。席次表の調整を含む場合は、別途オプション料金として金貨十枚」
「席順決めるだけで金貨十枚!?」
「犬猿の仲の貴族同士を隣席させて、パーティーを修羅場にしたくないなら支払うべきです」
「ぐぬぬ……」
「そして、緊急対応料金(エクスプレス・チャージ)。『明日までにやってくれ』というような無茶振りの場合、基本料金の五倍をいただきます」
「ご、五倍……!」
ロベルトは青ざめた顔で契約書と私を交互に見た。
「こ、こんなの……給料が全部吹っ飛んじゃうよ……」
「でしょうね。ですが、自分でできないならプロに頼む。それが世の常です。……どうなさいますか? 契約しないなら、私は午後の業務に戻りますが」
私は立ち上がろうとする。
ロベルトは慌てて私のスカートの裾を掴んだ。
「ま、待ってくれ! 頼む! やる! 契約する! 掃除と書類の両立なんて無理なんだ!」
「では、ここにサインを。拇印でも構いませんよ」
「ううう……畜生……!」
ロベルトは震える手で羽ペンを取り、契約書にサインをした。
その瞬間、私は契約書をひったくるように回収した。
「契約成立(ディール)です。毎月二十日締め、翌月末払い。支払いが遅れた場合は、遅延損害金年利十四・六パーセントが発生しますのでご注意を」
「……あ、悪魔だ」
「いいえ、救世主(ビジネスパートナー)ですよ。殿下の安眠を守って差し上げるのですから」
私は書類の束をロベルトの手から受け取った。
「では、この親書の下書きは三十分後に仕上げておきます。納品場所は第三物置……失礼、現在の殿下のお部屋でよろしいですね?」
「ううっ……頼む……」
項垂れるロベルトを残し、私は軽やかな足取りで財務省へと戻る。
ちょうど、廊下の角でクラウス公爵と鉢合わせた。
「……機嫌が良いな、アイーダ。何か良いことでもあったか?」
クラウスが怪訝そうな顔をする。
私は契約書をヒラヒラと振ってみせた。
「ええ、新規の副業案件を獲得しました。クライアントは支払い能力に難がありますが、親族(王家)が太いのでとりっぱぐれはありません」
「……またロベルトか。あいつも懲りないな」
クラウスは呆れつつも、どこか楽しげに口元を緩めた。
「まあいい。君が稼ぐのは構わんが、私の業務をおろそかにするなよ?」
「もちろんです。私のメインバンクは閣下ですから」
「ふっ……。メインバンク、か。ならば、大口顧客として優遇してもらいたいものだな」
「検討しておきます。プレミアム会員権、月額金貨百枚ですがいかがですか?」
「高いな。……だが、考えておこう」
冗談交じりの会話を交わしながら、私たちは執務室へと向かう。
背後からは、ロベルトの「あああ、今月の給料がぁぁ……!」という嘆き声が聞こえてきたが、それは風の音に消えた。
愛はない。
だが、金はある。
それで十分ではないか。
私の「悪役令嬢」としての第二の人生は、順調に利益率を伸ばしていた。
財務省は劇的に変化していた。
書類の山は消滅し、職員たちは定時退社を覚え、廊下は磨き上げられている(ロベルトの手によって)。
そんなある日の昼休み。
私は中庭のベンチで、優雅にサンドイッチを食べていた。
もちろん、ただのランチではない。
この時間は「業務外」であるため、クラウス公爵との契約に基づき、私の完全な自由時間だ。
「……ふぅ。為替相場も安定しているわね」
経済新聞を読みながら、紅茶を一口。
平和だ。
そう思った瞬間だった。
「ア、アイーダ……!」
植え込みの陰から、亡霊のようにやつれた男が現れた。
ロベルトだ。
一週間前まで煌びやかな王子服を着ていた彼は、今やボロボロの作業着姿。
手にはモップではなく、なぜか大量の羊皮紙を抱えている。
「あら、雑用係のロベルトさん。ここは職員の憩いの場です。清掃中なら静かにお願いしますね」
「清掃じゃない! 頼む、話を聞いてくれ!」
ロベルトは私の足元にすがりついた。
「助けてくれ! もう無理だ! 限界だ!」
「何がです?」
「これだよ! 父上……陛下から、『掃除の合間に、溜まっている公務の書類も処理しろ』って言われたんだ!」
ロベルトは抱えていた羊皮紙をベンチに広げた。
「隣国への親書、舞踏会の招待客リスト作成、予算の決裁書……。どれもこれも、何が書いてあるのかさっぱりわからないんだ!」
「……当たり前でしょう。それらは全て、婚約期間中に私が処理していたものですから」
私は冷めた目で書類を見下ろした。
「殿下はいつも『面倒だ、あとでやる』と言って逃げ出し、私が夜なべして代筆していたのをお忘れですか?」
「だ、だって、お前がやった方が早いし、完璧だったから……」
「ええ。その結果、殿下は『サインをするだけの機械』になり下がっていたわけですね。自業自得です」
「そんなこと言わないでくれよ! ミシェルに頼んでも、『漢字が多くて読めな~い』って泣き出すし……」
「ミシェル様は装飾品ですから、実務能力を求めてはいけません」
「くそっ、あいつ全然役に立たないじゃないか! 癒やし系だと思ってたのに、今じゃただのお荷物だよ!」
ロベルトが頭を抱える。
「なあ、アイーダ。頼む、戻ってきてくれ!」
「……戻る? どこへ?」
「僕の元へだよ! やっぱりお前じゃなきゃダメなんだ! 婚約破棄は撤回する! だから、この書類を片付けてくれ!」
ロベルトは必死の形相で叫んだ。
その目には涙が浮かんでいる。
普通の令嬢なら、「やはり私がいないとダメなのね」と情にほだされる場面かもしれない。
だが、私はサンドイッチの最後の一口を飲み込み、懐からナプキンを取り出して口元を拭った。
「……お断りします」
「なっ!? なんでだよ! 僕が頭を下げているんだぞ!?」
「殿下。貴方は根本的な勘違いをしています」
私は足を組み直し、ビジネスライクな表情を作る。
「貴方が求めているのは『婚約者(パートナー)』ではなく、『無償で働く事務員(スレイブ)』です。私は現在、クラウス公爵と極めて高条件の雇用契約を結んでおります。低賃金……いえ、無賃金のブラック労働環境に戻る理由がありません」
「ぶ、ブラック……?」
「それに、婚約破棄の撤回など不可能です。すでに違約金の請求は確定し、一部は支払い済み(クラウス様による肩代わり)です。契約は不可逆的に履行されています」
「そ、そこをなんとか! 愛はないのか、愛は!」
「ありません。在庫切れです」
即答する。
ロベルトが絶望に顔を歪める。
「頼むよぉぉ……このままだと、書類が終わらなくて寝る時間がないんだよぉぉ……」
情けない声で泣き崩れる元王子。
私はチラリと懐中時計を見た。
昼休み終了まで、あと十分。
……ふむ。
これは「ビジネスチャンス」かもしれない。
私はカバンから、一冊のファイルを丁寧に取り出した。
「……殿下。どうしても、私に手伝ってほしいのですか?」
「も、もちろんだ! お前しかいない!」
「『婚約者』として戻ることは絶対にありません。ですが……」
「ですが?」
「『外部コンサルタント』として、業務の一部を請け負うことは可能です」
私はニッコリと微笑み、あらかじめ用意しておいた(いつか使うだろうと思っていた)書類を差し出した。
「こちら、『公務代行に関する業務委託契約書』です」
「ぎょ、業務委託……?」
「はい。貴方の仕事を私が代行します。ただし、完全従量課金制です」
私は電卓を取り出し、叩き始めた。
「まず、親書の代筆。一通につき金貨五枚。外交上の重要度に応じて変動します」
「ご、五枚!? 高くないか!?」
「私の文章は、相手国の文化やマナーを完璧に踏まえたものです。戦争を回避できると思えば安いものでしょう?」
「うっ……」
「次に、招待客リストの作成。一人につき銀貨一枚。席次表の調整を含む場合は、別途オプション料金として金貨十枚」
「席順決めるだけで金貨十枚!?」
「犬猿の仲の貴族同士を隣席させて、パーティーを修羅場にしたくないなら支払うべきです」
「ぐぬぬ……」
「そして、緊急対応料金(エクスプレス・チャージ)。『明日までにやってくれ』というような無茶振りの場合、基本料金の五倍をいただきます」
「ご、五倍……!」
ロベルトは青ざめた顔で契約書と私を交互に見た。
「こ、こんなの……給料が全部吹っ飛んじゃうよ……」
「でしょうね。ですが、自分でできないならプロに頼む。それが世の常です。……どうなさいますか? 契約しないなら、私は午後の業務に戻りますが」
私は立ち上がろうとする。
ロベルトは慌てて私のスカートの裾を掴んだ。
「ま、待ってくれ! 頼む! やる! 契約する! 掃除と書類の両立なんて無理なんだ!」
「では、ここにサインを。拇印でも構いませんよ」
「ううう……畜生……!」
ロベルトは震える手で羽ペンを取り、契約書にサインをした。
その瞬間、私は契約書をひったくるように回収した。
「契約成立(ディール)です。毎月二十日締め、翌月末払い。支払いが遅れた場合は、遅延損害金年利十四・六パーセントが発生しますのでご注意を」
「……あ、悪魔だ」
「いいえ、救世主(ビジネスパートナー)ですよ。殿下の安眠を守って差し上げるのですから」
私は書類の束をロベルトの手から受け取った。
「では、この親書の下書きは三十分後に仕上げておきます。納品場所は第三物置……失礼、現在の殿下のお部屋でよろしいですね?」
「ううっ……頼む……」
項垂れるロベルトを残し、私は軽やかな足取りで財務省へと戻る。
ちょうど、廊下の角でクラウス公爵と鉢合わせた。
「……機嫌が良いな、アイーダ。何か良いことでもあったか?」
クラウスが怪訝そうな顔をする。
私は契約書をヒラヒラと振ってみせた。
「ええ、新規の副業案件を獲得しました。クライアントは支払い能力に難がありますが、親族(王家)が太いのでとりっぱぐれはありません」
「……またロベルトか。あいつも懲りないな」
クラウスは呆れつつも、どこか楽しげに口元を緩めた。
「まあいい。君が稼ぐのは構わんが、私の業務をおろそかにするなよ?」
「もちろんです。私のメインバンクは閣下ですから」
「ふっ……。メインバンク、か。ならば、大口顧客として優遇してもらいたいものだな」
「検討しておきます。プレミアム会員権、月額金貨百枚ですがいかがですか?」
「高いな。……だが、考えておこう」
冗談交じりの会話を交わしながら、私たちは執務室へと向かう。
背後からは、ロベルトの「あああ、今月の給料がぁぁ……!」という嘆き声が聞こえてきたが、それは風の音に消えた。
愛はない。
だが、金はある。
それで十分ではないか。
私の「悪役令嬢」としての第二の人生は、順調に利益率を伸ばしていた。
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