悪役令嬢の契約解除(婚約破棄)、所定の違約金を請求します!

黒猫かの

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「……なぜだ」

実家に戻って三日目。

公爵家の自室、天蓋付きのベッドの上で、私は絶望していた。

時刻は早朝の四時半。

鳥すらまだ鳴いていない静寂の中、私の目はパッチリと冴え渡っていた。

「二度寝よ、カロリーナ。貴女はもう自由なの。誰に急かされることもない、優雅なニートなのよ。さあ、目を閉じて……」

自分に言い聞かせ、ふかふかの枕に顔を埋める。

しかし、無情にも体内時計は正確に時を刻んでいた。

『現在時刻、四時三十二分。起床推奨時刻です。本日の予定……なし。未決裁書類……なし。緊急案件……なし』

脳内で勝手にスケジュール確認が始まってしまう。

「あーもうっ! 寝られないわ!」

私はガバッと布団を跳ね除けた。

長年の激務によって培われた『社畜体質』は、骨の髄まで染み込んでいたらしい。

体が勝手に「働け」と悲鳴を上げているのだ。

仕方なく私はベッドを降り、早朝の散歩に出ることにした。

***

「あら、カロリーナ。早いのね」

朝食のテーブルに着くと、お母様が心配そうな顔で私を迎えた。

お父様は新聞を読みながら、チラチラと私の顔色を窺っている。

どうやら両親は、私が『婚約破棄のショックで眠れない』と勘違いしているらしい。

「無理しなくていいんだぞ、カロリーナ。辛い時は泣いてもいいんだ」

お父様が新聞を置き、優しく声をかけてくる。

「ありがとう、お父様。でも本当に元気よ。むしろ、長年の便秘が解消したくらいスッキリしているわ」

「べ、便秘……? そ、そうか。あまり無理はするなよ」

お父様は引きつった笑みを浮かべた。

貴族の令嬢が朝食の席でする例えではなかったかもしれない。

「そうだわ、カロリーナ。今日は天気がいいから、お庭でティータイムにしましょう? 新しい茶葉が届いたのよ」

お母様の提案に、私は頷いた。

そうだ、これぞ令嬢の生活。

優雅に紅茶を飲み、とりとめのない話に花を咲かせる。

これこそが私が求めていた『スローライフ』だ。

***

一時間後。

庭園の白いガゼボにて。

「まあ、綺麗なお花。庭師のトムはいい仕事をするわね」

お母様が満開の薔薇を見て微笑む。

私もカップを片手に、その薔薇を眺めた。

美しい。

確かに美しいのだが……。

(……あの肥料の撒き方、ムダが多いわね)

私の目は、遠くで作業をする庭師のトムの動きに釘付けになっていた。

(右の花壇から左の花壇へ移動する動線が悪すぎる。一度中央に戻ってから移動しているせいで、往復の歩数が倍になっているわ。それに、あの肥料袋の位置。あそこにあると、毎回屈んで取る必要があるから腰への負担が大きい)

気になり出すと、止まらない。

(水やりのホースの長さも足りていないから、何度も蛇口まで戻っている。あれを五メートル長いものに変えるだけで、作業効率は二割上がるはず……)

「カロリーナ? どうしたの、怖い顔をして」

「えっ? いえ、なんでもありません、お母様」

私は慌てて笑顔を取り繕い、紅茶を口に運んだ。

いけない、いけない。

私は今、優雅な令嬢なのだ。

業務改善コンサルタントではない。

「そういえば、この紅茶。東方の国から取り寄せた最高級品なのよ。一杯で金貨一枚分もするんですって」

「……ぶっ!」

私は思わず紅茶を吹き出しそうになった。

「き、金貨一枚!? この味でですか!?」

「ええ、香り高いでしょう?」

「待ってくださいお母様。この渋みと茶葉の開き具合からして、これは最高級品ではなく『中級品の上』程度のグレードです。しかも輸送コストを考えても、適正価格は銀貨三枚が妥当。金貨一枚だなんて、完全にボったくられています!」

「ええっ!? で、でも、長年付き合いのある商会が……」

「その商会の名前は? 契約書はどこにありますか? 過去の取引履歴を見れば、どれだけ水増し請求されていたか一発で分かります」

私の目がギラリと光った。

お母様が少し引いている。

「あ、あの……カロリーナ? 今はティータイム中で……」

「お母様。優雅さとは、無駄な金を垂れ流すことではありません。適正な対価を支払い、最高の品質を楽しむことこそが真の贅沢です。……帳簿、見せていただけますか?」

「え、ええ……まあ、貴女がそう言うなら……」

結局、ティータイムは十分で終了した。

私はお母様から鍵を借り、屋敷の執務室へと向かった。

そこには、お父様が頭を抱えて座っていた。

「ううん……今月の領地経営も赤字か……。不作だったわけでもないのに、なぜ利益が出ないんだ……」

「お父様、失礼します」

「おお、カロリーナ。どうした? やはり寂しくなったか?」

「いいえ。暇すぎて死にそうなので、仕事を恵んでください」

「は?」

私はお父様の机の上に積み上げられた帳簿の山を指差した。

「それ、見てもよろしいですか?」

「いや、これは領地の会計帳簿で、複雑だからカロリーナには……」

「お父様。私は昨日まで、この国の国家予算を組んでいました」

「あ……そうだった」

お父様は素直に席を譲ってくれた。

私は椅子に座り、眼鏡をかけ直す。

そして、分厚い帳簿をパラパラと捲り始めた。

(……甘い。甘すぎる)

開始五分で、私は呆れ果てた。

(経費の計上項目が雑。減価償却の計算が間違っている。さらに、代官による中抜きの痕跡が露骨すぎる。隠す気があるのかしら、この『その他雑費』の山は)

私の指先が高速で計算機を弾き始める。

パチパチパチパチッ!

静かな部屋に、軽快なリズムが響き渡る。

「……すごい」

お父様が呆然と呟く。

三十分後。

「分析完了しました」

私は一枚のメモをお父様に突きつけた。

「まず、ここにある『橋の修繕費』。毎年計上されていますが、実際に工事が行われた記録がありません。現地の代官が着服している可能性が大です」

「な、なんだと!?」

「次に、領軍の食費。市場価格の倍で仕入れています。癒着ですね。担当者を即刻更迭し、入札制度を導入すべきです」

「そ、そこまで分かるのか……」

「さらに、屋敷の維持費。メイドたちのシフト管理が非効率です。動線を見直し、シフトを再編すれば、人員を二割削減しても回ります。浮いた人件費は、彼女たちのボーナスに還元してモチベーションを上げましょう」

私はペンを回しながら、不敵に笑った。

「お父様。我が公爵家は、宝の山の上に座って貧乏生活をしているようなものです。これらの『ムダ』を全て排除すれば……来月には収益が倍になります」

「ば、倍……!?」

お父様の目が金貨のように輝いた。

「やりますか? それとも、見なかったことにしますか?」

「やろう! ぜひやってくれ、カロリーナ! いや、カロリーナ先生!」

「交渉成立ですね。では、私の報酬は『純利益の二割』ということで」

「……ちゃっかりしているな、お前」

こうして、私の『優雅なニート生活』は、半日で終了した。

代わりに始まったのは、『実家の領地大改革』という名の、新たなプロジェクトだった。

「さあ、まずはあのボったくり商会からシメに行きますよ、お母様!」

「は、はいっ!」

ドレスの裾を翻し、私は廊下を風のように進む。

ああ、やっぱり。

のんびりお茶を飲むよりも、悪徳業者を論破してコストカットする瞬間の方が、生きている実感が湧くわ。

私の瞳は、婚約中よりも生き生きと輝いていたに違いない。
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