悪役令嬢の契約解除(婚約破棄)、所定の違約金を請求します!

黒猫かの

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「ええい、書類が減らん! どうなっているんだ、これは!?」

王城の執務室。

そこは、カロリーナがいた頃の整然とした空間とは似ても似つかない、紙屑とインクの臭いが充満する魔窟と化していた。

王太子エドワードは、自らの身長ほどにも積み上がった羊皮紙の塔を前に、髪を掻きむしって絶叫した。

「おい! さっき署名したはずの『西方街道整備計画書』はどこだ!?」

「はっ! そ、それは……先ほどミミ様が『裏紙にお絵描きするー!』と持っていかれました!」

「な、なんだと!? あれは原本だぞ!?」

「も、申し訳ありません! 止めようとしたのですが、『愛の力で街道もピカピカ☆』とか仰って……」

側近の文官が青ざめた顔で報告する。

エドワードはガックリと机に突っ伏した。

「くそっ……! なぜだ。なぜこんなに仕事が終わらないんだ」

彼は血走った目で、目の前の書類の山を睨みつける。

ここ数日、彼はまともに寝ていなかった。

カロリーナを追放し、愛するミミと甘い時間を過ごすはずだったのに、現実は「判子を押すだけの簡単な仕事」ですらなかったのだ。

「殿下、申し上げます! 財務局より『予算超過』の警告が来ています!」

「またか! どこの部署だ!」

「全部署です! 特に『王太子費』が底をついています!」

「馬鹿な! 先月までは余るほどあったはずだぞ!?」

「それは……カロリーナ様が裏で運用して増やしていた利益分がなくなったことと、ミミ様が『城中の花を全部ピンクのバラに変えたい』と発注された件が響いておりまして……」

「キャンセルだ! 今すぐキャンセルしろ!」

「手遅れです! 既にバラは届き始めており、城の前庭がピンク一色に埋め尽くされています!」

「ああっ、もう!!」

エドワードは羽ペンを床に投げつけた。

おかしい。

絶対におかしい。

以前は、執務室に入れば、机の上にはきれいに分類された決裁書類が置かれていた。

『重要・緊急』『重要・非緊急』『確認のみ』。

付箋が貼られ、要点が簡潔にまとめられたメモまで添えられていた。

僕はそれを読み、サインをするだけでよかった。

「お疲れ様です、殿下。今日の分はこれで終わりですわ」

涼やかな声でそう言い、紅茶を淹れてくれるカロリーナがいた。

彼女が淹れる紅茶は、僕の体調に合わせて濃さや温度が完璧に調整されていた。

だが今はどうだ。

「えへへ~、エドワード様ぁ、お仕事なんてやめてぇ、あそぼぉ~?」

執務室のドアがバァン! と開かれ、甘ったるい声と共にミミが入ってきた。

彼女の手には、泥のような液体が入ったカップが握られている。

「み、ミミ……今、取り込み中なんだ……」

「えぇ~? つまんなぁい。ほら、ミミ特製の『元気が出るハーブティー』淹れてきたから、これ飲んで頑張って?」

ミミはカップを、書類が散乱する机の上にドン! と置いた。

チャプン。

波打った液体が、あろうことか『隣国との不可侵条約更新書』の上にこぼれる。

「あ」

「ぎゃあああああああ!!」

エドワードの悲鳴が城内にこだました。

「な、ななな、何をしてくれるんだミミ!! これは一番重要な書類だぞ!!」

「だ、だってぇ、机が汚いのが悪いんですぅ! ミミは悪くないもん! 殿下のためを思ってやったのにぃ!」

ミミはぷくっと頬を膨らませ、嘘泣きを始めた。

「ひどいぃ! 怒鳴ることないじゃないですかぁ! 私の愛が受け取れないんですかぁ!?」

「い、いや、そうじゃなくて……!」

「もういいですぅ! プンプン!」

ミミは足音荒く部屋を出て行ってしまった。

残されたのは、茶色い染みが広がった条約書と、絶望するエドワード。

「……ふき、取らねば」

彼は震える手でハンカチを取り出し、書類を拭こうとした。

その時だ。

脳裏に、あの冷ややかな声が蘇った。

『殿下。飲み物はサイドテーブルへ。重要書類のそばに水分を置くなど、危機管理意識が欠如しております』

以前、僕が同じことをしようとした時、カロリーナは即座にカップを没収した。

当時は「口うるさい女だ」と疎ましく思っていた。

だが、あれは。

「……僕を守ってくれていたのか……?」

エドワードは呆然と呟いた。

カロリーナがいなくなって初めて気づく事実。

インクの補充がされていること。

部屋の温度が適温に保たれていること。

ペン先が常に整えられていること。

そして、面倒な来客を、僕の目に触れる前に追い返してくれていたこと。

それら全てが、自然現象ではなく、彼女の献身的な(というより事務的な)働きによるものだったと。

「失礼します」

疲れ切った顔の側近が、新たな書類の束を持って入室してきた。

「ま、またか……次はなんだ……」

「東方の有力貴族、マクシミリアン辺境伯からの面会要請です。『王太子に直訴したいことがある』と、かなりご立腹の様子で……」

「マクシミリアン辺境伯!? あの『雷親父』か!? ひぃぃ、苦手なんだよあいつ! いつもならカロリーナが上手くあしらって……」

エドワードはハッとした。

「カロリーナは!? カロリーナを呼べ! 彼女なら辺境伯の好みのワインを知っているはずだ!」

側近は気まずそうに視線を逸らした。

「……殿下。カロリーナ様は、先日殿下が解雇(婚約破棄)されました」

「……」

「現在、公爵領にて『悠々自適な生活を送っている』との情報が入っております」

「……」

エドワードは椅子に崩れ落ちた。

そうだ。

自分で追い出したのだ。

「金より愛だ」と叫んで。

その結果が、このザマだ。

愛(ミミ)は条約書を汚し、金(カロリーナ)は去っていった。

「ど、どうすればいいんだ……」

「とりあえず、この山を片付けないと、明日の建国記念パーティーの開催自体が危ぶまれます」

「パ、パーティー……?」

そうだ。

明日は年に一度の重要な式典。

各国の要人が集まるその席で、王太子としての威厳を見せなければならない。

だが、スピーチ原稿すらまだ白紙だ。

いつもなら、カロリーナが三日前には完璧な原稿を用意してくれていたのに。

「……書くしかない。僕が」

エドワードは震える手でペンを握り直した。

「僕は王太子だ。これくらい……これくらい、できるはずだ……!」

悲壮な決意で書類に向かうエドワード。

だが彼にはまだ分かっていなかった。

カロリーナ・バーンスタインという『最強の防波堤』を失った王城が、これからどれほどの混沌に飲み込まれていくかを。

そして、その混沌の元凶である『聖女(自称)』ミミが、明日さらなる爆弾を投下することを。

「殿下ー! 見てみてー! 明日のパーティーの飾り付け、折り紙で作ってみましたぁ☆」

廊下から聞こえる無邪気な声に、エドワードの胃がキリキリと痛んだ。

「……カロリーナ。帰ってきてくれ……」

その小さな呟きは、誰にも届くことなく書類の山に吸い込まれていった。
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