悪役令嬢の契約解除(婚約破棄)、所定の違約金を請求します!

黒猫かの

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「おお、神よ……終わった。何もかも終わった……」

王城の廊下。

隣国への謝罪に向かう馬車の準備が進む中、エドワード殿下は廊下の隅で膝を抱え、絶望のズンドコ……ではなく、どん底に沈んでいた。

「隣国の皇帝は『鉄血の覇王』と呼ばれているんだぞ……。条約書を燃やしたなんて知られたら、その場で首を刎ねられるに決まっている……!」

ガタガタと震える殿下。

その横で、ギルバート様も蒼白な顔で頭を抱えていた。

「確かに……。原本を焼失したとなれば、国家への侮辱と受け取られても文句は言えん。最悪の場合、開戦だ」

「ひぃぃぃ! 嫌だぁ! 僕はまだ死にたくない! ミミと結婚して幸せな家庭を築くんだぁ!」

殿下が泣き叫ぶ。

私はその様子を冷ややかに見下ろし、懐中時計を確認した。

「出発まであと十分ですね。泣いている暇があったら、代替案(プランB)を実行します」

私の声に、二人がバッと顔を上げる。

「だ、代替案!? あるのか!?」

「当たり前です。リスクヘッジのない計画など、計画ではありません」

私は人差し指を立てた。

「条約書には、必ず『控え(副本)』が存在します。相手国に渡すのが正本、自国で保管するのが副本です。正本は殿下がマシュマロの燃料にされましたが、副本があれば、内容の証明は可能です」

「そ、そうか! 副本!」

殿下の顔に光が戻る。

「そうだ、確かサインした時に、もう一枚あった気がする! よし、それを持って行こう!」

「で、その副本はどこにあるのですか?」

私が尋ねると、殿下の動きがピタリと止まった。

「え?」

「保管場所です。重要書類保管庫にはありませんでした。となると、殿下がどこかに『仮置き』したまま、忘れている可能性が高い。……心当たりは?」

殿下の目が泳ぎ始める。

右へ、左へ、そして宙を舞う。

「あー……その……。ミミが来た時に、慌てて隠したような……」

「隠した? なぜ?」

「だって、ミミが『難しい字がいっぱい書いてあって頭痛がするぅ』って言うから、彼女の機嫌を損ねないように……」

「……」

私は深く、深く息を吸い込んだ。

こめかみの血管が一本、確実に切れた音がする。

「つまり、貴方は『条約の正本』を燃やし、あろうことか『副本』まで行方不明にした、と?」

「わ、わざとじゃない! 無意識だったんだ! どこに置いたか全然思い出せないんだよぉ!」

殿下が頭を抱えて喚き散らす。

ギルバート様が絶望的な顔で私を見た。

「カロリーナ……。この広い執務室の中から、殿下が無意識に隠した紙一枚を探し出すなんて……砂漠で針を探すようなものだぞ」

「そうですね」

私は執務室を見渡した。

書類の山、散乱した菓子、脱ぎ散らかされた服。

まさにカオス(混沌)。

普通なら、捜索には数日かかるだろう。

「ですが、相手はエドワード殿下です。行動パターンは単細胞生物並みに単純(シンプル)です」

私は眼鏡の位置を直し、ストップウォッチを取り出した。

「三分」

「え?」

「三分ください。それで見つけ出します」

「さ、三分!? 無理だろ!?」

「いいえ、十分すぎます。スタート」

カチッ。

私はストップウォッチを押すと同時に、動き出した。

私の脳内で、プロファイリングが高速展開される。

(対象:エドワード・フォン・ウィンザー。性格:見栄っ張り、かつ小心者。ミミ嬢の前では『かっこいい王子』を演じたがる)

私は部屋の中央に立ち、殿下の思考をトレースする。

(ミミ嬢が部屋に入ってきた。彼女は「難しい書類」を嫌う。殿下は慌てて書類を隠そうとする。しかし、遠くの棚に行く時間はない。手近な場所で、かつ彼女の視界に入らない場所……)

私はデスクの下に潜り込んだ。

「ない」

(次に、彼女が興味を示さない場所。ミミ嬢は『キラキラしたもの』と『甘いもの』には目がないが、『古臭いもの』や『難しそうな本』には一切触れようとしない)

私は本棚に向かった。

そこには、難解な法学書や歴史書が並んでいる。

(ここだ。殿下は無意識に、ミミ嬢の聖域(セーフティゾーン)外を選んだはず)

私は『古代ルーン文字の解読』という、最も分厚く、埃を被った本を手に取った。

パラパラパラ……。

「……ここにもない」

(違う? いや、殿下の知能指数で、本に挟むという高度な隠蔽工作をするか? もっと安直な……)

残り時間、一分三十秒。

私は視線を巡らせる。

ふと、部屋の隅にある、大きな肖像画が目に入った。

歴代国王が描かれた重厚な絵画だ。

その足元に、なぜか不自然に置かれた花瓶がある。

ミミ嬢が活けたと思しき、センスの壊滅した毒々しい色の造花が挿さっている。

(……あれだ)

私はツカツカと花瓶に歩み寄った。

「おい、カロリーナ? そこはミミが活けた花だが……」

「殿下。貴方はミミ嬢が活けた花を『最高傑作だ』と褒めちぎりましたね?」

「あ、ああ。当然だろう」

「だからこそ、彼女は満足して、その花瓶には二度と触れなかった。そして貴方も、『一番安全な場所』として、無意識にそこを選んだ」

私は花瓶を持ち上げた。

そして、逆さまにする。

ボトッ。

造花の茎の隙間から、丸められた羊皮紙が落ちてきた。

「あっ……!」

殿下が声を上げる。

私はそれを拾い上げ、広げた。

焦げ跡も、汚れもない。

『ガルドニア王国との通商条約(副本)』。

その文字が、はっきりと刻まれていた。

「……ありました」

私はストップウォッチを止めた。

「二分四十五秒。予定より少しかかりましたね。花瓶のセンスが悪すぎて、視界に入れるのを脳が拒否していたようです」

「す、すげぇ……」

ギルバート様が口をあんぐりと開けている。

「な、なぜ分かったんだ!? 魔法か!?」

「いいえ、統計学です」

私は羊皮紙の埃を払い、冷ややかに解説した。

「過去のデータに基づけば、殿下が『見られたくないもの』を隠す場所は、七割の確率で『ミミ嬢が作ったものの近く』です。なぜなら、彼女自身の作品であれば、彼女が破壊したり捨てたりするリスクが低いと、本能的に判断しているからです」

「……」

殿下は顔を赤くして俯いた。

図星らしい。

「無意識下では、彼女の破壊衝動(クラッシャー気質)を恐れているという証拠ですね。深層心理とは正直なものです」

私は副本をファイルに挟み、殿下の胸に押し付けた。

「はい、どうぞ。これで首の皮一枚繋がりましたね」

「あ、ありがとう……! カロリーナ、やっぱり君はすごいよ! 愛してる!」

殿下が抱きつこうとしてくるが、私はサイドステップで華麗にかわした。

「感謝は結構。その代わり、追加料金(オプション)をいただきます」

「え?」

「『緊急捜索手数料』および『花瓶の視覚的暴力に対する慰謝料』です。……さあ、行きますよ。副本があっても、原本を燃やした事実は消えません。これからが正念場です」

私は踵を返し、廊下へと歩き出した。

背後で、ギルバート様が深くため息をつく気配がした。

「……一生ついていきます、姉さん」

「誰が姉さんですか」

こうして私たちは、奇跡的に発見された副本を武器に(というか盾にして)、最強の隣国皇帝が待つ外交の場へと乗り込むことになった。

だが、この時の私はまだ知らなかった。

隣国で待ち受けているのが、単なる「謝罪」では済まない、私の人生を揺るがす「引き抜き(ヘッドハンティング)」騒動であることを。
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