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「……静かですね」
王都を出発してから数時間。
隣国ガルドニアへと向かう最高級馬車の中で、私はふと顔を上げた。
向かいの席では、エドワード殿下が「ひぃ……殺される……鉄血の覇王怖い……」と譫言(うわごと)を呟きながら、気絶するように眠っている。
精神的負荷(ストレス)が許容量を超え、強制シャットダウンしたようだ。
「ああ。やっと寝てくれたか」
隣に座るギルバート様が、やれやれと肩の力を抜いた。
「子供の寝かしつけより手がかかるな、一国の王太子ともあろう方が」
「仕方ありません。殿下のメンタル強度は、絹ごし豆腐並みですから」
私は手元の資料(謝罪用スクリプトと想定問答集)を整理し、窓の外に目を向けた。
流れる景色はのどかだが、私たちの行く先は修羅場だ。
隣国ガルドニア。
軍事大国であり、その皇帝は「歩く断頭台」の異名を持つ恐怖の独裁者。
そんな相手に「ごめん、条約書燃やしちゃった☆」と言いに行くのだ。
普通なら胃に穴が開くところだが、不思議と私の心は落ち着いていた。
隣に、この人がいるからかもしれない。
「……カロリーナ。少し休んだらどうだ? 君も働き詰めだろう」
ギルバート様が、私の手からペンを優しく取り上げた。
「大丈夫です。移動時間は貴重な『作業時間』ですから。今のうちに損害賠償額のシミュレーションを……」
「いいから。これは『業務命令』だ。……少しは俺に頼れ」
彼は真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳の奥には、いつもの上司としての厳しさだけでなく、何か熱いものが揺らめいているように見えた。
私は一瞬言葉に詰まり、大人しく従うことにした。
「……承知いたしました。では、十分間のアイドリング(休憩)に入ります」
私は背もたれに体を預けた。
馬車の心地よい揺れ。
隣から伝わる、ギルバート様の体温。
沈黙が流れるが、それは決して気まずいものではなく、むしろ心地よい静寂だった。
「……カロリーナ」
不意に、彼が口を開いた。
「はい」
「今回の件、本当に感謝している。君がいなければ、俺たちは今頃、国境で戦争を始めていたかもしれない」
「仕事ですから。それに、戦争になれば我が家の領地経営にも悪影響が出ます。リスク回避行動です」
私が淡々と答えると、彼は苦笑した。
「君はいつもそうだな。『仕事』『効率』『利益』。……照れ隠しで鎧を着込んでいる」
「照れ隠しではありません。事実です」
「そうか? なら、聞くが」
ギルバート様は体を少し私の方に向けた。
「なぜ、君はそこまで頑張れる? 殿下に裏切られ、婚約破棄され、一度は捨てられた身だ。普通なら『ざまあみろ』と国を見捨ててもいいはずだ。……金のためだけとは思えない」
「……」
私は視線を膝元に落とした。
なぜか。
確かに、報酬は魅力的だ。
でも、それだけではない気がする。
「……性分(しょうぶん)、なのでしょうね」
私はポツリと言った。
「私は、乱れたものが整っていく過程が好きなのです。散らかった部屋、計算の合わない帳簿、非効率な組織。それらが私の手によって最適化され、美しく機能し始める瞬間……それに、無上の喜びを感じます」
「整える、か」
「はい。だから、この国が――私の生まれ育った場所が、無能な経営者のせいでガタガタになっているのを見ると、どうしても我慢ならないのです。『修正』したくなってしまうのです」
私は自嘲気味に笑った。
「職業病ですね。色気のない話で申し訳ありませ……」
「いや」
ギルバート様が、私の言葉を遮った。
そして、私の手をそっと握りしめた。
「っ!?」
「美しいよ、カロリーナ」
「は……?」
「君のその、ブレない精神性がだ。カオスを嫌い、秩序を愛し、そのために泥を被ることも厭わない。……その高潔な魂を、俺は美しいと思う」
心臓が、ドクンと跳ねた。
美しい?
私が?
「効率化」や「コストカット」を美しいと言われたことはあるが、私自身を、しかも「魂」を褒められたことなど、生まれて初めてだ。
「ギ、ギルバート様? あの、熱でも……?」
「聞いてくれ。俺は騎士だ。剣を振るうことしか能がない。だが、君となら……君が背中を預けてくれるなら、俺は最強になれる気がするんだ」
彼は私の手を両手で包み込み、真っ直ぐに私を見た。
その表情は、戦場に向かう騎士のように真剣で、かつてないほど論理的(ロジカル)だった。
「カロリーナ。俺と君の相性(マッチング)について分析してみた」
「ぶ、分析……?」
「ああ。まず、能力面。俺の『武力』と君の『知力』は完全な補完関係にある。互いの弱点をカバーし合い、1+1を10にも100にもできるシナジー効果がある」
「は、はい。それは認めますが……」
「次に、生活面。俺は家事が苦手だが、君は生活動線の設計から家計管理まで完璧だ。逆に、俺は君が苦手な『体力仕事』や『害虫駆除』、『殿下の物理的排除』を担当できる」
「……確かに、合理的です」
「そして、精神面」
彼は少しだけ言葉を切り、照れくさそうに、しかし力強く言った。
「俺は、君の『冷徹さ』の裏にある『情熱』を知っている。君は、俺の『真面目すぎる不器用さ』を理解してくれている。……これ以上のパートナーが、この世に存在する確率を計算してみたが、限りなくゼロに近かった」
「……」
「結論だ」
ギルバート様は、私の手を強く握り締めた。
「カロリーナ・バーンスタイン。俺と、恒久的なパートナーシップ契約を結んでほしい」
「……え?」
「つまり、その……結婚を前提とした交際を申し込みたい。期限は『死が二人を分かつまで』。更新料は不要。違約金も発生しない。……ただし、俺の心臓(ハート)は君に永久譲渡する」
ボンッ!!
私の顔から、湯気が出た音がした。
け、結婚!?
しかも、なんだその契約内容は!
ロジカルなのに、甘すぎる!
「あ、あの……! ギルバート様、それは……その……!」
いつもなら「メリットとデメリットを提示してください」と即答できるはずの唇が、震えて言葉が出てこない。
計算機(あたま)がフリーズしている。
エラー発生。エラー発生。
『恋愛感情』という未知の変数が入力されました。処理できません。
「……返事は、今すぐでなくていい」
ギルバート様は、真っ赤になった私を見て、愛おしそうに微笑んだ。
「この出張が終わるまでに、検討しておいてくれ。……好意的な回答(ポジティブ・サプライズ)を期待している」
彼はそう言って、ゆっくりと手を離した。
手のひらに残る熱。
心臓のドラム音。
私は慌てて眼鏡を押し上げ、視線を窓の外に逃した。
「……ほ、保留案件とさせていただきます」
「ああ。待っているよ」
なんてことだ。
最大の敵は隣国皇帝だと思っていたが、まさか身内(隣)にこんな伏兵がいたとは。
私は熱い頬を手で仰ぎながら、混乱する思考を必死に整えようとした。
(落ち着け、カロリーナ。深呼吸よ。これは単なるホルモンバランスの乱れ……ではなく、彼からの提案に対する評価損益の計算を……ああもう、計算できない!)
その時だった。
「んごっ……むにゃ……ミミ……マシュマロ……」
向かいの席で、殿下が間の抜けた寝言を漏らした。
一気に現実に引き戻される。
そうだ。
私たちにはまだ、この「粗大ゴミ(殿下)」をリサイクルするという大仕事が残っているのだ。
「……ふふっ」
私は思わず吹き出した。
ギルバート様も、つられて笑う。
「……雰囲気ぶち壊しだな、殿下は」
「ええ。ですが、おかげで冷静になれました」
私は眼鏡をかけ直し、キリッとした表情に戻った。
「ギルバート様。その件、前向きに検討させていただきます。……ただし、まずはこの『外交問題』を片付けてからです」
「ああ。分かった」
「二人で乗り越えましょう。最強のパートナーとして」
「もちろんだ」
私たちは視線を交わし、力強く頷き合った。
馬車は国境を越える。
目の前には、巨大な城壁がそびえ立っていた。
隣国ガルドニア。
そこには、鉄血の皇帝と、そして――私の運命をさらにややこしくする『新たなイケメン』が待ち構えているのだった。
王都を出発してから数時間。
隣国ガルドニアへと向かう最高級馬車の中で、私はふと顔を上げた。
向かいの席では、エドワード殿下が「ひぃ……殺される……鉄血の覇王怖い……」と譫言(うわごと)を呟きながら、気絶するように眠っている。
精神的負荷(ストレス)が許容量を超え、強制シャットダウンしたようだ。
「ああ。やっと寝てくれたか」
隣に座るギルバート様が、やれやれと肩の力を抜いた。
「子供の寝かしつけより手がかかるな、一国の王太子ともあろう方が」
「仕方ありません。殿下のメンタル強度は、絹ごし豆腐並みですから」
私は手元の資料(謝罪用スクリプトと想定問答集)を整理し、窓の外に目を向けた。
流れる景色はのどかだが、私たちの行く先は修羅場だ。
隣国ガルドニア。
軍事大国であり、その皇帝は「歩く断頭台」の異名を持つ恐怖の独裁者。
そんな相手に「ごめん、条約書燃やしちゃった☆」と言いに行くのだ。
普通なら胃に穴が開くところだが、不思議と私の心は落ち着いていた。
隣に、この人がいるからかもしれない。
「……カロリーナ。少し休んだらどうだ? 君も働き詰めだろう」
ギルバート様が、私の手からペンを優しく取り上げた。
「大丈夫です。移動時間は貴重な『作業時間』ですから。今のうちに損害賠償額のシミュレーションを……」
「いいから。これは『業務命令』だ。……少しは俺に頼れ」
彼は真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳の奥には、いつもの上司としての厳しさだけでなく、何か熱いものが揺らめいているように見えた。
私は一瞬言葉に詰まり、大人しく従うことにした。
「……承知いたしました。では、十分間のアイドリング(休憩)に入ります」
私は背もたれに体を預けた。
馬車の心地よい揺れ。
隣から伝わる、ギルバート様の体温。
沈黙が流れるが、それは決して気まずいものではなく、むしろ心地よい静寂だった。
「……カロリーナ」
不意に、彼が口を開いた。
「はい」
「今回の件、本当に感謝している。君がいなければ、俺たちは今頃、国境で戦争を始めていたかもしれない」
「仕事ですから。それに、戦争になれば我が家の領地経営にも悪影響が出ます。リスク回避行動です」
私が淡々と答えると、彼は苦笑した。
「君はいつもそうだな。『仕事』『効率』『利益』。……照れ隠しで鎧を着込んでいる」
「照れ隠しではありません。事実です」
「そうか? なら、聞くが」
ギルバート様は体を少し私の方に向けた。
「なぜ、君はそこまで頑張れる? 殿下に裏切られ、婚約破棄され、一度は捨てられた身だ。普通なら『ざまあみろ』と国を見捨ててもいいはずだ。……金のためだけとは思えない」
「……」
私は視線を膝元に落とした。
なぜか。
確かに、報酬は魅力的だ。
でも、それだけではない気がする。
「……性分(しょうぶん)、なのでしょうね」
私はポツリと言った。
「私は、乱れたものが整っていく過程が好きなのです。散らかった部屋、計算の合わない帳簿、非効率な組織。それらが私の手によって最適化され、美しく機能し始める瞬間……それに、無上の喜びを感じます」
「整える、か」
「はい。だから、この国が――私の生まれ育った場所が、無能な経営者のせいでガタガタになっているのを見ると、どうしても我慢ならないのです。『修正』したくなってしまうのです」
私は自嘲気味に笑った。
「職業病ですね。色気のない話で申し訳ありませ……」
「いや」
ギルバート様が、私の言葉を遮った。
そして、私の手をそっと握りしめた。
「っ!?」
「美しいよ、カロリーナ」
「は……?」
「君のその、ブレない精神性がだ。カオスを嫌い、秩序を愛し、そのために泥を被ることも厭わない。……その高潔な魂を、俺は美しいと思う」
心臓が、ドクンと跳ねた。
美しい?
私が?
「効率化」や「コストカット」を美しいと言われたことはあるが、私自身を、しかも「魂」を褒められたことなど、生まれて初めてだ。
「ギ、ギルバート様? あの、熱でも……?」
「聞いてくれ。俺は騎士だ。剣を振るうことしか能がない。だが、君となら……君が背中を預けてくれるなら、俺は最強になれる気がするんだ」
彼は私の手を両手で包み込み、真っ直ぐに私を見た。
その表情は、戦場に向かう騎士のように真剣で、かつてないほど論理的(ロジカル)だった。
「カロリーナ。俺と君の相性(マッチング)について分析してみた」
「ぶ、分析……?」
「ああ。まず、能力面。俺の『武力』と君の『知力』は完全な補完関係にある。互いの弱点をカバーし合い、1+1を10にも100にもできるシナジー効果がある」
「は、はい。それは認めますが……」
「次に、生活面。俺は家事が苦手だが、君は生活動線の設計から家計管理まで完璧だ。逆に、俺は君が苦手な『体力仕事』や『害虫駆除』、『殿下の物理的排除』を担当できる」
「……確かに、合理的です」
「そして、精神面」
彼は少しだけ言葉を切り、照れくさそうに、しかし力強く言った。
「俺は、君の『冷徹さ』の裏にある『情熱』を知っている。君は、俺の『真面目すぎる不器用さ』を理解してくれている。……これ以上のパートナーが、この世に存在する確率を計算してみたが、限りなくゼロに近かった」
「……」
「結論だ」
ギルバート様は、私の手を強く握り締めた。
「カロリーナ・バーンスタイン。俺と、恒久的なパートナーシップ契約を結んでほしい」
「……え?」
「つまり、その……結婚を前提とした交際を申し込みたい。期限は『死が二人を分かつまで』。更新料は不要。違約金も発生しない。……ただし、俺の心臓(ハート)は君に永久譲渡する」
ボンッ!!
私の顔から、湯気が出た音がした。
け、結婚!?
しかも、なんだその契約内容は!
ロジカルなのに、甘すぎる!
「あ、あの……! ギルバート様、それは……その……!」
いつもなら「メリットとデメリットを提示してください」と即答できるはずの唇が、震えて言葉が出てこない。
計算機(あたま)がフリーズしている。
エラー発生。エラー発生。
『恋愛感情』という未知の変数が入力されました。処理できません。
「……返事は、今すぐでなくていい」
ギルバート様は、真っ赤になった私を見て、愛おしそうに微笑んだ。
「この出張が終わるまでに、検討しておいてくれ。……好意的な回答(ポジティブ・サプライズ)を期待している」
彼はそう言って、ゆっくりと手を離した。
手のひらに残る熱。
心臓のドラム音。
私は慌てて眼鏡を押し上げ、視線を窓の外に逃した。
「……ほ、保留案件とさせていただきます」
「ああ。待っているよ」
なんてことだ。
最大の敵は隣国皇帝だと思っていたが、まさか身内(隣)にこんな伏兵がいたとは。
私は熱い頬を手で仰ぎながら、混乱する思考を必死に整えようとした。
(落ち着け、カロリーナ。深呼吸よ。これは単なるホルモンバランスの乱れ……ではなく、彼からの提案に対する評価損益の計算を……ああもう、計算できない!)
その時だった。
「んごっ……むにゃ……ミミ……マシュマロ……」
向かいの席で、殿下が間の抜けた寝言を漏らした。
一気に現実に引き戻される。
そうだ。
私たちにはまだ、この「粗大ゴミ(殿下)」をリサイクルするという大仕事が残っているのだ。
「……ふふっ」
私は思わず吹き出した。
ギルバート様も、つられて笑う。
「……雰囲気ぶち壊しだな、殿下は」
「ええ。ですが、おかげで冷静になれました」
私は眼鏡をかけ直し、キリッとした表情に戻った。
「ギルバート様。その件、前向きに検討させていただきます。……ただし、まずはこの『外交問題』を片付けてからです」
「ああ。分かった」
「二人で乗り越えましょう。最強のパートナーとして」
「もちろんだ」
私たちは視線を交わし、力強く頷き合った。
馬車は国境を越える。
目の前には、巨大な城壁がそびえ立っていた。
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