悪役令嬢の契約解除(婚約破棄)、所定の違約金を請求します!

黒猫かの

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「――寒い」

北の塔、最上階。

吹きすさぶ隙間風が、石造りの冷たい壁を通り抜けてくる。

かつて王太子と呼ばれたエドワードは、薄汚れた毛布にくるまり、震えながら呟いた。

「どうして……どうしてこんなことに」

部屋にあるのは、硬いベッドと、質素な木の机だけ。

豪華な調度品も、ふかふかの絨毯も、そして何より、自分を崇め奉る従者たちの姿もない。

『反省文が終わるまで、食事はパンと水のみとする』

鉄の扉に貼られた、父王からの冷徹な命令書。

机の上には、カロリーナから差し入れられた大量の『計算ドリル(初級)』と『道徳の教科書』が積み上げられている。

「僕は……僕はただ、愛に生きたかっただけなのに……」

エドワードはドリルを開いた。

『問1:リンゴが3つあります。あなたが2つ食べました。残りはいくつ?』

「……1つだろ。馬鹿にするな」

『問2:国民の税金が金貨100枚あります。あなたが恋人のために100枚使いました。国民の信頼はいくつ残る?』

「……うっ」

ペンの手が止まる。

答えは『ゼロ』。いや、『マイナス』だ。

文字を見るたびに、あの日のカロリーナの冷ややかな視線と、国民たちの怒号が脳裏に蘇る。

「カロリーナ……」

彼は窓の外、遥か遠くに見える王城の灯りを見つめた。

あそこには、暖炉の火があり、美味しい食事があり、そして何より――自分の尻拭いをしてくれる、頼もしい婚約者がいた。

「失って初めて気づくなんて……僕は、本当に馬鹿だった……」

エドワードの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

しかし、いくら泣いても、もはや誰もハンカチを差し出してはくれない。

ただ、冷たい風が「ヒュルル」と音を立てて彼を嘲笑うだけだった。

***

一方その頃、王都から遠く離れた鉱山地帯。

「痛いぃ! 爪が割れたぁ! マニキュアが剥げちゃったぁ!」

泥まみれの坑道に、ミミの悲鳴が響き渡っていた。

彼女の手には、重たいツルハシ。

足には鉄の足枷。

かつてフリフリのドレスで着飾っていた体は、今は粗末な囚人服に包まれている。

「おい、新入り! 手が止まってるぞ! 今日のノルマはあとトロッコ三台分だ!」

強面の看守が鞭を鳴らす。

「ひぃっ! 無理ですぅ! ミミは女の子なんですよぉ! こんな重いもの持てませんぅ!」

「知るか。お前が横領した金で、この鉱山の飯場(はんば)が十年は食えるんだ。働いて返せ!」

「うわぁぁぁん! エドワード様ぁ! 助けてぇ!」

彼女は泣きながらツルハシを振るった。

カキン!

硬い岩盤に弾かれ、手に衝撃が走る。

「……くっ」

ミミは涙を拭い、泥だらけの顔を上げた。

その瞳から、かつての「甘え」の色が消え、代わりに野生動物のような「生存本能」が宿り始めていた。

「……見てなさいよ。絶対ここから這い上がってやるんだから……!」

彼女が改心するか、それとも鉱山の女帝として君臨するかは、まだ誰も知らない。

***

そして、王城。

「――以上をもって、エドワード・フォン・ウィンザーの廃嫡、および王籍離脱を正式に布告する!」

国王陛下の宣言が、謁見の間に響き渡った。

集まった貴族たち、そして城の外に詰めかけた民衆たちから、どよめきと、そして安堵のため息が漏れる。

「ついに決まったか……」

「これで枕を高くして眠れる」

「あの浪費家がいなくなれば、税金も下がるだろう」

広場には、新しい時代の到来を祝うかのような明るい空気が満ちていた。

私はバルコニーの影から、その様子を見守っていた。

「……終わりましたね」

ポツリと呟く。

私の手の中には、『業務委託契約書(エドワード殿下の婚約者としての)』の解約通知書がある。

これで名実ともに、私は自由だ。

「寂しいか?」

背後から、ギルバート様が声をかけてきた。

「まさか」

私は振り返り、晴れやかに笑った。

「清々(せいせい)しています。不良債権を切り離し、バランスシートが健全化した企業の経営者の気分です」

「……君らしいな」

ギルバート様は苦笑し、私の隣に立った。

「だが、これからが大変だぞ。王太子不在のまま、次の王が決まるまで国を支えなきゃならん」

「ええ。第二王子(王弟殿下)はまだ留学中。彼が戻り、帝王学を修めるまでの数年間……ここが正念場ですね」

私は眼下に広がる王都の街並みを見下ろした。

活気あふれる市場。

煙を上げる工房。

行き交う人々。

「ギルバート様」

「ん?」

「私、この景色が好きです」

私は本音を漏らした。

「数字や効率ばかり言いますが……結局のところ、私が守りたいのは、この『当たり前の日常』が、理不尽な権力や怠慢によって壊されない世界なのです」

「……ああ」

ギルバート様は優しく頷いた。

「知っているよ。君が誰よりも、この国を愛していることを」

彼は私の手を取り、その甲を親指でそっと撫でた。

「だからこそ、国王陛下も、大臣たちも、そして俺も……君を頼りにしているんだ」

「……プレッシャーですね」

「君ならできる。……いや、俺たちが支える」

その言葉に、胸が温かくなる。

一人ではない。

孤独な「影の宰相」だったかつての私は、もういない。

今は、隣に並び立つパートナーがいる。

「……さて」

私は照れ隠しに眼鏡の位置を直し、パチンと手帳を閉じた。

「感傷タイム終了です。午後からは『次期王太子のための教育カリキュラム作成』と、『王城内備品の一斉棚卸し』が待っています」

「はは、休む暇なしか」

「当然です。時は金なり。さあ、行きますよ、ギルバート様!」

私はドレスの裾を翻し、新たな戦場(執務室)へと歩き出した。

廃嫡という「終わり」は、私たちにとっての「始まり」に過ぎない。

最強の事務能力を持つ元・悪役令嬢と、最強の剣を持つ騎士団長。

二人の『国家再建記』は、ここから本格的に加速していくのだ。

そして――。

その忙しない日々の合間に、保留になっていた『あの件』が、再び動き出そうとしていた。
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