女王蜂

宮成 亜枇

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 昨日、古城が帰ってきてからというもの、楓は彼の部屋の扉をチラチラと見つめていた。オメガ同士の勘、と言うべきか。彼がいつもと何かが違うと、ずっと感じていたのだ。発情期の周期であることも理解している、耐えなければならないことも。ふだんなら、ここまで気にすることない、それだけの強さを持っている。しかし、何故か今回は心配でたまらなかった。

 だから、扉がわずかに開いた時。楓は家事をすべて放棄して彼の元へ駆け寄った。
「蒼さんっ!!」
 姿を見た途端、彼女は大声を上げた。
 服を着ることはできなかったのだろう、毛布だけを身に纏い、這うように扉までやって来て、なんとか開けた。ぱっと見でも、身も心も、触れれば崩れてしまうのではないかと思うほどに、憔悴しきっている。
 薬を飲むのを拒否した際の発情期も、確かに憔悴しきっていた。しかし、今回はそれ以上。
「蒼さんっ! 聞こえますかっ!?」
 声を荒げ、口元に手のひらを寄せる。……わずかに感じる風の流れ。呼吸は、かろうじてできている。だが。

 どうすれば良いかわからず、彼女は。勤務中だとわかっていても荻原に連絡を取った。それ以外思い浮かばなかった。
 妻の慌てた様子に、荻原は。後部座席の要人に詫びを入れ、猛スピードで自宅へと向かった。


「ごめんっ、すぐ終わるからちょっと待ってて!」
 車をすぐ近くの駐車場に停めて、二人に詫びを入れて荻原は、大急ぎで自宅に走る。……これは、荻原の配慮。
 纏まらない楓の言葉から予測するしかなかったが、おそらく。今までにない発情期の症状を古城は見せ、心身共にボロボロになってやっと、楓に救いを求めたのだろう。……と、なると。番のいる鷲尾はとにかく、水無瀬にとっては、危険だ。
 ただでも、古城の持つフェロモンは、一般的なオメガよりも強い。故に。あの『夜の顔』が成立しているわけでもあるが。もしそれを、番のいない水無瀬が受けたとしたら。
 本当は、自宅に横付けしたかった。すぐさま楓に会い、状況を把握したかった。
 しかし、それはあまりにリスクが高すぎる。
「楓っ!」
 バンっ!と。彼らしくもなく大きな音を立ててドアを開ければ。
(うっ……!)
むわりと。漂う空気に一瞬、顔をしかめる。もちろん彼は、楓以外のオメガに惑わされることはないが、そんな彼でさえ気づくほどの、強さと濃さ。改めて、自宅から車を話した判断が正しかったことを知る。
「幸正さんっ!!」
 楓の声は。古城に宛がった部屋の側で聞こえた。そこまで一気に走る……、と。
「っ! ……古城くんっ!?」
 グッタリと、楓に頭を預けたまま動けずにいる、姿。古城がいくら男性として小柄で軽いとは言え、楓は一般的な女性の体格だ、彼を動かす力はない。何とかしたいと思った彼女が取った行動が、これだったのだろう。
「古城くんっ、わかる? ……古城くんっ!!」
 切羽詰まったような荻原の声に、古城は、わずかに瞼を開ける。
 そこにあるのは、明らかな欲の色。
 何とか自力でドアを開け、這ってでも状況から抜け出そうとしたと言うことは、最悪の事態は免れた、と判断したいところだが……。
(……僕の車じゃ、運べない)
 瞬時に、荻原はそう判断する。
「……楓」
「はい」
「僕が古城くんを君の車まで運ぶ。悪いけれど、センターまで運転してもらっても」
「もちろん。でも」
「君が向かってる間に、僕から連絡を入れておく。あっちからの迎えを待つより、その方が断然早い」
荻原の言葉に、楓は小さく頷く。
 もちろん、すべてのオメガがあのセンターのお世話になっているわけではない。希有な、強い症状が現れるもののみ。だからこそ。
 今の古城に最適な処置ができる場所は、たった一つしかない。

 事を確認し、行動に移そうと。夫妻が動き出したその時だった。

『秀っ! ちょっと……、待てっ!!』
 その、声と。

「……だ……れ……?」
 掠れる、古城の声が重なったのは。
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