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第2部歴史の修正者(第4章:死ぬべきだった男)
しおりを挟む王都への帰還は、奇妙な沈黙に満ちていた。
ゴブリン討伐という初陣を完璧な勝利で飾ったにもかかわらず、俺たちの間には、戦場で生まれたぎこちなさが重くのしかかっていた。エルザは必要最低限の言葉しか発せず、その視線は常に俺の戦術や行動を分析し、探っている。リリアナは俺と目を合わせることを避け、時折、祈るように胸の前で手を組んでいた。
国王や大臣たちは、俺たちが持ち帰った戦果――ホブゴブリンの首――だけを見て、手放しで俺たちを称賛した。その薄っぺらな言葉を、俺は感情のない相槌で受け流す。彼らは、俺たちの間に刻まれた亀裂など知る由もない。
数日後、新たな任務が下された。
「勇者アレクよ、西の同盟国フォートレスへ親書を届けてもらいたい」
国王の言葉は表向き、友好の証を示すための使節というものだった。だが、その裏の目的は、魔王軍の侵攻が噂される国境地帯の視察と、フォートレスの軍備を探ることにあった。どこまでも政治的で、猜疑心に満ちた任務だ。
フォートレス王国。その名を聞いた瞬間、俺の――魔王ゼノンの記憶が、ある一つの情景を映し出した。
切り立った崖が続く「竜の喉笛」と呼ばれる渓谷。そこで、俺の配下である竜騎士団の奇襲を受け、炎に焼かれながらも最後まで抵抗し、壮絶な死を遂げる一人の騎士の姿を。
男の名は、ガウェイン・ロックハート。フォートレス王国が誇る「不落の盾」の異名を持つ、騎士団長。あまりに実直で、あまりに勇敢すぎたがゆえに、罠にかかり命を落とす男。原作では、彼の死がフォートレスの戦線を崩壊させ、魔王軍の侵攻を決定的にする転換点となるはずだった。
(死ぬべきだった男、か…)
俺の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。歴史を変えるための、格好の駒が見つかった。
フォートレスの国境砦に到着すると、屈強な鎧に身を包んだ、壮年の騎士が俺たちを出迎えた。太陽に焼かれた肌、厳しくも誠実な光を宿した瞳、口元に蓄えられた見事な髭。彼こそが、ガウェイン・ロックハートその人だった。
「ようこそお越しくださいました、勇者アレク殿。お待ちしておりました。私が騎士団長のガウェインです」
彼は鎧の胸当てを拳で叩き、敬意に満ちた礼をした。その振る舞いには一切の裏がなく、エルザもリリアナも、彼の実直な人柄にすぐに好感を抱いたようだった。
砦の作戦室で、ガウェインは国境地帯の地図を広げ、魔王軍の動向を説明した。
「敵の狙いは、おそらくこの『竜の喉笛』でしょう。この渓谷さえ突破されれば、王都までは平原が続きます。ゆえに、我が騎士団の精鋭をこの地に集結させております」
彼の説明は、原作の歴史通りだった。そして、その判断が彼の命取りになることも、俺だけが知っていた。
俺は地図上の一点を指さした。
「騎士団長、あなたの判断は間違っている」
室内の空気が凍りつく。ガウェインの眉が、ぴくりと動いた。
「…と、申されますと?」
「『竜の喉笛』は陽動だ。敵は、少数精鋭の部隊を差し向けてあなたの主力をこの地に釘付けにし、その隙に本隊が南の『忘れられた古道』を通って補給路を断つ気だ」
もちろん、全ては俺が作り上げた嘘八百だった。
エルザが、案の定、俺の言葉に噛みついた。
「また根拠のない勘ですの? 『忘れられた古道』はすでに廃れ、大規模な軍勢が通れる道ではありません。机上の空論ですわ」
「お前は黙っていろ」
俺はエルザの反論を一蹴し、ガウェインの目を真っ直ぐに見据えた。
「騎士団長。俺を信じるか、それとも地図の上の古い常識を信じるか。選ぶのはあなただ」
ガウェインは腕を組み、深く葛藤していた。国境防衛の要から兵を引くなど、正気の沙汰ではない。だが、目の前の勇者の瞳には、揺るぎない確信があった。
俺は、魔王だった頃の人心掌握術を駆使して、最後の一押しをした。
「あなたの部下を、無駄死にさせたいのか? 俺には未来が見える。このままでは、あなたの騎士団は壊滅し、フォートレスは炎に包まれることになる。それでもいいのなら、俺は何も言わん」
その言葉が、彼の心を折った。部下を思う気持ちこそが、この男の最大の弱点だった。
「……分かりました。勇者殿の進言を、信じましょう」
彼は苦渋の決断を下した。
運命の日。
原作通りなら、ガウェインが討ち死にするはずの日が来た。
彼の主力部隊は、俺が指摘した「忘れられた古道」へと移動し、「竜の喉笛」の守りは、意図的に手薄にされていた。
そして、夜の闇を切り裂き、魔王軍の竜騎士団が「竜の喉笛」に急襲をかけた。
しかし、彼らが目にしたのは、もぬけの殻となった砦と、嘲笑うかのように吹く風だけだった。奇襲は完全に空振りに終わる。
報告を受けた竜騎士団長は、罠を察知し、すぐさま「忘れられた古道」へと転進を開始した。手薄なはずの部隊を叩き、少しでも戦果を上げようとしたのだろう。
だが、その行動すら、俺の計算通りだった。
古道で待ち伏せていたガウェインの部隊が、竜騎士団の側面に突撃を仕掛けようとした、まさにその時。
「――今だ! 全軍、突撃!」
俺の号令と共に、隠れていた俺たちとガウェインの主力部隊が、竜騎士団の背後を完璧なタイミングで強襲した。
「なっ…挟撃だと!?」
敵の動揺は明らかだった。
「エルザ、右翼の飛行部隊を氷槍(アイスランス)で叩き落とせ! リリアナ、ガウェイン殿に守護(プロテクション)を!」
俺の指揮が戦場に響き渡る。エルザの放つ広範囲魔法が空を覆い、リリアナの祈りが傷ついた兵士たちを癒やす。そして、死の運命から解放されたガウェインは、獅子奮迅の働きで竜騎士たちを次々となぎ倒していった。
戦いは、俺たちの圧勝に終わった。
戦いの後、ガウェインは血に濡れた剣を地に突き、俺の前に膝をついた。
「勇者アレク殿…。俺は、あなたに疑いの目を向けていた…。この愚かな俺を、そして我が部下たちの命を救ってくださり、感謝の言葉もない…」
彼は深く頭を垂れた。
「このガウェイン・ロックハートの命、もはやあなたに捧げたもの。生涯をかけ、あなたの剣となり、盾となることをここに誓う」
こうして、本来であれば死ぬはずだった男が、俺の最も忠実な騎士となった。
エルザとリリアナは、またしても未来を予知したかのような俺の采配に、もはや驚きを通り越して畏怖の念を抱いていた。エルザが
「…まるで、物語の結末を知っているかのよう…」
と、真理に近い言葉を震える声で呟くのが聞こえた。
俺は、新たに手に入れた強力な「駒」に満足しながらも、肌を粟立たせるような悪寒を感じていた。
世界の歯車が、ギシリと音を立てて大きく軋んだ気がした。
死ぬべき男を生かし、起こるべきではなかった勝利を手にした代償が、いずれ必ずやってくる。
俺は、自らが創り出した歴史の歪みの中心で、静かに次の戦いを待っていた。
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