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第3部混沌の足音(第9章:暴走する力)
しおりを挟む覚悟を決めたリリアナの瞳は、聖女としての使命感に燃え、真っ直ぐに俺を射抜いていた。彼女は俺の部屋の扉を静かに閉め、退路を断つかのように俺の前に立った。
「アレク様。…いいえ、あなたはいったい、何者なのですか?」
その声は震えていたが、逃げることを許さない響きがあった。
「私は、大神殿の禁書庫で、ある手記を見つけました。『双魂転生の禁忌』…強すぎる後悔を抱いた魂が、その対極たる存在に転生するという、異端の仮説です」
俺は黙って彼女の言葉を聞いていた。驚きはなかった。彼女がそこまでたどり着く可能性は、万に一つと考えていたが、この聖女の魂の純粋さを侮っていたらしい。
「あなたは未来を予知し、魔族の言語を操る。そして、あの獣将ガランは、死の間際にあなたを『我が主』と呼びました。…あなたは、魔王ゼノンの魂を宿しているのではありませんか?」
核心を突く問い。俺は否定も肯定もせず、ただ冷たく言い放った。
「それが真実だとして、お前はどうする。俺をここで断罪するか?」
「いいえ!」
彼女は強く首を振った。
「私は、知りたいのです!あなたの魂が何を求めているのか、あなたが何に苦しみ、何を成そうとしているのかを…!」
彼女が俺に一歩踏み出した、その時だった。
突如、王都の平和を切り裂くように、けたたましい警鐘が鳴り響いた。窓の外に目をやると、王都の空が、ありえないほど濃密な、紫色の霧に覆われ始めているのが見えた。
「何事だ!?」
ガウェインが部屋に飛び込んできた。
「報告! 王都の各所で、市民が互いに攻撃し合うという謎の暴動が発生! 全ては、この不気味な霧が発生してからです!」
俺は舌打ちした。この粘つくような魔力の質、人の精神を内側から蝕むようなやり口。間違いない、妖姫メディアだ。あの女、俺が来るのを待ちきれず、自ら王都に乗り込んできたというのか。
俺たちが広場に駆けつけると、そこはすでに地獄絵図と化していた。紫の霧に触れた人々は、瞳に狂気の光を宿し、隣人や家族に武器を向けていた。幻術だ。それぞれの心の中にある最も深い恐怖や憎悪を増幅させ、悪夢を見せているのだ。
「ゼノン様、お久しぶりですわ」
どこからともなく、脳内に直接響くような、甘くねっとりとした声が聞こえた。妖姫メディア。
「あら、懐かしい魂の気配…でも、その器は忌々しい勇者のものなのね。どうなさったの、ゼノン様? そんな人間のフリをして。早く、早く本当のお姿を、私だけにお見せになって?」
奴は気づいている。俺の魂の本質に。そして、俺を精神的に追い詰め、内なる「魔王」を引きずり出そうとしている。
「惑わされるな! 精神を強く持て!」
俺は仲間たちに叫ぶが、遅かった。メディアの幻術は、すでに彼らの心を蝕み始めていた。
「ぐっ…! アレク殿が、我々を裏切る姿が…!」
ガウェインが苦悶に顔を歪める。
「やめて…! あなたは、私たちの敵…!?」
エルザの瞳にも、疑心暗鬼の色が浮かぶ。
そして、最も深く幻術にかかったのは、リリアナだった。
「いや…いやぁぁっ!」
彼女は、原作通り、魔王城で俺(ゼノン)に無残に殺される未来の光景を見せられていた。その瞳は恐怖に染まり、俺を見て、まるで本物の化け物を見るかのように後ずさる。
その彼女の悲鳴が、俺の中で何かの箍(たが)を外した。
仲間を守りたいという焦り。正体が暴かれることへの苛立ち。そして、リリアナの心を弄んだメディアへの、殺意にも似た激しい怒り。
それらの感情が、俺の理性の堰を、いとも容易く破壊した。
「―――黙れ」
俺の口から漏れたのは、勇者アレクのものではない、地響きのような低い声だった。
「我がものに、手を出すな」
次の瞬間、俺の身体から聖なる光とは真逆の、漆黒のオーラが噴き出した。まるで世界そのものを塗りつぶすかのような、絶対的な闇。金色の髪は瞬く間に漆黒に染まり、蒼い瞳は血のように紅く輝きを放つ。その姿は、まさしく魔王ゼノンの顕現だった。
「ア…アレク…様…?」
ガウェインが愕然と俺の名を呼ぶ。
俺は、もはやその声に構うことなく、力の奔流に身を任せた。
「消えろ」
指先一つで、王都を覆っていた幻惑の霧を、力づくで引き裂く。紫の霧は、俺の放つ純粋な闇の魔力に触れただけで、悲鳴を上げて消滅した。
建物の屋上に、信じられないものを見たという顔で立ち尽くすメディアの姿を捉える。
「面白い余興だったな。褒美をやろう。」
俺が手をかざすと、凝縮された闇の塊が、光をも飲み込む速度でメディアに殺到した。
「きゃあああっ!」
メディアはかろうじてそれを防いだが、深手を負い、空間の歪みへと逃げ込んでいく。
「それでこそ…! それでこそ、私のゼノン様ですわ…! お待ちしております、魔王城で…!」
悦びに満ちた声だけを残し、彼女の気配は消えた。
荒れ狂う力が、ゆっくりと俺の内側へと収まっていく。漆黒の髪は金色に、紅い瞳は蒼へと戻った。
俺は、我に返り、恐る恐る仲間たちの方を振り返った。
そこに広がっていたのは、絶対的な断絶だった。
ガウェインは、信じていた主君の恐ろしくも禍々しい姿に、ただ愕然と立ち尽くしている。
エルザは、自らの仮説が最悪の形で証明されたことに戦慄し、俺に杖を向け、その切っ先を震わせていた。
「…やはり、あなたは…私たちの敵だったのですね」
そして、リリアナは。
幻術の恐怖からは解放されていたが、それ以上に深い絶望と、そして、悲しみに満ちた瞳で、俺をただじっと見つめていた。彼女が見ていたのは、絶対的な悪である魔王ではない。制御できないほどの巨大な力に苦しむ、孤独な魂の姿だった。
「…あなたは、ずっと…独りで苦しんでいたのですね…」
その憐れみの言葉が、エルザの敵意よりも、ガウェインの失望よりも、鋭く俺の胸に突き刺さった。
パーティーは、崩壊した。
信頼は砕け散り、仲間たちの視線は、不信と敵意、そして憐れみとなって俺を貫く。
俺は、自らが最も恐れていた状況を自らの手で作り出してしまったことを悟り、その場で立ち尽くすしかなかった。
第3部 完
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