朝凪の海、雲居の空

朝霧沙雪

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絶望

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ずっと、震えが止まらない。歯の根が合わない。息が上手くできなくなって、時々喉から小さな悲鳴が漏れる。さゆの両脇に座った男は、それを面白そうにニヤつきながら見ていた。縛られてはいないが、ぴったり身体を付けられて、身動きがとれない。気持ち悪い。
(どこへ)
 義父の運転する車は恐らく東京を抜けて、ずっと曲がりくねった山道を走っている。実家方面へ向かっているのかも知れないとは思ったが、どこへ行くのか。
「朝霧さん、朝霧さんをね、芸能界デビューさせてあげようと思って」
 果てしなく思えた時間が過ぎた後、不意に横の男が口を開いた。四十代位で、中肉中背の、こんな誘拐をするようにとても見えない、サラリーマンの営業風の男だった。
「このご時勢で、みんな生活が大変でしょう?朝霧さんのご両親も仕事がなかなか無くて、大変でね。俺達はお父さんの知り合いで、グラビアとかイベントに、人を仕出しする仕事をしていてね」
「?」
「朝霧さんも、プロのメイクで綺麗になりたいと思わない?」
「・・・特に・・・」
 やっとさゆはそれだけ呟いた。
「あの・・・帰りたい・・・です・・・・」
「俺達の話を聞いてくれたら、彼氏の所へ無事に帰してあげるよ。朝霧さんは絵も描いているんでしょ?芸能の仕事をしたら、アーティストとしてもきっと有名になって、すごい売れるよ。興味出てこない?」
 さゆは軽く首を振った。怪しさしかない。
「ご両親は大賛成でね、もう許可も貰っているんだよ。今日は俺達の会社の事務所に行って、社長に会って、綺麗な写真だけ撮らせて欲しいんだ。朝霧さん可愛いからね。お腹空いてない?お菓子もお弁当もあるから」
「・・・いいです・・・」
 なんでこの男は、こんなに浮ついたフレンドリーさで自分に色々捲くし立てて来られるんだろうと、思った。
「・・・私は未成年では無いので、親の許可とか・・・関係ないです・・・どこでもいいので、降ろして下さい」
「そんな事言ったって、ここ、もう大分山奥だよ。女の子一人じゃ危ないよ。もうすぐスタジオだから、そこで話し合おう、ね?」
 さゆは、もう一度、大きく首を振った。
「・・・朝霧さんさあ、彼氏って『エノン』でしょ?AV男優だった。それ、バイト先の人とか知ってるの?」
 そこで男は少しイラついた様子で、さゆの顔を覗き込んだ。
「・・・・」
 タキは大体帽子とマスクをしていたけれど、それでも分かる人には分かるらしい。さゆはタキの芸名をその時初めて知った。
「彼氏と家でしているような事を、スタジオでするだけの仕事だから。お金も沢山貰えるよ。絵を描くのに、生活費とか必要でしょ?」
 さゆは黙り込んだ。この男は、自分をAVに出させようとしている気がする。
(本当に、ロクでもない親だな)
「え?まさかエノンが反対するとでも思ってる?するわけないじゃん。元AV男優なんて、浮気してるに決まってるじゃん?義理立てしなくても良いと思うよ」
「タキは!そんな事しないから!!」
 ―――何故自分がその時、そこまで怒ったのか、さゆには上手く説明出来ない。
 もう自分達は、付き合ってなんかいなかったのに。
「もう帰して!帰して!帰してよ!!」
「すみません、前田さん。物分りの悪い娘で」
 そこで義父が前を向いたまま、怒気を孕んだ声で言った。さゆはハッとして口を噤む。義父は荒い運転で、どこかの暗い駐車場に車を停めた。
「なんだてめえは!親の言う事が聞けねえのか!脱げっつってんだよ!!てめえなんざ、それ位しか役に立たねえんだからよ!!」
 義父は力一杯後部ドアを開けると、さゆの襟首を掴んで引きずり出した。そのまま拳でさゆの顔面を二、三発思いっきり殴る。ガキッという音がして、頬と鼻に激痛が走った。細かい血しぶきが舞う。さゆは音もなくその場に崩れ落ちる。
「あーあ。お父さん、顔は困りますよ。化粧でもある程度しか誤魔化せないんで」
「こいつは、これ位やんねえと分かんねえクソ女なんでね!どうせブスだから、多少顔が変わっても分かりゃしねえよ」
「しかし、全然話と違う頑固女ですね。頭の弱い、フラフラした女だっていう話だったじゃないですか」
「ロクでもねえ野郎と付き合って、かぶれちまったんでしょ!」
 コンクリートの地面に頭を打ち付けて、激痛に泣きながら、さゆはその遣り取りを聞いた。
「まあ、もうスタジオに着いたし、ご両親は先に中に入っていて下さい。後は私らで説得しますんで」
「このブタ、一発ヤッちまえば静かになるんじゃねえですか。ほんとにダメなブタ女だなてめえは!」
 義父はうす汚いスニーカーでさゆを蹴ると、母と遠くに灯りがともるスタジオに歩いて行った。母は一度さゆを振り返ったけれど、何も言わずに義父と歩いて行った。
「いやあ、ごめんね。痛い思いさせて。でも、これで分かったんじゃない?・・・朝霧さんがここで断ると、みんなにものすごい迷惑が掛かるんだよ」
 腕を引っ張られて起こされながら、さゆは尚も首を振った。再び後部座席に押し込まれた。
「正直ね、朝霧さんの年齢と容姿だと、一人で出演するのは厳しいんだ。何人もの女の子とコラボしないとデビュー出来ないんだよ。朝霧さんが決断してくれないと、そのみんなが困るんだよ」
 さゆは両腕を突っぱねて、首を振り続ける。唇が切れて腫れ、もう喋れない。
「っら!」
 前田、と呼ばれた男はさゆの髪を突然引っ張ると、思いっきりドアに打ち付ける。さゆは眩暈がして、血と吐瀉物が口から溢れた。
「お前にもう選択権はないっつってんの!お前はもう一生、あの親の奴隷なんだよ!!お前は親ガチャに外れたの!分かった?」
「ま、前田さん、もうそこら辺で・・・」
 その時、もう一人の男が初めて口を開いた。
「うるせえ、黙ってろ!おい、こいつの両腕持ってろよ」
「え、不味いですよ、前田さん。エノンの後ろには野分達がいるって噂じゃないですか・・・」
「うるせえ、あんな奴、怖かないね!」
 男がしぶしぶさゆを羽交い絞めにすると、前田はさゆのシャツのブラウスを破いた。
「いやああ!やあ!うわあ!!」
 さゆの絶叫が夜の駐車場に響き渡る。前田はドアを閉めると、さゆを押し倒して馬乗りになった。
「うっわ、貧弱なデブ」
 ブチブチと音を立てて、ブラジャーが剥ぎ取られる。泣き叫び続けるさゆを面白そうに笑って、前田がさゆの胸を乱暴に揉んだ。痛みにさゆは泣きながら呻く。頭の上で抑えつけられた手をバタつかせた。
「やあ・・・・やだ・・・・やだ・・・・たすけて・・・・・!」
「うるせえよ」
 前田が拳でさゆを殴った。世界がグルリと回る。鼻血と涙と吐瀉物で汚れた顔で、さゆはうわ言の様に「たすけて」と言い続けた。唇も切れて、血が溢れている。眼も半分見えない。前田はさゆのズボンとショーツも一気に脱がす。さゆの泣き声が一段と高くなった。
「震えてる。可愛いねえ」
 皮肉を込めてそう言うと、前田はさゆの足を無理矢理開かせた。乱暴に膣に指数本を押し込む。
「いたい!」
「うわ、一丁前に痛がってるよ!」
 そのまま前田は無骨な指でさゆの膣をかき回した。余りの痛みにさゆは歯を食いしばる。自分を押さえつける腕に、爪を食い込ませた。
「やだ・・・・きたない・・・たすけて」
 前田も、もう一人の男も息が上がっていて、汚く、気持ち悪かった。前田がズボンを脱ぐ。ベルトの金属音が響いた。
「あーあ、こんなブスとなんてヤりたくねえな」
 さゆはただ泣いた。このまま自分は死ぬ気がしていた。
「・・・うわあああっ!いだい!!いだい!!」
 男が腰に弾みを付けて、さゆに無理矢理挿入した。さゆは獣の様な声で、残った力を振り絞って泣き叫んだ。痛くて痛くてたまらなかった。男はさゆに構わず、荒い息で思いっきり腰を打ち付けてくる。拷問の様な時間だった。さゆは途中からもう叫ぶ気力もなく、声もなくすすり泣いた。汗と血と体液の臭い匂いが車内に充満している。やがて男は「うっ!」と呻くと、さゆから性器を引き抜いた。
「濡れてんじゃん。気持ち良かっただろ?」
「・・・・・」
 さゆはもう現実感も喪い、ボウッと虚空を見つめた。そのまま男達は交代し、もう一人の男がさゆの全身に手を這いまわした。さゆは人形の様にただシートに寝転がっていた。やがて男が挿入すると、膣の痛みとピストンで揺さぶられる気持ち悪さにまたさゆは吐いた。
 もう感情が麻痺して、嫌だとか辛いとか何も思えなくなっていた。全てが遠く、全身が痛くて、性質の悪い悪夢の様だった。
 二人目の男がさゆの中で果てた後、性器をさゆから引き抜き、シートに寄り掛かって複雑な表情をした。
「なんだ、処女みたいに血なんか出しやがってよ」
 男の性器を見て、前田が囃し立てた。そのままもう一度前田に組み敷かれて、さゆはまたレイプを繰り返された。膣が切れている感触が、ヒリヒリと痛かった。ただ無気力に天井を眺めて耐えた。
「おい、お前ら何やってんだ!」
 その時。不意にドアが開き、聞き覚えのない男の怒号が社内に響き渡った。
「話し合いが長引いてるとか親父が言ってたが、様子見に来たらこのザマかよ!前田、だからお前は万年ビリのスカウトなんだよ!あの親父は止めとけって言っただろ!」
「まあまあ専務、こいつがあんまり生意気なんでね・・・」
(あ)
 さゆはその時、汗と血に塗れた視界が急にクリアに見えた気がした。男三人が、ワゴン車の脇で言い争っている。
 車内には、自分ひとり。
(いまだ)
 反射的に、身体が動いた。開け放っているドアから、裸のままさゆは飛び出した。
「おい!」
 後ろから男の慌てた声がした。関節も腹も顔も素足も、何もかもが痛かった。けれどさゆは立ち止まらずに、足をもつれさせながらガードレールを乗り越えて森の中に入った。頭の上に数人の男の声を聞きながら、夜の森の中を、窪地へ向かって転がるように下った。
(あ)
 窪地の底は小川だった。さゆは人の気配を注意深く観察しながら、息を殺して小川を下流へ歩き、随分歩いた所で、木立ちの横に丸まって座った。時々男達の声が上の道路で響いた気もしたけれど、やがて何も聞こえなくなった。
 不意に寒さが押し寄せて来て、さゆは身震いした。それでも全身がひたすら気持ち悪くて、小川の水で洗った。膣に指を入れて洗い流すと、白い精液が染み出てきた。それを見ると悔しくて悲しくて、さゆは声を殺して泣いた。
(私が何をしたの)
 素足も痛かったけれど、そのまま小川の横をウロウロと下流へ歩いた。
(どうしよう)
 顔も潰れて、裸で、夜が明ける前に誰かに保護して貰うしかないけれど。
(こんな状態で会いたくない)
 それでも、さゆはそこから長い時間、ずっと下流へと、段々と流れが早く、幅が大きくなる川の横を歩き続けた。
 やがて。
(あ)
 最初は幻かと思った。近づいてみると、段々灯りが大きくなって来る。川幅はもう、小川と呼べる大きさでは無くなっていた。その中州に。
(テントだ)
 もう明け方近い。しかし、一基だけあるそのテントの中からは、若い男女数人の楽しげな話し声が響いていた。
 その声が、余りにも自分から遠い。
(ど、どうしよう)
 さゆはボロボロでテントの横まで来て立ちすくんだ。
 その時。
「私ら、トイレ行って来るねー」
「気を付けてな」
 女性二人がテントから出て来た。
「あ、あの・・・・」
 声を掛けようとして、さゆはもう限界で、前のめりに倒れた。
 女性達の絶叫が、夜の森に響き渡った。
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