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報い
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柔らかな秋の日差しが、ガラス張りの入口から注いでいる。幾つも自分の絵が飾られた画廊を、洒脱な男女が佇む様子は、それだけで一枚の絵の様だ。オーナーが画廊の様子を、何枚かの写真と共に送ってくれた。今の所大きなトラブルもなく、なんと二枚ほど絵も売れたらしい。
ただ、この画廊が今のさゆには、余りにも「遠い」。自分はただ絵を描いているだけなのに、なんだか立派な画家になったような気がして、眩暈がした。
さゆは自分の部屋で、写真をうつしたスマホを、そっと両手で包み込んだ。
なんだか実感が湧かないけれど、それでもここに、きっとここに、この半年間の苦悩の「意味」があるのだ。経費を引いたら、赤字になるかならないかだけれど。泥の中を這いつくばるように、なんとか生きてきたこの半年の苦しみの報いが。沢山の絵の中に、込められたさゆの想いの結実が。
きっと、ここにはある。
そう思えて、昼下がりの鎌倉のアパートで、さゆはひとり泣いた。
例えこの先何があっても、もしタキと別れても、自分は絵を描いてゆくのだと、思う。
会期はあと二週間になっていた。
その日は良く晴れて、やっと暑さの和らいだ鎌倉の潮風が、明るい路地を吹き抜けた。
「あ、シオカラトンボ!」
小さな庭で草むしりをしていたさゆが、横にいたタキに指差す。
「ふふふ、可愛いね」
帽子を被ったタキがふっと微笑む。この頃自分達は付かず離れずで、それでも休日にはこうして一緒に過ごしている。
「ねえ、タキ」
さゆが何気なく呼びかけると、タキの顔が強張るのが見えた。
「私ね、ずっと、タキやルークと一緒にいたい」
草をむしりながら、まるで日常会話の続きの様にそう言うと、タキの手が止まった。
「ずっと、こんな風に、暮らしていきたい。いいかな?」
タキは俯いたまま、何度も何度も頷いた。
ありがとう、という微かな声が聞こえた。
「タキ、ありがとう」
さゆはタキに向き直って微笑んだ。
「私の小説も、タキの小説も、全部読んだよ。私たち、いつも上手くいっていたわけじゃなかったのも、良く分かった。・・・・でも、それでもタキは、私の事、助けてくれたんだね」
タキは、静かにさゆの言葉を聞いている。タキの小説には、さゆと別れた後に、タキが彼女を助け、共に暮らす描写もあった。ただ、さゆの両親に見つかる可能性を考えて、場所は海外にした。
黙っている事だって出来た。でも、そうしなかったのは自分だ。
「私にとってはやっぱり、今の私と一緒に暮らして来たタキが全てだよ。・・・この1年近くの、タキの苦労とか気遣いとか、それがあったから、私は生き延びられたんだよ。そのタキの優しさは、本物だと思う。だからずっと、一緒にいたい」
結局。今のさゆにとって、大事なのは今のタキなのだ。
何もかもが割り切れなくても、それが偽らざる気持ちだった。
「俺が精神的に不安定になって、さゆに嫌な思いをさせたのは本当の事だから。それは今も申し訳なく思ってる」
そしてその不安定さは、この先も続くのだ。
「・・・だから、一緒にいたいって言ってくれて、すごく嬉しい」
タキは所々震える声で話し終わると、下唇を噛んで俯いた。
ああ、自分の欲しかった「報い」は、これだったんだなと思った。
「さゆの記憶」にずっとこだわって来たけれど、本当の本当にタキ自身が欲しかったのは、「あの日の別れを乗り越える」事だったのだ。
「さゆ、俺たち、死ぬまでずっと、一緒にいよう」
ただ、この画廊が今のさゆには、余りにも「遠い」。自分はただ絵を描いているだけなのに、なんだか立派な画家になったような気がして、眩暈がした。
さゆは自分の部屋で、写真をうつしたスマホを、そっと両手で包み込んだ。
なんだか実感が湧かないけれど、それでもここに、きっとここに、この半年間の苦悩の「意味」があるのだ。経費を引いたら、赤字になるかならないかだけれど。泥の中を這いつくばるように、なんとか生きてきたこの半年の苦しみの報いが。沢山の絵の中に、込められたさゆの想いの結実が。
きっと、ここにはある。
そう思えて、昼下がりの鎌倉のアパートで、さゆはひとり泣いた。
例えこの先何があっても、もしタキと別れても、自分は絵を描いてゆくのだと、思う。
会期はあと二週間になっていた。
その日は良く晴れて、やっと暑さの和らいだ鎌倉の潮風が、明るい路地を吹き抜けた。
「あ、シオカラトンボ!」
小さな庭で草むしりをしていたさゆが、横にいたタキに指差す。
「ふふふ、可愛いね」
帽子を被ったタキがふっと微笑む。この頃自分達は付かず離れずで、それでも休日にはこうして一緒に過ごしている。
「ねえ、タキ」
さゆが何気なく呼びかけると、タキの顔が強張るのが見えた。
「私ね、ずっと、タキやルークと一緒にいたい」
草をむしりながら、まるで日常会話の続きの様にそう言うと、タキの手が止まった。
「ずっと、こんな風に、暮らしていきたい。いいかな?」
タキは俯いたまま、何度も何度も頷いた。
ありがとう、という微かな声が聞こえた。
「タキ、ありがとう」
さゆはタキに向き直って微笑んだ。
「私の小説も、タキの小説も、全部読んだよ。私たち、いつも上手くいっていたわけじゃなかったのも、良く分かった。・・・・でも、それでもタキは、私の事、助けてくれたんだね」
タキは、静かにさゆの言葉を聞いている。タキの小説には、さゆと別れた後に、タキが彼女を助け、共に暮らす描写もあった。ただ、さゆの両親に見つかる可能性を考えて、場所は海外にした。
黙っている事だって出来た。でも、そうしなかったのは自分だ。
「私にとってはやっぱり、今の私と一緒に暮らして来たタキが全てだよ。・・・この1年近くの、タキの苦労とか気遣いとか、それがあったから、私は生き延びられたんだよ。そのタキの優しさは、本物だと思う。だからずっと、一緒にいたい」
結局。今のさゆにとって、大事なのは今のタキなのだ。
何もかもが割り切れなくても、それが偽らざる気持ちだった。
「俺が精神的に不安定になって、さゆに嫌な思いをさせたのは本当の事だから。それは今も申し訳なく思ってる」
そしてその不安定さは、この先も続くのだ。
「・・・だから、一緒にいたいって言ってくれて、すごく嬉しい」
タキは所々震える声で話し終わると、下唇を噛んで俯いた。
ああ、自分の欲しかった「報い」は、これだったんだなと思った。
「さゆの記憶」にずっとこだわって来たけれど、本当の本当にタキ自身が欲しかったのは、「あの日の別れを乗り越える」事だったのだ。
「さゆ、俺たち、死ぬまでずっと、一緒にいよう」
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