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第三話 絶対に許せない
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翌日、怪我をしている間は一度も会いに来なかった夫、ハリーがいきなり客間にやって来た。
「おい、マリーゼ。例の部屋に戻れ」
突然のことに、私は狼狽える。あの薄暗く、寒くて狭い部屋に……?
「その、ハンター先生は、何と……?」
「ああ、先生なら行方不明になった」
衝撃で、何を聞いたのか、理解できなかった。
「昨日の帰り道、風に煽られて橋から落ち、川に流されたそうだ。この季節だから、まず助かるまい。良い腕をしてたのに、勿体ない」
「そんな……」
全身の震えが止まらない。
「そうそう、今日から書類の確認の仕事には復帰してもらうぞ。あとで持っていくから、支度をしておけ」
私は無言で、フラフラしながら小部屋に戻ると、粗末な寝台の端に腰掛けた。
さっき聞かされたことが、じわじわと実感を伴って心に届き、膝の上に涙の染みを次々に作っていく。
おそらく昨日の帰り、先生は私を入院させるよう、夫に勧めたはずだ。
先生が離縁に力を貸そうとしているのを知らなくても、私に保険を掛けて殺そうとする夫達には、さぞや迷惑な提案だったのだろう。
もともと彼らが先生を呼んだのは、私を治療させようというのではなく、死亡診断書を書かせるためだ。保険会社に提出できるように。
……だけど、私以外の人間にまで、こんなことをするとは思わなかった。
先生……ハンター先生、ごめんなさい。
きっと彼は消されたのだ。
私のせいで……
……許せない。
絶対に許せない。
先生の敵を討ちたい。
もう、このまま一方的に殺されたりしない。
大したことはできないかもしれないけれど、せめて一矢を報いたい。
握った拳に力がこもった。
***
スレア伯爵邸にある、当主の部屋に繋がった日当たりのいい部屋。本来伯爵夫人が住まうべきその部屋で、愛人・シェアリアは暮らしている。メイドに傅かれ、シェアリアが優雅にお茶を飲む練習をしていると、小刻みにノックの音がした。
「シェアリア……先生に手を下したのは、お前か?」
ドアを開けたハリーは人払いをすると、複雑な表情でシェアリアに問い掛ける。
「ええ、急な話だったから、下働きのジョンに小金を握らせたの。いけなかった?
だってあんな状態の奥様が入院なんかしたら、スレア家が虐待していると噂になってしまうわ。
あなたがそんな目に遭うなんて、耐えられない。私、あなたが一番大切なの。
あなたの為なら、自分の手を汚そうが、何だってできるわ」
「そうか。君って人は、本当に……
腕の立つ医者は貴重だが、それなら仕方がないな」
シェアリアの隣に腰掛けると、ハリーは彼女の肩に腕を回し、その顔を寄せ、口付けた。
人は死んだら、生き返らない。身体の部位を失えば、元に戻らない。
魔法など存在しないこの世界、領内にいる有能な医者はひとつの財産だった。
だからこそハリーのような男でも、ハンター医師を惜しんだのだが……
己の名誉と金銭欲、そして愛する女の為なら、それすらどうでもいいらしい。
シェアリアは愛らしい顔に似つかわしくない、妖艶な眼差しで、ハリーに話し掛ける。
「ねえ、それよりも、大事なのは奥さんの方よ。白い結婚が成立するまで、あと7週間しかないわ。
そろそろ、何とかしないと。あまりにギリギリ過ぎても、疑いが増すでしょう?」
「そうだな。だったら、もう一度ジョンにやらせるか」
「それは無理よ。彼には暇を出したわ。事の真相を知る人間は、少ない方がいいもの。
次は、なるべく私達に疑いが向かないように、あの人がたまたま事故に遭うように見える状況を作るわ」
「なるほど、じゃあ、今抱えている書類の処理をやらせたら、実行するとしよう」
二人は抱き合ったまま、邪悪な微笑みを浮かべた。
***
「ほら、書類だ。いつものように処理するんだ。ミスをしたら、たたじゃおかないからな」
そんな言葉と共に、粗末な机に積み置かれた書類の山。
ハリーは私を見下しながら嘲るような笑みを浮かべる。
こんな人のせいで、先生が……
絶対にこのままで終わらせたりしない……!
決意を新たにした私は、夫が出て行くと、すぐに書類を手に取った。
裏は白紙だ。そこにペンを走らせる。
スレア伯爵が私にしていること。ハンター先生にしたこと。
全てを簡潔な文章にして、走り書く。何枚も何十枚も…
そのあと、告発文を書いた書類を折って、紙飛行機を作る。
なるべく真っ直ぐ、遠くに飛ぶように、細身の紙飛行機を大量に。
そして、出来上がった数十通の紙飛行機を二つのバケツに突っ込み、上から雑巾を掛けた。
擦り切れたお仕着せに着替え、両手にバケツを持って階段を上り、最上階に行く。
他の使用人には、掃除をしに行くようにしか見えないだろう。
私は使われていない、屋根裏部屋の天窓を開けた。今日も風が強い。
風下に向かって上手く紙飛行機を飛ばせば、全てとはいかなくても、かなりの数がスレア邸の塀を越えて、街まで届くはずだ。
ハンター先生のことを慕っている街の人は多いと聞いている。私のことはともかく、先生のことを知れば、立ち上がってくれる人は多いと信じている。
私は天窓から半分身体を乗り出すようにして、どんどん紙飛行機を飛ばした。
お願い、心ある人、これを拾って! 読んで! 知って!
そして、この屋敷に巣食う悪魔のような人間が、何をしているのかを一人でも多くの人に広めて!
お願い、先生の仇を取って!!
「おい、マリーゼ。例の部屋に戻れ」
突然のことに、私は狼狽える。あの薄暗く、寒くて狭い部屋に……?
「その、ハンター先生は、何と……?」
「ああ、先生なら行方不明になった」
衝撃で、何を聞いたのか、理解できなかった。
「昨日の帰り道、風に煽られて橋から落ち、川に流されたそうだ。この季節だから、まず助かるまい。良い腕をしてたのに、勿体ない」
「そんな……」
全身の震えが止まらない。
「そうそう、今日から書類の確認の仕事には復帰してもらうぞ。あとで持っていくから、支度をしておけ」
私は無言で、フラフラしながら小部屋に戻ると、粗末な寝台の端に腰掛けた。
さっき聞かされたことが、じわじわと実感を伴って心に届き、膝の上に涙の染みを次々に作っていく。
おそらく昨日の帰り、先生は私を入院させるよう、夫に勧めたはずだ。
先生が離縁に力を貸そうとしているのを知らなくても、私に保険を掛けて殺そうとする夫達には、さぞや迷惑な提案だったのだろう。
もともと彼らが先生を呼んだのは、私を治療させようというのではなく、死亡診断書を書かせるためだ。保険会社に提出できるように。
……だけど、私以外の人間にまで、こんなことをするとは思わなかった。
先生……ハンター先生、ごめんなさい。
きっと彼は消されたのだ。
私のせいで……
……許せない。
絶対に許せない。
先生の敵を討ちたい。
もう、このまま一方的に殺されたりしない。
大したことはできないかもしれないけれど、せめて一矢を報いたい。
握った拳に力がこもった。
***
スレア伯爵邸にある、当主の部屋に繋がった日当たりのいい部屋。本来伯爵夫人が住まうべきその部屋で、愛人・シェアリアは暮らしている。メイドに傅かれ、シェアリアが優雅にお茶を飲む練習をしていると、小刻みにノックの音がした。
「シェアリア……先生に手を下したのは、お前か?」
ドアを開けたハリーは人払いをすると、複雑な表情でシェアリアに問い掛ける。
「ええ、急な話だったから、下働きのジョンに小金を握らせたの。いけなかった?
だってあんな状態の奥様が入院なんかしたら、スレア家が虐待していると噂になってしまうわ。
あなたがそんな目に遭うなんて、耐えられない。私、あなたが一番大切なの。
あなたの為なら、自分の手を汚そうが、何だってできるわ」
「そうか。君って人は、本当に……
腕の立つ医者は貴重だが、それなら仕方がないな」
シェアリアの隣に腰掛けると、ハリーは彼女の肩に腕を回し、その顔を寄せ、口付けた。
人は死んだら、生き返らない。身体の部位を失えば、元に戻らない。
魔法など存在しないこの世界、領内にいる有能な医者はひとつの財産だった。
だからこそハリーのような男でも、ハンター医師を惜しんだのだが……
己の名誉と金銭欲、そして愛する女の為なら、それすらどうでもいいらしい。
シェアリアは愛らしい顔に似つかわしくない、妖艶な眼差しで、ハリーに話し掛ける。
「ねえ、それよりも、大事なのは奥さんの方よ。白い結婚が成立するまで、あと7週間しかないわ。
そろそろ、何とかしないと。あまりにギリギリ過ぎても、疑いが増すでしょう?」
「そうだな。だったら、もう一度ジョンにやらせるか」
「それは無理よ。彼には暇を出したわ。事の真相を知る人間は、少ない方がいいもの。
次は、なるべく私達に疑いが向かないように、あの人がたまたま事故に遭うように見える状況を作るわ」
「なるほど、じゃあ、今抱えている書類の処理をやらせたら、実行するとしよう」
二人は抱き合ったまま、邪悪な微笑みを浮かべた。
***
「ほら、書類だ。いつものように処理するんだ。ミスをしたら、たたじゃおかないからな」
そんな言葉と共に、粗末な机に積み置かれた書類の山。
ハリーは私を見下しながら嘲るような笑みを浮かべる。
こんな人のせいで、先生が……
絶対にこのままで終わらせたりしない……!
決意を新たにした私は、夫が出て行くと、すぐに書類を手に取った。
裏は白紙だ。そこにペンを走らせる。
スレア伯爵が私にしていること。ハンター先生にしたこと。
全てを簡潔な文章にして、走り書く。何枚も何十枚も…
そのあと、告発文を書いた書類を折って、紙飛行機を作る。
なるべく真っ直ぐ、遠くに飛ぶように、細身の紙飛行機を大量に。
そして、出来上がった数十通の紙飛行機を二つのバケツに突っ込み、上から雑巾を掛けた。
擦り切れたお仕着せに着替え、両手にバケツを持って階段を上り、最上階に行く。
他の使用人には、掃除をしに行くようにしか見えないだろう。
私は使われていない、屋根裏部屋の天窓を開けた。今日も風が強い。
風下に向かって上手く紙飛行機を飛ばせば、全てとはいかなくても、かなりの数がスレア邸の塀を越えて、街まで届くはずだ。
ハンター先生のことを慕っている街の人は多いと聞いている。私のことはともかく、先生のことを知れば、立ち上がってくれる人は多いと信じている。
私は天窓から半分身体を乗り出すようにして、どんどん紙飛行機を飛ばした。
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