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13.17歳
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カインとジルダが婚約した年の冬に侯爵夫人は、領地の屋敷で静かに息を引き取った。
夫人の葬儀は国中の貴族が参列するほどの規模だった。
若い頃からアバルト侯爵令嬢として社交会で花開き、国内一の貴族と名高いエスクード侯爵家に嫁いだ。領地運営をはじめ、庶民の教育や登用、錬金術師や魔導士への支援により魔道技術の発展など、その短い人生の中でも目覚ましい功績を人々は称え、その死を惜しんだ。
8歳を迎える前に母を亡くしたカインは、葬儀の中涙を流さず、悲しみに打ちひしがれる侯爵を支えて静かに立っていた。その目の感情は誰にも読み取れなかった。
カインの魔力暴走に備えて葬儀の列に控えていたジルダは、夫人との思い出に胸が締め付けられるようで、これが悲しみなのだと、一人理解した。
大勢の予想に反して、葬儀の前も後も、カインの魔力が暴走することはなかった。
まだ夏の熱気が残る日差しを感じて目を覚ますと、家令のアレッツォが重いカーテンをタッセルでまとめている姿が目に入った。
「おはようございます、カイン様。ジルダ様がお見えになってございます」
カインが目覚めたことを察知したアレッツォは、慇懃さながらに軽く礼をした。
女中に世話をされることを嫌がるため、首都の屋敷にはカインの世話をする女中は最低数しかいない。
そのため、カインの身の回りの世話は家令のアレッツォが行っている。
「ジルダが――そうか」
3日前に会ったばかりなのにもう――いや、当然か。彼女の役目は3日に1度なのだから。
起きたばかりの重い頭で、カインはぼんやりとさっきまで見ていた夢を思い出そうとした。
子供の頃の夢だったような気がするが、はっきりと思い出せない。
まあいい。大した内容ではなかったんだ――だが、忘れていい内容だったのだろうか。
しかし、思い出せないものは仕方ない。
カインは、長い手足を持て余し気味にベッドから出ると、アレッツォが用意した肌触りの良いシャツに袖を通した。
上質な麻糸で織られた生地は、夏の熱気を幾分か和らげてくれるから好きだった。
アレッツォがボタンを留めるのをぼんやりと眺めながら、用意されていた果物に手を伸ばす。
「ジルダはいつ頃来た」
窓の外では日がそれなりに高い位置に来ている。
昨日は仕事でエスクードの領地に行くから帰りは遅くなると伝えていたはずだが、まじめな彼女のことだ。いつも通り朝早くから来ているんだろう。
「2刻ほど前から――図書室で本を選んでくるとおっしゃってました」
アレッツォの報告を聞きながら、カインはうんざりする気持ちを抑えられなかった。
「明日は街道の結界を補修しに行く。だから次回の魔力吸収は必要ないと思う」
「そうですか。でも念のため予定通りお伺いするようにしますわ。万が一という事もありますし」
「好きにしなよ」
首都の侯爵邸の庭に誂えた東屋で、カインはテーブルを挟んで向かい合っているジルダにその手を優しく握られていた。
しかし、それは恋人同士のお互いを求めあう行為とは程遠いものだった。
手を取り合っていても、カインの目はジルダを見ることはなく、生垣の青々とした葉に向けられており、ジルダもまた、カインではなく握った手を伏し目がちに見つめていた。
3日に1度の魔力吸収は婚約してから――いや、あの魔力暴走の日から10年、欠かすことなく続けられている。
17歳になったカインは、亡き侯爵夫人に似た透けそうな金の髪と、空の青さを写した瞳は変わらず、しかし面持ちはエスクード侯爵にも似て男らしい美しい若者に成長していた。
ジルダも17歳になり、赤毛は少し金色に近づいたものの、カインの美しい髪に並ぶとくすんだ赤茶けた色にしか見えない。
腫れぼったい小さな目は肉が落ちてすっきりと切れ長の目になり、丸い鼻は少しだけ鼻筋が通り、王国の顔つきというよりは、北方の顔つきに近くなった。
まるで不器量と言うほどではなくなったものの、王国の顔つきとしては異質だし、カインと並ぶと大きく見劣りする事実は変わらなかった。
春先に行われた侯爵家主催の舞踏会では、カインと婚約者であるジルダがパートナーとなって共にデビュタントを果たしたが、カインの精悍な美しさの隣では、どれだけ着飾っても間抜けなだけだとジルダは諦めていた。
その為、ジルダのドレスはカインと色こそ合わせていたものの、華麗ではあるが質素で、地味なジルダを目立たせない素晴らしい出来栄えのドレスだった。
――そもそも、カインと並んで見劣りしない令嬢がこの国のどこにいるというのよ……
それほど、カインの美しさは人並外れたものであり、その婚約者であるジルダはさぞかし令嬢達から妬みや恨みを買う事だろうと思ったが、杞憂というものだった。
もちろん、ささやかな嫌がらせもあったが、多くはあの婚約者と並ぶことへの同情の声だった。
誰が横に立っても見劣りするのならば、いっそ社交界一不器量なジルダであれば、自分はそれよりマシに見えると優越感を持てるというものだ。
もっとも、令嬢達が妬もうが見下そうが、カインとジルダの関係は皆がうらやむものでも何でもなく、冷ややかに冷め切ったものだった。
いつからだろうか。どちらからだろうか。
少なくとも婚約したばかりの頃は、ぎこちないながらも少しずつ仲が良くなり、エスクード侯爵家への訪問が10回を超える頃には、ジルダもカインに心を開き、初めてできた美しい友達――婚約者だが――との時間を素直に楽しんでいた。
20回を数える頃には、カインより一足遅れて首都に引っ越してきたカインの従兄弟のロメオとティン=クエンも遊び友達に加わり、青白い顔で笑顔が苦手だったジルダは、健康的な薄桃色の頬に弾けるような笑顔の少女へと変身していた。
カインはジルダにとても丁寧に、大切に接していたし、魔力吸収を行う際は頬を赤らめる事もあった。
「僕、ジルダに手を握られると、とても安心するんだ」
ある時、カインが屋敷から退出するジルダにそっと囁いた。
魔力が溢れそうになると苦しいものだし、不安になるものね。
ジルダはそう思って、カインに笑顔を返していた。
「いつでも握りに参りますわ。私の役目ですもの」
「うん――ずっと一緒だよね、僕たち」
「カイン様が必要とする限り、私はずっとおそばにおりますわ」
ジルダが返事をすると、カインはわかりやすく安心したように笑った。
実の家族からは向けられた事の無い表情に、ジルダはまだ慣れないが、当然嫌な気分になるはずがない。むしろ、自分にこの能力があってよかったと思った。
――夫人の葬儀の頃からだったか。
ジルダはぼんやりと思い出した。
春――カインの魔力暴走の後――から徐々に床に臥す事が増えていた夫人が、いよいよという知らせが来たのは冬が深まる少し手前の頃だった。
ジルダに会いたいと、夫人の従者が知らせたとき、不幸な事にカインもその場にいた。
あの時、カイン様はどんな顔をしていただろう。
子供だったジルダに、カインを思い遣るだけの余裕はなかった。
従者に急かされるままに乗り込んだ獣車で侯爵領に向かう道中、カインと話したのは覚えている。
なんと話しただろう――「母上とお知り合いだったの?」「君も本を読んでもらったり遊んでもらっていたの?」「君も――」
カインの魔力を得て疲れ知らずとなった草竜たちは、全速力で街道を走り抜けた。普段は乗り心地のいい獣車だが、速度のせいで少しの段差でも飛び跳ねる勢いなものだから、ジルダとカインは転がらないように従者の体に捕まるだけで一生懸命だったのを覚えている。
その道中の短い休憩中に話した内容は何だっただろうか。
おば様には、王宮で魔力の訓練をしている時に、お作法の授業をしていただいていたの――ご本は読んでもらった事はないわ――そんな事を話したと思うが、ジルダの意識は侯爵夫人の容態に向けられていたので覚えていない。
侯爵領に到着し、侯爵に手を引かれて夫人に最後の会話を交わしたそのすぐ後に、夫人は逝去した。カインが最後の別れをする暇もないままに。
そこからは葬儀の準備だなんだと慌ただしく時間が過ぎて、落ち着いた頃にはカインは元のカインではなくなっていた。
夫人の葬儀は国中の貴族が参列するほどの規模だった。
若い頃からアバルト侯爵令嬢として社交会で花開き、国内一の貴族と名高いエスクード侯爵家に嫁いだ。領地運営をはじめ、庶民の教育や登用、錬金術師や魔導士への支援により魔道技術の発展など、その短い人生の中でも目覚ましい功績を人々は称え、その死を惜しんだ。
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カインの魔力暴走に備えて葬儀の列に控えていたジルダは、夫人との思い出に胸が締め付けられるようで、これが悲しみなのだと、一人理解した。
大勢の予想に反して、葬儀の前も後も、カインの魔力が暴走することはなかった。
まだ夏の熱気が残る日差しを感じて目を覚ますと、家令のアレッツォが重いカーテンをタッセルでまとめている姿が目に入った。
「おはようございます、カイン様。ジルダ様がお見えになってございます」
カインが目覚めたことを察知したアレッツォは、慇懃さながらに軽く礼をした。
女中に世話をされることを嫌がるため、首都の屋敷にはカインの世話をする女中は最低数しかいない。
そのため、カインの身の回りの世話は家令のアレッツォが行っている。
「ジルダが――そうか」
3日前に会ったばかりなのにもう――いや、当然か。彼女の役目は3日に1度なのだから。
起きたばかりの重い頭で、カインはぼんやりとさっきまで見ていた夢を思い出そうとした。
子供の頃の夢だったような気がするが、はっきりと思い出せない。
まあいい。大した内容ではなかったんだ――だが、忘れていい内容だったのだろうか。
しかし、思い出せないものは仕方ない。
カインは、長い手足を持て余し気味にベッドから出ると、アレッツォが用意した肌触りの良いシャツに袖を通した。
上質な麻糸で織られた生地は、夏の熱気を幾分か和らげてくれるから好きだった。
アレッツォがボタンを留めるのをぼんやりと眺めながら、用意されていた果物に手を伸ばす。
「ジルダはいつ頃来た」
窓の外では日がそれなりに高い位置に来ている。
昨日は仕事でエスクードの領地に行くから帰りは遅くなると伝えていたはずだが、まじめな彼女のことだ。いつも通り朝早くから来ているんだろう。
「2刻ほど前から――図書室で本を選んでくるとおっしゃってました」
アレッツォの報告を聞きながら、カインはうんざりする気持ちを抑えられなかった。
「明日は街道の結界を補修しに行く。だから次回の魔力吸収は必要ないと思う」
「そうですか。でも念のため予定通りお伺いするようにしますわ。万が一という事もありますし」
「好きにしなよ」
首都の侯爵邸の庭に誂えた東屋で、カインはテーブルを挟んで向かい合っているジルダにその手を優しく握られていた。
しかし、それは恋人同士のお互いを求めあう行為とは程遠いものだった。
手を取り合っていても、カインの目はジルダを見ることはなく、生垣の青々とした葉に向けられており、ジルダもまた、カインではなく握った手を伏し目がちに見つめていた。
3日に1度の魔力吸収は婚約してから――いや、あの魔力暴走の日から10年、欠かすことなく続けられている。
17歳になったカインは、亡き侯爵夫人に似た透けそうな金の髪と、空の青さを写した瞳は変わらず、しかし面持ちはエスクード侯爵にも似て男らしい美しい若者に成長していた。
ジルダも17歳になり、赤毛は少し金色に近づいたものの、カインの美しい髪に並ぶとくすんだ赤茶けた色にしか見えない。
腫れぼったい小さな目は肉が落ちてすっきりと切れ長の目になり、丸い鼻は少しだけ鼻筋が通り、王国の顔つきというよりは、北方の顔つきに近くなった。
まるで不器量と言うほどではなくなったものの、王国の顔つきとしては異質だし、カインと並ぶと大きく見劣りする事実は変わらなかった。
春先に行われた侯爵家主催の舞踏会では、カインと婚約者であるジルダがパートナーとなって共にデビュタントを果たしたが、カインの精悍な美しさの隣では、どれだけ着飾っても間抜けなだけだとジルダは諦めていた。
その為、ジルダのドレスはカインと色こそ合わせていたものの、華麗ではあるが質素で、地味なジルダを目立たせない素晴らしい出来栄えのドレスだった。
――そもそも、カインと並んで見劣りしない令嬢がこの国のどこにいるというのよ……
それほど、カインの美しさは人並外れたものであり、その婚約者であるジルダはさぞかし令嬢達から妬みや恨みを買う事だろうと思ったが、杞憂というものだった。
もちろん、ささやかな嫌がらせもあったが、多くはあの婚約者と並ぶことへの同情の声だった。
誰が横に立っても見劣りするのならば、いっそ社交界一不器量なジルダであれば、自分はそれよりマシに見えると優越感を持てるというものだ。
もっとも、令嬢達が妬もうが見下そうが、カインとジルダの関係は皆がうらやむものでも何でもなく、冷ややかに冷め切ったものだった。
いつからだろうか。どちらからだろうか。
少なくとも婚約したばかりの頃は、ぎこちないながらも少しずつ仲が良くなり、エスクード侯爵家への訪問が10回を超える頃には、ジルダもカインに心を開き、初めてできた美しい友達――婚約者だが――との時間を素直に楽しんでいた。
20回を数える頃には、カインより一足遅れて首都に引っ越してきたカインの従兄弟のロメオとティン=クエンも遊び友達に加わり、青白い顔で笑顔が苦手だったジルダは、健康的な薄桃色の頬に弾けるような笑顔の少女へと変身していた。
カインはジルダにとても丁寧に、大切に接していたし、魔力吸収を行う際は頬を赤らめる事もあった。
「僕、ジルダに手を握られると、とても安心するんだ」
ある時、カインが屋敷から退出するジルダにそっと囁いた。
魔力が溢れそうになると苦しいものだし、不安になるものね。
ジルダはそう思って、カインに笑顔を返していた。
「いつでも握りに参りますわ。私の役目ですもの」
「うん――ずっと一緒だよね、僕たち」
「カイン様が必要とする限り、私はずっとおそばにおりますわ」
ジルダが返事をすると、カインはわかりやすく安心したように笑った。
実の家族からは向けられた事の無い表情に、ジルダはまだ慣れないが、当然嫌な気分になるはずがない。むしろ、自分にこの能力があってよかったと思った。
――夫人の葬儀の頃からだったか。
ジルダはぼんやりと思い出した。
春――カインの魔力暴走の後――から徐々に床に臥す事が増えていた夫人が、いよいよという知らせが来たのは冬が深まる少し手前の頃だった。
ジルダに会いたいと、夫人の従者が知らせたとき、不幸な事にカインもその場にいた。
あの時、カイン様はどんな顔をしていただろう。
子供だったジルダに、カインを思い遣るだけの余裕はなかった。
従者に急かされるままに乗り込んだ獣車で侯爵領に向かう道中、カインと話したのは覚えている。
なんと話しただろう――「母上とお知り合いだったの?」「君も本を読んでもらったり遊んでもらっていたの?」「君も――」
カインの魔力を得て疲れ知らずとなった草竜たちは、全速力で街道を走り抜けた。普段は乗り心地のいい獣車だが、速度のせいで少しの段差でも飛び跳ねる勢いなものだから、ジルダとカインは転がらないように従者の体に捕まるだけで一生懸命だったのを覚えている。
その道中の短い休憩中に話した内容は何だっただろうか。
おば様には、王宮で魔力の訓練をしている時に、お作法の授業をしていただいていたの――ご本は読んでもらった事はないわ――そんな事を話したと思うが、ジルダの意識は侯爵夫人の容態に向けられていたので覚えていない。
侯爵領に到着し、侯爵に手を引かれて夫人に最後の会話を交わしたそのすぐ後に、夫人は逝去した。カインが最後の別れをする暇もないままに。
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